姫君たちの葛藤と聖騎士の憂鬱
社稷壇は青を基調とした【花椿宮殿】にあって、例外的に赤――古来より魔除けとして用いられた顔料である朱砂――で塗られた巨大な伽藍のような建物でした。
ついでに周囲に植えてある花も、真紅の彼岸花が満開に咲き乱れ(秋の花が真夏に自然に咲いていますが、そもそも季節感ってものがあるのでしょうか、この場所では?)、血のように紅い絨毯が、社稷壇の周囲一面を覆っています。
さて、ここまでは『魔力探知』を使って警備の目をくぐり、光魔術の立体映像である『虚像』を重ねることで、遠目にはカメレオンの保護色のように背景に同化し(所詮は大雑把な背景色ですので、勘のいい方や、近くで見られれば違和感を持たれます)私とオリアーナ皇女様とは、どうにか無事にここまでたどり着くことができました。
「さきほど《堕天使》が逃げて暴れただけあって、さすがに警備に隙間がありませんわね」
とはいえ隠れん坊ができたのはここまでで、社稷壇の出入り口には、完全武装の騎士が四人ほど並び、同じく青の鎧兜を纏った騎士が二人一組で、見える範囲でも少なくとも五組。互いに死角を補う形で、穴のないように歩哨に立っています。
これを掻い潜って密かに社稷壇の中へ潜り込むのは、たとえ段ボールを被っても不可能でしょう。
「こういう時にシャトンの『影移動』の術が使えれば便利なのですけれど、私の手持ちの術では気配を完全に消して、潜入することは難しいですわね」
有無を言わせず力づくで、真正面から全員を叩きのめす……というのなら可能ですが。
途端、使えない……という渋面で、私を横目で冷ややかに見据えるオリアーナ皇女様。
「それだけの魔力を持ちながら、押し込み強盗の真似しかできないの、アンタは? 魔術に限らず、“術”と名のつくものは、硬軟織り交ぜてこそ実用たり得るもんでしょうが!」
私の不勉強をなじるオリアーナ皇女ですが、確かに私って『力こそパワー』で大抵のことは、正面からのごり押しでどうにかしてきたため、搦め手とか諜報に関する小技などは、なおざりになっていますわね……と、改めて指摘されて反省することしきりです。
「せめて精霊魔術が使えるのならば、精神に働きかけて『混乱』や『眠り』に導くことができるのですが、なぜかこの場所では精霊が一切、私と交流してくれないので、使えませんし」
交流してくれないというか、完全に誰かに支配? 畏怖? 心酔? していて、私など鼻もひっかけられない感じです。
考えるまでもなく、妖精族の神祖に当たる《神聖妖精族》であるという、《聖母》の影響なのでしょう。下手に精霊に語りかけるのも危険ですので、この場所では念のために世界樹の腕輪も外して、オリアーナ皇女様に回収していただいた『収納バッグ』にしまっておいてあります(万一、この世界から脱出した際に、魔術で亜空間に『収納』してある物品が消失するかも知れないので、念のための用心です)。
「――ふむ」
そんな私の言い訳にうんざりした顔で、オリアーナ皇女は警戒中の騎士に向かって、物陰から手を伸ばして、指先で空中に精緻な魔法陣を描きました。
けれど特に魔術が発動した気配はなく、オリアーナ皇女は落胆した様子もなく、軽く嘆息をしてその手を下ろしました。
「やはり同調体では、魔術の行使までは無理のようね」
一の矢は外れたけれど、予定調和――という表情で即座に二の矢を放ちます。
「よし、こうなったら――アンタ、脱ぎなさいっ」
真顔でとんでもないことを言い出す皇女様。
「はああああああああああああああああああっ!?!」
聞き間違いかと思いつつ、肉食獣が兎を前にしたようなオリアーナ皇女の洒落抜きの眼光から、私は半ば反射的に両手で胸元を隠します。
そんな私の羞恥や混乱もなんのその、淡々と意図するところを説明するオリアーナ皇女。
「見たところ警備兵は全員、男みたいだから、アンタが素っ裸になって、ちょいちょいと手招きすれば、鼻の下を伸ばした連中が、フラフラと集まって来る……のを、わたくしが背後からこれで殴り倒せば――」
言いつつ、オリアーナ皇女は、どこから取り出したのか――あ、私が収納バッグに入れて置いたものですわ――バールのようなものを取り出して、妙に手慣れた手つきで(日頃から折檻で手に馴染んでいる感じですわ)振り回します。
「――何の問題もないってわけよ」
「問題ばかりですわ!!」
どんな美人局ですの!?
「やるのでしたらご自分でなされればよろしいでしょう!? というか、発想が皇女様のそれとは思えませんわ! 失礼ですけど、貴女は皇女様の皮を被った野盗かなにかではありませんの?!」
いまさらですけど、この方の存在そのものが異常……というか、怪しい、怪しすぎておつりがくるくらいですわ。
「ふん、年頃の姿であればわたくしも躊躇なく脱ぐところですが、この姿では色気も何もないでしょう。適材適所ですわ。それと覚えておきな……さい。上に立つものが清濁併せ吞む度量がなければ、組織なんて回らないものよ。そもそも上に立つ者は穢れなく見えればいいのであって、実際に純粋無垢である必要はない――どころか、害悪ですらあるわね」
「はあ……」
オリアーナ皇女が熱く語る王侯貴族の生き方に、釈然としない気持ちで相槌を打つ、私を頑是ない子供のように見据えて、「ふんっ」と軽く鼻を鳴らして、皇女様は付け加えます。
「大体において、わたくしは、使えるものはハナクソでも使う主義ですからね!」
どこかで聞いたようなポリシーですわね。
「まあ常に後手に回る無能なアンタには難しい話だったかも知れないけどね」
「えぇ……自分では結構、頑張っているつもりなのですが……?」
それはまあ力不足、完璧な結果をもたらすほどの能力がないのは自覚していますが、それなりに困難を克服してきた自負や、過分な評価もいただいている身としては、自分の努力や協力してくださった皆様。称賛してくださる沢山の方々を小馬鹿にされているようで、さすがにいまの辛辣な言葉は看過しかねますわね。
「甘いっ! そもそもの話。真実、有能な人間なら、事件や事故の原因を事前に予測し、そうならないように発生を抑え、取り除くもの。つまり結果的に事件も事故も起きない。そうして誰にも知られず、誰にも称賛も感謝もされなくても、それができる人間こそが英雄って奴なのよ。それがアンタの場合は常に後手後手に回って、どうにか平仄を合わせて、持て囃されているみたいだけど、わたくしに言わせれば、そんなものは虚飾に塗れた無能の証拠。目立ちたいだけの馬鹿。手際の悪いすっとこどっこいの証拠にしか過ぎないわ!」
物陰から社稷壇の警備を窺いながら、嚇怒するオリアーナ皇女様。
「はあ……」
なんでこの方、基本的に怒っていらっしゃるのでしょう?
「ま、アンタの性格的には難しいだろうし、その妙な性格にしても立場や環境が妙だったから生まれたものだし……実際のところ、ちょっと前まで自分が異世界の男子としての記憶を持っていたことで、自分っていう基盤に自信を持っていなかったでしょう、アンタは?」
「なっ――なんでそのことを!?」
オリアーナ皇女様どこまで私の事情を踏まえているのですか!?!
ヴァルファングⅦ世陛下のような、過去の記憶と記録をもとに、もしもいまも生きていたら『こう考えて行動したであろう』という可能性が具現化した存在ではなく、確実に《神魔聖戦》以後の記憶を持って、なおかつピンポイントで私のことを知悉している……本当に何者なのでしょう?
(……もしかして、まさかとは思いますが……)
そんな私の疑念と煩悶を、知ったことじゃないとばかり、鼻先でせせら笑ってオリアーナ皇女様は続けます。
「わたくしは事情通なのですよ。ともかく、記憶がどうであろうと実際に外見が男であるか女であるかで、性格は確実に変わる。ベースとなる魂は一緒でも、周りの態度や向けられる視線、あびる言葉、期待される役割。つまるところ外見や立場が性格を形作るわけよ。――ま、男女ほど顕著でなくても、美醜によっても変わるから、アンタの場合は二重の意味で拗れたわけよね」
リビティウム皇国のブタクサ姫。
大陸中で笑い者になっている醜く愚鈍なお姫様。
「ううううっ……」
「いまのアンタはそうした軛から外れているわけだから、いい加減、宙ぶらりんのままではいられない。恣意的に自分を形作る時が来たってことを覚えておきなさい。わたくしは十三歳の時に帝国の帝位を継承して、否応なく自覚を促されたわけですが――」
苛烈ともいえる性格や鋭い舌鋒も、僅か十三歳でグラウィオール帝国の屋台骨を、それも《神魔聖戦》の混乱冷めやらぬ時期に背負ったと思えば、なるほど強くしたたかにならなければならなかったでしょう。
私はいまさらながら目の前にいるオリアーナ皇女様に敬意を抱きました。
「――実際、それ以前は、純真無垢な世間知らずの箱入り娘でしたわ」
「…………」
それは絶対に嘘ですわねっ。もともとの資質がなければ、いま現在のあんな……こーんな激烈な性格が形作られるわけはありませんわ!
◇ ◆ ◇
外縁部から【花椿宮殿】に戻ってきた《聖騎士》ロベルト・カーサスが竜車を降りると、待ち構えていたエリカ・ラディスラヴァ・ベニーシェクが満面の笑みで出迎えた。
「エリカ……どうした?」
本来、大和殿と関連する離宮に詰めている女官であるエリカが、このような場所まで足を運ぶ理由などないはずである。
ロベルトの言葉にエリカが唇を尖らせた。
「なによ、用事がなければ会いにきちゃダメなの?」
「いや、そういうわけではないが……すまん」
「ふふっ、まあいいわ。それよりも聞いてよ。まだ内示の段階だけど、あの魔女を告発した功績で、掌侍に抜擢されることになったのよ!」
エリカはそう言って、嬉しそうに笑う。
ちなみに掌侍となると、〈神子〉様や〈聖母〉様と直接会って話をすることができる。女官の中でもトップエリートであった。
「これで《聖騎士》ロベルトに釣り合うわ。ロベルトも自慢できて嬉しいでしょう?」
「な――」
なぜ俺が自慢しなければならないんだ? そう聞きたかったが、ロベルトは寸前のところで抑えた。この手の話題で、また険悪になるのはいい加減飽き飽きしている。
確かにロベルトとエリカは、同年代の中で最も血統・能力・相性ともに抜群である。そのことは〈聖母〉様も認めていて、公式に婚約者と認められ、そのことをエリカが誇りに思っているのは十分に知っていた。
このまま数年後には結婚をして、家庭を築く。そのことに問題はないはずであった。ただひとつ、ロベルトのエリカに対する釈然としない感情を別にすれば。
(なぜ自分を助けてくれた彼女を売っておいて、なに一つ悪びれず笑えるのだ!?)
咄嗟に込み上げてきた感情を呑みくだす。
「どうしたの、ロベルト?」
なにか言いかけて、急に黙り込んだロベルトの様子に、不思議そうにエリカが首を傾けた。
「いや、なんでもない……」
上手く誤魔化す言葉が出てこなかったため、曖昧に濁しながらロベルトは、さも急ぎと言う風に話題を変えた。
「――おっと。済まない、エリカ。ベナーク公へ報告しておかないとまずいので、先にそちらを済ませてくる」
「ふーん……仕方ないわね。埋め合わせに今度、お祝いしてくれたらいいわ」
「ああ、わかったわかった」
さっさとこの場を離れたいがために安請け合いをして、踵を返すロベルト。
軽く手を振ってエリカと別れたロベルトは、なぜか無性にジルの顔が見たくなった。
(術者を閉じ込めておくとなれば、【聖断の塔】であろう。無体な真似をされていなければいいが……)
ふと、別れ際、ベナーク公がジルの姿態を舐めるように見ていたことを思い出して、無意識のうちにロベルトの表情が強張る。
(……念のために様子を見ておくか)
ちょっとした回り道のつもりで、ロベルトは【聖断の塔】へと足を向けるのだった。
 




