反撃の狼煙と堕天使の牢獄
体調が戻ってきましたので更新再開です。
「泥臭い。もっと一発で意識を失わせるとかできないものかしらねえ」
悠々とあとから扉を開けて出てきたオリアーナ皇女らしき少女が、予想外のエンカウント直後に、どうにか私が倒した番兵を一瞥して言い放ちます。
「――と言われましても。物語や舞台の演技と違って、首筋にトン! とやったり、ボディに当て身一発で気絶させたりとか、そう簡単にはできないのですけれど……」
「実際に一撃で意識を刈っておいて、ブツブツ言うんじゃないわよ!」
とりあえず昏倒させた番兵たちの着ていた衣装と紐を解いて、魔術で作った水で湿らせたうえで手足を拘束し(こうすると布と手足の間に隙間がなくなり、気付いても簡単には解けなくなります)、猿轡を噛ませて人気のない茂みの奥へと放置してきた私が、お気軽に指示するだけのオリアーナ皇女(暫定)へと、思わず不満をこぼしたところ、即座に撃てば響く口調で反論が返ってきました。
傲然と腕を組んで、小さな体に似合わない覇気――さすがは『太祖女帝』『グラウィオール帝国中興の祖』と畏怖されるだけのことはあります――を漲らせながら、さっさと踵を返すオリアーナ皇女。
「どこへ向かうつもりですか?」
「さっさと外へ逃げるに決まっているでしょう。いつまでもこの場所に留まっていると、この世界の非実在物質に存在が置き換えられて、一生出られなくなる……なりますわ」
ドレスの裾を両手でたくし上げながら、快刀乱麻を断つ勢いでそう端的に答えられましたけれど、事前知識や情報が少なすぎて、なにを言われているのか理解の半分も届きません。
ですが「よくわかりません」と口にしたが最後、
「なんでこのくらいのことがわからないわけ!? これだけの時間があれば、推論の百や二百は組み立てられるでしょう!?! その目と頭は飾り?!?」
マシンガンのような勢いで、とんでもない数の罵詈雑言が返ってくるような、そんな危機感を本能的に覚えたので、適当に同意しておきます。
「なるほど……。いわゆる冥界神話や桃源郷のような異界に入った者が、その場所の食料などを食べると、その地の住人となって帰って来れなくなるような、異界において順応する危険を示唆した寓話のような状況に置かれている……ということですわね?」
「ふん。浅い理解だけれど、まあそんなものね。聖女スノウ曰く、『この空間に存在する万物は、本来はぶっ壊れた情報の断片であり。それを無理やり物質化している』らしいけど」
背中越しに軽く鼻を鳴らしたオリアーナ皇女が微妙そうな表情で肯定して、それを聞いた私は二重の意味でほっと胸を撫で下ろしました。
――よかった。辛うじてご機嫌を損ねなかったみたいですわ。それと、不用意にこの世界の食べ物を口にしなかったのも僥倖ですわ。
思い出してみれば、そういえばその気になれば木でも草でも岩でも食べられる〈神滅狼〉の化身であるフィーアも、この世界では何も口にしませんでしたけれど、本能的に食べたらまずいと理解していたのかも知れません。
そのどこかへ連れて行かれたフィーアですが、いまのところ主人と使い魔の魔術経路は、平常通りに繋がっているので生命の危機にはない……とは思いますが、無体な目に遭っていないか心配でなりません。
「それでどこへ? 少なくとも外周に関しては袋小路のようになっていると聞いたのですけれど?」
もっともそれを口にしたのはカーサス卿――個人的な印象では誠実な人間だと思いますが、しかしながら邪神の使徒なのは間違いありません――ですので、果たして頭から信用していいモノかどうかは疑問ですが。
「確かに。閉鎖空間を内側から破るとなると至難の業だ――ですわね。なぜかわかりますか?」
肩をすくめながら、つらつらと魔術の講義を進めるような口調で、オリアーナ皇女が肩越しに問いかけてきます。
「閉鎖空間ということは一種の小宇宙だからですわ。この宇宙の住人が、宇宙の果てまで行って外の世界に飛び出すのが不可能――質量保存の法則によって制限されているのと同様に、仮にそれを成し得るとすればこの空間の持つエネルギーを超えるエネルギーが必要となりますが、内部に囚われている時点でそれだけのエネルギーを得ることは不可能だから。――でしょうか?」
「まあおおむね正解と言っておきましょう。ですがこの空間は、本来が《神魔聖戦》が終わった時点で、緋雪――〈神帝〉によって書き換えられたはずの旧神の痕跡が、歪な形で残された亜空間であり、常時外部世界の修復作用が働いて、消滅させる力が外からかかっているはず。それに対抗できるとなると、そのための楔になる存在が内部にあるはずなのよね。それをどうにかすれば、おのずとこの世界は崩壊する……というのが、超帝国の分析と見解らしいわ」
そう講釈しながら、オリアーナ皇女は細い人差し指を立てて何もない空間をぐるりと指差し、次いでその手を開いて「パンッ」と破裂するありさまを示しました。
「ははぁ……理屈はわかりましたけど、とはいえ限定的にでも、仮にも、〈神帝〉陛下の御力に対抗できる時点で、神もしくはそれに準じる能力があるということですわよね。その楔は?」
例えるなら超高圧の深海にあって、圧力に負けない空気圧のドームを作っているようなもので、それを百五十年も維持しているのですから尋常な力ではないでしょう。
まあそれだけの能力者となると、順当に考えるなら〈神子〉ストラウスであり、この世界の維持、構成の中心も彼が担っている――としか思えません。
実際に相対した私だからわかりますが、あの無尽蔵とも思える魔力と圧倒的な存在感は、なるほど神……もしくは超越者という言葉でしか言い表すことができない人知を超えた存在としか言いようがありませんでした。
アレを相手にしては、たとえ私が万全の状態でも、ちょっと勝てる気はしません。明日、太陽が昇るのを止めろと言われるくらいの無茶振りです。
そんな私の推論に、足を止めたオリアーナ皇女が振り返って煩悶の表情を浮かべました。
「“神子ストラウス”ねえ……」
「なにか御懸念がございますか?」
「懸念というか、そもそも知らないのよね、わたくしは、そんなヤツ」
「はあ……?」
「……間抜け面だねぇ」
なぜここでしみじみと罵倒されなければならないのでしょうか……?
「さっきも説明した通り、この空間にあって目に見えるモノは、本来が実在しない――正確には《神魔聖戦》以前に存在したモノの断片であり、焼き直しにしかすぎないわ」
「ああ、ここへ来る直前にお会いしたヴァルファングⅦ世陛下と同じようなものということですのね?」
「……そうね。所詮は幽霊ですらない、過去の残滓」
微妙に悄然とした口調でオリアーナ皇女が、私の相槌に同意しました。
「ただ、あの方の場合は生前の記憶や性質が色濃く残された幻影で、なおかつ自分がどういう存在であるのか自覚もあったけれど、ここにいる多くの者は、自分の存在に疑問を抱かない傀儡にしか過ぎない。自分がかつて誰であったのかも覚えていない下手な模造品。贋作よ。だから貴女も余計な情を移さないことね」
そう迷いなく言い切るオリアーナ皇女ですが、正体不明という点では彼女も似たようなものですので、どこまで信用していいものか不安なところですわね。
完全敵地で孤立無援。確実に勝てない相手がいるという状況はなかなかに厳しいです。疑心暗鬼になりそうですわ。
「一般市民はともかく、カーサス卿やベナーク公など、傀儡というにはかなり自意識が濃厚なように思えましたけれど?」
私の疑問に「――けっ」と皮肉気な表情で、せせら笑うオリアーナ皇女。
「イーオン聖王国最強の『聖人』ベルナルド・カーサスと、大教皇ウェルナーのいまの姿……成れの果てね。あいつらは生前から個性が強かったから、何度焼き直しても根本的な性根は変わらないのでしょうね。まあ、連中の能力は希少だから、なるべく原型を残すように作為的な操作がされているのかも知れないけど」
イーオン聖王国の『聖人』ベルナルド・カーサスと、大教皇ウェルナー???
「もしかして、カーサス卿やベナーク公と、以前からお知り合いですか……?」
「“お知り合い”というほどではないわね。クソ真面目だったベルナルドとはロクに話したことはないし、ウェルナーに至っては色キチ……思い出したくもないわね」
苦々しい顔で吐き捨てるオリアーナ皇女。『大教皇』という称号を持つ相手に対する反応ではありませんが、よほど嫌な思い出があるのでしょう。
「で、どこをひっくり返しても“《神子》ストラウス”なんて存在は、わたくしや当時を知る神人の記憶にはいないのよね」
「《神魔聖戦》以後に、この場所で生まれたのでは?」
「だったらこの閉鎖世界が生まれるわけないでしょう。少なくとも《神魔聖戦》と同時期に発生したんだから。ヒヨコが生まれてから卵ができたという矛盾が生じるわ。そうなると楔は別の存在ということになる」
「《聖母》アチャコ様――とかが造ったと、この世界の創世神話で語られているようですが?」
「いいえ、あり得ないわ。アレには無理よ。さすがに力不足だわ」
私の反論をにべもなく跳ね付けるオリアーナ皇女の台詞に、私は思わず首を傾げてしまいました。
「聖母のほうは御存じなのですか?」
「まあねえ……アレも完全に滅んだはずなんだけど」
釈然としない表情で頷かれます。
「ともかく鍵になるのは不可侵領域である、《神子》と《聖母》が暮らす『双神高楼』にあると睨んでいるわけ。物理的にもこの世界の中心部はあのあたりだしね」
「そうですか? さすがに牽強付会な極論なような……?」
どうやらオリアーナ皇女の目的が見えてきましたけれど、奥のさらに奥の院。不可侵領域である場所へ、事前準備も情報もなしに無策で突撃するとか、まさに『驪竜之珠』(竜の顎の下から珠を盗む)、『虎穴虎子』(虎の巣穴から虎の子を得る)で、無謀以外の何ものでもないと思います。
そう口に出した直後、オリアーナ皇女が次に目を三角にして、次に「このアホンダラ!」という姿がありありと予想できました。
「このアホンダラッ! あんたいまが焦眉の急だって自覚があるわけ!? 脱獄してきた以上、ほどなく追っ手がかかるのは確実でしょう! なら腹をくくりな!!」
オリアーナ皇女に一喝されて、半ば勢いに押される形で渋々同意した私ですが、その前に――。
「社稷壇へ寄って行ってもよろしいでしょうか? フィーアが囚われているはずですから、先に取り返しておかないと後顧の憂いが残ります」
気絶する寸前にベナーク公が叫んでいた命令を思い出して、私がそう懇願すると、オリアーナ皇女は暫時考え込んでから、ニヤリと人の悪い――どこかで頻繁に見たことがあるような――黒い笑みを浮かべて快諾してくださいました。
「なるほど“竜攘虎搏”ってやつね。社稷壇に封じられている堕天使は、明らかにこの世界における異物。《神子》や《聖母》にとっても、手に負えない存在な可能性が高い――ってことは、それを解放して混乱している間に、『双神高楼』に忍び込む。ひょっとすると連中の弱点にもつながるかもしれないわね」
発想が火事場泥棒ですわ。
悪辣というか老獪というか……助けられた手前、行動を共にしていますけれど、この方について行っても大丈夫でしょうか? 余計に騒ぎが大きくなるような……。
こんな時に私の意を酌んでサポートをしてくれるコッペリアの存在が、いまさら貴重だと思えます。
――たすけて、コッペえもん!
思わず空を見上げて悲痛な念を送りました。
ともかくも、あとどれほど猶予があるのかはわかりませんが、私とオリアーナ皇女は急遽行き先を変更して、『社稷壇』へ向かうことにしたのでした。




