侍中ベナーク公の思惑と半龍人の神子
【花椿宮殿】の中央にある大和殿。
和と中華、西洋文化が融合したような造りの、壮麗かつ他を圧倒する巨大な宮殿の玉座に座る、ギリシア彫刻のように整った肉体と完璧な黄金律を体現した造作の青年が、巨大な鏡に映るすぐ外の光景を面白そうに眺めていた。
宮殿に詰める女官の何人かが、突如現れた異形の怪物――《堕天使》と呼ばれる、魔によって心身ともに汚染された、元この国の住人――の登場に腰を抜かして絶叫している。
彼女たちを守るべき衛士も、泡を食ってその場から一目散に逃げている体たらくだ。
「……タイミングが良すぎますな。神子様が社稷壇の封印を解かれたので?」
そう尋ねるのは髪の毛が真っ白な、それなりに端正な――ただし、どこか隠し切れない驕慢さと貪欲そうな――青年である。
聞かれた相手――玉座に足を組んで座っていた神子その人が、当然という顔で頷く。
「ああ、外界からきた〈巫女姫〉……聞いた話では、あちら側でもトップレベルの能力者だという。百五十年の月日が、果たしてこの地における者どもに研鑽をなしたか、はたまた無益な時間であったのか……母上は憂いておられる」
それから何やら空中に光る板のようなものを浮き上がらせて、その表面を一瞥した神子はくだらなそうな顔で鼻を鳴らした。
「……まさか、これが外部の人間の平均などというわけではないだろうが、このレベルの者がいること自体が脅威だな。とは言え数値だけでは何とも言えんので、実際にこの娘のお手並み拝見と行こうと思ってな」
互いに袍に似た衣装をまとった二人だが、神子がシンプルに青一色でまとめているのに対して、問いかけた白髪の青年は金銀でゴテゴテと煌びやかに飾った悪趣味とも言えるものであった。
さらに付け加えれば、神子である青年には飾りではない、一対二本の角が青い髪の中――耳の後ろあたりから生えていて、さらには背中からドラゴンの翼に酷似した蒼い鱗の翼が飛び出していた。
『――〈竜人族〉!?』
ジルが彼を一目見たらそう疑うことだろう。だが、彼こそはかつて神であった龍神の寵児にして、《半龍神人》たる存在なのである。
《半龍神人》ストラウス。
この国においてみだりに口に出されることはないが、それがこのおよそ非の打ち所がない美貌の半神の名前であった。
「なるほど、しかし美しい娘ですな。どのような存在であるのか、乃公にもお見せくださいませんか?」
ジルの美貌と豊かな姿態を鏡越しに見ながら、白髪の青年――侍中ベナーク公が舌なめずりしながらそう訴えかけると、神子は「――ふん」と鼻で嗤って、カードでも投げるように空中で光る立体映像のような厚みのない画面を、玉座のある檀上からベナーク公目掛けて放り投げた。
【DATA】
・名前:ジル(シルティアーナ)
・種族:人間族(他種族及び吸血姫の因子を受け継ぐ娘)
・称号:巫女姫
・HP:84,500
・MP:90,100
「ほう! これは凄い。MPに関しては強化したベルナルド――いえ、ロベルトを上回る能力値ですな。本当に人間ですか? 亜神の間違いでは?」
この【花椿宮殿】に足を踏み入れた瞬間に解析されたデータを、映像として表示したものを手に取って感嘆の声を上げるベナーク公。
ついでとばかり、ベナーク公は両者を比較する形でロベルト・カーサスのステータスも表示する。
【DATA】
・名前:ロベルト・グローリア・カーサス
・種族:人間族及び亜神
・称号:聖騎士隊長
・HP:91,840
・MP:62,890
信じられん、とひとしきり唸った後、ベナーク公はロベルトの映像を消してジルの映像を拡大し、解析された映像に指を這わせてスマホの画面をめくるように、ジルの映像を胸元からスカートの中まで、360度あらゆる方向から満遍なく見据えて、ニチャ……という好色な笑みを浮かべた。
「判断に迷うところだな。純粋な人間とは言い辛いが、いまのところは『人間族』の括りに入っているようだ」
まあ、ロベルトも同じだが、と付け加えるストラウス。
「穢れを知らぬ生娘の巫女のようですな。これはいい。この娘、神子様の用件が終われば、乃公に譲っていただけませんかな?」
「――ふん、お前も相変わらず好きだなウェルナー……いや、いまはベナークであったか。まあいい、そのあたりは母上に取り図っておいてやろう」
「ははっ! ありがとうございます、神子様!」
嬉し気に頭を下げるベナーク公から、再び鏡の中に視線をやったストラウスは、女官たちを助けるために〈堕天使〉に向かうジルを見据えながら、独り言ちるように語りかける。
「さて、貴様がもたらすのは新たな時代の変遷か。はたまた我が父母の妄執が生み出した、この領域の破壊か……いずれにしても楽しみにしているぞ」
◇ ◆ ◇
それは一言でいえばところどころ獣毛が生えた、膨張した巨大な肉の塊といったところでした。
目も鼻も口もなく、首の位置すら不明な四つ足で動く不格好な合成獣に似た怪物――元は人間であったという〈堕天使〉が、目標も定めず宮殿の建物や廊下を破壊しながら練り歩いています。
迫る〈堕天使〉を前に逃げ遅れた――というか、履いている花盆底靴の影響もあり走るのが困難な上に、焦り過ぎて転んだ挙句、足首を捻って歩くことすらできなくなった女官たち。
這う這うの体で四つん這いになって逃げようとするのはまだ良い方で、ほとんどの女性たちがショックのあまり惑乱したり、現実逃避にその場に崩れ落ちて失神した――フリをしている女性が大部分(精神の精霊の働きを霊視すれば、フリだと一目瞭然なのですが……)――方も少なくないようです。
本来であれば、彼女たちを守るべき衛兵や神官たちは、
「神子様、聖母様、お助け下さい!」
「神よ、お慈悲を!」
口々に助けを乞いながら、我先にと逃げ出してしまいました。
「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!」
その状況でも誰かが助けてくれると甘い期待をしていたのでしょうか、倒れていた女性に向かって、象ほどもあるグロテスクな巨大な肉の塊……文字通り生肉をこねて、幼児が粘土で作った得体の知れない動物のような、足の長さも太さも不揃いな怪物が、ポタポタと血とも粘液とも知れない赤緑色の液体を垂らしながら、手(前脚?)を伸ばして、手近にいた女官服の女性を捉えて、無造作に持ち上げます。
捕まった瞬間、さすがに狸寝入りを止めて、心底魂消る悲鳴を張り上げ彼女。
そんな彼女を無造作にブラブラと振り子のように振り回していた〈堕天使〉ですが、次の瞬間、触手を伸ばしていた貝が砂の中に潜り込むように、『ズボッ!』と音を立てて、あっという間に女性ごと腕を体内に取り込んでしまいました。
同時に取り込んだ腕の代わりだといでもいうように、太さもバランスも滅茶苦茶な新たな前脚というか、象の鼻に似ただらんとした形状の手だか足だかを二本、粘着質の音とともに吐き出したのです。
「――って、これ下手に攻撃すれば、体内に食われたさきほどの女性も巻き添えになるのでは?」
思わず下手な攻撃を躊躇する私の代わりに、十字架のような剣を引き抜いたカーサス卿は、女性たちの頭上を跳び越えて、躊躇なく片手で〈堕天使〉の足の一本を切り飛ばして、
「〝聖光弾”」
もう片手に聖属性の光弾を生み出して、斬った足が再生しないように念入りに吹き飛ばします。
「カーサス卿っ!」
摂り込まれた女性の安全に一切斟酌しないその対応に、思わず私が非難の声を上げると、
「一度〈堕天使〉に取り込まれたら、分離するのは不可能だ。本体ともども安らかに浄化させるのが一番の供養!」
一片の妥協のない返答が返ってきました。
ん? あれ? 浄化させるしかないって、さっきは「あくまで捕らえて、その業が消えるまで〈神子〉様と〈聖母〉様の御座所たる〈聖域〉の地下にある『魂の浄室』に封じるのみ」って言ってなかったかしら?
微妙な引っかかりを覚えたところで――、
「ロベル……トッ!」
逃げ遅れていた女官たちの一団から、エリカ嬢が地獄で仏のような表情で、どうにか立ち上がってフラフラとカーサス卿の背中に手を伸ばしますが、〈堕天使〉を相手取っている彼は、そちらを一顧だにせずマントを掴んだエリカ嬢の手を強引に振り解いて、一心に立ち向かうばかりでした。
その間に彼女たちの足や傷を治癒した私は、とにかく戦闘の邪魔にならない場所に、魔力で身体能力を強化して彼女たちを次々に運ぶのに専念するのでした。
最初はフィーアに大きくなってもらって運ぼうとしたのですが、
「み~(無理なの~)」
なぜかこの世界だと制限がかかるようで、仔犬大の姿から本来の姿に戻れないようです。
仕方なく、彼女たちを両脇に抱えた『お米様抱っこ』で、ある程度離れていて丈夫そうな部屋に、次々に運び込む私。
最後に傷ついた――いえ、裏切られた表情で、恨みがましい目つきでカーサス卿を、そして手を貸す私を同類を見るような目で見据えるエリカ嬢の八つ当たりの視線に辟易しながらも、彼女を離れた部屋に運んだ私が、再び現場に戻ると状況は一変していました。
壊れた廊下に肉腫のような触手を伸ばして、まるでカイコが繭を作るように、肉の塊が空中で蠢いている光景が目に飛び込んできたのです。
「ちっ、第二段階に移行するのが早い。私たちの感情を糧にしたのか? 『驕慢』か『怠惰』、『暴食』、『色欲』、『強欲』あたりなら、もう少し第一段階で暴れていたところだが、半端な攻撃がアダになったらしいな。こいつの罪はおそらくは『憤怒』、もしかすると『嫉妬』といったところだろう」
自分の判断を悔やむように歯噛みするカーサス卿。
「あの、この状態で浄化することはできないのですか?」
どうやら前後の会話からして、見た目通りの蛹になったようですが、お蚕さんでも繭を作ったところで茹でるように、無防備な今こそ絶好の機会かと思えたのですが。
「それは危険です。この状態で手出しをすると、貯えられた〝穢れ”が一気に噴出して、あらゆるものが汚染されます。第二段階、いよいよ〈堕天使〉としての姿に変態したところを叩くしかありません。ですが気を付けてください。第二段階に達した〈堕天使〉の力はこれまでとは隔絶したものです」
無念そうに首を振るカーサス卿の台詞が終わらないうちに、肉の繭に亀裂が入り、内側から這い出すように、青白い一対の翼が現れ……やがて、人体を模した胴体や頭部が現れました。
「……わ~~、なんかイメージと違う~」
顕われたそれ。
頭部の先まで三メルトはありそうな青白い肌色をした翼の生えた巨人――頭部からは髪を模した細長い触手が何百本も生え、目は瞼も瞳孔も白目もない青い昆虫のような複眼、鼻から口元は普通……かと思ったら、それは単なる飾りで、本来の口は顎の線に沿って、人間を丸のみにできるほど巨大な顎が開き、イソギンチャクのような舌が覗いています――が、最後に爬虫類じみた手足を引き出して吠えます。
ガラスをひっかいたようなその声に思わず耳を塞ぎながら、
「これが〈堕天使〉ですか? なんだか、人と爬虫類……小型竜を無理やり足した感じですわね」
思わずそう素直な感想を口に出すと、
「神の似姿に己を近づけようとして、道を誤った人間の成れの果てでありますよ」
そう言って、カーサス卿は二本目の十字剣を引き抜いて、二本の剣の刀身を合わせた十字架を作って、全身の魔力をそこへ纏いつかせるのでした。
アレが神様に近づこうとして失敗した成れの果てってことは、ここの神様ってどんな姿をしているのかしら?
ふと疑問に思いながら、私も浄化の魔術を詠唱するのでした。




