セラヴィの選択と競技の終了
暗闇の中道に迷った子供が手を引かれるようように、夢うつつの表情でフラフラと〈神聖妖精族〉を名乗る女の右手へ縋るように手を差し伸べるセラヴィ。
『我が事成れり!』
指先が触れ合う瞬間、女の口元が妖しく吊り上がった。
「……んー……」
刹那、軽い音を立てて厩舎の板戸でできた窓のひとつが開き、そこからひょっこりと茶色い狐耳が覗いたかと思うと、
「うんしょ、うんしょ」
掛け声とともに紺色のメイド服を着た小柄な少女とスプーンが一本、厩舎の中へと転がり落ちてきた。
「「「…………」」」
予想外の事態に、機先を制せられというか、梯子を外された気持ちで唖然と少女を凝視する一同。
ちなみに出入り口のすべては閂で施錠しておいたアレクであったが、厩舎の窓すべてまでは手が回らず、簡単に内側から釘で止めておいたのだが、どうやら一カ所釘止めが甘い箇所があったらしく、そこの隙間からスプーンで鍵をこじ開けて入ってきたらしい。
「――くんくんっ」
そのまま周りの空気に頓着することなく、スカートから飛び出た尻尾をぱたぱた振りながら、落ちていたスプーンを拾ってポケットに仕舞い、四つん這いのまま厩舎の枯れた藁が敷き詰められていた床を嗅ぎながら、ウロウロと徘徊する少女。
「お、おい。この餓鬼っ!」
我に返ったアレクが満面に怒気を漲らせ、少女に掴み掛ろうとした。
「やめろ!!」
寸前のところでその手をセラヴィが押さえる。
それからその揉み合いの最中にも、我関せずで一心不乱に床を這い回っている、狐の獣人族である顔見知りの少女へ呼びかけた。
「何をしてるんだっ、危ないからすぐに逃げろ。ラナ!」
言われた少女――ジルの侍女のひとりであるラナ――は、耳の向きだけセラヴィの方向へ傾けたが、そのまま厩舎の隅に山積みになっていた藁の小山へと向い、
「――うにゅ?」
小首を傾げたかと思うと、次の瞬間、目を見張り何かの確信を抱いた表情で、両手を使って猛烈な勢いで藁の山をバラバラにし始めた。
「……ちっ。学園の結界の外に出ておくべきだったわね。下手に魔術を使えば即座に魔力波動をタメゴローに感知されるか」
その小さな背中を見据えて、忌々しげに舌打ちをする〈神聖妖精族〉の女。
もっとも魔力を使わなければいいだけのこと。こんな子供など素手でも一捻りだけどね……と、剣呑な呟きを漏らしながら一歩踏み出そうとする。
「やめろ! 子供に手を出す気か!?」
アレクを羽交い絞めにして身動きを封じ込めていたセラヴィが悲痛な叫びをあげる。
対して女は酷薄な表情で、
「ふっ、甘い。その甘さを捨てなければお前の望みは叶わないわよ、セラヴィ司祭」
そうセラヴィの叫びを切って捨てた。
「鋼鉄の意思なくして野望は達成できない。痛みのない勝利などあると思うの? ――ああ、そうね。ちょうどいいわ、この小娘を始末しなさい。それでこそお前を仲間と認めてやりましょう」
続けてそう取引を持ち掛けられ、愕然としたセラヴィの動きが止まった。
その隙に拘束を逃れたアレクが、険しい視線をセラヴィとラナの両方に向けるが、〈神聖妖精族〉の女に視線で制せられ、不承不承大人しく引き下がった。
「…………」
「さあ、やりなさいセラヴィ司祭。それでこそ今日までのお前を越えることができるのよ」
女の誘いに対して、セラヴィは無言のまま煩悶する。
(わかっている。これはテロリストや宗教の洗脳……一種の通過儀礼だ)
そうしながら『神童』と呼ばれた明晰な頭脳が素早く状況を把握していた。
顔見知りの子供を殺せという命令。普通の人間であれば絶対にできない。法律以前に倫理や道徳、何よりも人の本能によって禁止されているその行為を行わせることで、真っ当な人間としての価値観を粉砕させ、代わって都合のいい“教育”を吹き込む手段。
それを自分に強いているのだ。
まさに人間としての分水嶺。これを越えれば、自分は人間ではない――人でなしに堕するだろう。
だが、人の世で己の望みを叶えられないのであれば、或いは人でなしの世界に足を踏み入れることも……。
「――ぐ……」
懐から愛用の護符を取り出して、震える指先を無防備なラナの背中へと向けるセラヴィ。
「そう、それでいいのよ」
爛々と燃える瞳でそれを見据えて、歌うように促す女。
「うしょうしょ!」
えっちらおっちら藁の山を崩す――崩し方が乱雑なので、いちど舞い上がった藁がまた堆積して、ほとんどエンドレスになっている――ラナ。
「――つぅ……クソっ!!」
セラヴィは最後にもう一度目を閉じて、ほとんど我武者羅に護符を放り投げた。
十枚ほどの護符が宙を舞い、六枚がラナの周囲に等間隔に落ちて六芒星を描き、残り四枚がその外側に正方形を描がく。
「じっとしていろ、ラナっ!」
刹那、正方形を描いた護符から猛烈な風が吹き荒れ、逆に六芒星は護りの結界となって、ラナのいるところだけ無風状態とした。
「――ちっ!」
「やはり裏切ったか、セラヴィ!」
女の舌打ちとアレクの怒号が響く中、ラナを抱えて逃げようとダッシュしたセラヴィの視界に、風でバラバラになった藁の山の底から、いかにもな『宝箱』が現れたのが見えた。
「――ん!」
躊躇なくそれに飛びついたラナが、重そうな箱の蓋を獣人族の腕力で一息に開ける。
「「「な……なにィ!?!」」」
刹那、開かれた宝箱の中から赤ん坊の頭ほどもある宝玉が顔を出して、目も眩むほどの虹色の輝きを燦然と放ったのだった。
「しまった、この魔力は――ちっ、タメゴローのものか!?」
愕然と口出した〈神聖妖精族〉の女の言葉に答えるかのように、遥か競技場の方向から、
『おおおおーーっと!! どうやら第五競技『学園全域スプーン宝探し』の勝者が決定したらしいぞ! 誰が発見者だ!? 取材陣はすぐに現場へ向かってくださーい! つーか、トロトロせずにマッハで向えや!!』
司会のバーニーJrの闊達なアナウンスが響いてきた。
◆ ◇ ◆ ◇
夕暮れの空を塗り替えんばかりに燦然と輝く虹色の光。それに続いて学園の敷地内に響き渡ったアナウンスを耳にして、現場検証を終えた私たちの他、学園内の敷地内に散っていた他のチームの参加者や関係者も、メイン会場である闘技場へと三々五々戻ってきました。
盛り上がっている会場へ足を踏み入れると、一抱えほどもある虹色の宝玉を抱え上げたラナと、それを肩車して会場一杯に誇示しているセラヴィの姿が目に入ってきます。
『“学園全域スプーン宝探し”。スプーン一本で広大な学園内のどこかに隠されていた宝玉を探し出すという、運営委員も事実上不可能と見做していた試練をやり遂げたのは、なんと巫女姫様の代理人、ちっちゃな侍女のラナちゃんだ~~っ!』
途端、津波のような怒涛の拍手と歓声が沸き起こり、あまりの迫力に肩車されているラナが目を白黒させてひっくり返りそうになり、慌ててセラヴィの頭にしがみ付きました。
知らない間に随分と仲良くなったのね~。もしかして、セラヴィの姿が見えなかったのは、こっそりラナのフォローをしてくれていたからでしょうか? ふふ、照れ屋なんだから……。
と、微笑ましく思いながら、闘技場の選手用の出入り口からその様子を窺います。
『ちなみに“学園全域スプーン宝探し”の獲得ポイントは勝者の総取りで二百ポイント! 先ほど『自由形お手玉』で一気に暫定一位に躍り出た白組以下ですが、この結果により、最終競技である“学園淑女決闘”を待たずして、紫組ジュリア様の優勝が決定しました!!』
えっ、そうなんですの!?
「何よそれ!? ズルい、インチキよーーっ!」
と、またもや結果に激昂するエステル。
感情的にも釈然としないのはわかりますが、今回はきちんとした規定の中でのお話です。
私もなんとなく棚ボタの優勝で、いいのかしら? と思いますけれど、案外、他のプリンセス候補や観客も納得しているみたいで、早々と『プリンセスおめでとう、クララ様!』の横断幕が観客席に掲げられていました(絶対にコッペリアの仕込みですわね)。
まあ、確かに最終競技が女子力(物理)のぶつけ合いという血生臭いものになる予定でしたので、私としてはこれを回避できるとなれば否も応もありませんけれど。
ふと、強い視線を感じてその先を辿ってみれば、魔導甲冑の人の代わりに宝探しに行っていた侍女頭のゾエさんも戻られたみたいで、どこか荒んだような……いっそ殺意とも言うべき目で、私やラナ、セラヴィを睨んでいました。
それだけ真剣に競技に望んでいたのですわね。そのせいでしょうか、どことなく全身で疲れたような、生彩のない雰囲気を醸しています。
「――ま、とりあえず殊勲者であるラナを褒めてあげないといけませんわね」
いつまでも他人事としているわけにも参りません。
気合を入れ直した私は、競技場の中心で待つふたりの元へと歩き出しました。
『おおっ、ご覧くださいっ、この場に我らがプリンセス、二代目巫女姫様がお戻りになられました! 会場の皆様、道を開けてください! 押さないで押さないで……押すなってつてんだろう!』




