水着の女神とビーチの勝負
午後の競技は水泳からということで、舞台を室内用遊泳施設へ移しての再開となりました。
この室内用遊泳施設は闘技場の地下に作られた特殊な亜空間――つまりはダンジョンの一種――で、地下なのに燦々と太陽が輝き、見渡せばどこまでも続く白い砂、打ち寄せるエメラルドグリーンの海という絶好のリゾート地となっています。
ここだけ見れば、どこぞの南国ビーチへ転移されたように錯覚するかも知れませんが、注意力のある人間なら、普通にあるであろう雑音――鳥の声も虫の音が一切聞こえないことにすぐに気づくでしょう。
閉鎖空間の自然環境を維持するために、そうした無用の生き物や雑音を極力排除した結果ですが、椰子の木や南国の植物が植えられ、見た目には色鮮やかな光景だけに、人間以外の生き物がいない人工の世界は、私にはいささか物寂しく感じられます。
「……まあ、虫刺されの心配がいらないのは安心ですけれど」
あと本物の太陽と比べて日差しが柔らかなので、紫外線で日焼けする割合がかなり低いのもポイントが高いところです。
「えーと、全員転移しましたね? それでは参加するプリンセス候補の皆さんはこちらで水着に着替えてください」
一般用の入り口とは別にある、特製の転移魔法陣から、この場所に移動させられた私たちプリンセス候補とその随員たち。ちなみに全員女性です。
さすがに人数が多いので一度には魔法陣に入れず、小分けに何度かに分けて全員が移動して揃ったところで、午前中お世話になった運営委員の腕章をつけた女生徒が率先して、椰子の木が生い茂るビーチの奥にあるペンションかロッジのような木造の建物へ私たちを案内してくれました。
そこに聳え立つのは、ちょっとした貴族の別荘ほどの二階建ての建物です。
全員が入っても余裕のある玄関ホールへ案内されて見れば、ホールの片隅に衣装ダンスらしい色分けされた四角い箱が六個置いてあるのに気がつきました。というかそれ以外は何もありません。
「ホールの奥にある衣装箱に水着や付属品一式が置いてありますので、各自、二階にある個室で着替えてください。個室の前には運営委員の女子が待機していますので、部屋の場所や着方がわからない場合には、お気軽に声をかけてくださればお手伝いいたします」
そうテキパキと仕事をこなす彼女。
たかだか水着に着替えるくらい自分でやれば? と思うかも知れませんが、基本的に生粋の貴族のお姫様というのは自分で着替えをするという習慣を持っていません。
突っ立ていれば勝手に周りが着せ替えしてくれるのですから、正真正銘、純粋培養されたお姫様というのは人前で裸になることに羞恥心を持っていない……とも言われています。そのあたり、私って見た目は“純粋無垢のお姫様”に見えるらしいですが、おもいっきりバッタモンなのでよくわかりません。
そこまでいかないにしても、貴族の令嬢であれば自分で着替えるなどという行為は、貴族としての沽券に係わると考えるのが普通らしいですから、補助のための人員を準備していて当然なのでしょう。
それに実際問題として、山国であるリビティウム皇国では水着自体がかなり珍しいので、きちんと慣れた人間が手伝わなければ手古摺る可能性があります。
「うおおおッ。さすがはクララ様、これメロンどころかスイカが丸ごと二個入るんじゃないですか」
早速、私に割り当てられた紫色の衣装箱を開けたコッペリアが、中から白のビキニのトップを取り出してはしゃいでいました。
周囲の注目を浴びるのでできれば自制していただきたいのですが、当然ながら空気を読む機能は内蔵されていない上に、外付けもできないコッペリアのこと。表、裏、紐などねんごろに確認した後、
「ラナぽん、ちょっときてみ」
「?」
チョイチョイとラナを手招きして、
「ほーら! やっぱ子供なら頭がすっぽり入りますよ!」
頭にかぶせてラナを変態頭巾ちゃんにして遊んでいます。
ラナも、おーっという感じで被ったまま感心しないでください。ついでに、「うおおおっ。さすがは巫女姫様、パネェぜっ」という令嬢たちの賛嘆と畏怖の視線がいたたまれません。
「……そういうことはしないでください。それにしても白ですか」
「ジル様は肌白なのでお似合いだと思いますけれど……まあ、少々布の面積が小さくて、さらに角度が破廉恥なデザインですが」
モニカがそうフォローしてくださいましたが、デザインウンヌン以前に、
「透けそうですけど、大丈夫かしら?」
こちらが心配です。
「あっ、ジル様。ちゃんとウチで出している日焼け止めと、水着用パッド、競泳用のインナーも入ってましたよ!」
そんな私の懸念に際して、同じく箱の中身のチェックをしていたエレンが、弾んだ声でそう報告してくれました。
その言葉にほっと一息つきました。よかった。最悪絆創膏の出番かとヤキモキしていたのですが、ちゃんと運営委員のほうで対処されていたみたいでなによりです。
とはいえ、そうした配慮もやはり山国育ちで水泳の経験の浅い(余談ですが、地球でも欧米では水着の下にインナーを着ける習慣がないとか)他のプリンセス候補や侍女たちにはピンとこないようで、実際、自分たちの箱の中身を確認しては、
「なにこのアイマスクみたいなの?」「巫女姫様の侍女が言っていたパッドじゃない?」「付け方わからへん」「このパンツ、ゴムが厚い。邪魔」「うわーっ。ブラントミュラー印の純正品だわ、これ!」
大部分が当惑の叫びを発しているのでした。
すかさず運営委員の女子がフォローに入り、実際に試着すべく三々五々と二階の個室へ向かおうとするプリンセス候補者たち。
至れり尽くせりとはこのことですわね。と、感心しながら私も着替えようと思ったのですが、ここで柳眉を逆立て異議を唱えたのは安定のエステルでした。
「ちょっと待ちなさいよっ。つまり自前の水着ではなく、そっちで準備した水着を着ろってことなの!?」
「ええそうなります。ああ、午後からはまた別の体操服とブルマーを準備しますので、一度脱いだブルマーをもう一度穿く必要はありません」
そのことにほっと一安心する私たち。
「――クララ様。きっと回収して売る気ですよ。実行委員はクララ様の汗の染みた体操服やブルマーを高値で売る気に違いありません。ワタシならそうします」
「モニカ、着替えはコッペリアに渡さないようにしてくださいね」
「承知いたしました。一命に替えましても死守いたします」
「売りませんし、きちんと管理して洗濯します!」
耳打ちというには声高なコッペリアの忠告の声に、実行委員の女生徒が即座に反論しました。
対照的に一部の実行委員が目から鱗のような表情を浮かべていましたけれど、いまの藪蛇になってませんわよね?
「じゃあなんで、あたしの水着のデザインがこれなのよ!」
白組の箱から自分に割り当てられたフリル付きのワンピースを取り出して、運営委員の女生徒に噛み付くエステル。相変わらずメンタル強いですわね。
「可愛らしい水着だと思いますけれど?」
私も含めて周囲も彼女の率直な感想にうんうん頷いて同意します。
「こんな子供じみた水着を渡されて、唯々諾々と着たら、『おおっ、エステル選手。やっぱ油断した腹肉を気にした水着でしたか~!』とか、満座で笑われそっちの思う壺じゃない! 交換を希望するわ! あたしがあっちのビキニを着るわよ。つーかそのほうが格好いいもん!」
ラナが被っている私のビキニを指差すエステルに対して、運営委員の女生徒は困惑した面持ちで、
「それはルール違反です。こちらで水着を用意したのも、持込だとあらかじめ布地に魔術など仕込まれて不正される可能性があったため、公平を期する目的ですから、皆様にもご了承いただきたいのですが」
布地に魔術など仕込む――の下りで、茶組『マジック・ホリック』とピンク組『銀の紋章』の面々が、ギクリと顔を強張らせました。
さてはそのつもりだったのですわね。
委員の女生徒は顔色が変わった彼女たちを一瞥して、無言で牽制したのちエステルに視線を戻して、断固たる口調で言い切りました。
「条件は皆さん同じです。それに不満があるようでしたら、どうぞお引取りください。それに第一、エステル様が巫女姫様の水着をつけてもカップが足りずに、べろーんとズル剥けになるだけです。それでも良ければ同じサイズの水着を用意させますが?」
この女生徒、淡々とした口調でなにげに辛辣です。
さすがに気の毒になった私はエステルに慰めの言葉をかけることにしました。
「あの、大丈夫ですわよ。大きければいいといものではありませんから。ほら、私なんてこの胸のせいで下着のデザインは限られますし、ましてノーブラなんてできませんから肩こりが大変なんですよ。あと、うつぶせに寝ることも足の爪を切るのも一苦労ですし、油断するとブラウスのボタンが弾け飛ぶ、食べ物をこぼすと胸のところが汚れる。あと胸の周囲に汗もができやすいですし……正直、そういう苦労がないエステルが羨ましいですわ」
「どヤカマシイ!!! あんたあたしにトドメを刺しにきた刺客じゃないの!? 慰めるふりしてあたしを嘲笑っているだけでしょう!」
気持ちを和ませるつもりが、なぜか余計にギスギスして自分の分の水着一式を引っつかんだエステルは、仲間たちとともに足音も荒く階段を昇って、白組用の控え室へ入っていきました。
「???」
なぜ逆切れされたのかわかりませんけれど、とりあえずエステルが折れたことで、他のプリンセス候補も不承不承納得したみたいで、自分の分の水着を持って、各自の控え室へと着替えに行きます。
「競技開始は一時間後です。着替えが終わった方は、係員の誘導に従ってムーンビーチの特設競泳コースへ移動してくださーい!」
運営委員の彼女が最後にそう呼びかけます。
準備に時間が掛かると見て、かなりの余裕を見ているのでしょう。
「それでは、私たちも準備をいたしましょう」
「「「「はい、ジル(クララ)様」」」」
侍女ズに呼びかけて、私も用意すべく控え室のある二階へと階段を昇るのでした。
◇
三十分後――。
ムーンビーチと呼ばれる三日月形に湾曲した砂浜に、急遽作られた審査員用の天幕の下、次の準備に余念のないメイ理事長だったが、不意に周囲に鳴り響いた注意を促すチャイムの音に、「うん?」と顰めた顔を上げた。
『運営委員よりお知らせです。第四競技の開始時間を三十分遅らせていただきます』
聞こえてきた司会の声に、「ちっ!」と珍しく不快感をあらわにする。
「――なにやってんだか。こっちも段取りってものがあるんだからね」
小さく毒づいて、ビーチの脇に特別に許可を出して出店している屋台のひとつに視線を送る。
『ヤキソバ』と銘打たれた、驚くほど良い焼けたソースの香りを漂わせている屋台で、縦横二メルトほどもある移動式の巨大な鉄板相手に格闘していた黒髪細目の年齢不詳の商人は、その視線を感じて軽く手にしたヘラを持ち上げて見せた。
「さっさと準備しなさいよ!」
と、視線で促された商人は、面倒臭そうに後の事を従業員である白猫の獣人族と、メイド服を着た雌豚鬼に任せて、そそくさとこの場を後にするのだった。
ふう……と、とりあえずため息を漏らしたメイ理事長の耳に、続く運営の放送が飛び込んでくる。
『なお、遅延の理由は、水着に着替えた巫女姫様がこちらに向かってくる際、その溢れんばかりの姿態を直視した観客数百人が、衝撃のあまり卒倒――特に年配の男女十数人が心臓発作でショック死しかけ、現在その場で巫女姫様が蘇生しているとのことです』
なんだそれは!?! という困惑と、見た者を文字通り悩殺するというその艶姿を想像して、どんだけエッチな格好なんだ?!? という期待が嫌がおうにも高まるのだった。
が――。
『以上により、巫女姫にはラッシュガードの着用を……』
『ふざけるなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!』
運営の無慈悲な宣言により、怒りの観衆が放つ怒号が響き渡り、この閉鎖空間をぶち破らんばかりの勢いと化すのだった。




