幕間 皇凌祭に緋色の雪きたる
今回はジルはほとんどでません。その代わり――。
昨年から央都に開店した帝国風喫茶店『ルタンドゥテⅢ号店』。
これまで味わったこともない、舌がとろけるような甘味と多様な茶葉。可愛らしい制服にリーズナブルな価格設定ということもあり、連日、押すな押すなの盛況を博し、さらにはそのオーナーが二代目巫女姫ということも知れ渡り、いまや央都では知らない者はいない名物店と化していた。
で、商業道徳の薄いこの世界の事である。
当然のように二番煎じや柳の下の二匹目の泥鰌を狙って、似たようなコンセプトの店が雨後の竹の子のように一時軒を揃えたが、いずれも提供されるメニューやサービス、店舗の品質ではルタンドゥテには遠く及ばないため、すぐに呆れられ淘汰されていった。
だが、中には目端の効くものもいて、ルタンドゥテとは若干違うコンセプトで――例えば多数の酒を揃えた酒場としての色合いを強めたり、獣人族の奴隷を集めて『ケモノミミ』喫茶店としたりと、あの手この手で生き残りを図った――結果、それなりに多種多様な喫茶店文化が央都に花開いた。
そんな店のひとつ『パスタ喫茶・ムー麺』に、エステルと五人の(金で雇われた)仲間たちが集結していた。
もともと店主が、『ルタンドゥテⅢ号店』でごくごく稀に日替わりランチとして出てくる『ラーメン』なる料理に魅了され、見よう見まねで再現したという『ムー麺』と、給仕の森醜鬼が売りの店である。
ちなみに提供される『ムー麺』は、『ラーメン』とは似て非なる料理であり、醤油も味噌も使っていないコクの足りないスープにパスタ風の麺が投入されている代物で、当初は『ラーメン』として売り出していたところ、
「なんだこれはっ、女将を呼べっ! 私なら一巡週以内にこれより遥かに美味いラーメンを作ってみせるよ!!」
と、大暴れした謎の黒髪の美少女にやり込められ、現在の名称に落ち着いたという経緯がある。
現在は本家のラーメンとは差別化され、一部に熱狂的なファンもいる――それを俗に『ムー民』と呼んでいる――ムー麺。
「ふうふう……なーんか微妙な料理ね」
スプーンとフォークで啜って食べながら、エステルが味同様に微妙な表情で感想を口に出した。
「――あたしとしては、本物のラーメンを食べたかったんでルタンドゥテに行きたかったんですけどねえ」
ため息をつきながら大柄なリージヤが肩をすぼめてそう言うと、他の面子もうんうん頷いて同意を示す。
一時の盛り上がりが落ち着いたせいか、やたら原色で派手派手しい店内にはさほど客はおらず、他のテーブルはガラガラで、辛うじてカウンターにひとり座っているだけであった。
「冗談じゃないわよ! いまからやるのはあの女対策の会議よ。それをあの女のハウスでできるわけないじゃないの!」
激昂するエステルに対して、カーヤは先ほど会ったジルの言動とその時に感じた印象を念頭に置きながら、啜った麺を飲み込んでから、理知的な表情を崩さずに口を開く。
「いや、でも、巫女姫様はわたしたちのことほとんど眼中にないというか、別に勝負にこだわっているようには見えませんでしたから、普通に店に行って雑談しても問題なかった気もしますけど? あれ絶対に聞き耳立てたりしませんよ」
うんうんと再度大きく頷く一同。
「なめられてるってことじゃないの、それ!? なら余計に悔しいとか、負けてたまるかとか、目にもの見せてやるって気概はないの?!」
テーブルを両手で叩いて猛るエステルを、呆れと感心が入り混じった表情で注目する一同。
今回の皇凌祭のプリンセス候補としての参加は、はっきりいえばお金のため、お金持ちのお嬢様の道楽に付き合うだけで報酬が貰える。
適当に手を抜いて祭を盛り上げればいい。ぶっちゃけまかり間違って下級貴族の自分たちが下手に『プリンセス』なんぞに選べれようものなら、上級貴族からどんな難癖がつけられるかわかったものじゃない。
なら、あくまで『枯れ木も山の賑わい』で、せいぜい楽しみましょう――程度に考えていたのだが、どうやら目の前の小柄な少女は本気で勝つつもりでいるらしい。
麺を啜りながら、それとなく目配せをし合う五人組。
エステルが巫女姫であるジルに強い対抗意識を持っているのは、会話の端々から理解していた。
また、ベーレンズ商会といえば大陸屈指の富豪で、海運を一手に担う海運王でもあるので、下級貴族といえど上級貴族に顔が利くのはわかる。
だが貴族はあくまで家柄と血筋がモノをいう世界である。所詮は地方貴族で、新興の成り上がりの伯爵家よ成金で家名を買った下賤の者よと、ベーレンズ家は貴族社会では軽視されているのも確かであった。
それを知らないはずはないのに、それでも大陸中の貴族、王族が集うこの皇立学園の“プリンセス”を狙うという。
しかも最大の対抗馬は史上最高の美少女にして淑女の鑑、巫女姫クララに生き写しの二代目巫女姫である。
どう考えても無謀である。というか世間が許さない。
五人組にしてからもジルに間近で挨拶したのは今日が初めてだが、同じ空気を吸っているだけで自分が二段階くらい上等な人間になった気がした。
あの美貌に微笑みかけられ、全員が気が遠くなった。
(((((あ、こりゃ無理だわ。勝負にもならない、負けた……)))))
そして、一言言葉を交わしただけ、一瞬で五人とも女としての矜持が折れた……というか完膚なきまでに叩き潰された。
これと女として競うなどという行いは、いわば津波や山崩れに体ひとつで立ち向かうのと同義である。
そう全員が即座に悟ったというのに、このエステルはなお闘士衰えずとは……!?!
馬鹿なのか、大物なのか、ただ単に何も考えていないような気もするが、とにかくも大将がその気になっているのに、仮にも部下として集められた自分たちが先に白旗を揚げるとは何事か! 女が廃る!
――と、までは思わなかったものの。もらえるギャラの分は頑張らなくちゃならないな、と改めて気合を入れ直すカツカツの生活をしている貧乏貴族五人組であった。
それにこんな機会もなければ、『プリンセス候補』として『巫女姫』と勝負するなど一生ないだろう。
ならばこの際本気で頑張ってみよう――と、まあ、はっきりいえば開き直ったのであった。
開き直った女と貧乏人は強い。
「でも、さ、あれ相手に衣装、ダンス、音楽発表とかの見栄えが重視される分野では無理だよ」
「うむ。我らも餓えたりとはいえ貴族としての手習いは行っているが、正直、上級貴族、まして王族や帝族相手には付け焼刃もいいところだろう」
顔を合わせるオレリア、エルマ。
オーサは続いて出てきた『スートン』という、スープに小麦を溶いた代物をスプーンですくながら、
「その辺はもう捨てにかかるっきゃないと思う。わざわざ相手のリングで戦うのは無駄。得意の部門で逆転をすればいい」
ぶっきらぼうにそう助言する。
「そうなると――」
エステルは再度、今回採用された“プリンセス”のための種目を暗誦する。
衣装、ダンス、音楽発表、乗馬、弓、水泳、砲丸投げ、千メルト持久走、お手玉。で、最後に舞踏会場――じゃなくて、武闘会場で一対一の決闘。
「最初の衣装、ダンス、音楽発表はいちおう全員が参加ね。で、次の乗馬はオレリアね」
「そうだね。あたしの家は馬主でもあるから乗馬は得意中の得意だね」
自慢げに白い歯を見せるオレリア。
「弓は――」
「それがしであろうな」
エルマが自信ありげに胸を張る。
「水泳はあたしね。つーか、以前にあの女と五分だったことだし、今度こそ雌雄を決してみせるわ!」
雌雄を決するも何も、どっちも雌じゃないかなぁ、と思う一同であった。
「あと、砲丸投げだけど……」
自然と全員の目がリージヤの巨体に集まり、当人も苦笑して頷いた。
「了解した。単純な腕力ならあたしが一番だし、競技で魔術の肉体強化を使わないようにすれば確実に勝てると思う」
「そっちはあたしから提案しておくわ。それと千メルト持久走に自信があるのは?」
「わたくしですわね。実家が放牧をしていましたので、子供の頃から一日中走り回っていました」
「へえ、意外ね」
どちらかといえば頭脳系に見えるカーヤの意外な特技にエステルが身を見張った。
「で、お手玉は」
「はいはいはーーい、はい! 得意得意!」
元気よく手を上げる最年少のオーサ。
「……これなら意外といけるかも」
カーヤが集まった面子を見回して、頬を緩めた。
「意外とどころか、絶対よ! これなら勝てるわ! で、最後の決闘でぎったんぎったんに」
「――できるかな?」
意気軒昂なエステルを遮ったのは、このテーブルについていない第三者の澄んだ声だった。
「なっ――誰よ、あんた!?」
第三者といってもこの場にいるのはエステルたちの他はムー麺屋のオヤジと給仕の森醜鬼、そしてもうひとり。
「名乗るほどの者ではないけれど、人呼んで――」
カウンターに座り、二本の棒を使って器用にムー麺を啜っていたもうひとりの客。
小柄で王侯貴族がまとうような豪奢な薔薇のコサージュのついたドレスを着た少女……だろう、多分。顔の上半分を覆う変な仮面をかぶっているので判断に迷うが、声の質や肌の艶やかさ長い黒髪からもかなり若くて高貴な身分だとわかる少女が、手にした器ごと振り返ってエステルに答えた。
「謎の美少女、マスク・ザ・ローズ!」
エステルにも負けず劣らず真っ平らな胸を張る自称謎の美少女。
「ちなみに額におできがあるので素顔はお見せできません。残念ながら」
「「「「「「あ、ああ、そう……」」」」」」
なんとなく勢いに飲まれて曖昧に返事をするエステルたち。
「……で、その謎の美少女マスク・ザ・ローズが何か文句あるわけ?」
即座に気勢を取り戻して、怪しげな仮面相手にも気後れせずに突っかかるエステルも大概たいしたものである。
「なーに、どうも君たちは彼女を甘く見ている……見過ぎていると思ってねぇ。そんな調子じゃ勝てるとはどーしても思えなくてついつい、ね」
「あたしたちが負けるって言うの!?」
「気に障ったのなら申し訳ないけどさ。そもそも淑女を決めるコンテストだろう。砲丸投げやお手玉なんてイロモノ勝負で勝てても嬉しいものかい?」
「嬉しいに決まってるじゃない! なんでもいいから勝てればいいのよ!! 勝てなきゃ意味ないじゃないっ!」
即答したエステルに、「え~~」と鼻白んだ様子のマスク・ザ・ローズ。
一方、他の五人組はばつが悪い表情で視線を逸らせた。
「……まあ、当人が納得してるならいいけどさ。それにしてもこの面子で最後の決闘で彼女に勝てるのは難しいだろう?」
「やってみなきゃわからないじゃない!」
「やるまでもないさ。――そうだろう?」
「「「「「…………」」」」」
水を向けられ黙りこくる五人組。
「ならどうす――」
「私が助っ人で出場しよう」
「え……?!」
さすがに虚を突かれたのかエステルも絶句した。
「いっぺん手合せしてみたかったんだ。悪いことはいわない、私なら勝てる……いや、私でなければ勝てないっ」
妙にノリノリで残ったスープを一気飲みするマスク・ザ・ローズ。
「いやいやいや! そもそも学園の生徒でもないのが――」
「そこはほれ、誰かが競技中に顔に怪我をしたとか理由をつけて、仮面で出場しているということに」
「そんな無理な言い訳が通用するわきゃないでしょう!」
最年長のリージヤがストッパーになろうとするが、もともとブレーキの存在しないエステルは止まらない。
「いいじゃない。それで行けるんじゃないの! 決めたわマスク・ザ・ローズ。貴女にあたしたちの勝利を託すわ!」
「任せておきたまえ。一発で勝負を決めてみせるよ!」
「「あーははははははははははははははっ!!」」
ノリノリのふたりを前に、もはや説得することを諦めた五人組は、次の注文を頼むべく森醜鬼の給仕を呼び寄せるのだった。
◆
で、皇凌祭当日。
「謎の美少女マスク・ザ・ローズ見参っ!」
意気揚々とマスク・ザ・ローズが自己紹介した瞬間、主催者席から文字通り爆発しながら火花を散らし、宙をすっ飛んできたメイ理事長が、有無を言わせず彼女にアックスボンバーを叩き込み、そのまま首根っこを押さえてどこへともなく消えていった。
この間、わずか百分の一秒。
赤い薔薇のコサージュが解けて雪のように降りしきる舞台を眺めながら、
「……なんだったんでしょう、いまの?」
小首を傾げるジルの問いかけに答える者はおらず、エステルだけが、「ホント~に一発で終わりじゃないの……!」と、恨めし気な口調で誰にともなく呟いたのだった。
今回で199話になります。次回でいよいよ200話の大台ということで、息抜き話でした。




