理事長の忠告と百花繚乱の淑女たち
右も左も上下も真っ白な空間。
なんでも内部にいる者の意思に応じて自在に形状を変える精神感応物質が使用されているという、メイ理事長専用の講義室。
「――よし。これでこの一年間……のみならず今年の分の講義の補習は終了。あとで出して貰うレポートの出来にもよるけど、問題なく通常の講義に戻れるわ。にしても、ここって精神に働きかけて通常の五倍速で学習できる、あたしの友人曰く『メンタルとタイムのルーム』なんだけど、普通の人間なら十五分と我慢できないところ、よくふたりとも連日八時間も籠もって発きょ……おかしくならなかったわね。たいしたものだわ」
精神感応物質で作られた椅子と机、講義用のホワイトボードを手振りだけで消し去ったメイ理事長が、手にした補習用のレジメを無造作に地面にポイ捨てると、白い床に穴が開いてどこへともなく消えていきました。
「はあはあ……あ、ありがとうございます……お手数をおかけしました」
いま発狂って言いかけなかったかな? と使いすぎて痛む頭を押さえながら、私も立ち上がって一礼しました。とりあえず、今日ばかりは頭脳労働で消費したカロリーを補充するため、『ケーキは一日一個まで』の制限を外してもバチは当たらないことでしょう。
「…………」
なお、隣では息も絶え絶えのセラヴィが白目を剥いて前のめりに卒倒しています。
最初は倍速で鼻血を出して脳の血管切れかけていたのですが、いまではどうにか五倍速にもついてこれるようになったのはさすがは“神童”です。人間の対応力って素晴らしいですわ(「壊れてもジルちゃんなら治せるでしょう」の一言で強行した理事長も剛の者ですが)。
もっとも、その分の反動はきついらしく、講義も終盤になると毎回夏の終わりの蝉のようにピクピクとなり、最後には『○ムチャしやがって』状態になってしまいますが……。
それでも最後までやり遂げたのですからたいしたものです。
そんないつものセラヴィを一瞥したメイ理事長が指を鳴らすと、いつものようにセラヴィの椅子は寝台へ変化して、さらにどこからともなくわらわらと集まってきた二・五頭身の黒髪の幼女を模した人形娘が、『うんしょうんしょ』という感じで寝台ごと外――医務室へと運んでいきました。
意識こそないもののじっくりと休息と点滴でもすれば、若さもあって一晩で治るはずです。
で、残った私の前にソファとレースを施したクロスのテーブルが現れて、その上には繊細なアールグレー風の薫り高い紅茶とケーキスタンド、サンドイッチ用トレー、角砂糖ばさみ、茶漉しが揃えられていました。
ケーキスタンドに並べられているのは、定番のキュウリのサンドイッチ、イチゴジャムとクリームを添えたスコーンの組み合わせです。
「アフタヌーンティー風にしたけど、もっとガッツリ食べたいならウェルシュレアビット(ウェールズ風チーズトースト)とローストビーフとかも準備させるけど?」
「いえ、これで十分ですわ。それにこの後、デザイナーと衣装合わせがございますので、あまり食べ過ぎるのは、その……」
「ああ、なるほど皇凌祭のドレスだね。そっか、もうそんな季節か~……まあ今日び、コルセットでウエスト四十五セルメルトなんていう馬鹿な風潮はないけど、お腹膨らませて採寸とられるとか、精神的に地獄だよね~」
うんうん頷きながら、ぱっかぱっかと馬のようにサンドイッチとスコーンを食べまくるメイ理事長。これでよくこのスタイルを維持できるものだと羨ましく思ってしまいます。もしかして、神人になるとウエストの悩みとは無縁になるのでしょうか? だとすれば私も本気で進化の道を模索してみたいものです。
そんなことを考えながら、ちびちびとキュウリのサンドイッチを齧る私。
「そうですわね。オーダーメイドってなんでああ採寸が多いのでしょうね。私としては別に制服でもよかったのですけれど、うちの侍女とかがやたらと張り切ってまして」
ついでにデザイナーも張り切っていて、「巫女姫様のドレスを仕立てられるなど光栄の至りでございます!」とか言って、来月に間に合わせるために職人を総動員したのみならず、暖簾分けした弟子を皇国中から集めて臨戦態勢で取り組んでいるそうです。……なにそれ怖い。
「あー、まあドレス姿を競うのも皇凌祭の目玉だからねえ。各自気合の入った特注のドレスを準備するのも恒例ってところだから諦めなさいな。それにあんたの場合、特注品でないと絶対にサイズが合わないでしょう? けしからんことに」
「あの、どこを見ておっしゃってるのでしょうか?」
視線が胸に刺さるなぁ……。
「べっつに~っ。ああ、それはそれとして、皇凌祭は外部にも開放されるので、学園側でも十分に警戒するつもりだけれど、思いがけない悶着に巻き込まれたり巻き込んだりしないように気をつけてね」
「え、ええ……それは気をつけますけれど、なんだかその言い方だと私がトラブルを起こすか引き寄せるように聞こえるのですが」
「大体あってる。聞いた話では今朝もオーランシュ家のブタクサ姫――ってことになっているアレと接触したんでしょう? どんだけそれが危険な行為かわかっているわけ?」
事情を知っているメイ理事長に咎められるとさすがに返す言葉がありません。
「それは……自分でも軽率だったとは思っていますけれど」
「まあ、元実家がどうなっているのか気になるのはわかるよ。まして父親が襲撃されて重症だってんだから、いても立ってもいられないのは十分理解できるけどさ、壁に耳あり障子に目ありって言うし、そもそもオーランシュ王が襲撃された時点で、どこからか情報が漏れているのは確実。侍女や侍従、騎士にすら裏切り者か諜者がいる可能性があるから、不用意に近づかないのが一番なんだけど……」
う~ん、つまりさっきお話をした侍女頭のゾエさんも間諜である可能性を考えなければいけないということですか。
見た感じ多少杓子定規なところがありそうでしたけれど、瞳の奥には確固たる信念を持ち、芯の強そうな“働く女性”“自立した女”って感じでしたから、そういう方を疑いたくはないのですが……。
そんな私の内心を透かし見たのか、メイ理事長は不意に表情を緩めて、
「ま、教育者として生徒に人を疑えとか、信用するなとか言うのは間違っているわね。どーも昔、いろいろあって苦労したせいか物事の見方が斜めになってるわね。やだやだ、あたしも年食ったのかのかしらね。年寄りの愚痴はお終い! 腹芸とかあんたのキャラじゃないしねー。あんたはあんたらしく真っ直ぐに自分の信じた道を通って行きなさい。露払いは大人の役目なんだから」
そう言って軽く肩をすくめるのでした。
よくわかりませんけれど、多分、『フォローはするから頑張りなさい』という意訳なのでしょう……と、適当に考えて、私は立ち上がってメイ理事長へ一礼しました。
「ありがとうございます。ご忠告は肝に銘じます」
「ん」
気にするな、というようにひらひらと掌を振りながら、メイ理事長は紅茶のお代わりを手ずから煎れられます。
◇
理事長室から理事長とふたり揃って廊下へ出たところ、セラヴィと寮で同室のえーと……なんて名前でしたっけ? エリ……なんとか・ヤン・デバイス……ではなかったわね。『ヤン』だけは覚えているのですが。その地味目の男子生徒がとぼとぼと歩いてくるのが目に入りました。
「――あ、巫女姫様!」
ぱっと目を輝かせるヤン君。私の隣には理事長がいらっしゃるのですが、私服らしいガーリー調のワンピースを着ているので、ぱっと見は学園の見学にでもきた資産家の娘さんにしか見えません。
「ごきげんよう。どうかされましたか、こんなところへ?」
尋ねると彼ははにかんだように頬を赤らめながら、
「え、ええと。その、またセラヴィ君が倒れたので、回収するように教導官から言われまして」
ああ、なるほど。
「そういえば寮でセラヴィと同室ですものね。でも、ひとりでは大変ではないですか?」
「覚えていてくれたんですか、僕のこと!?」
途端、それはもう本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべる彼。……ごめんなさい。覚えているのは『セラヴィの同室』という情報ただそれだけです。
「ええまあ。確かヤン卿でしたかしら?」
「そんな畏れ多い! 僕なんか準男爵家の三男坊ですから、普通に『エリアス』って呼び捨てで構いません」
「それではエリアス様は、おひとりでセラヴィを寮まで運ばれるのですか?」
「『様」も必要ないんですけど……あ、いえ、もう少ししたら寮長も来るはずですし、寮までは学園の荷馬車を貸してもらえるので大丈夫です」
「ま、荷馬車って言っても、学園謹製のゴーレムが引く人力車だけどね」
メイ理事長がさり気なく補足してくださいました。
とりあえず、エリアス君の待ち人が来るまで軽く雑談でもしていようかしら、と思った矢先――。
「ほーっほほほほほほほほほっ! こんなところで一般生徒と逢引かしら、巫女姫様ともあろう女が!」
非常に聞き覚えのある高笑いとともに、数人の女子生徒と引き連れたおでこの広い小柄な女生徒――制服姿のエステル・リーセ・ベーレンズ嬢がやってきました。
「あら、エステル。ごきげんよう。後ろの皆さんはお友達ですか? よかったですわ、ちゃんとお友達ができたみたいで」
この態度でなおかつルーク一本槍! という視野狭窄に陥っていたエステルのことですから、もしかすると学園で浮いているのではないかと心配していましたが、どうやら杞憂に終わったようです。
「ええ、お陰さまで――じゃない! なによ尻軽女! こんなところで男を侍らせて。やっぱり、あんたにルゥ君は似合わないわ!」
廊下で立ち話をしていただけで浮気認定されるのですか……。てか、後ろにいるメイ理事長に誰も気付かないのはどうかと思うのですが。
「とりあえず、あんたに彼女たちを紹介するわ!」
「あ、はい。お願いいたします」
エステルの合図に従って、ひとりひとり前に出て一礼をします。
「レミントン公国から来ました、リージヤ・ルフィナ・クライネフです」
金髪碧眼でポニーテールにした、私よりも頭ひとつ長身(つまり二メルト近くある)の二十歳ほどの女生徒です。
「カーヤ・アンネリーゼ・シュナーベルですわ。以後、お見知りおきを」
赤毛でそばかすの浮いた、理知的な面立ちの十八歳ほどの女生徒。
「オレリア・エグランティーヌ・バイヨ。お目にかかれて光栄です」
栗色の髪に褐色の肌をしたすばしっこそうな十六歳ほどの女子生徒が快活な笑みを浮かべます。
「エルマ・フレデリック・バルケネンデ。正々堂々と戦いましょう」
黒髪に黒瞳の堅物そうな十五歳ほどの女生徒が騎士風の礼をとりました。
「オーサ・エディット・オーグレーン。ま、これも成り行きということで」
緑色の髪をした十四歳ほどの少女が、かったるそうに片手を上げます。
どうやらこの五人、名前がふたつに姓があるところをみると全員が貴族のようです。そのわりには貴族クラスで見た覚えがないのですが。と、小首を傾げる私へ、はっと何かに気付いたエリアス君が小声で説明してくれました。
「巫女姫様。彼女たちは全員が一般クラスへ通っている男爵家や士爵家などの下級貴族の子女です。おまけに全員が、学業やスポーツでいずれも成績優秀な生徒ばかりです」
「その通り!」
エリアス君の解説が聞こえたのか、エステルが我が意を得たりという表情でさらに前に進み出ます。
「彼女たちは能力があっても、例年貴族クラスをはばかって皇凌祭では壁の花にすらなれなかった名も知れぬ花々よ。だけど今年は違うわ! 打倒、あんたというスローガンの元、あたしの意向に賛同して、協力してくれることになったプリンセス候補チームよ!!」
どやっ、とばかり胸を張るエステル。
「――そうなのですか?」
その頭越しに彼女たちに尋ねると、全員が苦笑いをしながら顔を見合わせました。
「まあ、参加すれば学費を立て替えてくれるって言うし」と、リージヤさん。
「食費や訓練費、雑費もタダらしいので」と、カーヤさん。
「それにドレスも支給してくれるそうですし」と、オレリアさん。
「それに、一度くらいは皇凌祭のプリンセスを目指してみるのも一興」と、エルマさん。
「ま、ぶっちゃけ。全員が金でスカウトされたわけ」と、身も蓋もなくオーサが総括しました。
「ということで、昨日の敵は今日の友! 全員が一丸となってあんたにほえ面をかかせるために集結したのよ!」
そう自信満々で言い切るエステルですが、エステルから恋敵認定されてからかなり経つのですが、いまだに恋敵のままで、『昨日の敵は今日の友』になったためしがないのですが、きっとその日はこないのでしょうね永久に。
「そんなわけで、あたしたちはつまらない講義なんて出ずに、来月の皇凌祭に向けて特訓をする予定なんだから。せいぜいあんたは現状に胡坐をかいているがいいわ。おほほほほほほほほほほほほほほっ!! さあ、皆、行くわよ!」
いつものようにテンションMAXのまま、高笑いをしながら踵を返したエステルに続いて、全員が――きちんと私たちへ一礼しながら――立ち去っていきました。
その背中へ向けて、メイ理事長が一言、
「いや、サボらずに講義には出なさいよ。退学させるわよ」
当然のツッコミを入れたのでした。




