巫女姫の帰還と聖都の顛末
第五章の導入ですが、あと一話続きます。
ユニス法国の首都にして聖女教団の本拠地である聖都テラメエリタ。
市民はもとより行商人や巡礼者、遍歴詩人や冒険者が常に行き交うリビティウム皇国有数の大都市の表玄関である三つの門――封鎖された北門以外の東門、西門、南門――のひとつ、西門の門番として三十年以上も過ごしている衛士エウリコの自慢は、若い頃に何度も巫女姫クララ様を間近に見て、「いつもお役目ご苦労様です」とお声をかけていただき、さらには記念に握手すらしていただいたというものだった(ちなみにその日は、「抜け駆けした」ということで同僚たちに一発ずつ殴られ、酒を奢らされた)。
――子供も大きくなり孫たちも結婚をする年齢となった昨今、そろそろこの仕事も引き際であるかも知れないな。
若い頃に膝に矢を受け、兵士として引退せざるを得なくなったエウリコは、最近、とみに痛むようになったその膝をさすりながらそんな風に思うのだった。
それに……何といってもいまの聖都は、いやクララ様が還俗され、さらには十年前に亡くなられたとの報せが届いて以降は、ずいぶんと寂れて精彩をなくしているように感じられる。
――もっと温暖な南国か、あるいは便利な西部へ移住して、終の棲家としてもいい。
そう思えるほど、ここ数年、はっきりと聖都への訪問者数が減り、それに合わせて教団の威光も陰りを見せている。口にこそ出さないが、古くからの市民ははっきりと聖都の斜陽を肌で感じていた。
だが、そう思ってはいてもいまひとつ思い切り良く決断できないのは、長くこの町に住んでいることと、なにより――。
「おい、聞いたか。昔クララ様の肖像画を描いた洞矮族の画家……名前はなんつったか忘れたけど、あれがほんの一~二年前にクララ様ご本人に逢われたそうだ」
「本当か!? ガセじゃないのか? だいたい亜人の言うことだろう?」
「いや、それが亜人でもその審美眼の確かさ、筆の繊細さ、特に人物画の精密さは他の追随を許さないほどで、いまでも各国の王宮で引っ張りだこの画家らしい。ま、洞矮族らしく偏屈だそうだが、逆にそういう人物が間違いなく逢ったっていうんだから確かじゃないのか」
「う~~ん、だがなあ……」
他国――といっても同じリビティウム皇国内の領国内を行き来しているらしい――商人たちが、荷車の審査を待つ間、取りとめもない噂話をしながら門の前で立ち話をしている。
聞くとはなしにその話を聞きながら、まさかという思いと、あるいはという期待とで胸が高鳴ることを押さえられないエウリコであった。
そう、いまは、聖都テラメエリタは水面下において静かな熱気に満たされていた。
その嚆矢となったのはひとつの噂である。
一年ほど前。巫女姫所縁の北部アーレア地方にあるクラルスの町を恐怖のどん底に沈めた魔神イゴーロナク――〈不死者の王〉――の復活。
これにより、あやうく大惨事になりかけた『クワルツ湖満月の夜事件』。
人づてに、数ヶ月もかけてユニス法国全土、いや、リビティウム皇国を越えて大陸中に拡散したその内容を知るにつけ、『まさか』の思いは『もしや』という期待に変わったのだ。
復活した〈不死者の王〉を斃したのは、突如、神獣に乗って天から現れた巫女姫クララ様である。その神々しいお姿と法力の凄まじさは、その場にいた各国の子弟はもとより、護衛の冒険者、それになにより直接クララ様とお会いしたこともある、聖キャンベル教会の教会関係者が確認し、間違いないと太鼓判を捺したものである。そういった噂であった。
やがて噂が広まるにつれて、各地――特に央都シレントで、
「そういえばクララ様を見たことがあるような気がする」
「言われてみてば、あの時は……」
「ちらりと後姿をみただけだが」
「うちのお爺ちゃんが、井戸の中にいたクララ様を見たと言っている」
多くの目撃証言が得られるようになり、再びこの聖都でもクララ様のお名前が人々の口の端に上るようになってきた。
もともと聖女教団の総本山であり、巫女の本場であるこの地では『巫女姫クララ』の人気は高く、いまでも大きな店に行けばクララ様の肖像画が飾ってあるところも多いため、老若男女誰しもがクララ様の事を知っているといっても過言ではない。
そうして、冬の雪も融け出したうららかな祈念の日(日曜)、聖都の密かな熱気は最高潮に達したのだった。
最初にそれに気付いたのはいつものように慣れた手さばきで、比較的荷物の少ない徒歩の旅行者の審査手続きをしていたエウリコであった。
目深にフードをかぶった女性巡礼者――最初に冒険者証を出したのだが、一年ほど更新がされていないため現在は休止扱いになっていたのを指摘したところ、どことなく渋々出したのが枢機卿以上でなければ持てない白金の聖印だったので、あやうく『バカな!?』と叫びそうになったが、何度も調べてそれが本物であるのを確認した。ちなみに隣では、二十歳も若い同僚が、貧相な老人が同じく取り出した白金の聖印を前に、「バカな?! 贋物だろう爺さん!」と、はっきり口に出して顰蹙を買っていた――に、うやうやしい手つきで聖印を返して、
「間違いございません。どうぞお通りください」
ほぼフリーパスで審査を通した。
できればフードを外して素顔を見せて欲しいところだが、これほどの雲上人相手に木っ端役人がそんな畏れ多い要求をできるわけもない。
それにしても随分と若い聖職者……おそらくは巫女であろうが、こんな方がおられただろうか? と、彼女の凛とした立ち姿、そしてローブの上からでもわかる豊満な姿態を密かに観察しながら、エウリコは小首を傾げる。
――だが、確かにどこかで会ったことがあるような……。
なぜか彼女を見ていると年甲斐もなく胸がざわめく。
と、霞がかった記憶を必死に手繰るエウリコから聖印を返された彼女は、僅かにフードの下から覗く口元――それだけでも相当な佳人だと知れる――を綻ばせ、天上の鈴が鳴るような美しい声で一言、
「ありがとうございます。お役目ご苦労様です」
「!!!!??」
途端、こぼれんばかりに目を剥くエウリコ。
それから、ふと軽く足を引き摺るエウリコの様子に気付いて、
「古傷ですか? お加減が悪そうですわね。――少々、失礼致します」
白い、処女雪のように美しい繊手をエウリコの悪いほうの膝に当てた。
「“慈しみの光よ。うたかたの時の流れを照らし、在りし日の姿へと戻したまえ”――“再生”」
途端、柔らかな光がエウリコの足を包んだ。
「…………」
言葉もないエウリコ。
そうして立ち上がった彼女が、その仲間だというやたら目立つ一団と合流して通り過ぎるまで、エウリコはまるで石化の呪いでもかけられたかのように硬直して、彼女の背中を凝視するばかりであった。
「……エウリコさん?」
同僚がさすがに不審に思って声をかけたが、エウリコは魂が抜けたような表情のまま、ローブの娘が通りを曲がるまでずっと注視し続ける。
ふらりと前に踏み出したエウリコは、いつの間にか膝の痛みが嘘のように消えているのに気付いて息を呑み、続いて滂沱のように涙を流ていた。
「……帰ってこられた」
「――?」
「あのお方が聖都へ帰還されたのだ……」
やがて、同じようなざわめきは彼女の姿を目撃したほうぼうで囁かれ、さざ波が集まって大波になるように、聖都全体を包む狂乱へと発展するのに、さほど時間はかからなかった。
◆◇◆
「み……巫女ひ……め様!?!」
聖都テラメエリタの門をくぐって百メルトも歩かないうちに、道端から悲鳴のような声が響き、側頭部以外が見事にハゲた中年男性が幽霊でも見たような顔で、茫然と突っ立っているのが目に入りました。
「巫女姫様だと!? 馬鹿言う――なあああああっ!!」
最初の叫びを皮切りに、次々とあちこちから驚愕の声があがり、こちらもまた白昼夢でもみたような顔で凝然とした顔で、私を注目しているのが痛いほど感じられます。
「……おかしいですわね。顔が見えないように変装していますのに」
あれから外部では三十年も経過していますので、もう私のことなんて覚えている人もいないだろうと、高をくくって聖都へ足を運びましたけれど、なぜか即効でバレているような気がします。
「変装ってそのフードのことか? いや、意味ないって」
「そうそう、ジルちゃんって存在感だけでも圧巻なんだから、顔を隠したくらいじゃ無理だって。つーか、いままでは魔法で姿を変えてたのねェー。びっくりしたわ、あたし」
「いや、いままでジェシーとエレノアのふたりが気付いてなかったことに逆に驚いたよ、あたしは。道理でなんか話が合わないと思っていたけど……」
周囲の視線に居心地の悪い思いでフードを被り直してひとりごちたところ、すかさず同行している友人たちのうち冒険者トリオから、呆れたようなツッコミが入りました。
「そうですか、昔はこれでも誤魔化せたんですけど……」
【闇の森】の標準装備にケチを付けられた気分で、思わず反論しましたけれど、その【闇の森】当時から私を知っている筈のエレンやブルーノまで、
「いや~、もうジル様の美しさをそんな布切れ一枚で隠すのは無理ですよ」
「そうそう。なんでか知らないけど、隠すと余計に目立つっていう感じだなー」
遠慮なく背後から撃ってきます。
「――くっ。こんなことなら、聖都になんて戻らなければよかったわ」
思わず愚痴ったところ、『何を今更』という視線が仲間たちから放たれました。
だ、だって仕方ないじゃないですか。テオドロス法王の一万日回峰行も終わって聖都に凱旋したいという希望もありましたし、さすがに道中放り出すわけにも行きませんし、セラヴィも公式には一年間行方不明になっていたわけですので、そのあたりの辻褄合わせに法王のお力が必要ですし、それに色々と聖都でその後が気がかりなことも多いので、そのあたりを確認したかったのですもの。
ちなみに、一番お会いしたかったテレーザ明巫女様は、とうの昔に職を辞されて聖都を離れられており、現在の行方は不明だとか。ご健勝ならばぜひお会いしたかったのですけれど……。
「それにしても、なんでクララは顔を隠していてもわかるのに、誰も儂に気付かんのじゃ!?」
不満を述べられているのはそのテオドロス法王聖下。
三十年経過してすでに八十歳は越えられているはずですが矍鑠たるものです。とはいえ三十年も隠遁していたせいで、もはや誰も自分に気付いてくれず、期待した“凱旋”といかないのがかなりご不満のご様子。
門前でも若い衛士相手に騒いでましたし、早急に《聖天使城》へご案内したほうが良さそうですわね。
でも、この調子だと《聖天使城》の入り口で、「誰それ?」と門前払いされそうな気もしますけど。
そんな風に思い悩んでいるうちに、なぜかどんどんと野次馬が集まってきました。
最初に通りを見た時は、以前に比べて活気がないように感じられたのですが、こうしてみるとさほど変わっていませんわね。
感慨に浸る私を無視して、通りすがりの馬車が急停車すると、
「ナ、ナンバーワン! コッペリア会長!? クララ様公認ファンクラブのコッペリア臨時暫定終身永久名誉会長ではないですか!! 私です、会員ナンバー0000013のコーニーリアス・カーターです!」
中から立派な支度をした中年紳士が飛び降りるや、私の斜め後ろへ突っ立っていたコッペリアのもとへ、馳せ参じました。
そうして、嬉しげに胸ポケットから、ずいぶんと擦り切れた『会員証』を取り出してコッペリアに見せる中年紳士。
一応補足しておくと、ファンクラブは当時勝手にコッペリアが作ったもので、私は知らない非公認の組織なのですけれど。……それにしても、まだ残党がいたのね。
「お? おおおっ。初回に年間会費を百年分払って、毎回、グッズも観賞用と展示用と保存用と布教用に大人買いしていた伯爵家のボンボンのコニー君ですか! 久しぶりですねー。息災そうでなによりです」
コッペリアも覚えていたようで、大いに盛り上がって中年紳士と握手を交わしています。
「ええ、お陰さまで十五年前に家督を継いで伯爵となりました。子供も正妻、側室の子合わせて十六人とも健やかです。三女まですでに結婚していますし、五男はいま皇国学園に留学中で生徒会長と順風満帆でございますが、これもすべて巫女姫クララ様のご利益のお陰と、日に十回は感謝の祈りを捧げております」
いや、それ私のご利益ではなくて、単に順当に相続したのと奥様が健康でお子さんが丈夫だったというお話だと思いますわ。ただ、その五男に関しては少々教育方針に難があったと思いますわよ。
「いい心がけですね。これからもクララ様をご神体として、変わらぬ信仰と会費を払うのですよ」
傲然とのたまいながら、思わせぶりに私へ目配せをするコッペリア。
「ッッッ!?! まさか、クララ様!?」
「違います!」
「ああ、間違いない。そのお声。何よりコッペリア会長の前で所在なげに茫然と佇むその麗しいお姿、片時たりとも忘れたこともございません!」
「え、いや、ちょっと待って。私ってコッペリアとセットで認識されてたの!?」
愕然としましたけれど、中年紳士はすでに出来上がっているみたいで、
「早速、会員に連絡いたします。定時総会以外で集会が開かれるなど十年ぶりです!」
と言って再び馬車に飛び乗って、風のように去っていきました。
「――ど、どうなっているのですか、『クララ様公認ファンクラブ』とか。まだ活動しているのですか!? 確か以前にやめるように言いましたよね?!」
思わずコッペリアに詰め寄りましたけれど、
「もう三十年もたっているんですから時効ですよ」
いけしゃあしゃとした顔で言い切られ、「――ぐっ!」と、私は返す言葉に詰まります。
それは貴女にとっては三十年でしょうけれど、私にとってはついさっきの出来事なのに! でも三十年も実直に務めを果たしたコッペリアに文句を言うのも気が引けますし。……だけど、やっぱり納得できませんわ!
そういうわけで作者が続きが気になったので、ちょっと書いてみました。
決して書籍版の締め切りから目を逸らすための現実逃避ではありません(; ・`д・´)
この続きはたぶん21日(日)更新の予定です。
5/10 訂正しました。
四十年も過ごしている→三十年以上も過ごしている
それと、衛士エウリコの膝の古傷を“再生”で治す描写と追加しました。
これはジルの新たな能力で、〈時の精霊〉を悪用せずに解放したことに感謝をした〈時の精霊〉が、与えた加護によるものです。限定的ですが損なわれた器官等を元の状態に戻すことが可能になり、これによって治癒能力に関しては、身体の欠損までは対応できない聖女を上回ったことになります。




