三位一体の経路と時の精霊
「あの、ところで、何か息苦しくないですか……?」
マリアルウに肩を貸しているコリン君が、心持ち荒い呼吸でそう誰にともなく尋ねました。
言われてみれば、呼吸の間隔が普通よりも速くなっている気がします。てっきり疲れからかと思っていましたけれど、私だけでなく他の皆も同じということは……。
「むが――っと、気のせいじゃないの? まあ確かに。愚民二号のような矮小な存在にとって、こんな風に人間関係が複雑に入り組んだ場所が場違いで居辛いのはわかるけど、それを口に出すのは失礼というものよ。以後、気をつけるように」
口に絆創膏のように張り付いていた護符を無理やり剥がしたコッペリアが軽く肩をすくめ、落ちつかなげに周囲の様子を窺うコリン君をたしなめました。
「――いや、気のせいじゃない。確かに息が苦しくなってきている」
ですが、セラヴィも喉のあたりを押さえて異常を訴えます。
「……もしかして、酸素がなくなってきているのではないかしら?」
「「「「「「「サンソ?」」」」」」」
「そーですか、ワタシは何も感じませんけど?」
そりゃ、コッペリアは呼吸していませんからね!
「空気のことですわ。この人数でこんな密閉された空間にいるのですもの、空気がなくなって酸欠になって当然ですわ」
ああ、こんな初歩的なことになぜ気がつかなかったのでしょう。
「あー、そういえば人間はガスの交換をしないと生存の危機だったんですね。ん~……このペースだとワタシとクララ様以外は五分以内に酸欠で昏倒して、さらに十五分以内に死亡しますね。ま、乾燥、低温、放射線、高圧、真空いかなる状態でも平気なクララ様なら仮死状態で生きられるでしょうけど」
「人をクマムシみたいに言わないでくださいませ!」
エレンもそうでしたけれど、なぜうちの侍女は私に対して過剰すぎる信頼感を寄せているのでしょう?!
宇宙人や怪獣ではないんですから、真空や放射能にまでは対応していませんわ! ……他はなんとかなりそうな気もしますけど。
「えーと、じゃあクララ様も酸欠は駄目と仮定して、五分以内に風穴を開けないと危険ですね。いよいよ愚民の『地』属性『必殺・墓穴ボンバー』を使う時がきたようですね。グッドラック」
「そんな名前の技はない! あと五分なんて短時間で何百メルトもある穴を掘れるわけがないだろう!?」
ぐっと親指を上げてセラヴィにいい笑顔を向けるコッペリア。周りが酸欠に喘いでいても、ひとりだけ安全地帯なのでまったく危機感はありません。
『いよいよ』というか、先ほどから執拗に勧めているみたいですけど? なぜそんなに自爆技にこだわりがあるのでしょうか、この人造人間は?
「使えない愚民ですねー。あ、じゃあ一気に穴を開けるのはどうですか? 奴隷が死ぬ気で魔力を放出させれば、この真上を貫通して縦穴を通すくらいはできるでしょう」
「……できなくはないと思うが、その場合は魔力放出の余波で、現在『念動』で維持しているこの空間を押し潰すと思う」
続いてのコッペリアの提案にレグルスも難色を示します。
「本当にうちの野郎どもは使えませんねー。ん~~~、あ、そうだ。では、一部に縦穴を開けるのではなく、一気に土砂を消し飛ばせばいいんですよ。クララ様、ここで秘奥義『天輪落し』のお披露目のチャンスです。あれならこの上の土砂どころか聖都ごと吹っ飛ばせます!」
「「「「「「「「「吹っ飛ばすなーーーっ!!!」」」」」」」」」
その場にいた全員がツッコミを入れると、コッペリアは本気で不思議そうな顔で小首を傾げ、
「たかだか愚民の群れ三十万人ですよ。ワタシたちの命と秤に掛けたら、その程度の些細な犠牲はやむを得ないのではないでしょうか?」
「「「――うっ……!」」」
コッペリアのいつもの極論……暴論に、なぜか露骨に動揺するテオドロス法王、カリスト枢機卿、巫女姫クララ(イライザさん)。え、ちょっと待って。まさか……!?
即座に額を寄せ合って、
「……この際、原因不明の事故ということで儂が……」
「……法王と巫女姫、枢機卿が助かるためなら教徒なら喜ぶさぁ……」
「……そうね、殉教ということになるし、証拠なんてない……」
聞こえてくる不穏な会話にいたたまれずに――仮にも聖職者を標榜する教団のトップがこれでは、誅殺目的で埋められるのもむべなるかなですわ――私は口を挟みました。
「言っておきますけれど、いまのコンディションで超高難易度の空間魔術を扱うなんて無理ですし、そもそも使うつもりはまったくございません! 命の重さに大小はないのですよ!? あなた方も仮にも聖職者の看板を背負っているのでしょう? ならば助かるために罪もない人々を犠牲にするなど言語道断ではないですか!!」
と――。
「いや、クララよ。この世に罪のない人間などおらんのだぞ。つり銭を誤魔化したとか、ゴミを道端に捨てたとか、誰しも罪人じゃ。また、命に大小がないなら、まずはいま儂らの命を救うために努力すべきではないのか?」
「人間は誰も弱いもんさー。誰だって自分が一番可愛いもんさ」
「アーデルハイドさん。命に大小はないとおっしゃってましたけど、昔から『命は鴻毛よりも軽し』とも言うとおり、上に立つもののためなら民衆が命を捨てるのはありがちなのですよ」
どうやらこの場においては、聖職者の看板はマッハの速度で仕舞われて、『本日休業』の札が代わりに横行しているようです。
「あなたがた、揃いも揃って……」
テレーザ明巫女様が眉間に青筋を浮かべ、
「最悪ですね。この連中は聖職者の風上にも置けません」
「同感だが。煽ったお前が言うな」
しれっと批判に回ったコッペリアを、セラヴィが護符片手に頷きながら掣肘します。
「問題は、仮に俺が必死に縦穴を開けたとしても、その瞬間に生き埋めになること。これさえ防げればいいわけですね、マイ・プリンセス?」
「他にも、開ける方向とか、突破口を開いても“敵”に見つからないように、どうやって瞬時に逃げるか。また、開けた穴が崩れないようにある程度の時間どうやって補強するか……他にも細かな諸問題はあるかと思いますけど、いずれにしても時間がなさ過ぎますわ」
「時間、時間か。『瞬時に逃げる』とか、『ある程度の時間、補強する』とか時間に関する問題ばかりだなァ――あっ」
私のぼやきにセラヴィが気付いたのとほぼ同時に、私も気付いて彼女――『時間』に関する能力を持っているマリアルウに視線を巡らせました。
「あの、ほんの短時間でいいので、時間を止める……限りなく静止した状態にして、移動するということはできませんか?」
期待を込めての私の問い掛けに、マリアルウはしかめっ面で首を横に振ります。
「……無理。私にできるのは瞬間的に時間を数分程度戻すだけ。仮に数分前に戻しても状況は変わらないわ」
この答えはほぼ予想通りですが、
「そもそも時間に干渉する能力というのはどういうものでしょうか? 時間と空間は表裏一体といいますので、もしかすると私の『空』系統の魔術で再現、もしくは派生魔術を使用可能なのではないでしょうか?」
いよいよ酸素がなくなってきたらしく、荒い息をつきながら私は必死に食い下がります。
「どんな……と言われても、私の場合は後から植え付けられた能力ですので……」
と、困惑するマリアルウに代わって、コッペリアがあっけらかんとした口調で回答を口に出しました。
「“時の精霊”ですよ。ほら、前に話したじゃないですか。たまたま捕まえることができたって。アレをマリアルウに移植した結果の、精霊由来の能力ですね」
「「あ、そういえば……」」
そんな話があったのをいまさらですが思い出して、私とセラヴィは合点がいきました。
「精霊ってことはジルと相性がいいんじゃないのか? 干渉できないのか?」
こちらも肩で息をしているセラヴィに促されて、
「そうですわね。あのマリアルウさん、いまからあなたの中にいる精霊に呼びかけてもよろしいでしょうか?」
「……よくわかりませんけど。ええ、それでコリンが助かるのなら」
肩を寄せ合うコリン君――一般人の彼が一番酸欠の影響が強いみたいで、いまにも倒れそうな様子です――をちらりとちらり一瞥して、マリアルウは決然と頷きます。
ちょっと妬けるなぁと思いながら、私は「では――」と、時間もないので世界樹でできた妖精族の長にして妖精王たるウラノス様から贈られた腕輪を巻いている右手を、マリアルウの心臓の辺りへ当てました。
「…………」
そこから精霊力を送りつつ、未知の“時の精霊”に呼びかけを行いましたけれど、まったく何の反応もありません。というか精霊がいるという手応えもないのですけれど……。
「……駄目かしら。私には応えてくれません」
そう思わず弱音を吐いた途端、イライザさんが怪訝な表情で私とマリアルウとを見比べ、
「何を言っているの? いま変な……一瞬だけど、時間が歪んだようなおかしな状態になったじゃない。その直前にマリアルウの中で何かが身動ぎしたような気配もしたことだし、それが“時の精霊”とやらじゃないの?」
「えっ――!? そうなんですの?!」
周囲に問いかけましたけれど、異常に気づいたのはイライザさんとマリアルウ本人だけのようです。
「どうやら呼びかけに反応はあったようですけれど、私では感知することができない類いの精霊のようですわね。なぜイライザさんにはわかったのでしょう……?」
「おそらくは経路がシスター・バーバラとそちらの女性の間に通っているのでしょう。肉親などではよくあることです」
テレーザ明巫女様が補足してくださいました。なるほど、エキドナによって改造されたイライザさんは、マリアルウと無意識に魔術的な経路が通っていて、それでマリアルウの中の“時の精霊”を感知することができたわけですわね。
「肉親だと無意識に経路が通る。つまりそれは……」
言葉に出しながら確認をする私の台詞を引き取って、テオドロス法王が大きく頷きました。
「儂とイライザとの間にも、太くて分かちがたい経路が通っておるということじゃの!」
「そんなものはありませんわ! あったとしたら千々にくだいて下水に流しましたわよ!!」
激高するイライザさんを眺めながら、つまりは私との間にも経路があるのかも、とそう思い当たるのでした。
おかしい……。GW前はあと2~3話でこの章は終わると思っていたのですが、なかなか終わりません。申し訳ございません。




