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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第四章 巫女姫アーデルハイド[14歳]
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霊峰の真龍と最終決戦の舞台

 ほのかに薔薇色がかったミルク色の肌に、飾り気のない純白のシーツをトーガのように巻きつけた、神話の中の女神のように息を飲むほど美しい少女がゆっくりと立ち上がりました。

 白く小さな顔に大きく輝くサファイア・ブルーの瞳。長く癖のない髪は桜色がかった黄金色で、“光芒(ライト)”の明かりに照らされ、幻想的にキラキラと輝いています。

 すらりと長い手足に程よいプロポーション。誰であれ目を惹かずにはいられない鮮やかなオーラをまとった彼女の名は――。


「空前絶後の絶世の美少女《巫女姫》クララ。それがワタシの名前です――きゃっ」


「……あの、勝手に私の独白風にアテレコしないでください、コッペリア」


 いつものノリではしゃぐコッペリアに一言釘を刺してから、私は改めてその場に佇むイライザさんが化けた“私”へと視線を戻しました。


「と言うか、私ってあんなに綺麗じゃないと思いますけど?」


 地下洞窟という場所柄も相まってか、妖しく幻想的なまでに美しい彼女と、毎朝鏡に映る自分のぽけっと間抜けな顔。

 同じ顔でも中身が違うとああまで違うのねぇと思いながら、そう指摘したのですが、


「いえ、瓜二つですよ。ワタシの観測装置でも判断がつきません」

「いや、そんなことはない。どっちが綺麗かと言えば、ジルのほうだろう」

「ええ、マイ・プリンセスとは格が違います」


 身内贔屓で即座に否定されました。


 目を細めて私たちの反応を、どこか高みから見下ろすような顔で眺めていたイライザさんですが、その視線を私ひとりへ向けると、

「――まずは貴女に心より感謝を贈らせていただくわ。ありがとう、私に自由と未来をプレゼントしてくれて」

 悠然とした仕草で腰を折った彼女の玲瓏たる声が、地下の大空洞に響きます。


 どういうこと……?

 目を白黒させる私の反応が可笑しかったのか、くすくすと上機嫌な微笑を絶やさないイライザさん。


 そうして姿勢を正した彼女ですが、顔貌(かおかたち)ばかりか身長も伸びたらしく、視線の高さも(私がいま履いているヒールの高さを除けば)ほぼ同じです。

 違いがあるとすれば、瞳の色くらいですが、それもほとんど誤差の範囲内でしょう。


「わたくし――さきほどまで存在した“イライザ《バーバラ》ファリアス”にとって、『次代の聖女』、『聖女を継ぐ者』あるいは『巫女姫』という名は特別だったわ」

 イライザさんは歌うように続けます。

「常に嘱望された最終目標。また、そのためだけに選ばれた血統――〈初源的人間(ドリーカドモン)〉としての生存理由のすべて。イライザという人間を構成する人格、能力、血筋はそのためのもの。ひいては聖地に集う巫女や聖職者の願いの結晶でした。けれど――」


 微笑みながら、自らの胸に手を当て淡々とイライザさんが独白を続けます。


「どれほど渇望しても決して届かない夢の欠片。わかっていたわ、イライザの能力は所詮『優れた才能』止まりであることを。どんなにあがいても『聖女』という絶対的なブランドには到底及ばない、まがい物であり粗悪品だということを」


「――ちっ」

 

 セラヴィが忌々しげに舌打ちしました。

 そういえばセラヴィ自身も元の時代では『神童』と呼ばれて将来を期待されていた聖職者です。あるいはイライザさんの葛藤や挫折、慟哭を最も理解できるのは、この場ではセラヴィただひとりだけかも知れません。


 と、先ほどまではしゃいでいたコッペリアが、真剣な表情で私の袖を引っ張って囁きました。

「クララ様クララ様。大発見です。計測によれば、イライザの馬鹿が化けたクララはDカップしかありません。Fカップある本家クララ様とは比べるべくもないです。所詮は廉価版。ベースになった貧乳イライザの影響ですよ!」

「……あの、とりあえずいま大事な話をしているみたいですので、間違い探しは後にしてくださいませんか?」


 と、窘めたのですが、いつものコッペリアと違って心なしか真剣な表情で、続けて訴えてきました。


「いえ、これ重要なことです。なぜなら先ほども口に出したように、ワタシの観測装置が『アレもクララ様』と判断している以上、下手をすると、ワタシ本来の意志を無視して自動的にあいつの命令を聞く危険性があります。そうならないためにも、とにかく明確な差異を探しをして、いまのクララ様とあっちのクララが別物だということを論理的に納得させる材料が必要なのです!」

「なんで、いつもはチャランポランなのに、こういうところで取ってつけたように杓子定規になるわけですの!?」

「いや、ワタシに言われても……。仕様としか」


 小声で話していたつもりなのですが、静謐な地下空洞の中ということで、どうやらイライザさんの耳にも届いていたみたいです。

「ふふっ。問題ないわ。わたくし――私は間違いなくクララ本人なのだから。『クララ=アーデルハイド』の名前。『巫女姫』の称号。ついでにそこのポンコツメイド。それらすべては私がいただくわ」

 イライザさんは屈託なく笑って――いえ、(わら)っています。


「随分と勝手なことを言うな。結局はジルに敵わないから、それに成り替わることで自己満足に浸る落ちこぼれが!」

 護符を構えたセラヴィが恫喝するような視線と台詞をイライザさんへ向けました。


「ええ、そうね。“イライザ《バーバラ》ファリアス”は破れた。勝ったのは、“クララ《巫女姫》アーデルハイド”のほうよ。――ねえ、もう一度言うわ。クララさん貴女の……いいえ、私の勝ちよ。私が望んだすべてを持っている貴女に私はなり、そうして教団が夢見た『聖女の再来』は完成される」


 うっとりと微笑みながら自らの体を抱きしめるように胸の前で両手を交差させるイライザさん。

 と、その微笑みがさらに深まり、どこか狂気を含んだ妖しげなものに変わった気がしました。


「――でも、“クララ”はふたりもいらないわよね? だから私が本当の《巫女姫クララ》としてその名前と業績、そしてこれからの未来をいただくわ。安心して。貴女以上に立派に教団を率いてみせるから。だから貴女はいらない。ついでに目撃者もいないほうがいいわね。そのためにわざわざこんな手の込んだ真似をして、貴方たちに誰も来ないこの場所へ来てもらったんですもの。さあ、フィナーレと行きましょう!」


 朗々と響くイライザさんの声に合わせて、廃液のプールのそこかしこが泡立ち、そこから人とも獣ともつかぬ魁偉な廃獣(マガモノ)とメイド服を着たストーンゴーレムと同型のゴーレムが群れをなして、ぞろぞろと岸へと這い上がってきました。


「さあ、安心して消えなさい」


 コロコロと上機嫌で口元に手を当てて笑うイライザさんへ向かって、

巫山戯(ふざけ)るな! 消えるのはお前だ、この偽物め!!」

 真っ先に堪忍袋の緒を切ったレグルスが、ノーリアクションから収束させた魔力波を放ちました。


 呪文も魔法陣も必要としない。膨大な魔力を持つ魔族ならではの高速かつ高出力の破壊力を秘めた〈無〉属性の魔力波に対して、

「“闇よ誘え”」

 イライザさんが呪文(スペル)を唱えた瞬間、彼女を守る壁のように現れた闇が、無音無反動でブラックホールのように魔力波を無効化したのです。


「――なっ!?」

「……属性までは変えられないか。でも凄いわね。魔族の攻撃魔術を短縮呪文(バッチスペル)で無効化できるなんて。それに――」


「いけない! 逃げて、レグ――」

 咄嗟に私が注意をする間もなく、唖然とするレグルスの眼前へ、瞬きする間もなく移動したイライザさんが、その勢いのまま無造作な蹴りを放ちました。


「――ぐはあああああああああああっ!!」


 素人丸出しの蹴りですが、まるで至近距離で大砲で撃たれたかのように、レグルスの体が軽々と宙を舞い、十メルト近い距離を飛んで壁に叩き付けられたのでした。


 いけないっ。いまのは下手をすれば致命傷ですわ!


「“大いなる癒しの手により命の炎を燃やし給え”――“大快癒(リジェネレート)!!”」

 半ば無意識に、私は愛用の魔法杖(スタッフ)光翼の神杖(アリ・ディ・ルーチェ)』をレグルスに向け、大快癒(リジェネレート)を掛けました。


 金色の光がレグルスを包むと、ぐったりと壁際にもたれかかっていたレグルスは息を吹き返し、

「――がほっ。がは……。か、感謝いたしますマイ・プリンセス。くっ、それにしてもなんて蹴りだ。一撃で肋骨のほとんどが破壊され、肺の片方が潰れたぞ……」

 喀血しながら私へ頭を下げるレグルス。


 一方、加害者であるイライザさんですが、蹴りを放った姿勢のまま片脚をブラブラさせて小首を傾げています。


「まだ加減が掴めないから難しいわね。でも凄いわ。全身に力が漲っている。なんてスペックの肉体なのかしら。まだ慣れていなくてこの威力ですもの」


 無茶な蹴りを放った反動でしょう。内出血――場合によっては複雑骨折――して、紫色に腫れている片脚を愛おしげに撫でるイライザさん。

 幸い……と言うかなんというか、私の肉体を複製したらしい身体に合わせて、治癒の力も向上したらしく、いままではイライザさんが使えなかった“自動治癒(バイタルガード) ”によって、見る間に足の怪我は修復され、元通り傷一つない状態へ戻りました。


「素晴らしいわ。この治癒術。この無尽蔵とも思える能力! まさに《聖女》そのものね。いままでの私がどれだけ矮小で無能な小娘だったのかよくわかるわ。――これでもまだ全力には程遠い。ねえクララさん、貴女はいったい何者なのかしら?」


 私の方が知りたいですわ。


「《巫女姫》の名も、教団での地位も、このチカラも何もかも、もっともっと私が有効に活用してあげる。だから私に譲りなさいな」


 両手を広げて恍惚と理不尽な要求を繰り返すイライザさん。


 教団の象徴にしてアイドルたる《巫女姫》の名前。

 今後、私に期待されるであろう来るべく『リビティウム皇国』での立場。

 大陸中に広がるであろう栄光の未来をすべて寄こせと言うイライザさんに向かって、私は……。


「……あ、はい。どうぞ、差し上げますわ」


 押し付け譲り合いの精神を十全に発揮して、《巫女姫》その他諸々を無条件で彼女へ差し出しました。


 途端、

「…………。……はあァァァ?!」

 芝居がかった仕草から一転、イライザさんの素っ頓狂な叫びが地下空洞に木霊するのでした。


     ◆ ◇ ◆ ◇


「霊峰クロリンダ山の山頂を目指しているんだって? やめとけ、Aランク冒険者でもあそこにゃたどり着けねえ」


 ユニス法国の首都である『聖都テラメエリタ』。その周辺に点在する宿場町にある酒場で、奢ってもらった地酒片手に地元の噂話をしていた冒険者が、渋い顔でジェシーへ言い放った。


「無理ってことはないだろう。このあいだちょっと(ふもと)の森に入ってみたけど、さほど魔獣もいなかったし、そもそも霊峰って言ってもそれほど高い山じゃないだろう、クロリンダ山は」

「問題は高さじゃない。途中がヤバいんだよ、あそこは」

「と言うと?」

「まず、山裾にある【クロリンダ火炎迷宮】を突破する必要がある。お前さんがどこから来たのかは知らんが、火山地帯の迷宮の過酷さは別物だ」

「それなら大丈夫だ。以前に【愚者の砂海ストゥルティ・ワースティタース】にも行ったことがあるから、ある程度、暑さ対策も心得ている」

「ほう。あの不毛の地へ行ったことがあるのか。だが、問題は迷宮を抜けた先だ。だいたい出口はクロリンダ山の中腹にあるんだが、出るんだよ、あそこには化け物が」

「化け物?」

 声を潜める冒険者の杯に酒を注ぎながら、ジェシーは続きを促した。


 そんなわけで――。

 手分けして情報を集めていたジェシーたちは、予定通り夕方には宿屋に集まって、お互いの成果を披露し合っていた。

 ちなみに聞き込みをしたのは、ジェシーとエレノア、ブルーノの面子で、シャトンは適当に露店開いて商売をしながら噂話を集め、プリュイとアシミは森や小川の精霊に話を聞き、残りは宿の部屋で待機という形である。 


「で、聞いた話では二十~三十年前から、クロリンダ山の山頂に〈真龍〉エンシェント・ドラゴンが住み着いたらしい」

 

 ジェシーの話にエレノアが小首を傾げた。

「変ねぇ。あたしが聞いた話じゃ、人ともカエルともつかない得体の知れない化け物が巣を作っているらしいけど」


 同じくブルーノが異議を唱える。

「兄貴、俺の聞いた話だとメイド服を着たゴーレムの群れが襲い掛かってくるって言ってた」


 最後に今日の売り上げを数えながらシャトンが、

「嘘か本当か、あそこには三十年前から姿の変わらないミニスカートのメイド娘がいるそうですにゃ。山の中でお腹を押さえて『持病の(しゃく)が……』と言うので、介抱しようとするといきなり腹パン食らわせて、身包み剥いで山裾に捨てるそうですにゃ」


 そんなバラバラの情報を繋ぎ合わせた結果、

「間違いありません。少なくともあの駄メイドは、あの山にいます! つまり、ジル様も一緒にいる可能性が濃厚だということです!!」

 窓の外に見える火山――霊峰クロリンダ山を指さして、エレンがきっぱりと言い切った。


「――だから最初からそう言っておるじゃろうが!」

 一見するとボロ雑巾のようにしか見えない貧相な老人――テオドロス法王がわめき散らすが、周囲の目はボケ老人を眺める生暖かいものである。


「確かに、僕が前に聞いたエミール氏との話とも一致します。僕は予定通り、クロリンダ山の山頂を目指します。どれほどの危険があるか想像もつきませんが皆さん、どうか僕に力を貸してください」


 改めて一同に頭を下げるルークに対して、全員が肯定の意を示して頷きを返すのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


「あ、はいはい。どうぞどうぞ」

 貰ってくれるのでしたら、こんな十字架差し上げますわ。


 軽い気持ちで返答をした私の反応を受けて、いままでの余裕綽々の表情から一転。慌てたようにイライザさんがズカズカと近寄ってきて、口角泡を飛ばす勢いでわめき散らしだしました。


「ちょっとお待ちなさい! わかっているの!? 《巫女姫》の称号と『クララ』としての人生を奪うと言っているのよ、私は! 『そんなことはさせないわ!』とか、『私の努力の結晶を奪うつもり!?』と憤る場面でしょうここは! それともまさか、そんな鼻紙を貸すようなノリで渡せるほど軽いものなの、あなたにとっての『クララ』の名前と《巫女姫》の肩書きは!?」


 わ~~~、面倒臭っ……。

 いらないっていうのですから、素直に受け取ってくれれば万事丸く収まるのに、なぜこんなに興奮しているのでしょう彼女は?


「どうなの!? あなたにとってはどんな代物なの、《巫女姫》の称号と『クララ』としての名は?! 正直におっしゃい!」

「えーと、その……正直に言っても怒ったり、殴ったりしませんか?」


 妥協を許しそうもないイライザさんを前に、せめてもの予防線を張りましたけれど、

「……ええ、怒らないから、言ってみなさい」

 あ、これって絶対に怒るパターンですわ。『お母さん怒らないから正直におっしゃい』で、正直に告白すると高確率で激怒する母親の反応です。


 仕方ないので覚悟を決めて、私は心に浮かんだ感想を忌憚なく言葉にしました。


「えーと、その……一言で言って……」

「……一言で言って?」


「……《巫女姫》と呼ばれるのも、『クララ』で人生歩むのも、わりと黒歴史……かも?」


 刹那、イライザさんの手加減のない拳が放たれたのでした。

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