ふたりのクララと最期の目的
「ふう……」
話しつかれたのかイライザさんはため息をつくと、覚束ない足取りでマリアルウの前を横切り、私たちの方へ歩み寄ってきました。
心なしか顔色が悪く、疲れ切っているようです。
それも当然かも知れません。
私と違って(違いますよね? あれ?)イライザさんは生まれも育ちも聖女教団の総本山《聖天使城》である、生粋の箱入り巫女です。
蝶よ花よと育てられた彼女が、たったひとりで相手は女性とはいえ拐われて丸一日監禁され、最後は素っ裸でわけのわからない生き物の口内へ閉じ込められていたのですから、これで衰弱しない方がどうかしています。
「大丈夫ですか? さぞかし怖い思いをしたのでしょうね……」
無残な姿を晒しているイライザさんを、男性陣に任せるわけにはいかないので、慌てて私の方からも駆け寄って行って、魔術で『収納』しておいたシーツを取り出し、彼女を覆い被せるようにして抱き締めました。
あっちはあっちで立て込んでいるコリン君とマリアルウは別にして、セラヴィとレグルス、あとついでに翼猫のゼクスも紳士的に視線を外してくれいます。
コッペリアはもともとイライザさんとは反りが合わないせいでしょうか、私にお義理で付き合っているという感じでついてきて、
「……残念ながら健康ですね。多少衰弱していますが、暴行や強姦の跡はありません」
機械的にイライザさんの手を取って脈を計ったり、瞳孔を広げて簡易診察をしたりして、面白くもなさそうにそう一言付け加えるのでした。
健康上では問題がなかったというのはひとつの安心材料ですが、人間は容易にストレスで体調を崩すものですので予断は許しません。
「そうですか。ですが、まずはじっくり休んで心と体を落ち着かせるのが先決ですわね」
「なるほど。ところでクララ様、これは関係ない話なんですけど、美人局って、なんで“ツツモタセ”って言うんでしょうね?」
本気で関係ない話でした。
そのせいなのかどうかはわかりませんけれど、途端、イライザさんの緊張の糸が途切れたのでしょうか。ふらりと足をもつれさせたかと思うと、ぐったりと私に体を持たれかけてきました。
「大丈夫ですか、イライザさん!? お加減が悪いのですか?!」
切迫した状況なのかも知れません。
咄嗟に『大快癒』をかけて、私の左肩のあたりに俯き加減に顔を乗せるイライザさんに声を掛けました。
さほど変化はありませんが、多少は血色が良くなったような微妙な変化です。
「……大丈夫よ。本当に貴女は凄いわね。それに強いわね。こんな状況でも全然変わらないし。きっと貴女に怖いものなんてないのでしょうね……」
思いの外しっかりとした声で、俯いたままイライザさんは答えました。
「そんなことはないですわよ。私だって怖いものはありますわ。例えばお菓子を食べた後のリバウンドとか、徹夜明けの月眼の日(月曜)とか」
冗談めかせて口に出しましたけれど、結構本気寄りの発言です。
もっとも、
「クララ様、それ結構駄目人間の発言ですよ?」
コッペリアに非難されるとか、本気で軽率な発言だったかも知れません。
「他にも人間関係や、現在過去未来に関すること、特に先行きの不安。自分の立ち位置。辛辣な感想。打ち切り」
幾らでも出てきますわ。あと、気のせいか最後の方は、私以外の誰かが言っているような気もしますわね。
「ふふふっ……貴女でも怖いことはあるのね。休みの日でも、嬉々として貧民街での慈善活動や、冒険者なんていう野蛮人の怪我を治療しているから、怖いなんて感情を持っていないのかと思っていたんですけど」
非常事態で箍が緩んでいるのか、イライザさんも忌憚のないご意見を口に出されています。
なので私も、この際ですので、腹蔵ない本音をぶつけることにしました。
「確かに恐ろしい方がいらっしゃるのは確かですが、そこでは私が――いえ、私たち巫女が必要とされているのは確かですわ。治癒術の最前線はそこにあるのに、現場を放置して聖地に籠もって理論をこね回して悦に耽る。本山の聖職者や巫女の皆さんは、現実を直視していない夢想家にしか見えませんわね」
「つまり、クララ様は『巫女という看板だけで、何もしないで食う飯は美味いか?』と訊いているわけですね」
もの凄く端的にコッペリアにまとめられましたけれど、まあ間違ってはいません。
当然、いつもの調子で激高するかと思われたイライザさんですけれど、
「……手厳しいわね」
そう一言呟いて、「くくくくくっ……」と、忍び笑いを漏らしました。
「「………」」
思わずコッペリアと顔を見合わせます。
これ、本当にイライザさんでしょうか? 物分かりが良すぎて違和感しかないのですけれど……。
「教団に真正面から喧嘩を売っても平気でいられる。それどころか次代の聖女である“巫女姫”として認められる。本当に凄いわ」
「あの……イライザさん?」
手放しの称賛がくすぐったい……いえ、比喩ではなく、妙に艶めかしい仕草で実際にうなじのあたりを頬擦りされています。
「美少女同士が睦み合う光景。御褒美ですね、わかります。とりあえずワタシの青春のメモリーに永久保存しておきます」
コッペリアの寝言を本気にするつもりはありませんけれど、ありませんけれど、私の背筋に戦慄が奔りました。
え、えーと、あの、変な意図はないですわよね……?
刹那、私の脳裏に『修道院はその手の趣味の巣窟』『禁男――いや、禁断の恋』『お姉様×義妹』という、普段意識したこともない単語が続々と湧き出してきます。
それはまあ、イライザさんは男子禁制の教会で生まれ育った巫女ですけど、私とはとことん馬が合わなくて敵視している関係です。ですよね? 自分でさっき告白しましたし。
あ、でも、愛と憎は感情のベクトルとしては表裏一体。四六時中、その相手のことを考えているという意味では同じなので、案外、ちょっとした切っ掛けでクルリと毒が裏返ることもあるとか。
……あら、もしかして、いま私「マジやばくね」状態?
猛烈に嫌な予感を覚えた私が、咄嗟にイライザさんから身を離して、その場から飛び退こうとした刹那、
「――コリン」
「なんだい、マリアル……ふがっ!?!」
突然、何の前触れもなくマリアルウがストーンゴーレムの腕の中から飛び出すと、あっという間にコリン君との距離を詰めて、唖然とする彼と唇を合わせたのでした。
へ……?
「――いっ……痛ーーーっ!?!?」
「おおおぅ、クララ様がイライザに喰われる!?」
呆気にとられた、直後、首筋に痛みを覚えました。
慌ててイライザさんを両手で突き飛ばして、その場からバックステップで飛び退きます。
首に手を当てて確認しましたけれど、別にイライザさん本人に牙が生えているわけではないので、さほど大きな傷は負っていません。
多少、血が流れているだけです。
「――“治癒”」
この程度なら無詠唱で問題なく治りますけれど、いったいどういうつもりでイライザさんは突然凶行に及んだのでしょう?!
混乱する場の中で、最後の力を振り絞ったらしいマリアルウが、ぐったりとコリン君の足元へ蹲り、懐から懐中時計のようなものを取り出して床に落としました。
「これでお終い。私の……最後の一分間で、本来ならできなかったクララ様の血を流すことに……はあはあ、確かに成功させたわよ」
「どういうことなの、マリアルウ!? 最後って……?!」
気を利かせたらしいセラヴィがコリン君の足元の戒めを解くと、コリン君は即座にマリアルウを掻き抱きました。
淡い笑みを浮かべたマリアルウが、コリン君と私へ交互に視線を寄せ、うわごとのように呟く。
「私の持つ……いえ、当初から付加されていた能力。それは……はあはあ……ふたつだけ。他の能力者の能力を奪う『簒奪』と、一分程度だけ時間を巻き戻せる『回帰』。ふふ……いま、本来ならクララ様であれば避けられたはずの……はあ……傷を負ったのはこれのせい」
「『簒奪』に『回帰』? それはつまり、自由自在に能力を増やせ、なおかつ間違いがあっても間違い以前に戻ってコンティニューし放題ということですか? それは凄まじいですわね。ある意味無敵で全能な“超存在”に進化することも夢ではありませんわね」
「……そうですね。コンセプトはその通りです、クララ様」
マリアルウが私の驚嘆の声に、微妙な笑みで頷きました。
シンプルですが考えれば考えるほど凄い能力です。
なにしろ理論的には時間さえあればこの世にあるあらゆる能力を取得できて、なおかつ失敗を即座にやり直すことができるのですから。鬼に金棒なんてものではありません。
複数属性魔術、精霊魔術、気功術、治癒術、前世の記憶等々――これまでずっと周りから、やれチートだ、やれ人外だ、やれ人間の皮をかぶったオーパーツだ、やれ最終兵器淑女だ、完璧超姫始祖だとか、さんざん風評被害を被ってきた私ですけれど、これに比べたら全然普通もいいところですわ。ああ、平凡って素晴らしいですわ!!
と、感慨に耽る私とは対照的に、錬金術――なかんずく人体改造には一家言あるコッペリアが、やたら冷めた視線をマリアルウへ向け、同時に疑問を呈しました。
「嘘くさーっ。それができれば苦労はしませんよ。だいたいそもそも人間ベースで、そんな全部のせ弁当みたいな無茶な真似をして、リソースが足りてるんですか?」
そう捲くし立ててから、プールに浮かんでいる《エキドナ》を見て、
「ああ、なるほど。無茶の代償があの不細工な化け物――ごらんの有様ってことですね」
納得した顔で頷きます。
「?……どういうことですの?」
「つまりインチキだと言うことです。あるいは反則と言ってもいいかと思います。いいですかクララ様。『人造聖女』ということは、あくまで『人間』という容器の中に、どれほど高性能の『聖女』に相応しい機能を付加するかが肝なわけです。いわば先に決められた規定の容器があり、後からピンセットでボトルシップを組み立てるような繊細かつクリエイティブな作業なわけです」
それはなんとなくわかります。人間を材料に改造するところが大問題ですけれど。
「最適解を目指して取捨選択をして、最終的にきちんと芸術品として完成させなければ意味がありません。ところが教団の馬鹿連中は、何も考えずにどんどこどんどこ余計な部品を継ぎ足して、船のはずがわけのわからない前衛芸術にした挙句、ボトルに入らなくなったものでボトルごと作り変えた。いえ、もはやボトルでもなんでもない容器に入れたわけです。こんなもん単なる失敗作ですよ」
「ああ、なるほど。つまり究極の料理を作ろうと思った。最高の材料やスパイスを次から次へと継ぎ足していった。けれど出来上がったのは単なる闇鍋か生ゴミ……というわけですわね?」
「そういうことです。スペックとバランスをどう取り持つのかが肝心だというのに、まったくバランスも考えず、またそのせいでスペックにしても足を引っ張られて屑みたいなものになっているはずですよ。あ、ちなみに他の能力者の能力を複製する研究は割りとポピュラーですけど、所詮は複製ですからねえ。本家には敵いませんし、狙った能力だけピンポイントで奪うこともできないんですよ。だからわざわざ一点特化型の能力者を狙ったんでしょう?」
コッペリアの推測を裏付けるように、マリアルウの苦笑が大きくなりました。
「でもって、『簒奪』しても当人の魔力やスペックが向上するわけではないので、あっという間に飽和状態になってパンクです。『簒奪』能力者なんてつまるところ、誰にでも股を広げる淫乱女みたいなもんですよ。能力に振り回されて自滅するだけ。あと時間能力なんてもっと使いどころが難しいんじゃないですか? そもそも媒体はその時計だけなんですか?」
「……いいえ。必要なのは大量の魔力と、私の寿命。一度『回帰』するだけで体感だけれど、半年は寿命を削っている気がするわね。それと、時間の巻き戻しには私自身も含まれるので、前に何があったのか確認することもできない。前後の状況から推測するだけ」
明かされた秘密を前に絶句する私たち。
もっともコッペリアだけは、さもありなんというドヤ顔で頷いて、「完璧な失敗作ですね」と辛辣でした。
「……そうね。私は、私たちは結局は失敗作だった。それどころか私たちの必死の努力を嘲笑うかのように、完全なる『次世代の聖女』が、ある日突然現れた」
全員の視線が私へ集まりました。いちおう後ろを確認しましたけれど誰もいません。どうやらまたもや過大評価で私がそんなご大層な存在だと思われているみたいです。
いちおう弁明しておくことにしておきます。
「別に私は教団や貴女の利害や目的に関係する場所で誕生したわけではありませんけれど?」
「ええ、わかっています。でも悔しいじゃないですか。私たちの努力が無駄だったと言われているみたいで」
「実際、ムダですけどね」
わざわざ火に油を注ぐコッペリア。
「だから私と彼女の利害と目的が一致した……」
マリアルウの視線が、黙って俯いているイライザさんへと移りました。イライザさんは唇に指先を当て、ピチャピチャと何かを舐めています。
「――っ!!」
自分の心臓が大きく高鳴るのを感じました。もしかして、私の血を舐めているの……?
「……わたくしは貴女みたいになりたかった」
「……私は私の手で完璧な人造聖女を生み出したかった」
イライザさんとマリアルウの声が、広大な地下室を響き渡り、
「「だから」」
ゆっくりとイライザさんが顔を上げました。
いえ、もうそこにいたのはイライザさんではありません。
「貴女に……アーデルハイド《巫女姫》クララになることに決めたのよ」
にっこりと無垢な笑みを浮かべたのは、鏡の中で何度も見たことがある顔。――私自身でした。
「そんな――!?!」
「ジルに変身しただと、馬鹿な!?」
「くっ、マイ・プリンセスに化けるなど不遜な!」
騒然とする私たち。その中で、なぜかコッペリアだけは、
「!! あーっ、わかったっ。なんかわかっちゃいましたよ、ワタシは!」
場違いにはしゃいでいるのでした。
実はこの世界が過去ではなくて平行世界なのさ、というなんちゃってオチはありません。
多少、本来の流れは変わっていますが正史です。
ジルとクララの誕生も、キテ○ツ大百科の航時機のようなもので、タイムループが不可欠となっています。
それと、感想の数も凄くて個々に答えられる余裕がなくて誠に申し訳ございません。
代わりになるべく早く続きをUPしたいと思います。




