恋人たちの逢瀬と巫女姫たちの疑問
あけましておめでとうございます。
今年も『リビティウム皇国のブタクサ姫』をよろしくお願いします。
地底湖と見紛うばかりの巨大なプールと、そこへ現れた小山のような廃獣――マリアルウの言葉を信じるならば、これこそが彼女自身の本体であり、いまや人造聖女ではなく数多の廃獣を生み出す、廃獣たちの母体――〈エキドナ〉だそうです。
ですが、それならばそのエキドナの口中から現れて、現在は私たちから十メルトほど離れた、プールの波打ち際――膝丈ほどの廃液『擬似万物溶解液』に浸かる位置で、ストーンゴーレムに抱きかかえられている、このマリアルウは何者なのでしょう? 分身と言っていましたけれど……?
不思議に思って彼女の様子を注意深く確認してみれば、心なしか、先日逢った時よりも顔色が悪く、精彩がない気がします。いえ、実際に魔力や生命力を測ってみれば、魔力波動も生気もほとんど瀕死の病人か、臨終間際の老人レベルまで落ちていました。
「――っっっ!?!」
思わず息を呑みます。
やはりあの時の傷の治療が十分でなかったのかも知れません。これは早急に治癒をしないと、下手をすればこの場で息を引き取る可能性すらあります。
「ひどい……。虫の息じゃない。これは急がないとマズイわね」
「なるほど、さくっとトドメを刺すんですね。さすがはクララ様、次期聖女でなおかつ天然モノとしては、人造聖女なんぞという不愉快で不細工な紛い物は、即刻叩き潰したいという決意の表れですね!」
目の前の〈エキドナ〉にもまったく臆する様子を見せず、自宅の庭を闊歩するような足取りで、悠々と廃液プールから戻ってきたコッペリアが相変わらずの曲解をします。
「なに人造聖女? マイ・プリンセスの紛い物だと? 馬鹿な、あんなみすぼらしい、貧相な女が? 信じられん。……なるほど、確かにコッペリアさんの言われるとおり、あんなものの存在を認めるのは、マイ・プリンセスへ対する冒涜以外のなにものでもありませんね」
そして、今回はなぜかレグルスも同意して、物騒な台詞を口に出しています。
「おーっ。話がわかるわね、奴隷! 気に入った、クララ様ファンクラブの特別会員登録を認めてあげようじゃない。いまならなんと、『実録・クララ様:九十九の謎と四十六の必殺技のすべて』を三割引で提供してあげるわっ。三十六回までの分割払いも可!」
「なんと!! そのような栄誉を賜るとは、恐悦至極にございます!」
思いっきり周囲へ聞こえる声で盛り上がりながら、ふたり揃ってハイタッチを交わすのでした。あと、なんですか、そのツッコミどころしかないタイトルの本は!? 実録ってわりに私に取材とかありませんでしたけれど、どこからソースがでているんですか!?
まあそれはさておき、本人たちに悪気はないのかも知れませんけれど、“不愉快で不細工な紛い物”“みすぼらしい、貧相な女”扱いされたマリアルウの様子を恐る恐る窺えば、気だるげな姿勢はそのままですけれど、心なしかこめかみの辺りに青筋が浮かんでいる気がします。
「ちょ、ちょっと、貴方たち。もうちょっと抑えて話すことってできないわけ? 特にレグルス。女性の容姿をとやかく言うのは男性として恥ずかしい行為ですわよ」
コッペリアについてはいまさら注意しても無駄でしょうけれど、とりあえずまだ一般常識に不慣れなレグルスなら矯正は可能かも知れません。なので、一言釘を刺しておきました。
「はて? マイ・プリンセス。『とやかく』とは?」
「ほら、『あんなみすぼ……』あ、いえ、その」
私が言いかけたところで、マリアルウの青筋がもう一本増えたので、言葉を濁します。
「もしや、私が『あんなみすぼらしい、貧相な女』と事実を指摘したことでしょうか? それが女性に対する侮辱となるのですか?」
どうすれば地雷を回避できるかしら、と悩む私へ、直球で尋ね返す(そのたびにマリアルウの青筋が増殖していきます)レグルス。
「ですからそれは――!」
言葉に詰まる私に代わって、コッペリアがものすごーく端的に、なおかつ女性に対して発言した場合、ほぼ百パーセント怒り狂うであろう言葉に要約しました。
「『ブス』ってことですね」
ズドォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!
刹那、轟音とともに、〈エキドナ〉の前脚(鰭)が固い岩盤でできた床に振り下ろされ、衝撃で部屋全体が地震のように揺れました。
あ、マリアルウ。死にかけだったのがちょっと生気が戻ってます。あと怒りのオーラが全身から漂っています。
と、それで我に返ったのでしょうか。〈エキドナ〉とマリアルウの登場以来、茫然としていたコリン君が、
「……マリアルウ。君が何を言ってるのかわからないよ……」
途方に暮れた顔で頭を振りながら、ふらふらとストーンゴーレムに抱かかえられたマリアルウの方へ歩み寄ろうとしたのですが。
コリン君の爪先が廃液のプールの水際近くまできたところで、
「コリン! ダメ、近寄らないでッ!」
マリアルウの切羽詰った静止の叫びが木霊しました。
驚いて歩みを止めるコリン君。
「見て――」
コリン君の困惑する顔を見ながら、マリアルウは懐から取り出した細長い襤褸切れ――昨夜、治療に使った包帯の切れ端ではないでしょうか?――をスルスルと延ばすと、
「………」
廃液の表面を注視しながら、そっとそれを先端から沈めました。
ジュッ! と炒め物をしたかのような音がして、包帯の先端部分が瞬時に溶け崩れたのを見せ付けます。
「――!?」
目の当たりにしたコリン君が、反射的に廃液のプールからニ~三歩後退りしました。
その開いたお互いの距離に、マリアルウは寂しげに微笑を浮かべ、コリン君は狼狽して……もう一度前に行きかけたのですが、マリアルウの視線に制せられてその場に立ち尽くすしかないようです。
情けない。男の子なんだから、足が溶けようが前に出ないでどうするんですか! まあ、さすがに溶けたら私でも治しようがないですけれど……。
と、思ったところで、
「……変ね」
ふと、疑問が湧いて首を傾げました。
「何がですか、クララ様?」
二の腕のロケットパンチを取り外して、器用に廃液でずぶ濡れになった全身を、ドライヤー代わりに乾かしているコッペリアが聞きとがめます。
「変というのは、貴女のことなんですけれど。変だと思いませんか?」
「……何を今更。こいつが変なのはいつものことだろう?」
と、肩をすくめるセラヴィ。
「いえ、そういう意味ではなくて」
「その通り。時と場所を考えて発言しなさい、愚民。真面目な話をしている時に、下らないチャチャを入れるとか、良識を疑うわ」
大真面目にコッペリアに諭されたセラヴィが、「……確かに正論だけど。こいつに良識を説かれると、無茶苦茶腹が立つな」どうにも納得できない顔で怒りを押さえています。
「とにかく、重要なことはひとつだわ」
「その通りです、クララ様! ――よし、パンツも乾いた」
「おい、なんだかわかるか、レグルス?」
「私如き凡俗に、マイ・プリンセスの深慮遠謀が理解できるわけもない。だが、素晴らしい着眼点なのは間違いないだろう」
「……お前に聞いた俺が馬鹿だった」
「それよコッペリア! 貴女の下着って木綿なの?」
「おいっ、まて! お前はお前で、まだパンツにこだわってるのか!?」
「いえ、絹ですけど――って、クララ様が真面目な話をしている時に、無駄口を叩くなと言っているでしょう、愚民! つーか、女の子同士の会話に耳をそばだてるとか変態ですね、クララ様」
マジ引くわ~、という顔のコッペリアに向かって、セラヴィが思いっきり「こいつ殴りてえ……!」と、握り拳を振りかぶった姿勢で耐えています。と言うか、レグルスが背後から押さえています。
ちなみに、この場所には正確な意味での『女の子』はひとりもいません。
「絹か~」
なにげに高級品を使っているわね。聖ラビエル教会は貧乏なので巫女姫でさえ、普段は木綿だというのに。……もしかして、怪しげなファンクラブとやらの資金って、全部、コッペリアの懐に入っているのでは?
目の前の全自動メイドに不信感を抱きましたけれど、それはさておきとりあえず確認したいことは確認できました。
「そうなると、いよいよ危ないかも……」
悩む私たちの向こう側でも、同じようにコリン君とマリアルウが五~六メルトの距離を隔てて、重要な話し合いをしていました。
「コリン、私はね人間じゃないの。教団の一部狂信者が『聖女』の身代わりとして、造り出そうとした紛い物。より正確には人の胎内から生まれた人間じゃない。錬金術によってフラスコの中で生まれた人の形をしたバケモノなのよ」
自嘲するような笑みを浮かべるマリアルウ。
「人造…聖女……? なんでそんなものを?」
コリン君の搾り出すような疑問に、より一層マリアルウの笑みが深くなり、はっきりと嘲笑の形になりました。
「知っている? 聖女スノウはおよそ百年以上前にこの地に足を踏み入れ、当時〈神魔聖戦〉で混乱していた人々を救った。だけど、彼女を崇める教団のあり方に辟易して、それ以来、二度とこの地へ足を運ばなくなった。つまり教団はね。隠しておきたいの、自分たちが崇める存在に見捨てられた惨めな存在だと」
半ば独白めいたマリアルウによる教団の暴露を聞いても、私は「ああ、そうかも」と納得するだけでしたが、仮にも聖都に住むコリン君には衝撃が大きい話だったのでしょう。絶句しています。
ちなみに生まれも育ちも教団関係者であるセラヴィは、「ま、調べればわかることだわな」と、飄々としたものです。
コッペリアは、「命を弄ぶなど言語道断。人倫に配慮しない計画など悪魔の行為です。教団の関係者許しがたいですね」と、憤りをあらわにして『悪いのは教団』と、見事に他人事に責任転化しています。
「だから、教団は聖女の紛い物を造ろうとしたの。最初は独自に、教団の中でも魔力が高い者たちを掛け合わせて、次に薬物や魔術による強化。これは〈初源的人間〉計画というのだけれど、時間と手間隙が掛かる割に思うような成果があがらなかった。それで次に考えたのが、僅かに残されていた聖女の髪の毛を使っての〈人造聖女〉計画。このために在野の天才的な錬金術師を密かに招聘して、湯水のような資金を投入したと言うわ」
『天才的な錬金術師』というところで、コッペリアが無意味に胸を張りました。
「だけど、これも失敗。なぜか生まれてきたのはとんでもない化け物ばかり……。ならば聖女の要素のみを取り出して他のものに移植するなり、代用したりできないか、そうした研究の一環で生まれたのが私よ。コリンもここに来るまでに沢山の廃棄されたバケモノを見てきたでしょう? 私もあれの同類、いえ、あれを生み出した母体になるの」
「母体って……?」
「私が生まれた直後に、件の錬金術師が資金と研究資料を持って突然消えたのよ。理由はわからない。成功しないことで教団関係者から粛清されそうになって逃げたのかも知れないし、最初から資金目当てで教団の誘いに乗ったのかも知れない」
これは明らかに後者でしょうね。『最初から資金目当てで教団の誘いに乗ったのかも』の部分で、コッペリアが露骨に視線を逸らせましたから。
「研究を指導していた錬金術師と資料がなくなった後、計画は大幅に変更せざるを得なくなったわ。唯一、それなりの形になっていた私を母体として、さらに他の要素を組み入れることで人造聖女を生み出せるよう、私は改造されたの。結果、私はこんな姿になって、この万物溶解液で満たされたプールでしか生きられなくなった」
そう言って〈エキドナ〉本体を指差すマリアルウ。その指が続いて人の姿をした自分自身を指しました。
「この私は〈エキドナ〉が生み出した分身。外界の様子を見るために作り出した紛い物の紛い物よ」
「なあ、この話を聞いてどう思う?」
「それは……」
沈痛な表情のセラヴィに小声で訊かれましたけれど、マリアルウの境遇を思えば安易な同情の言葉も出せません。
できれば彼女を助けてあげたい。そう思うのは私の我儘でしょうか?
「わかりました。あれはつまり経産婦だということですね。ビッチじゃないですかやだー」
「「いいから貴女(お前)は黙ってなさい(ろ)!」」
と、コリン君がゆっくりと前で進んで、廃液で満ちたプールのヘリぎりぎりで止まりました。
「……ごめん、僕は馬鹿だからよくわからない。だけど、僕にとってはマリアルウは家族で、恩人で、そして大事な人だよ。だから、家に帰ろう」
途端、マリアルウが泣き笑いのような表情を浮かべ、それから小さく頭を振ります。
「無理よ。私が“赤い羊”だということは、もう教団にも知れ渡っていることだわ。それに――」
何か言いかけたところで、彼女が突然咳き込むと、ストーンゴーレムの腕の中で体をジャックナイフのように折りました。
「マリアルウ!!」
「――おっと!」
悲痛な叫びをあげて、我を忘れて廃液のプールの中へ飛び込みかけたコリン君ですが、予想していたセラヴィが一瞬早く護符を投げ、コリン君の足元の岩を変形させ、万力のように挟んで動けないように固定します。
「クソっ、放せ!」
「おいおい、無茶をするな。さっきの溶けたのをみてただろう?」
ジタバタともがくコリン君を諭すセラヴィ。
「そうね。多分、波打ち際と表面はまだ万物溶解液としての効果が残っていると思いますから、気をつけたほうがいいですわ」
「ん? どういうことだ?」
「先ほどの波に飲まれたコッペリアを見て気が付いたのですけれど、このプールの液体は――」
「そこの赤い羊同様、駄目になりかけている……ってことよね。アーデルハイドさん?」
と、不意に凛とした声が半分開いた〈エキドナ〉の口中から響き、続いてそこから姿を現したのは、
「イライザさん……?」
なぜか一糸纏わぬ姿のイライザさんでした。
1/1 いきなり誤字をしていたので修正しました。




