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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第四章 巫女姫アーデルハイド[14歳]
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マーサの恋愛感と用心棒の裏切り

 “下町の舞姫”と謳われるマーサは恋に生きる女である。


 これまでに流した浮名の数は知れず。上は貴族の御曹司から下は無職のアル中オヤジまで、とにかく好きとなったら脇目もふらず一直線でどこまでも恋に生きるのだ。


 たとえ相手が聖職者だろうが他人の亭主だろうが成人前の子供だろうがお構いなし。


 あまりの無節操ぶりに、同じ踊り子仲間や商売女からも「あれは懐が深過ぎて底が抜けている」「いや守備範囲が広すぎて地平線の彼方」などとやっかみ半分呆れ半分の陰口を叩かれていたが、好きな相手でもない他人の評価など気にしたこともない当の本人にとっては、なんと言われようと痛くも痒くもなかった。


 彼女にとっては恋をすることが生きることそのもの……というよりも、恋を謳歌しているその片手間に人生を踊っているようなものなのだ。

 

 とは言え、そのあたりの趣味は人それぞれと割り切れる程度の分別はある。


 彼女には好きと思える相手は何人もいるが、世間の女はせいぜいひとりかふたり。マーサには理解できないが、きっと男の趣味の幅が極端に狭いのだろう。

 貞操観念とか欠片も持たないマーサはそう思って納得していた。 


 ちなみに『舞姫』などとチヤホヤ持ち上げられている彼女だが、元をただせば貴族どころか奴隷以下の流民(デラシネ)の子である。

 おそらくは他国人か、もしかすると異種族の血が混じっているのかもしれない彼女は、生みの親の顔も知らずにゴミ溜めのような貧民街(スラム)で育ったのだが、エキゾチックな褐色の肌に中心部から綺麗に緑と赤に色分けされた髪、アーモンド色の瞳と目じりのほくろと、人目を引く容姿であったために、早いうちから貧民街(スラム)の顔役に目を付けられて、ペット兼将来の愛人として育てられた。


 年端もいかぬ幼女をはべらせ、べたべたと脂ぎった手で触られる毎日。

 普通なら男に対して嫌悪と精神的外傷(トラウマ)を抱いてもおかしくない環境であり、実際に同じように目を付けられた、マーサほどではないが目鼻立ちの整った幼女や少女たちの多くが、物心つくころには精神をやられるか、よくても病的な男嫌いへと変貌したのだが、マーサに関してはそうした反動は一切なかった。


 と言うか、逆に男好きになった。


 彼女の価値観では、あの脂ぎった顔役も成り上がれるだけの実力と度量を持った魅力的な男であり、できれば自分だけで独占したい『いい男』と思えたもので、これが彼女の初恋ということになる。

 ところが九歳のときにその顔役も対立していた破落戸(ゴロツキ)連中との抗争に敗れてあっさりと逝ってしまった。


 さすがにちょっと悲しかった。

 けれど死んでしまったものは仕方ない。貧民街(スラム)では人の命は銅貨一枚より軽いのは自明の理である。


 その後、善人面した教団の神官がやってきて、そのあたりの貧民街(スラム)はあっという間に整理され、顔役に飼われていたマーサを含めた女の子たちは教団の修道院に入れられることになった――が、マーサは真っ平ゴメンと隙を突いて逃げ出した。


 冗談ではない。修道院といえば女ばかりの不健全な場所だろう。男と女が公平にいて恋を語るのが世の中というものだろう。何が楽しくてそんなところに行かなければならないのだ。


 そうした紆余曲折を経て、現在マーサはその教団の最高峰『巫女姫』と謳われる正真正銘のお姫様を、なぜか歓待して同席する立場になっている。


 望んだ役目ではないが、久々に再会したかつての恋人のダンに是非にと頼まれて、しぶしぶ請け負った結果である。

 娘さんが病気ということで最近はすっかりご無沙汰していたダンだが、以前よりも鋭い抜き身の刃のような男になっていた。“危うい”――と、女としての直感がそう告げてくる。これは近いうちに自滅するかも知れん。なら、恩を着せて今晩あたり一緒に寝てみるのも面白いなあ。どんな反応をするんだろう。


 ダンになにがしらの下心があるのは透けて見えるが、こちらもそれは同じ事。

 ある意味持ちつ持たれつ(Win-Win)のふたりであった。


 ――なにが目的かはわからないけど、あたしの恋のためだし、気張っていこう!


 開館前ということでほとんど誰もいない『歌劇場・夜光蝶』の立て付けの悪い厨房の扉や廊下、ぎしぎし鳴る階段を、沸かした紅茶のケトルとカップを両手に持って上がりながら、マーサは大きく深呼吸をして自らに気合を入れた。


「どうぞ~、巫女姫様…と、お付きの皆様。西部産の紅茶でーす」

 軽くノックをして、来客用の小部屋に入るのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 小部屋と言いましたしたけれど、正確にはここは仮設の櫓のような中二階の桟敷席みたいなところです。

 パーティション……というか薄い板で左右が区切られ、いちおう扉で仕切られた片方は通路に直結していて、もう片方は大きく開放されていて(吹き曝しとも言いますわね)、お店のステージが一望できるようになっています。


 見下ろしてみれば、一階はほぼひとつのフロアになっていて、一段高くなったステージとカーテンで仕切られた舞台裏が三分の一ほどを占め。残りの部分が丸テーブルに背もたれつきの椅子が四~五個配置されたテーブル席が十二個ほど。それと壁際に丸椅子が六~七個置かれたカウンターという構成です。


 全体としてはだいたい二十~三十坪ほどでしょうか。


 ちなみに面積に関しては尺貫法 (のようなものが)使われているので、メルトではなくてデール(一・八メルト)が基本単位となって、一×一デールで一モーゲンとなっています。だいたい日本の一坪に相当する面積ですわね。つまり、とり正確には『二十~三十モーゲンほどの広さ』と表現すべきでしょう。ま、日常生活でほとんど使うこともありませんけれど。


 興味深げにステージを見ている私の視線に気が付いたのでしょう、

「ここらはだいたい日が沈んでから営業をはじめるんですよ。店の前に角燈(カンテラ)を灯して、景気づけに鐘や太鼓を鳴らして、『さあさあ歌姫マーサの歌と踊りだよ!』って感じに呼び込みですかね~」

 紅茶のポットをテーブルに置いたマーサさんが、私たちが座るテーブルの傍へ、近くにあった背もたれ付きの椅子を引き摺るように持ってきて、背もたれのほうをこちらに向けてる形で座りながら、にこにこと屈託のない微笑みで説明してくれます。


「ああ、すいません。行儀が悪くて。――なにしろ育ちが悪いもんで」


 小さい子供がよくやるように、椅子をまたいだ大股開きでしがみつくように腰を下ろしたマーサさんが、背もたれの上に両手を乗せた楽な姿勢で、頭を揺らしてながら思い出したように、小さく頭を下げて謝罪をしました。


 決まりに煩い良家の貴婦人が見れば、こぞって眦を吊り上げ唾を飛ばして糾弾するところでしょうが、こういうお行儀の悪い(ハスッパ)な仕草と格好が、マーサさんには妙に似合っていて私はさほど気になりませんでした。自然体というのでしょうね。粗にして野ですが卑になっていないのは、踊り子だけあってパンツの脚線美が綺麗で、なおかつ姿勢が良く、動きに独特のリズムがあるからでしょう。


 同時に、私にはこういう男前の仕草は無理だなぁ……と、微妙な喪失感というかやるせなさを覚えながら相槌を打ちます。


「いえ、お気になさらずに楽な姿勢でいてください。――ところで普段からそういうお仕度をなさっているのですか?」


 私――というか、シルティアーナの場合、貴族の子女としての教育とレジーナのスバルタによって、徹底的に、もはや本能レベルで貴族の令嬢としての所作が馴染んでいるので、いまさら男の子の仕草を真似ても下手な芝居になってしまうのですよねえ。


 なにげない日常で、ふと内股で立っていたり、転ぶにしても男性のようにどすんと一直線ではなく、「きゃっ」と悲鳴を上げ、無意識に身をよじって優美な曲線を描く自分を自覚した時に、もう戻れない自分については諦めました。


「そーですよ。舞台に立つときには舞台栄えするような、こう背中とか胸元がどーーんと開いたドレスを着て踊りますけど、商売抜きのときはこんな感じですね。こういう下町には女は少ないですし……それも美人となると皆無ですからね。襲われても動きやすい格好をしてないと逃げることも反撃することもできませんから」


 自分を『美人』と臆面もなく言い切るところはなかなか良い性格のようですが、それが商売道具なのですから自負と自信があるのは当然かも知れません。


「ま、他にも利点があって。店屋の親父連中には毎回ずいぶんとまけてもらえますし。ま、たまに尻を触る助平もいますけど、そのくらいはご愛嬌ですね。一発殴って一品多くさせてチャラ――って、巫女姫様とお付の侍女さんには刺激が強すぎましたかね」


「あー、この辺はそーいう破落戸(ゴロツキ)多いですからねー。ワタシもここに来るまで、この拳を何度血に塗らしたことか」

「そういうことでしたら手裏剣か鋲を使うといいですわよ。刺してよし、投げてよし、袖の下にでも隠しておけますし、私も普段からこうして手首のリストバンドの下に六本ずつ入れておくので、ちょっとした防具にもなりますから」


 女の子の嗜みとして、立ち上がったコッペリアが両手にメリケンサックを嵌めて、その場でシャドーボクシングをはじめ、私も同じく立ち上がって手首のところに収納してある鋲を、一呼吸で片手で三本ずつの合計六本、近くの柱に等間隔に打ち込んで見せました。


 風を切り裂くコッペリアの拳圧と、一直線に柱に突き刺さった鋲を前に、なぜか快活なはずのマーサさんの笑顔が引き攣っています。


「ねえ、教団関係者ってみんなこういう物騒な男勝りばっかりなんですか……?」


 立ち上がって刺さった鋲を回収していると、マーサさんがこっそりセラヴィに耳打ちしています。

 どういう意味ですか? あと、肩に手をやってしなだれかかる姿勢が、妙にねっとりと手馴れていて嫌らしく見えます。


「……ん。だいたいいつものことだ」

 躊躇なく頷くセラヴィ。


「そこ肯定するな、愚民!」

「私の武術はあくまで自衛ですわよ。諺にもあるでしょう『死せる勇者の尖った骨は敵が踏むのを待っている』って」


 まあ、マサイ族の諺がこの世界で通用するかどうかは知りませんけれど。


「なにがなんだかよくわからないけれど、大変ね貴方。えーと――」

「セラヴィだ」

「セラヴィも。ところで巫女姫様とあっちの侍女、どっちがセラヴィの情人なのかしら? 両方?」


 突然の恋バナに、危うく飲んでいた紅茶を吹き出しそうになるセラヴィ。


「げほっ! 違う違う! それよくつるんでるせいか、やっかみで言われるけど俺とジ……クララとはそういう関係なわけないだろう。相手は教団の巫女様なんだし。もうひとりはそもそも女でもなんでもないし」


「ふうん……? セラヴィはけっこう男前で好みなんだけど、巫女姫様は違うのね。あたしだったらお互いの相性を確認するために、このまま一晩寝てもいいんだけど」


 セラヴィに上半身もたれかかったまま、理解できないという目でマーサさんにまじまじと見返され、え? 私がなにか間違ってるのかしら?? と一瞬、混乱してしまいました。


「マ、マーサさんっ。別に貴女の貞操観念を否定するつもりはございませんが、昼日向から人前ではしたないと言うか、不謹慎ではありませんか?!」


 自分でも不思議なほど狼狽えて、耳まで上気した顔でそう抗議しましたけれど、マーサさんは心底不思議な顔で小首を傾げます。


「なんで? 好みのタイプの男がいたら、体の相性をはかるのって大事なことよ?」

「そういうのは最終段階ですわ! まずは身近な距離でお話をして、次に手を握って、その次に腕を組んで、さらに肩を組んで、そうして背中からもたれかかるようになって……と段階を踏んだり、駆け引きをしたりするのが普通ではありませんか?」


 実例として、身近にいたコッペリアを相手に『背中からもたれ~』までやって見せたところ、マーサさんに「はン!」と鼻で笑われました。


「そういうまだるっこしい駆け引って、要するに遊びの延長であって純粋な恋に対する冒涜だわ。好きとなったら嘘偽りなしの自分の心と体をぶつける。それが本当の恋ってものよ、巫女姫様」


 自信満々に言い切るマーサさん。

 その彼女に気に入られたらしいセラヴィが微妙な顔でふと尋ねました。


「ちなみに現在付き合っている男性の数は?」

「たったの五十四人ね。もちろん全部本命の彼よっ」


「「「………」」」


 うわあ……。こういう風に自由奔放に生きられたらあるいは楽しいのかもしれませんけれど……。


「――なんでしょう。こう……殺人鬼が命の大切さを説いているような。確かにすげー説得力はあるんですけど、同時にコレジャナイ感が猛烈にするような違和感は」


 コッペリアが胡散臭そうな目でマーサさんを見据えます。

 さすがのコッペリアも、マーサさんの独自の恋愛感にはついていけないみたいです。


「んでどうする、セラヴィ。ダンの用件が終わったら、今晩一緒に寝る?」

「さすがに良く知らない相手と行きずりの関係になるのは怖いからやめておく」


 やんわりとセラヴィが断り、その返事に私といまだ後ろから私に伸し掛かられているコッペリアが、思わず同時にほっと溜息をつきました。


「そっかー。残念だわ。――じゃあ死んで」


 その全員が気を抜いた瞬間、マーサさんの隠し持っていたナイフがセラヴィの首に突きつけられ、

「動くな! 動けばそっちの餓鬼とこの奴隷の首を刎ねる」

 同時に隣との仕切り板を蹴破って、鉈のような片刃の剣を右手に持ち、左手で半裸の魔族の少年の細い首を握ったダンが悠々と姿を現しました。

魔族の少年は特製の奴隷帯で完全に魔力を遮断され、その影響でそばにいたダンの気配も消されて、ジルの魔力探知に引っかかりませんでした。

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