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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第四章 巫女姫アーデルハイド[14歳]
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霧雨の出会いと地下のギルド長

 ゴミ溜めのようなすえた臭いのする街角で、僅かに残った廃屋の(ひさし)の下に蹲りながら、コリンはぼんやりと霧雨にけぶる聖都テラメエリタの町並みと、影絵のように黙々と泥濘(ぬかるみ)やゴミ、汚物を避けて通り過ぎていく街の人々を眺めていた。


 コリンが身に着けているのは、一張羅の着古したボロボロの古着に、穴の空いた泥だらけの布靴。濡れた髪はもう一年以上切ってなく、垢と汚れとでところどころ塊となっていた。


「……一年か」


 聖都にやってきて一年あまり。

 当初、人づてに紹介された商店では塩スープ一杯とカビの生えた黒パンで一日奴隷のように働かされ、店主や女将さんの機嫌が悪ければそれさえも抜かれた。


 ひもじさと心細さとで毎日毎日枕を濡らして、人生のどん底に堕ちたと絶望した……が、それでもまだ屋根の下で寝られて、身分が保障されていた分マシだったと気が付いたのは、店主一家が借金を背負って夜逃げした後だった。


 何も知らずにいつものように屋根裏部屋から起き出してみれば、店の中はものの見事にもぬけの殻になっていて、途方に暮れていたところへ金貸しの手下が肩を怒らせやってきた。

 そして店のありさまを見るなり、問答無用で殴り飛ばされ、気が付いたら縄で縛られて人買いに売られる一歩手前――。


 どうにか逃げられたのは、売っても大した商品価値がないと潰れた店内に半ば放置されていたのと、一生に一度の幸運が偶然に積み重なったお陰だろう。


 とはいえ、這う這うの体で逃げたもののいまさら帰る場所もなく。

 追っ手の影に戦々恐々としながら橋の下で夜明かしをしすること丸三日。


 今度こそ人生のどん底へと落ちぶれた……と思ったところが、どっこい上げ底だった。

 いい加減身の危険よりも空腹に抗えず、ふらふらしながら隠れ場所から這い出して、ポケットに入っていたなけなしの金でお腹を満たそうとしたところ、下町を根城にしている浮浪者の集団に見つかり、しこたま殴り蹴るされ全財産の鉄貨と銅貨を奪われた。


 そうして、橋の下からも蹴りだされて、傷の痛みと殴られたことによる熱に朦朧としながら歩き回ること半日余り、この壊れかけた廃屋を見つけてねぐらとすることができたのは、小さな友達(、、、、、)に教えてもらったからだ。


 それから一月あまり。


 せめて日雇いでもゴミ漁りでもいいから金を稼ごうと思ったが、痩せぎすでボロボロで身寄りのない少年を雇ってくれるような奇特な店主はおらず。また、ゴミ漁りも少年グループの縄張りがあり、知らずにゴミ捨て場を漁っていたら危うく殺されかけた。


 朝夕の霧雨で喉を潤し、物乞いの真似をして集めた小銭で一日か二日に一度の食事を摂る。


 そんな生活を続けていたが、さすがに栄養失調と気疲れ、さらには朝から降り出した霧雨がやむ気配を見せないことから、もう一歩も動く気力もなくなって、こうして廃屋の玄関先にへたり込んでしまったのだった。


「もう……死ぬのかな……」


 帽子と外套を羽織り、厚底靴やブーツを履いている道行く人々のきちんとした身なりと道端にうずくまる自分の惨めな姿。


 それがそのままこの街全体に拒絶されている象徴のような気がして、コリンはいっそう小さく膝を抱えて呟いた。

 それから半ば無意識に小さく口笛を吹く。


『チュチュチュチュ……』


 途端、この街に来た時から付き合いのある友達――数匹の野鼠たちが、どこからともなく現れて、コリンの足元にまとわりついた。


 餌でもねだっているのだろうか? だけど食べ物なんて野菜屑すらないし……ああ、でも僕が死んだら鼠や鴉の餌になるのかなぁ。


 そんな風にかすむ意識でぼんやり考えながら、コリンは次に目覚められるのかわからない眠りに就こうとした……。


「――ねえ、そこにいると濡れるよ」


 不意に女の子の鈴を転がすような声がして、のろのろと視線を上げてみれば、いかにも育ちの良さそうな身なりをした同い年くらいの少女が、心配そうにコリンの顔を覗き込んでいた。


 お迎えが来たんだろうか……?


 ぼんやりとそう思うコリン。

 生気のない少年の顔を何度か瞬きをして見詰めていた少女だが、いつまで待っても返事がないので困ったような顔で小首を傾げた。

 その視線が少年の足元で鳴き続ける野鼠たちへ流れる。


「ねえ、この子は君の友達なの?」


 つられて視線を転じたコリンは、何も考えずに反射的に頷く。


「へえ。慣れてるわね。もしかして君、魔術師かなにかで、この子が使い魔(ファミリア)とか?」


 興味深げに訊ねられたが、魔術なんて習った覚えもないし、『ファミリア』というのが何なのかわからないコリンは、正直に首を横に振る。


「……わからない」


 途端、野鼠が抗議するかのように後ろ足で立ち上がって一声鳴いた。


「だけど、付き合いが長いからか、言うことがちょっとわかるみたいな気がするんだ」


 そう付け加えると、野鼠が満足そうに頷く。

 その様子に目を細める少女。


 話しているうちに目の前の少女が天使でも精霊でもないことに気がついたコリンは少しだけ警戒心を抱いた。


 この街では見知らぬ相手に下心なしに接する人間はいない。

 何が目的なんだろう……? いや……でも、いいか、どうせもうしばらくすれば野垂れ死にするんだし……。


 自暴自棄なコリンの胸中を察したものか、元気づけるようにしきりに野鼠たちが騒ぐ。

 それを少女はどこか大人びた表情で見詰め、口元を綻ばす。


「面白いね。ねえ、君の名前は?」


「……コリン・トムスン」

「私はマリア・ルウ・シェフィールド。よろしくね、コリン君」


 無邪気に差し出された真っ白な手をしげしげと眺めて、コリンは途方に暮れたように瞬きを繰り返した。


「え……と……なに?」

「握手だよ。友達になりましょう」

「え?! で、でも汚れてるし、雨で濡れてるよ」

「大丈夫。もう、雨もあがったよ」


 なおも躊躇するコリンだが、半ば無理やりマリアルウに握られた手を引っ張られて、よろよろと立ち上がった。

 見上げれば、いつの間にか雨は止んでいて、雲の間から晴れ間が見えた。


「ねえ、行くところがないんならうちへ来ない?」

「……な、なんで僕なんかにこんなに親切にしてくれるの?」

「う~~ん、コリンに興味があるからかな。それと、私もこんな雨上がりの日にお養父(とう)さんに拾われたからかな」

「え……!?」


 思いがけない急展開と重い話に絶句するコリン。

 マリアルウは気にした風もなく、コリンの手を握ったまま歩き出した。


「詳しい話は後でしようよ。それよりもコリンは文字の読み書きとかできる?」

「う、うん。いちおう」


 聖都で仕事を探すのにあたり故郷で一通り読み書きと四則演算は習っていたし、案外性に合ったみたいで、特に本を読むのは好きな方だ。


「だったらいいねっ。うちのお養父(とう)さん新聞社の編集長なんだけど、お手伝いの人が足りないって愚痴をこぼしていたし、コリンが良ければ働いてみない?」


 急な話で、しかも新聞記者の手伝いなど考えたこともない話に、コリンは何と返事をすればいいのかわからず戸惑うばかりであったが、

「決まりね! よろしくね、コリン」

 初めから決めていたように、振り返ってそう話すマリアルウを前に、コリンの胸が高鳴った。


「う…うん、よろしく」


 そうしてふたりは踊るような足取りで、雨上がりの匂いが立ち込め、紫陽花(あじさい)の咲く聖都のメインストリートに沿って歩みを進めるのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 煌々と明かりの漏れる冒険者ギルド本部のはめ込み式の硝子窓を見上げるマリアルウ。

 うろうろと巡回する完全武装の冒険者の影絵(シルエット)を見て、彼女の瞳にふと挑発と侮蔑混じりの色が浮かんだ。


「ふっ…一頭の羊に率いられた獅子の群れを、一頭の獅子に率いられた羊の群れは駆逐するというけど、烏合の衆を集めても率いるリーダーはいるのかしら? それと羊の皮をかぶって群れに紛れ込んだ獅子を見分けられるのか、お手並み拝見ね」


 そうひとりごつ少女の横顔に、どこか(くら)い感情が窺えて、

「マリアルウ……?」

 にわかに胸騒ぎを覚えたコリンがそう言葉を掛けると、

「なあに?」

 普段とかわりない屈託のない――雨粒のついた紫陽花のような――笑顔で、マリアルウが微笑み返す。


「な、なんでもないよ。それにしても、こんな夜中に女の子が出歩くなんてよくないよ。編集長にバレたら怒られるよ」


「大丈夫よ。ここに来る前に新聞社に寄ってお養父(とう)さんに夜食を届けるついでに伝言しておいたし。それに帰り道にコリンを追い駆けるって言っておいたから、『じゃあ大丈夫だな』って」

 そう言いながら懐から取り出した金色の懐中時計――クロノグラフと言うのだろうか? いくつもの針がついた複雑なそれ――の蓋を開いて文字盤を確認するマリアルウ。


「信頼されているってことなのかなあ……? 編集長も変なところでマリアルウに甘いよねえ」

 普段は血が繋がっていないのを忘れるほど、子煩悩で娘自慢の親馬鹿なのに。

「兎に角、いまのこの場所はまずいんでさっさと帰ろう」


 自分ひとりならトラブルに巻き込まれても、「いいネタ拾えた!」と小躍りするところだけれど、命の恩人で大切な想い人である女の子が傍にいるとなれば話は別である。

 手にした常夜灯(ナイトライト)を振り回し、コリンは先に立って下宿――マリアルウと編集長親子が住むアパルトマンで、厚意で下宿させて貰っている――へと戻ろうと促した。


 ……本当は初めて出会ったときと逆で、手を握って引っ張っていきたかったのだが、さすがにそれは照れ臭かった。


「はいはい」

 面倒臭そうに生返事をしたマリアルウに、いつもの挨拶で背中を叩かれる。


「痛っ。少しは手加減してよ――」

 首を巡らせてそう文句を言ったコリンだが、その時ふと思い出した。

「……そういえば、昼間もこうしてこのあたりで挨拶されたよね?」


「ええそうね。お養父(とう)さんにランチを届ける途中で、無防備な背中が見えたから、つい…ね」

 悪戯っぽく目を細めるマリアルウ。


「あの時に、僕の背中に張り紙とかついてなかった?」


 なんでいままで忘れてたんだろう? あんまりいつもの日常の延長だったから、意識してなかったのかなァ、と思いながらコリンはふと気になって訊ねた。


「なかったわよ。張り紙なんて、私が触るまでは(、、、、、、、)


 肩を竦めるマリアルウの返答に、コリンは「そっかー」と何の疑いもなく頷いて正面を向いた。

 そんな少年の後姿に、

「……ごめんね」マリアルウの顔から笑みが消えて、遣る瀬無いような感情が水に垂らした絵の具のように広がる。


『――ニャー』

 近くの民家の屋根の辺りで猫の鳴き声と、同時に鳥の羽音のようなものが聞こえたのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 テラメエリタ冒険者ギルド本部のギルド長、カロロス・パパンドレウは草妖精とも呼ばれる小人(ホビット)の族長の一族である。

 その関係で、人族尊重主義をとる聖女教団に対抗するため冒険者ギルド長へと祀り上げられたのだが、実際これは苦労ばかりで実入りの少ない仕事だと、二十年もやりながら(エルフほどではないが、それなりに長命である)つくづく思うのだった。


 そして特に今夜はとびっきりの厄日であると、バラバラに解けたメイドの身体を、やたら煩い首の指示に従って組み立て直しながら実感していた。


 そこへ――。


「なんの音ですか!?」

「まさか襲撃では!」


 『危険物保管所』内の騒ぎを聞きつけたのだろう、武器を携えた屈強なギルド職員が大慌てで扉を開けて飛び込んできた。


「「なっ――!?!」」


 そんな彼らの目に真っ先に映ったのは。女癖が悪いと評判のギルド長が、五体バラバラになったミニスカメイドの腰の辺り――短いスカートに包まれたお尻を抱え上げた姿勢で凝固している姿であった。


 尻を抱えたまま呆然としているギルド長と、その足元に転がる手足や胴体、胸、そして床の上でさらし首状態になっているオレンジ髪のメイドの頭部を確認したギルド職員の目と口が、極限まで開かれた。


「たいへんだ――――っっっ!!!」

「へんたいだ――――っっっ!!!」


 ほぼ同じ絶叫がふたりの喉から放たれた。

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