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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第四章 巫女姫アーデルハイド[14歳]
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貧者の金と辺境伯の執事

 『貧者の金』というものがある。一見すると黄金のようだが自然の鉱物ではなく、錬金術の産物といわれる銅と亜鉛の合金で、黄金に似た輝きからそう呼ばれている。黄銅とか 真鍮(しんちゅう)といえばもっと一般的だろうか。

 金の代用品として飾り燭台や、教会の装飾などにも使われるが、もっと有名……というか、悪い意味で利用されるのは、贋金作りの材料としてだろう。


 勿論、普段から本物の金を取り扱う人間がその手に取って見れば一目瞭然なのだが、大多数の人間は一生涯金貨などお目にかかる機会などなく、あったとしても人の手から手へと渡り、薄汚れ磨耗したものがせいぜいなので、鋳造したばかりの新品を両方並べでもしない限り見分けはつかない。そうして言葉巧みに贋金を掴まされて涙を呑むのだった。


 最近では現金の代わりに銀行を通して信用取引をする貴族や大商人も増えてはいるが、そんなものはごく一握りであり、一般人にとっては目に見えない信用(クレジット)よりも、いまだ目の前に積まれた現金(キャッシュ)のほうが遥かに確実で、説得力があった。それが人の機微であり、世の常である。


 出された紅茶を優雅に口に運びながら、イライザは文字通りの茶番に過ぎない目前の騒ぎを最前列で眺めていた。


「大至急、可及的速やかにユニス大蛞蝓グロースナックトシュネッケの料理ができる料理人を連れてきなさい。金に糸目はつけません。なんなら我が家のお抱えにしてやっても構わないわっ」


 シモネッタの居丈高の依頼――いや、完全な命令――にあわせて、後ろに控えていた執事(バトラー)が、恭しくテーブルの上に金貨の入った皮袋を置いて、縛っていた口紐を解いた。

 眩い黄金の輝きが魔道具(マジックアイテム)製の室内灯の明かりを反射して、一同の顔を下から照らす。


 ごくりと唾を飲み込んだのは、クララの護衛と最初に名乗ったあとは、「なんで俺がここにいるんだろう……」と、超気だるげな態度でその背後に陣取っていた貧相な身なりをした少年だった。

 どうしたわけか今日に限って、いつものオレンジ色の髪をした侍女――脳味噌の代わりにオガクズかチンアナゴでも詰まっていそうな小生意気な小娘――ではなく、この冒険者だという少年が付いているのだが、はたしてそこにどんな意図があるのかしら……? と、深読みしながらイライザはちらり視線を、お淑やかな所作で紅茶の入った白磁のティーカップを傾けているクララに向けた。


 途端、カップに隠れて見えないところで、彼女の桜色の唇が小さく動いているのが目に留まった。


『……感心しませんわね。お金で人の横っ面を叩くような真似は』


 その呟きがなぜだか直感的に理解できたイライザは、なんとなく落ち着かない気持ちで椅子に座ったまま腰の位置を直した。

 別に『人の振り見て我が振り直せ』とか、そういう殊勝な心がけに目覚めたわけではない。

 普段、ほえほえとゆるふわちゃんを気取っている(とイライザは思っている)この女が、珍しく嫌悪の情を出したのに驚いたのだ。


 ――どうやら三人が三人ともお互いを敵認定しているみたいね。


 三竦みの構図が思い描かれ、イライザは口許ににんまりと笑みを浮かべる。


 そんな周囲の反応を斟酌することなく、テーブルの上にはさらに二つばかり金貨の山が追加される。

「これだけではありません。我が家は出し惜しみをしませんわ」

 続いてこれ見よがしにテーブルの上にぶちまけられたのは、どれも指の先ほどもある色とりどりの宝石類であった。


 この聖都に暮す一級市民でも一生遊んで暮らせそうな財宝を前にして、平静を保っているのは当の本人であるシモネッタと、仕事柄ある程度耐性のある副ギルド長、それとオブザーバーだという貴族らしい青年、付け加えるのならクララも平然としたものだ。


 ――装っているわけではないわね。これが演技だとしたら相当なタヌキだけど……。


 何を考えているのか、お宝の山には目もくれず、茶菓子のマカロンを手に取って悩んでいる風のクララ。


「もっと生地を柔らかくしてジャムとかクリームを挟まないと……足りないのはメレンゲの泡立てと……」


 意味不明の独り言にイライザは小首を傾げる。

 まあ、少なくともあの程度(、、、、)の金貨宝石に心を動かされた様子がないのは確かである。


 その出自来歴も不明な――どこぞの貴族の庶子だとか、高名な巫女が産んだ不義の子だとか、ある日突然「親方、空から~」落ちてきたとか、根も葉もないデマは山ほど噂されている――馬の骨の筈だけれど、目の前に積まれた金貨に眉ひとつ動かさないところを見ると、もともとそれなりの身分の出身である……という部分は本当なのかも知れない。その可能性を強く念頭に置くイライザであった。


 ――まあ、少なくとも教団の関係者か、その血筋なのは間違いないでしょうね。


 動くたびにサラサラと揺れるクララの長い髪を横目に見ながら、イライザも同じくマカロンを口に入れた。

 特徴的な透き通るような金髪に色の入った髪は他国……はもとより、教団内でも一部でしか見られない選られた血筋の証である。たっぷりと砂糖が使われているマカロンを噛み締めながら、イライザは自分の藤色がかった金髪に視線を転ずる。


 〈初源的人間(ドリーカドモン)〉――通常の貴族、魔法使いを遥かに超える魔力と美貌を誇る、教団が長い年月による血筋と、霊的処理、そして錬金術の粋を集めて生み出したサラブレッド中のサラブレッド。


 どこの馬の骨とも知れないクララが教団に認められ、民衆からも諸手を挙げて受け入れられているのは、能力もあることながらこの髪を持っていることが大きい。決して見目の良さや、ぷるるんと大きな胸が圧倒的支持を得ているわけではない……筈である。


 ――だからなおさら教団上層部では身内に取り込んで、その存在の秘密を躍起になって探っているんでしょうね。


 さらに思考を巡らすイライザ。


 ――突然変異はありっこないから、どこからか血統と研究が漏れたのか……。いえ、もしや五十年前に基礎理論を確立した後、突如として雲隠れしたという錬金術師が関与しているのかも知れないわね。


 残された記録によれば、その錬金術師の主な研究課題は不老不死だったとか。


 ――どうにか居場所を突き止められれば、もしかするとわたくしの野望を叶えることもできるかも。


 算盤を弾きながら紅茶のお代わりを要求するイライザ。

 そんな外野の思惑はさておき、テーブルにうず高く積み上げられた依頼料と報酬を盾に、シモネッタは副ギルド長に向かって唾を飛ばしていた。


「これで何の問題があるというのかしら。そなたらは何でも屋であろう? ならば金額に見合った仕事をすればよいことであろうに」


「はあ、しかし、その……もともとあれは、ドワーフの非常食のようなものでして、それを賢者ホリディ様と聖女スノウ様が試行錯誤をされ、食卓に饗せられる形にされたという曰く付きの料理でして、聖女様を除けば同じものを作れるのは、我々の知る限り『ドワーフの林檎亭』の主人……すなわち、賢者ホリディ様しかおりません」


「「えっ、あの親爺って賢者ホリディ様当人でしたの!?」」


 額に汗を浮かべてシモネッタの無理難題に答える冒険者ギルド副ギルドの弁明に、思わず素っ頓狂な声をあげるジルとイライザ。


「……なぜ、貴女が『ドワーフの林檎亭』の主人を知っているのかしら、クララさん?」


 しまった、という顔をしているクララに向かって、不信感もあらわに問い詰めるイライザ。


「まさかとは思いますが、貴女、先んじてコルラード王子の饗応のため、件の料理人に渡りをつけているのではないでしょうね?」

 この女ならあり得る。カマトトぶって男を手玉にとるくらいお手の物だろう。


 微妙な顔つきで視線を交わす背後の少年と、青年貴族たち。


「そ、そんなことはないですわ。そもそもコルラード王子の好物が大蛞蝓だったとか、今日初めて知ったくらいですので」


 慌てた様子でクララが『ナイナイ』と手を振るのを、疑わしげに半眼で凝視するイライザと、

「……目障りな女……」

 そっぽを向いたまま憎々しげに口許を歪めるシモネッタ。


 そんな少女達の遣り取りの様子をシモン卿が片頬にえくぼを作って眺めていた。


 疑惑、敵意、同情、失笑、好奇……などなど、なぜか室内の注目を浴びる結果になったクララは、吹けない口笛を吹く真似をして、わざとらしく視線を逸らせて天井を見上げた。どんな奇行を行っても、絶世の美少女にしか見えないのはある意味超常現象である。


 その横顔から視線を転じて、刺々しい感情を全方位に振り撒いているシモネッタに移したイライザは、ふと以前見た『貧者の金』を思い出していた。


 隣に純金を並べてみれば色の違いは明らかなのだが(黄色が強いのが貧者の金で、本物の金はもっとオレンジ色っぽい)、金貨となるとぱっと見は見分けがつかない。なぜなら金貨に純金など使っているのは超帝国くらいで、一般的には混ぜ物をしているのが普通だからである。


 さてさて、この部屋にいる同年輩の三人の少女の中で、はたして本物の黄金はいるのだろうか? それとも自分を純金だと錯覚している混ぜ物か、あるいは『貧者の金』なのだろうか?


 柄にもなく感傷的にそんなことを考えるのであった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 口当たりのよい果実酒でディナーの余韻に浸りながら、テーブルを挟んだホスト席に座るオーランシュ辺境伯コルラード・シモン・オーランシュが、以前にも増して上機嫌な態度で同じ中身のグラスを傾けるルークの表情を伺った。


「いかがでしたかなルーカス公子、先ほどのメインディッシュは? 儂は酒や料理に特にこだわりがある性質(たち)ではないのですが、あれだけは特別でして。そう……さしずめ青春の思い出の料理とでも言いますかな」


「素晴らしいですね。僕も一年以上シレントに滞在していますが、このような珍しい料理を食べたのは初めてです」


 酒に酔って自分語りになったオッサンほどウザい存在はいないが、相手は仮にも元国王で現リビティウム皇国の重鎮である。帝国の皇族とはいえいまだ爵位を持たないルークとしては、無難に笑みを浮かべて追従するしかない。

 また、実際日頃から『ルタンドゥテ』で美味珍味の類を食べ慣れているルークでさえ、瞠目すべき料理であったのは確かである。いったいなんなのだろう? 肉の類であるのは確かだが……。


「儂の若い頃はユニス法国の首都でしか食べられないという知る人ぞ知る名物でして。――実を言えばこっそりお忍びで下町にあった料理屋に食べに行ったりしましてな。それがいまではシレントでもアレが味わえるのですから。いや、よい時代になったものです」


 そう言って快活に笑う辺境伯。

 酔ったわけではないが、ルークはぼんやりと『辺境伯(このかた)は笑うとえくぼができるんだなあ』などと関係のないことを思うのだった。



「はあ……疲れた」

 誰もいないゲストルームのひとつで、適当な椅子に浅く腰を下ろしたルークが前屈みで肩を落とす。


 別に難しい話をしたわけではない。それどころか辺境伯は気を使ってか、くつろいだ雰囲気で政治や実家の話など――現在、リビティウム皇国はおろか大陸全土の国家が注目しているだろうに――一切触れずに徹頭徹尾、世間話や自身の若い頃の失敗談、ルークの学園生活など面白おかしく話して、また聞き役に徹してくれた。

 それでも、どうにもなぜかあの目に見られると落ち着つかないのだ。こちらの魂胆をすべて見通して、掌の上で転がされているような気がして。


「『シルティアーナの準備ができたら、一緒に食後のお茶でもいかがですかな? まあまあ、そう気を張らずに。実家にでもいると思ってお気楽にしてください』って、無茶だろう……いや、実家ってところに含みがあるのかな?」

「いえいえ、そんな含みはございませんよ」


 音もなく背後の扉が開いてゲストルームに誰かが入って来て、ルークは顔色を変えた。


「エ、エミールさん!?」


 最初に執事(バトラー)として紹介された男性である。

 三十年以上辺境伯に仕えているというから四十歳は越えている筈だが、癖のない青緑色の髪に皺ひとつない張りのある肌をした彼は見た目二十代にも、落ち着いた物腰は実際の年相応にも見える不思議な人物であった。


 彼は流れるような所作でルークの傍らに進むと、銀色のトレーからガラス製のコップをルークの傍らへ置き、続いて純銀の水差し(ピッチャー)から冷たい水を注いだ。


「どうぞ」


 勧められるままに反射的にコップを手に取って、一口口に含む。

 知らずに緊張で喉がカラカラに渇いていたようで、微かにレモンの香りがする冷水は体全体に染み渡った。


 注がれるまま、続けざまにそのあと二杯飲んだところで、ようやく人心地ついたルークはほっとため息を漏らした。


「すみません。ご馳走さまでした」

「いえいえ、これが私めの仕事ですので」

「はあ。それで、あの……」


 先ほどの失言を思い出して、言葉を選ぶルークを好ましげに眺めながら、エミール氏はちらりと出入り口の扉に視線を投げる。


「しばらく誰も来ないように取り計らっておりますので、これは年寄りの独り言としてお聞き流しください。……お若いうちは腹芸など意識されないほうがよろしいかと。小利口な人間は一見得をするようですが、長い目で見ればその程度の人間と軽んじられます」

「……僕は背伸びしているように見えましたか?」

「そうですな。今日の貴方様はなにか焦っておられるように感じられます」

「焦っている……か。見る人が見れば一目瞭然なんですね」


 ジルがいなくなって以降、再三にわたるグラウィオール帝国本国からの帰国要請を突っぱねてリビティウム皇国に居残っている立場である。平静を装っているつもりでも、それが虚勢であるのを初対面であっさり見抜かれ、ルークは自嘲と自戒の笑みを浮かべた。


「心に余裕がない時には、恋をすることをお勧めいたします。ルーカス様はお好きな女性はいらっしゃらないので?」


 ――ぶっ!!


 危うく気分直しに口に運んでいたレモン水を吹き出しかけるルーク。

 咄嗟に浮かんだジルの面影を振り払い。早鐘のように打つ心臓を宥めるために、ゆっくりと水を嚥下する。


「な、な、なんでそうなるんですか!?」

「恋愛はあらゆる心の病の特効薬ですからな」


 これが年の功というやつだろうか。ルークの動揺を柳に風と受け流しながら嘯くエミール氏。


「良いものですぞ、恋というのは」


 歌うように続けながら、手にしたトレーと水差し(ピッチャー)をテーブルに置くエミール氏。

 それから回り込むようにルークの目前に立った。


「エミールさん……?」


「燃え盛るような恋、――そして、(みなぎ)る愛。素晴らしいことです」

 潤んだ瞳でルークを見下ろしながらエミール氏は蝶ネクタイを外した。


「え? は? あのォ……?」


 エミール氏は、テール・コートの上着を脱ぎ捨て、白シャツのボタンに手をかける。

「ご安心ください。しばらくはふたりきりです」


「いやいや! ちょっ、ちょっと……僕にそっちの趣味は」

 一段と切羽詰ったルークの悲鳴が、辺境伯家のしっかりと防音設計されたゲストルームに木霊する。

「た、助けて~~っ、ジルっっっ!!!」

「あら?」

「どうした、ジル?」

「いま、どこからか絹を引き裂くような男の子の声が」

「………。気のせいじゃないのか」

「う~~ん、気のせいかしら?」


※今後もタグにBLはつきませんので悪しからず。

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