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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第四章 巫女姫アーデルハイド[14歳]
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幕間 聖都の新聞記者

今回はジルの出番はありません。

 峻険な山岳地帯に囲まれた聖都テラメエリタには雨と霧が多い。

 挨拶の言葉が「おはよう」「こんにちは」と混在する時間帯。通りには、昨夜から朝方まで降っていた雨が残っていて、砂利敷きの道はぐちゃぐちゃにぬかるんで歩きにくく、幾筋も刻まれた轍のあとには茶色い水溜りが延々と続いていた。


 日が高くなるにつれて紗幕のような霧は晴れ、徐々に人通りが出てきて、道の端には露天や物乞いが並び、辻馬車や乗合馬車(馬以外の獣が引いているものも多いのだが、面倒なので一律に『馬車』と呼んでいる)が行き交うようになる。


 口から白い息を吐き、駆け足で職場に向かっていたコリン・トムスンは、鼻腔をくすぐる匂いにふと足を止めた。

 見れば準備を終えたばかりの屋台に、朝食を求める人が五~六人の列を作っている。


 熱い香茶(こうちゃ)珈琲(コーヒー)(と言っても南方産の本物ではなく、焙煎したタンポポの根から作られる飲料)一杯が銅貨三枚、それにもう三枚ほど上乗せすればバターを添えたパンか、熱々のフライドチキン(これも鶏ではなくて、年を取って使えなくなった騎鳥(エミュー)の肉)が食べられた。


 ごくりと唾を飲み込んだコリンは、着古したジャケットのポケットに手を入れて財布の中身を確認すると、ふらふらと引き寄せられるように列に並んだ。どちらにしてもこの時間帯では遅刻は確実である。それなら先に腹ごしらえをして編集長に怒られたほうがマシだ。


 熱々のフライドチキンの味を想像しながら、半ば開き直りでそう決心をするコリン。


 しばし順番待ちをしながら手持ち無沙汰にハンチングの位置を直したり、通りを行く人の流れをぼんやりと眺める。

 鉱山で働く労働者や山賊じみた下級の冒険者、他国から流れてきた移民が集まるこの界隈は、聖都にあっても貧困と無法が幅を利かせていた。


 テラメエリタを流れる唯一の水源であるユースス川の下流にあたる裏通りには、市場から流されるゴミの臭いと、魚河岸から発せられる腐敗臭、処理をしないで流された上流側――大聖堂(ミンスター)や貴族街のある中心聖都――の汚水と生活排水、さらに路上の馬糞や尿、民家の窓からぶちまけられる汚物桶の中身と安酒の臭いが充満し、知らずに足を踏み入れた巡礼者や観光客の鼻を蹂躙することになる。


 まだ雨上がりのこの時間帯なら我慢できるが、完全に日が昇って気温が上がれば目も開けていられない惨事になる。さっさと朝食を済ませてオサラバするに限る。


 そんな風に考えて、順番が回ってくるのをやきもきしながら待っていたコリンの耳に、遠くから聞こえてくる微かな空気のざわつきと馬の嘶き声が飛び込んできた。


「――なんだ?」


 職業柄(、、、)興味を引かれてその方向を注視してみれば、群れ泳ぐ小魚のような二輪の辻馬車や、道路脇をゆっくりと歩む底魚(そこうお)に似た鈍重な荷馬車。そして深海魚の如く、特徴的な走騎竜(ランドドラグ)平甲獣(ウィルダーシェル)が牽引する獣車――それを掻き分け、悠然と泳ぐ大型回遊魚のように、見事な四頭立ての四輪馬車が轍の音も重々しく、通りの中央部を我が物顔で突き進んでくるのが見えた。


 見るからに上流階級御用達の専用馬車と思えるそれを前にして、直線上にあった辻馬車や荷馬車が大慌てで進路を変えて路肩に寄せたり、脇道へ避けるなどして、蜘蛛の子を散らすように散りぢりになって逃げ惑う。


 そしてそれを当然とばかり、我が物顔で通り過ぎる大型馬車の側面に描かれた紋章を目にして、道を空けた辻馬車の御者や通行人の多くが、すぐさま馬車の素性を察して眉をひそめ舌打ちした。


「危ねえな……っとと、教団の紋章か?」


 なんらかの法術――他国で言うところの魔術――処理がされているのだろう。磨かれたばかりのような光沢のある白塗りの車体は優美かつ重厚で、またそれを牽引する馬達も一般的な農耕馬はもとより、そこいらの軍馬と比較しても遜色ない堂々たる体躯と血統のよさを表している。

 素人目にも持ち主の財力と権力を象徴する豪奢な馬車だが、それ以上に目立つのは、聖都に住む住人であれば誰もが知っている聖女教団の聖印であり、巫女を表す紋章であった。


 後ろに並ぶ灰色の外套を着た中年男の呟きに併せて、

「あれは“エトワール号”じゃないかな。バーバラ様の専用馬車の」

 コリンも思わず独りごちた。


「ああ、あの(、、)バーバラ様か!」

 それで納得がいったとばかり大きく頷く中年男。


「珍しいな。クララ様ならともかく、中央でふんぞり返っているお偉い巫女様がこんな下町に足を運ばれるなんて」

「ホントにまあ……なんの気紛れかねぇ?」


 並んでいた客や女店主も顔を見合わせて、口々に疑問を交し合う。


「ふん。大方点数稼ぎに教会の孤児院でも慰問しに来たんだろう。以前は飛ぶ鳥を落とす勢いだったバーバラ様も、いまじゃすっかり……だからな」


 そう言って思わせぶりに肩をすくめる通りすがりの男の言葉に、ある者は苦笑を、またある者は冷笑を浮かべて小さく首肯する。程度の差こそあれど聖女教団の一般信者である彼らは、さすがに直接論評は差し控えているがその語り口や表情はかなり辛辣であった。


「まあ、しかたがないだろう。いまじゃ巫女姫の最有力候補といえばクララ様だし」

「当然。実力、人望、なにより不用意に近くで見ると心臓が止まるあの美貌だ。これで名声や実績が積み重なれば鉄板だろうな」

「そういえばこのフライドチキンを考案されたのもクララ様らしいな」

「ああ、タンポポ珈琲もそうだよ。さすがはクララ様。才色兼備で気前もいい」

「バーバラ様も悪くはないんだけど……なあ?」

「逆に俺は同情するよ。クララ様と比較されちゃあなぁ……」

「クララ様パネェっす」


 いつの間にか一同の念頭からバーバラの話題は馬車同様にすっかり通り過ぎ、クララに対する畏敬と賞賛へと代わっていた。

 そこでようやく朝食にありついたコリンは、ふむふむ頷きながら片手で懐から取り出したメモ帳に、なにやら書き記しだす。


「『朝靄の立ち込める時間に下町に足を運ぶ巫女バーバラ。その真意はいかに!? もしや次代の巫女姫の選定に絡む暗躍か? はたまた聖都を騒がす怪盗赤い羊(レッドラム)に絡む事件か?』……あと、フライドチキンと珈琲はクララ様の発案、と」


「何やってんだ、お前?」

 こちらはパンにフライドチキンを挟んだお手軽なサンドイッチを頬張りながら、コリンのあとに続いて並んでいた中年男が首を傾げる。


「いまのネタをメモして記事を書いているんですよ。ボクはこう見えても新聞記者ですから」

「新聞記者ぁ……?」


 胡散臭そうな目で、擦り切れた古着を着込んだコリンをじろじろ眺める中年男。

 見た目はせいぜい十六歳ほど。薄汚れた赤毛で痩せぎす、鼻の周りにソバカスのある青少年は、どこにでもいる――それこそスラムの孤児がそのまま大きくなったような――貧乏人か、単なるお調子者にしか見えない。


「どこの新聞社なんだ?」


 ここ二十~三十年ばかりの間、雨後の(タケノコ)のように大陸各国で続々と刊行されている新聞(さすがに全国紙はなく、基本は地方紙ばかりである)の名前を幾つか思い起こしながら、中年男は訊ねた。


「〈日刊北部デイリー・セプテントリオ〉です!」


 胸を張って誇らしげに答えるコリンだが、その答えを聞いた中年男を含めて、それとなく耳をそばだてていたその場の全員が、一気に珈琲を飲み下したような苦い顔になる。


 〈日刊北部デイリー・セプテントリオ〉といえばいい加減なゴシップ紙として、悪い意味で有名な新聞だ。なにしろ教皇様が慰問先で子供の頭を撫でたという話が、どこをどうしたものか散歩途中で悪ガキを逆さ吊りにして鞭で叩いた、王女様が猫を飼ったと聞けば、王女様が猫の皮を剥いで三味線を始めた、という話に化けるくらいは日常茶飯事なのだから。


 これで圧力がかかって潰れないのは不思議だが、まことしやかな噂によれば、一部酔狂な好事家に熱烈に支持されているから――〈日刊北部デイリー・セプテントリオ〉自身の記事によれば『超帝国神帝御用達!』『聖女スノウ様に馬鹿ウケ!』と、洒落にならない絵空事をぬかしている――とも言われている。


 どちらにしても、これは明日の朝には一連の騒動は尾鰭背びれどころか手足に羽根まで生えて記事になるだろう。


「……おかしな話にはしないでくれよ」


 もしかすると自分の失言が『信頼できる消息筋の話として』捏造記事に花を添えるかも知れない。そう思って中年男は一言釘を刺した。

 彼とて聖都に住む一般信徒のひとりである。教団を貶めたり揶揄するような事柄に関わるのは全力で回避したいところである。


「大丈夫ですって。ボクの記者の勘がビンビンと告げているんですよ、特ダネの気配を。きっちり取材をして一面トップを飾って見せます!」


 血気盛んに飲み終えたカップを店主へ返し、食べ終えたフライドポテトの包み紙を道路に投げ捨てるコリン。

 一流紙と違って〈日刊北部デイリー・セプテントリオ〉のようなマイナー紙では、事件が起これば全員が駆り出され、コリンのような見習い新聞記者でも一面記事を担当できるチャンスが訪れる。


 ちなみに、逸るコリンが投げ捨てた円錐状に丸められた包装の新聞紙は、奇しくも現在話題の〈日刊北部デイリー・セプテントリオ〉だった。


『聖都に出没する“怪盗赤い羊(レッドラム)”! その正体に迫る』

『犯人は十代から三十代もしくは四十代から五十代かそれ以上の男もしくは女』

『犯罪帝国の帝王シャドウ氏が語る。「わしが育てた」』


 一面に踊る扇情的な文字列を目の当たりにして、その場にいた全員の胸に言い知れぬ無力感が去来する。


「――では、ボクはエトワール号を追い駆けて取材してきます。悪いですけど、五番街にある社の編集部に『コリンは特ダネを追い駆けて行ったので、出社が遅くなる』と伝言をお願いします。聖女様のお導きのままに!」

「な――っ!?」


 一方的に依頼すると、コリンは通り過ぎて行った馬車のあとを追って走り出した。


「ええい……糞っ、知ったことか!」


 忌々しげに頭を掻き毟る中年男性だが、最後の聖句がトドメになって、しぶしぶと五番街方面へと足を運ぶのだった。


「なんで俺がこんなことを……だいたい、いまから追い駆けたって追いつくわけないだろう。どうせ遅刻の言い訳にしてるんだろに……」


 愚痴をこぼす男性の言葉は正鵠を射ていたが、何の運命の悪戯か、慣れない下町の地理に難渋して迷子になっていたエトワール号を見つけるのは案外と容易く、その後、コリンは悠々とそのあとをつけることに成功し、バーバラ正巫女が『ドワーフの林檎亭』という有名な店に足を踏み入れ、その後、すげなく追い返される顛末と、そのあと、巫女クララが店から出てきて冒険者ギルドへ向かうのを確認したのだった。


『巫女様は大蛞蝓がお好き!?』

『知られざる嗜好。巫女クララ様がお忍びで“グロースナックトシュネッケ”に舌鼓!』

『料理人に文句を言った巫女バーバラ様はつまみ出される』


 そして、翌日の〈日刊北部デイリー・セプテントリオ〉の一面を飾る記事を読んだジルとイライザは揃っていきり立ったのは言うまでもない。

馬車は馬一頭で二輪馬車が普通です。有名なものでは、かのシャーロック・ホームズの愛車『ハンサム号』とか。

辻馬車は一頭立て、二輪が普通です。


2/19 ローレンス枢機卿と名前が似通ってしまったので、名前をローレンからコリンに訂正しました。


裏設定としては、ここの新聞社の社主は謎の黒髪の商人です。

趣味でマスコミをやってます。

『極限のメニュー』という謎の企画をして、「この○○は出来損ないだ。これより遥かに美味い○○を」ということをやっていますが、そのあたりは別作品で更新する予定です。

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