少女たちの対峙とトラブルの嵐
正室と側室の確執。
およそ古今東西、宮廷絵巻物や演劇ではお馴染みの題材であり、大は皇帝の後宮を舞台にした女たちの諍いから、小は貴族とは名ばかりの田舎郷士の浮気まで、貴族社会……否、男女関係があるところには確実に火種が転がっているとも言われる、特効薬のない不治の病である。
そしてその中でも、元インユリア公国の嫡女であったオーランシュ辺境伯第一夫人であるシモネッタ妃の苛烈……いや、偏執的とでも称すべき、第四夫人たる巫女姫クララに対する敵愾心と妄執の凄まじさはいまも語り草であり、クララに対する同情の念とともに当時のリビティウム皇国の社交界において、話の種にならない日はない程有名な逸話であった。
そのためクララが早世した原因についても、『もともと蒲柳の質(※身体が弱く病気にかかりやすいこと)であったが、そこに無理な出産を行ったことで命を削ってしまった』という辺境伯家による公式見解よりも、実際のところはシモネッタ妃によって密かに謀殺されたのでは? という、まことしやかな憶測のほうが遥かに説得力があった。
それにしても、なぜシモネッタがクララをそれほど敵視したのか――?
夫であるオーランシュ辺境伯を巡るライバル関係であったから……というのはあくまで表向きの理由でしかないだろう。そうであるならば、より身分と後ろ盾のある第二、第三夫人に対する比較的冷淡ともいえる態度との温度差が説明できない。
ではなぜか。その憎悪の念の根底にあるものを解き明かすには、ふたりの初の邂逅まで遡らねばならない。
それはすなわち、クララがシモネッタの一国の公女としての矜持と、女のとしての自信を完膚なきまでに打ち砕いた瞬間であったからである。
その時まで、インユリア公国の公女として生まれたシモネッタは、およそ容姿において他人より劣っていると思ったことは一度もなかった。
両親から受け継いだ恵まれた容貌に加え、贅を尽くした装束、装飾品、化粧、なにより一国の姫君として、美しく……高貴であるべしと徹底的に管理され、磨かれた美容は大陸においても屈指のものと自負し、事実それに異論を唱えるものは存在しなかった。
だがしかし、クララのすべてを圧倒する美貌はそんな彼女の誇りを一瞬にして無為と化し、さらには当人はそのことを歯牙にもかけなかったのだ。
シモネッタが言葉もなく、まるで置物になったかのように呼吸をすることすら忘れ、呆然と見詰めることしかできなかった。それほどの桁違い……どころか、次元の違う美貌。
いつしか身を乗り出していたシモネッタは、椅子から転げ落ちそうになったところでようやく我に返った。そして恥辱に震えた。続いて怒りを覚えた。
この女は存在するだけで自分を嘲笑う。本来自分が手に入れる筈のものをすべて奪うのだと。
無論なにかクララに非があったわけではない。それはシモネッタがついぞ覚えたことのない、生涯初めての劣等感――その裏返しであり、或いは知らず恋焦がれるような感情を抱いたがゆえであったかも知れない。だが、それを認めるにはシモネッタは余りにも無知であり、さらには肥大化された自尊心がそれを認めるわけにはいられなかった。
それゆえにクララを激しく憎んだ。……やがてはその娘をも。
◆ ◇ ◆ ◇
「…………」
「…………」
座っているだけで胃が痛くなるような敵意……いえ、ほとんど殺意の波動とも言うべきシモネッタ公女の視線にさらされ、私は椅子に座ったまま途方に暮れて天井を見上げました。
初対面で会話らしい会話もなく、ただ紹介されただけだというのに、無言のまま穴のあくほど睨み付けられた挙句、いきなり険悪な空気を放ち始めたのですからわけがわかりません。
――そういえば、私がまだシルティアーナだった当時も、たまに屋敷の廊下ですれ違った時とか、こういう目で睨まれていたような気がいたしますわ……。
なにげに忘却の彼方だったトラウマが思い起こされて、今度こそ本格的に胃がキリキリと痛み出しました。
そんな私の苦悩を、イライザさんがどこか溜飲を下げた表情で見ています。
他人事のような無責任な態度と視線ですが、もともと私がこの部屋に通された原因が、眼前の少女とイライザさんとのいがみ合いに端を発したことであり、私は無理やりその仲裁のためにお呼ばれしただけだったのですから、自分だけ安全地帯のようなこの態度はなにか釈然としません。
「……どうしてこうなったのでしょう?」
密かに口の中で呟き、現実逃避を兼ねてここに来るまでの流れをゆるやかに回想しました。
そう、あれはほんの二十分ほど前――。
おそらくは防犯か防御用のなんらかの魔法がかかった魔道具なのでしょう。魔力を感じる黒い御影石に似た四角い枠で囲まれた扉を開けて、私たちは冒険者ギルド本部へと足を踏み入れました。
順番としては、セラヴィ、私、コッペリア、シモン卿、エミール氏の五人で、残りのシモン卿の護衛は表で待っています。
物語などでは冒険者ギルドといえば、荒くれ男が集まる酒場か、肩で風を切る強面の筋肉集団がたむろする組事務所のようなイメージがありますけれど(確かに地方や小さな支部などになると、酒場とか兼用をしているのでそうした情景も見られます)、あくまでここは仕事を斡旋する事務所ですので、基本的に受付カウンターと相談窓口、応接セットが並んでいるだけの、清潔でちょっとだけ無機質な感じがする役場か銀行の窓口のようです。
そして、これまた定番の若くて麗しい女性が受付をしているカウンターのひとつへ、セラヴィが迷いのない足取りで向かっていきます。ひょっとして好みの相手なのかも知れません。ここは生温かい目で見守ることに致しましょう。
「――いまいいかな、マリナさん?」
セラヴィにマリナと呼ばれた受付嬢はブルネットの髪をボブにした十代後半くらいの人間族で、ちょっと表情に乏しいところはありますけれど、仕事はできそうなキャリアウーマンタイプでした。
「はい。なんでしょう、セラヴィさん?」
「クララ様、お互いに名前呼びですよ、親しげに名前を。愚民の癖に生意気ですね」
コッペリアが微妙に不愉快そうに眉をしかめます。
「彼女、セラヴィの担当者じゃないのかしら? 別段甘い雰囲気とかはないから、たぶんビジネス上の関係だけだと思いますけど、それほど神経質になることも……あっ、もしかして、嫉妬しているの?」
「まっさかー!」言下に否定するコッペリア。
「ただ、なぜかカップルを見ると回路の奥から『カップルを撲滅しろ』『モテる奴に鉄槌を』という謎の信号が発せられるのですよね。バグでしょうか?」
「そ、そうかも知れないわね……」
ヴィクター博士ェ……。
と、不意にギルドの静謐さを破る騒々しい声が聞こえてきました。そちらを見れば、受付でセラヴィが何か揉めています。騒いでいるのは“マリナさん”ではなく、いかにも中間管理職といったバーコード頭の中年職員です。
「愚民と木っ端役人が何か騒いでますね。まったく……、ちょっと目を離すとこれですか。無駄な騒ぎを起こさずにいられない、迷惑千万なトラブルメーカーは本当に最低ですね!」
「「「(お前だ、お前。鏡見ろ――!)」」」
憤懣やるかたない様子で眦を吊り上げるコッペリアを、私とシモン卿とエミール氏が同時に力一杯指差しました。
さて、しきりに口説くバーコード戦士と、それをけんもほろろにあしらうセラヴィでしたが、埒が明かないと見たのか、マリナさんがカウンターを迂回して私のほうへとやって来ました。
「正巫女のクララ様ですね? 申し訳ございません、私はテラメエリタ冒険者ギルド本部職員でマリナ・スタラーバと申します。折り入ってご相談したいことがあり、少々お時間を頂戴いただけないでしょうか?」
慇懃な態度ですが、どこか切羽詰ったような心情が垣間見え、私は不思議に思って首を傾げました。
「それは昨日のシドニア大迷宮についての報告とは別な用件でしょうか?」
「――はい、そちらも後日お話を伺えれば幸いですが、現在それよりも優先順位の高く、予期しない“飛び込み業務”が発生したため、その案件を先に処理していただきたいのです」
飛び込み業務というマリナさんの台詞に、私は反射的にギルドの前に停車している二台の高級馬車のほうを振り返って確認していました。
「それって、まさか――?」
「……ご名答です」
この時点でうんざりしている私の表情から質問の中身を察したのでしょう。マリナさんが申し訳なさそうに頭を下げます。
「ほっとけよ、ジル。こいつら自分らより上の権力に出てこられて、ニッチもサッチもいかず責任逃れしているだけだからな」
男性職員を手で制しながら、セラヴィが腹に据えかねたとばかり捲くし立てます。
一応名目として冒険者ギルドに限らず各ギルドは、独立公平を謳って公権力や貴族の威光、教団の教義から一歩離れた立場を標榜していますが、実際のところは国家から補助金を貰い、教団から正義のお墨付きを拝領し、大貴族や豪商からの寄付で成り立っていますので、そうした部分から無理難題の横車を押されると、最終的には抗しきれなく……特に現場の人間は腰砕けの弱腰となるきらいがあります。
このあたりもお役所的というか、中間管理職の悲哀を感じずにはいられませんが、その責任の所在を私に丸投げされるのは明らかにいきすぎです。スケープゴートにされてはたまったものではありません。
「そういったお話であれば、私個人の裁量を超えていますので、教団の上層部――少なくともテレーザ明巫女様を通していただけませんか?」
玉虫色の返事をしてその場で踵を返そうとした私ですが、そこへバーコードの職員がやってきて取り縋ります。
「お、お待ちください! 現在、シモネッタ公女殿下とバーバラ正巫女様が依頼の為に三階の貴賓室に滞在中なのですが、その内容がクララ様にも関することであり、ぜひとも同席をお願いいたします。無論、クララ様はオブザーバーの立場であり、どのような結果になろうともその責任を問うようなことはいたしません!」
必死で訴える彼ですが、こういう口約束は大抵の場合、不都合があれば「あー、きこえなーい」で反故にされるのですよねえ。
「お願いいたします! 文書として残しますし、ギルドとして今後クララ様はもとより関係する皆様に関しましては、ギルドポイントを進呈するとともに優先的に待遇の改善をさせていただきます。なにとぞ、なにとぞ!!」
「副ギルド長……」
額に汗を流して必死に頭を下げるその様子に、他の職員や待機中の冒険者の視線も同情的になり、どことなく私を責めるような圧力を感じ始めました。と言うか、この方って副ギルド長だったのですね。
困惑する私の苦境を案じてでしょうか。
「――ふむ。どうでしょう。私も同席しますし、いざとなれば責任を持ちますので、ひとつ話を聞いてみるのは?」
シモン卿がそう横から提案してきました。
それから怪訝な表情を浮かべる副ギルド長に、例の家紋の入った指輪を見せます。
「――ッッッ!! あ、貴方様は……!?」
覿面に顔色を変える副ギルド長に向け、意味ありげなウインクをするシモン卿。
「……いかがですか。私の保証では心許ないでしょうか?」
「と、とんでもございません! まさに天佑でございます。それにしても、なぜ貴方様が――」
「おっと、野暮は言わないでいただきたい。それと、くれぐれもクララ嬢とそのお仲間の皆さんには不利益のないようにお願いします」
狼狽える副ギルド長とは対照的に、余裕たっぷりのシモン卿の態度に、
「――もしかして、私って知らずに無礼を働いていたのかしら?」
いまさらながら懸念を覚えて、恐る恐る傍らに佇むエミール氏に訊ねてみました。
「いえ、問題ございません。私見ながら、若様にお使えして十年あまり。あれほど愉しげな若様の姿を見るのは初めてでございます。これもすべてクララ様のお陰です」
そう恭しく胸に手をあて頭を下げられましたが、正直一緒に食事をしただけなのでお礼を言われても戸惑うばかりです。
「――それでは皆様、これより三階の貴賓室までご案内いたしますので、ご足労お願い致します。クララ様はあくまでオブザーバーとして出席される形で、お気に召されないようでしたら即刻退室していただいて結構ですので、どうかお願い致します」
何度も何度も目上の方に腰を屈められるとさすがに寝覚めがよくありません。
「……仕方がありません。ですが、あくまで私は第三者の中立の立場として参加するだけですわよ?」
しぶしぶ同意すると、副ギルド長が目に見えて安堵した様子で、さらに腰を曲げて何度も頭を下げられました。
「ありがとうございます。それと、賓客が滞在中は貴賓室のある三階はセキュリティの関係で武器類の持ち込みは禁止していますので、こちらで一時保管いたしますが宜しいでしょうか?」
その言葉にあわせて、屈強な警備員らしい揃いの制服を着た職員が私たちの傍らに整列しました。
きわめて真っ当な要求ですので、私は素直に『収納』してあった魔法杖やナイフなどの武器を取り出しては、近くの警備員さんに渡しました。
同じくセラヴィも面倒臭そうに腰の剣を預けましたが、そこでマリナさんから渡された何かのリストと照らし合わせていた副ギルド長が、
「申し訳ないですが、それと懐に忍んでいる魔力符も出していただきたいのですが」
きわめて自然な調子で言い当てます。
なぜわかった、とばかり目を細めるセラヴィのほか、私たちにも聞こえる声で、副ギルド長は周りをはばかりながら種明かしをしてくれました。
「実は、安全の為に出入り口の扉は武器の類の判別機能がついた、超帝国謹製の魔道具となっております。一定以上の殺傷能力のある武器は即座に探知する仕様でして」
「ほう、そんなものが……」
興味深げに入り口を振り返るシモン卿。
私もどんな仕組みなのか、機会があればバラして調べてみたいわねぇと心惹かれました。
一方、無言のままごつい手を差し出されたセラヴィは、しぶしぶ懐から取り出したカードを警備員さんに渡します。
「まったく。往生際が悪い。そんな物騒な武器をかかえて行けるわけはないでしょうに」
やれやれ……と、ばかり首を振るコッペリア。
そんな彼女の周りを警備員さんたちが取り囲むと、有無を言わさず抱え上げました。
「それでは、こちらの物騒な武器は退席後に返還するということで」
リストを確認しながらそう言う副ギルド長。
その背中に向かって、
「なんですか!? なんですか、ワタシは人畜無害な人造人間ですよ! 不当な待遇で――」
わめくコッペリアですが、屈強な男たちにワイヤーで雁字搦めにされ、そのまま『危険物保管所』と書かれた頑丈な扉の向こうへと担ぎ込まれて行きました。
「――ワタシがいないとクララ様が大変なことに! 知らずにかましてしまう人なんですよ!」
扉が閉まる寸前、非常に不本意な叫び声が聞こえてきましたが、当然無視します。
「それでは、こちらへどうぞ」
そうして、先頭に立つ彼に促され、私たちは――いえ、私は地獄へ続く階段へと足を踏み出したのでした。




