公子の頑張りと少女たちの鉢合わせ
たいへんお待たせしました。
新年第一作目です。
出掛ける為に礼装に着替え終えたルークだが、ふと姿見に映った自分の顔を見据えて、知らず知らずの内に眉根を寄せていた。
「……嫌な顔をしているな」
思わずそう吐き捨てる。
顔立ちそのものは一年前とそう変わっていないと思う。いや、家人や知己の友人達によれば、以前よりも大人びた……と言われるのだが、あまり自覚はない。
確かに身長は十セルメルトほどは伸びているけれど、それよりも気になるのは、本来の目鼻立ちの上に張り付いている憔悴と倦怠感である。薄く膜のように広がっているこれのせいで、どうにも冴えない顔に思えて仕方なかった。
「見るからに“疲れています”“悩んでいます”って感じかな。こんな不甲斐ない顔をジルに見られたら笑われそうだ。――いや、心配されるかな?」
どことなく色彩が薄くなったように感じる前髪を引っ張りながら、ひとりごちるルーク。金髪は普通なら年を経るごとにブラウンに近くなってくると思うのだが、心労のせいか逆に白に近づいてきている気がする。
「情けないな、僕は……」
と、鏡を前に百面相をして、最後に自嘲の笑みを浮かべたルークの姿を、背後に控える侍女のエレンが痛ましげに見詰めていた。
この一年近くの間、ジルの安否確認と所在の特定の為に精力的に動き回っていたルークだが、いまだ彼女に繋がる手がかりすら掴めていないのが現状である。
時間が経過するに連れて当初の希望と意気込みは徐々に色褪せ、代わって湧いてくる不安と絶望は、いかに払拭しようとしても澱のように心にへばり付き、だんだんと積み重なって存在感を増してきていた。
鏡越しに見えるエレンの沈痛な眼差しに気付いたルークは、一瞬後ろめたいような表情を浮かべ、軽く首を振って無理やり口許に淡い微笑を作り振り返った。
「大丈夫です。まだまだ希望は捨てていませんよ。ジルは生きています……そう神託があったと、太祖、いえ大祖母様から手紙が届いていますから、僕は信じています」
ジルがいなくなった直後、ルークは藁にもすがる思いで本国であるグラウィオール帝国の父と、自分の玄祖母でありジルの師匠にあたる太祖帝様、それと元家庭教師でジルの姉弟子にあたるクリスティ女史に一連の出来事を書き記した手紙を送った。
『――ジルは生きている。ただし簡単に帰ってこれない場所にいる。どうにかしたきゃ、そっちで石に齧りついてでも頑張りな』
半年あまり経過してから大祖母様から送られてきた書面の中身がそれであった。
やたら厳重な魔術封印がされていたそこには、一切の同情や憐れみがない代わりに簡潔にいま一番知りたい情報だけが書かれていた。あのお方らしい……と納得し、それゆえに信じることができたのだ。ジルが生存していることを。
「ならば僕は僕にできることをするだけです。たとえ道化と嗤われても、無駄な努力と嘲笑われても、僕は僕の大切なひとを必ず取り戻してみせます」
決意を込めて再度振り返った姿見の中には、先ほどまでの憔悴して切羽詰った青少年の姿はなく、替わって強い決意を感じさせる瞳を持った自分が映っていた。
「行きましょう。今日のお相手は彼のオーランシュ辺境伯です。あの人なら何かジルに繋がる手がかりを持っているかも知れません」
リビティウム皇国屈指の大貴族でありながら貫禄や威圧感など一切感じさせない、好々爺然としたオーランシュ辺境伯の顔を思い出しながら、ルークは馬車の待つ玄関先に向かって歩き出した。
その後に続きながらエレンが小さく呟く。
「オーランシュ辺境伯様……ですか」
「ええ。なんでも療養だったシルティアーナ姫が、来月から学園に転入されるそうなので、そのお祝いと久しぶりの顔合わせ、という名目で招待されました」
実際の心積もりはどこにあるのかは不明だが、おそらくはこの機会に再びシルティアーナ姫を通じて、自分とその背後に控える帝室とに誼を結ぼうという肚だろう。
「あのシルティアーナ姫とお会いになるのですか?」
「ええ、“あのシルティアーナ姫”です」
苦笑するルーク。
以前ほどではないが、それでも『リビティウム皇国のブタクサ姫』の悪名は健在である。
そんなルークに同情と憐憫の眼差しを送るエレン。
心に決めた最愛にして最良の姫君がいるのに、よりにもよって最悪の奇怪なブタクサ姫のご機嫌伺いをせねばならないとは、ある意味見上げた献身だろう。
労いの言葉を探していたエレンだが、ふと、そこで思い出した。
「……そういえばジル様はブタクサ姫の話題が出ると、いつも妙な顔をされていましたね」
「そうですね。たぶん何かあるんだとは思います……ジルが隠していた秘密が。ですから、先方でどこまで突っ込んでいいものか、手探りになるので難しいですね」
余計なことを言うと、藪を突いて蛇、どころかドラゴンが出てきそうな気がするが、それゆえに逆にジルに繋がる重要な手がかりがあるのではないか。そうルークは踏んでいた。
「気をつけてください、ルーカス様」
「――はい。性急に事を運んで、逆に足元を掬われては元も子もないですから、気をつけます」
自分に言い聞かせるようにそう言ってひとつ頷いたルークは、今度こそ背筋を伸ばして歩き出した。
◆ ◇ ◆ ◇
さて、食事を終えて店を出た私たちですが、その足でギルド本部へと向かうことになりました。
一騒動の後、全員あえて触れない形で何事もなかったかのように、まったりとお茶を飲みながら雑談をしていたのですけれど、そこで「……そういえば」とセラヴィが話題を転がした結果です。
なんでも昨日の『シドニア大迷宮』での顛末を一応窓口で報告した際に、一部の男性ギルド職員がやたらと目の色を変えて喰い付いてきたそうで、「できれば当事者としてクララ様にも詳細をお聞きしたい、ぜひお願いする」と熱心な要請があったとのことですが、何か問題でもあったのでしょうか。
「『あくまで個人的な興味』ウンヌン言ってたけど、副ギルド長まで出てきて、昨日の冒険者も参考人質疑をしたらしいし……なにが連中を突き動かしているのかはわからないけど、正直強制でもないし、対価が出るわけでもなさそうだから、断りたかったんだよなぁ」
「断るべきでしょうが。クララ様まで巻き込むたぁ、何のための肉壁だと思っているの愚民っ」
コッペリアの辛辣な非難に、セラヴィは反論しかけて……珍しく疲れた様子で、ぐったりとうな垂れました。
「いや、なんかおっさん連中の鬼気迫る迫力に負けて……。――あのハゲが」
そんなわけで、いつも以上に乗り気ではない様子のセラヴィでしたが、まあ嫌なことから目を背けるわけにも参りませんし、幸いここからなら歩いて行ける距離でしたので、食後の腹ごなしも兼ねてサクサク用事を済ませることにして、ギルド本部へ赴くことになったのでした。
「クララ嬢。よろしければ、目的地まで我が家の馬車をまわしますが?」
曇りひとつなく磨かれた革靴で歩きにくそうにデコボコ道を付いて来るシモン卿が、私の方を向いてそう提案してきました。
店の前でお別れするのかと思っていたのですが、なぜか面白がってついてきたのですけれど、この靴でこの悪路ですから、さぞかし歩くのに難渋していることでしょう。
と、気を利かせた従僕のエミールさんが、近くにいた護衛らしい男性に合図を送りました。
「いえ、お気持ちだけで結構ですわ。それほどの距離でもありませんし、なにより清貧を旨とする聖職者が町馬車ならともかく、貴族の方が乗るような立派な馬車でこれ見よがしに乗り付けるなど、鼎の軽重を問われますわ」
私の方でやんわりとお断りを入れたところ、エミールさんは立ち去りかけた護衛に再度合図を送ってそれを制します。
『どういたします?』
と視線で問い掛けるエミール氏に対して、シモン卿は無言で首を横に振りました。
「失礼。出すぎた申し出だったようですね。なるほど、こうして街をそぞろ歩きするのも一興ですな」
どちらかと言えば好意を無下に断った形ですので、私の方が謝るべきなのですけれど、即座にこうして如才ない対応をするのはさすがに紳士……もしくは大人の余裕というものでしょう。感心いたしました。
「いやー、シモン卿が必要なら不肖このコッペリア、馬車くらい用意しますよ。ま、クララ様との希望の兼ね合いがあるので、適当にその辺の荷馬車あたりを借りて来るつもりですが。ワタシが御者をしますので、クララ様は隣に座って、残りの全員が荷台というのはどうでしょうね?」
そこで大人気ない挑発をするのがコッペリアです。
ちなみにですが、『荷馬車の荷台に乗る』というのはある意味人として最大の侮蔑です。もしもそんな姿が誰かに見られたら、その人はもはや人間扱いされないでしょう。
もちろんコッペリアはわかって言っているわけですが――。
その不躾な態度に、シモン卿は軽く肩をすくめてスルーしましたが、さすがに従僕であるエミールさんは看過し得なかったようで、目に見えて不機嫌になりました。あわせて周囲の護衛たちの態度も不穏な気配をまとって来ています。
腰の剣や懐に手を伸ばして、じりじりと包囲網を狭めてきました。
「――コッペリア。いまさらですけれど、あまり失礼な態度はおやめなさい」
そもそもこの身分社会では、目上の相手に対してこちらから話しかけるのは無礼な行いとなります。
推定貴族のシモン卿に対しては、いちおう特権階級である巫女の私なら対等に話せますが、コッペリアはそのお付きの侍女です。普通であれば三歩下がって影も踏まないのが当然なので、普通であれば考えられない無礼な行いになります。
いまのところシモン卿が寛容な態度をとっているので問題になっていませんが、いきなり堪忍袋の緒が切れ――さきほど知り合ったばかりで沸点の位置が不明ですので、非常に不安です――「無礼者っ!」と一声叫んだ瞬間に、たちまち周囲を固める護衛役の明らかに正規の訓練を受けた猛者たちが、雪崩を打って襲い掛かってくるのは目に見えています。
「大丈夫です、クララ様。相手を怒らせて好感度を下げる。もしも攻撃してきたら事故に見せかけて始末する、この流れで万全です」
もの凄くいい笑顔でそう答えるコッペリア。
「そもそもですよ、こーんなヘッポコ雑魚たちが束になってかかってきたところで、高性能なワタシが負けるわけないじゃないですか!」
聞こえよがしな大言壮語に、周囲の殺気がもう少しで破裂しそうな段階まで膨れ上がります。
「ということで、遠からん者は音に聞け、近からんものは目にも見よ! やあやあ我こそは、クララ様の黒歴史を回避するため未来の世界からやってきた人造人――んがっ!?」
エプロンの四次元……もとい、収納ポケットから取り出したモーニングスターと青龍刀を両手に掲げ、コッペリアが声高らかに戦いの火蓋を切ろうとしたところで、私の平手とセラヴィの拳が同時にその後頭部を捉えました。
「おおおおっ……おーめん。なにをするんですか、クララ様!? あと愚民ッ」
ぐるりと一回転させた首を両手で元の位置に戻すコッペリア。
わッ! と周囲の野次馬がドン引きします。
「『なにを』じゃありませんわ! こんな街中で騒ぎを起こしたら、お世話になっているテレーザ明巫女様にもトバッチリでご迷惑をおかけすることになるのですから、少しは自重してください」
それからシモン卿をはじめ皆様方に頭を下げました。
「申し訳ありません。彼女は悪い子ではな……あ、いえ、少々頭の回線に不備があるモノですから、たまに奇天烈な戯言と行動をとる場合がありますが、できるだけ私のほうで手綱を引き締めるよう努力いたしますので、お許しいただけないでしょうか」
「……あ、いや、気にしていませんので、頭を上げてください。お前達も女性を相手に武器を構えるなど大人気ないぞ。さっさと持ち場に就け!」
シモン卿の叱責を受けて、武器に手をかけこの場に殺到しかけていた護衛たちも我に返り――まあ、コッペリアの首が回った段階で、全員気勢を削がれてはいたようですけれど――どこか釈然としない顔で、しぶしぶと元の位置に戻ります。
エミール氏も狐につままれたような、あるいは何か触れてはいけないものに触れてしまったような顔で、こめかみの辺りを押さえました。
「ところでクララ嬢、いまさら不勉強で申し訳ないのですが、これから向かうのは冒険者ギルドだそうですが、そもそも教団に在籍されている正規の巫女が冒険者を兼任するなどということができるのですか?」
見た目に反して案外と肝が据わっているのでしょうか。何事もなかったかのように私の隣についたシモン卿が、話題を変えて自然な態度で訊ねてきました。
「ええ、珍しくはありませんわ。冒険者はもともと危険と隣り合わせの職業ですので、治癒術を使える者が現場にいるに越したことはありませんから、教団と各ギルドとはお互いに協力関係にあります。また、私たち聖職者も奉仕活動や修行の一環として、現場に出ることが推奨されていますから」
私の説明にフンフン頷きながらも、
「しかし、希少な治癒術の使い手がわざわざ危険な場所へ……ましてや、貴女のようなたおやかな麗華が、冒険者のような成らず者と行動をともにするなど不都合はありませんか?」
やはりどこか腑に落ちないという様子で、シモン卿は首を捻ります。
「――ふん」
セラヴィが軽く鼻を鳴らしました。
親身になって私を心配してくれているのはわかりますが、私は温室の花ではありませんのでわりと大きなお世話といったところです。あと言葉の端々に冒険者を見下したニュアンスがあるのはご愛嬌でしょう。
なにしろ世間一般の認識では、冒険者というのは定職に就けない破落戸か違法労働者が、糊口をしのぐため体を張って日銭を稼ぐ、いわば最底辺の職業といったところで、ここから転落したならば、犯罪者か流人へと真っ逆さまないわば人生崖っぷちにある最後の砦……というのはさすがに大げさにしても、どこか見下されているのは確かです。
もしくは迷宮に潜っては財宝や秘宝を漁り、一攫千金を狙う山師の集団。あるいは魔物や盗賊の被害に喘ぐ被害者や貧者から、口八丁手八丁で金品を巻き上げる詐欺師の類……という、どちらにしても非常に胡散臭い相手、という認識が一般でしょう。
実際のところは、そうした不心得者はごく一部であり、大多数はきちんと冒険者ギルドに登録された契約者であり、仕事に関しては規定の対価で雇用され、それに見合った労力(雑用、採集、護衛、討伐、発掘など)に従事する勤め人に過ぎないのですが。
「世間では怪しげな職業と色眼鏡で見られていますけれど、職業に貴賎はありませんわ。例えば領内で小鬼の被害が出た場合、冒険者に仕事を依頼するのと、騎士を派遣するのとでは結果はともかく内容に雲泥の差があるではないでしょうか」
「どういうことでしょうか、それは……?」
騎士を派遣したほうが遥かに確実でスムーズなのでは? と言いたげなシモン卿ですが、私はいかにも苦労人らしいエミール氏の方をちらりと一瞥して、その反応を窺いました。
「勿論、冒険者と騎士とでは力量に明確な違いがありますが、小鬼程度であれば、規模にもよりますが通常の群であれば冒険者でも十分殲滅できるはずです。ですが、ここで問題となるのは戦果に見合った収支が得られるかです」
あっ、と合点がいった顔でエミール氏が膝を叩き、併せてシモン卿もそれに気付いたようです。
「ええ、そうですわ。騎士や兵士を派遣し維持するには莫大な費用がかかるのに対して、冒険者であれば僅かな手間賃のみで賄えます。これはどちらが優れているかではなく、適材適所というべきではありませんか?」
「なるほど、その通りですね。申し訳ない、蒙が啓かれた心持ちです」
そう言ってシモン卿は素直に私とセラヴィとに頭を下げられました。
それに対して軽く肩をすくめるセラヴィと、
「まあ、冒険者全般はともかく、愚民が与太者なのは自明の理ですが」
相変わらず空気を読まないコッペリアが胸を張ります。
「それにしても、この街の冒険者は果報者ですね。何かあってもクララ嬢のような羞花閉月にして文質彬彬な麗人に治癒をしてもらえるのですから」
貴族らしい過剰な言い回しでの褒め言葉に、面映い面持ちで軽く頬の辺りを掻きながら、適当に受け流そうとしますが、そもそもが私は元ブタクサ姫。
こういう直球で容姿を讃えられた経験値が少ないので、「いえいえ、私なんてそんな」と咄嗟に気の利いた受け答えができないでいました。
「その通りです! クララ様に治癒してもらうためにだけ、この街の冒険者の大半は“俺この戦いが終わったらクララ様に治癒してもらうんだ”と言って死地に向かうのがトレンドなのです!」
こういう時に余計な合いの手を入れてくるのは勿論コッペリアですが、いまは結構ありがたかったです。
でも、それがもしも本当なら、この街の冒険者って……。
そんな世間話をしながら歩くこと三十分あまり。
聖都の美観に配慮した白塗りの壁で飾られてはいるものの、どこか無骨な煉瓦造りの建物が見えてきました。
ここ聖都テラメエリタの冒険者ギルド本部です。
と、その正面玄関前に周囲の迷惑も顧みず、無理やり番長止めで停車している二台の大型馬車がありました。
片方の黒塗りの馬車に描かれた紋章を見て、エミール氏が目を細めます。
「おや、あれは確かインユリア公国の……それと、シモネッタ公女殿下の家紋ですね」
私の方ももう一台の見慣れた白塗りの馬車を目にしてため息をついていました。
「あれはイライザさんの専用馬車ですわね」
両方ここにあるということは、両者ともギルド本部に用事があって訪れている。つまりは玄関先で出前がかち合った気まずい状態ということでは……?
「これは少々キナ臭い予感がしますな」
どこか愉しげにそう呟くシモン卿ですが、私としてはこの場で回れ右をしたい気持ちでいっぱいでした。
荷馬車の荷台に乗るのがNGなのはアーサー王物語を参考にしています。
確か円卓の騎士のひとりが(ランスロットだったかな?)とある城に潜入するために、変装して荷馬車に乗っていたのですが、それを見咎められ城内に入るのを断られ、どうにか仲間のとりなしで入れてもらえますが、一緒の食事をするのを嫌がられて一人、台所の隅で冷めたご飯を食べる話でした。
1/17 間違った日本語を訂正しました。
×戦いの火蓋を切って落とそうとした→○戦いの火蓋を切ろうとした
1/17 誤字を訂正しました。
×持ち場に着け→○持ち場に就け




