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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第四章 巫女姫アーデルハイド[14歳]
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青年の従僕とライバルの襲来

大変遅くなりました。

今年最後の更新となります。

 乾杯を終えると待ちきれないとばかり、テーブルひとつをほとんど占有する大皿の上で、ほかほかと湯気を立てて鎮座する、こんがりと焼かれた“グロースナックトシュネッケ(別名:ユニス大蛞蝓(おおなめくじ))”に手を伸ばすシモン氏。


「――おっ? と失礼。これはどうやって食べるものでしょうか、クララ嬢?」

 と、そこで小皿を片手に怪訝な表情で訊ねられました。


 これが貴族のパーティや高級レストランでしたら、給仕がその場でカットしてくれるのですが、こうした場末の食堂でそんな気の利いたサービスがある筈もありません。

 そもそも、この辺りの客層だとナイフやフォークといった金属食器を使う習慣もありませんし、下手に出すと持ち逃げされる心配もあります。必然的に弱肉強食……豪快に手掴みで千切って、早い者勝ちで食べるのが一般的なのですが、いかんせん、いかにも上流階級出身のシモン氏が思い当たらず、戸惑うのも無理はないことでしょう。


 とはいえ、なぜ私に水を向けるのかしら?……と、内心で首を傾げながら、私は野菜ジュースの入った陶製のコップをテーブルに置きました。


 コッペリアが「ナンパですよ、ナンパ。放置しておくといつか妊娠させられますよ」と、極論を囁いていますが、例によって聞こえないフリをして、

「切り分けますわ。荷物からナイフとフォークを出してください」

 私物の食器を使おうと、鞄を持っているコッペリアに掌を向けてお願いします。


 以前は荷物は何もかも『収納(クローズ)』の魔術で亜空間に入れていたのですが、この時代に転移した際にすべて行方不明になったため、現在は用心のためにある程度の小物やお金は、コッペリアと分担して持つ形にしています。


「はいっ、肉を切ったり刺したりする道具ですね。お待ちください……あ、ワタシが切り分けますので座っていてください、シモン卿(サー・シモン)


 いかにも気を利かせた……という風情で、コッペリアが人間の首でも落とせそうな牛刀と、綺麗に磨かれた三叉槍を手にして立ち上がりました。

 反射的にその手首をガッシリ掴んで止める私。


「――なんですか、クララ様?」

「いまから合戦にでも向かうつもりですか? それと、その手首から見える瓶の中身はなにかしら?」


 メイド服の手首のところから、なにやら緑色で粘着質の液体の入った小瓶が顔を覗かせています。


「……。隠し味の特製調味料です」

「へえぇぇぇぇ。興味深いですわね。一口味見してもよろしいかしら?」

「……クララ様、神経毒の解毒ってできますか?」


 やっぱり毒でしたわね。


「面倒臭いな。こんなもん、適当にナイフで切って、手で喰えばいいんだ」


 私たちがお互いの手首を抑えようと――見た目は女の子同士の戯れですが、事実は死線を分ける死闘です――牽制し合っているその間に、セラヴィが腰に差していたごついナイフ(主に獲物の解体用)を引き抜いて、大雑把に肉の塊をスライスしました。

 

「これはこれは……豪快ですね」


 木皿に載せられた厚さが十セルメルトはありそうな、一見すると分厚い一枚肉のステーキに見えるそれを前に、シモン氏が軽く目を見張ります。


「これを手で千切って食べるのですか? いやー、城の料理人や口煩い私の従僕が聞いたら卒倒しそうですね。あちちっ……おお、美味い!」


 目を細めて野趣溢れる料理に舌鼓を打つシモン氏――いえ、うっかり漏らした『城』という言葉から想像するに、やはり貴族の道楽息子でコッペリアが言うように、『シモン卿(サー・シモン)』と呼ぶべきでしょう――の危なっかしい手つきを眺めていた私は、なぜかその右手中指に嵌められた指輪に目を惹かれました。


 男性向けのシンプルな指輪ですが、その形状と彫られた家紋をどこかで見たような……実家であるオーランシュ辺境伯家の家紋に似ていますけど、もっと簡素な廉価版といった感じがいたします。


 ひょっとすると関係あるのかも? と、意外な健啖ぶりを発揮してぺろりと一枚肉を平らげ、さらにお代わりに手を伸ばしいるシモン卿を訝しんだところ、不意に店の入り口の扉が開く音とともに良く通る声が響き渡りました。


「こちらにいらしたのですか、殿(でん)……若君」


 見れば年の頃は二十代半ば、癖のある褐色の長髪をした生真面目そうな青年が、真っ直ぐにシモン卿を見据えて、靴音も高くこちらへと向かって来ます。

 着ているものはツイードのジャケットにグレーのトラウザーズという無難な着こなしですが、どこか制服めいた印象があるのは、当人のまとういかにも『執事』もしくは『文官』という雰囲気に起因するものでしょう。


「なんだ、エミール。もうここを嗅ぎつけたのか」


 料理を口に運びながら、シモン卿がゲンナリした顔で青年を見返します。

 それから私の方へ目配せして、「いま噂した口煩い従僕です」と付け加えました。


 その従僕――エミール氏は、いまの囁きが聞こえたのでしょうか、軽く眉間に皺を寄せて、

「……まったく。御者と護衛を置いてどこに行ったかと思えば、このような下賎な」

 言いかけたその瞬間、『下賎』扱いされた店内一杯に殺気が充満しました。


 食事中の傭兵らしきリザードマンや、冒険者らしい獣人がさり気なく武器に手をかけ、ついでに言えば厨房の奥から分厚い中華包丁の切っ先が覗いています。


 もともと場違いな人間の不用意な一言です。

 もしも続けて失言をすれば、この不満の感情は簡単に爆発するでしょう。


 思わずあまり当てにならない聖女に祈りの言葉を捧げたところで、

「――いえ、地理も不案内な場所で単身お出かけになるなど、無用心過ぎます」

 さすがに危機意識が働いたらしく、表情も変えず即座に言い換えたエミール氏。


 さすがは貴族の従僕。その変わり身の速さと厚顔さは並ではありません。


「そうは言っても、店の前にあの派手な馬車で、これ見よがしに乗り付ける訳には――っと、まさかここまで馬車を引っ張ってきたわけではないだろうな!?」

 慌てた様子で身体を伸ばして、店の入り口に掛けられた(西部劇に出てきそうな)スイングドア越しに、表の様子を窺うシモン卿。

 

「それこそまさかですね。あんな小奇麗なだけで軍用馬車でもないシロモノなど、襲ってください盗んでくださいと宣伝するようなものですので、一区画先の係留所に預けて、念のため護衛の半分を置き、残り半分を伴って歩いてきました」

「そうか……それにしても、よくここがわかったな」

「『若い貴族風の格好をしたおのぼりさん』で、道すがら住人に銅貨を渡しながら訊ねたところ、あっさり追跡できましたよ。余程目立っていたのでしょうが、カモにされなかったのは幸運ですね若様。それにしても、なんだってまたここへ――?」


 ジロジロと無遠慮に猥雑そのものの建物の内装や料理、食事中の亜人や脛に傷のありそうな常連客の顔を眺めるエミール氏。

 その視線が、シモン卿と同じテーブルに着いている私たち――と言うか、私の顔――に移ったところで、なぜか硬直しました。初対面の相手によく見られる反応なので、気にしないようにして野菜ジュースを口に運ぶ私がいます。


 やがて、時計の秒針が一回りするほどの時間が経過したところで、

「……なるほど。つまりはそういうことなんですね」

 猛烈に合点がいった顔で何度も頷くエミール氏。


「――ご、ごほ! おいっ。なにか邪推しているようだが、私がこの店に足を運んだのは、あくまで噂に聞く珍味を味わう為で、彼女との出会いはたまたまの偶然だぞ!」

 途中で食事が喉に詰まったらしい、シモン卿が軽く咳払いをしました。


「大層な珍味もあったものですね。確かに若様が双方を気にかけていらしたのは承知していますが、いささか軽率では?」

 どことなく軽蔑したような視線を主に向けるエミール氏。


「……ま、確かに珍味だよな。二重の意味で」

 付け合せの馬鈴薯をつまみながら、セラヴィが誰にともなく呟きます。


「……グロースナックトシュネッケのお話ですわよね?」

「クララ様がそう思うのならそうじゃないですか。けぷっ」


 なぜか矛先が向けられているような……微妙に居た堪れない雰囲気に、思わず小声で確認すると、コッペリアはグラス一杯の食用油を飲み干して、噯気(おくび)混じりに投げ遣りに答えました。


「何か含みがありそうな言い方ですけれど――」

 と、重ねて訊ねようとしたところ、騒々しい轍の響きとともに、見覚えのある白塗りの馬車が店の前に横付けされました。


「なんだありゃ?」

「邪魔だな」

「どこの世間知らずだ」

「ああ、気にくわねぇな」


 出入り口に止められた明らかに場違いな大型馬車を目にして、店内の人間(人間以外も多数存在しますけれど)が一斉に眉を顰めます。


「……まったく、ひどい場所にあるわね」


 続いて御者が恭しく扉を開くと、数人の巫女見習いを連れた巫女装束の美少女が馬車から降りてきました。


「あら? イライザさん」


 遠くから見ても目立つ、金銀宝石をあしらった派手なアクセサリーで全身をコーディネイトした気の強そうな正巫女は、集まった物見高い近所の野次馬や思わず立ち上がって注視する周囲の客を一瞥することなく、我が物顔で店内へと足を踏み入れます。


「お知り合いですか?」

「ええ、まあ……職場の同僚みたいなものですわ」

 シモン卿の問い掛けに曖昧に答えます。


 幸いと言うべきでしょうか。他のお客さんが壁になっているお陰で、イライザさんは店の奥にいた私には気がつかなかったようでした。


 そのまま傲然とカウンターまで足を踏み入れると、厨房にいた店主を呼びつけました。


「よろしいかしら。来週、わたくしは大切なお客様のご案内をしなければなりません。そのお相手がこの店の名物料理に並々ならぬ興味がおありとのこと、本来であればこのような下町の料理人風情が聖堂の厨房に入るなどあり得ないことですが、特別の計らいで許可を致します。当日、お客様にお出しする料理を一品作りなさい」


 ものの見事な上から目線の強要に、目に見えて周囲の空気が悪くなります。

 とはいえ、先ほどのエミール氏に対するのとは違って、聖都内で教団の巫女相手に喧嘩を売ることはさすがにないようですが……。


「ただでさえ教団と亜人、獣人とは水面下で衝突しているというのに、アウェーで余計なフラストレーションを掛けるのかしら?」


 思わず愚痴る私とは対照的に、イライザさんのまったく相手の意向を忖度(そんたく)しない要求が続きます。


「準備と後片付けを含めて三日もあればいいでしょう。もちろん報酬の他に休業中の補償も十分に」

「悪いが断る」


 太い声があっさりとイライザさんの長口上を遮りました。


「――は?」

「断ると言っているんだ。どこのどなた様だろうが関係はない。俺の料理が食いたければここまで喰いに来い。そうすりゃ客だ」

「なっ!?」


 絶句するイライザさんに対して、野良犬でも追い払うかのように手が振られます。


「客じゃないならさっさと出て行ってもらおう。あと、店の前に馬車を停めるな。邪魔だ」

「………」

 唇を噛んでワナワナ震えるイライザさん。


「――あ、あなた、このわたくしを誰だか判って言っているの?! それと、料理をお出しする相手は、北部域でも屈指の大国であるオーランシュ王国のコルラード王子ですわよ! 当日には最高の厨房、最高の食材、最高の調理器具に調味料も使い放題よ! 料理人として最高の名誉だと思わないのかしら!?」

「俺にとってはこの店で、好きなように腕を振るって、俺の料理を美味いと言ってもらえるのが最高の名誉だ」


 気負うでもない自然体での啖呵に、周囲から一斉に喝采の声が上がりました。


「偏屈だなァ。けど、嫌いじゃない」

 セラヴィがグロースナックトシュネッケの切り身に手を伸ばして、「うん。美味い」と口一杯に頬張りながら笑みをこぼします。


「そうですわね」

 確かに偏屈ですが、相手の身分や地位によって態度を変えることのない。料理人として一貫して筋の通った姿勢は尊敬に値します。なにより――イライザさんにはお気の毒ですが――小気味よく思えますから。


「なるほど。態々足を運んだ甲斐がありましたね」

 シモン卿も感慨深げに頷いて、再び料理に手を伸ばしました。


 そうしている間に、真っ赤になって棒立ちでプルプル震えるイライザさんを、取り巻きの巫女見習いたちが宥め透かし、どうにか店の外へと連れ出しました。


 ほどなく馬のいななきとともに馬車の扉が勢いよく閉まる音が、通り一杯に響きました。

 重々しい馬車の蹄の音が遠ざかるのに併せて、店内の緊張が抜けてぐったりと弛緩した空気が流れます。


「……やれやれ、思いがけない来訪者だったな」

「コルラード王子の案内をすると言っていましたが。そうしますと、彼女が聖女教団の麒麟児と呼ばれたバーバラ=イライザ様でしょうか?」


 なんとなくシモン卿とエミール氏に視線で問い掛けられているような気がしましたので、私は素直に頷いておきました。


「そうですわ。さすがはイライザさん、遠い他国へもお名前が知れ渡っているのですね」

「ええ、まあ……一般信徒はともかく、社交界(サロン)などでは知る人ぞ知る有名人といったところですね」

 微妙にふたりとも言葉を濁します。


 続いてセラヴィとコッペリアが聞こえよがしに、

「まあ、三十年後には名前も残らない程度の期間限定有名人だけどな」

「小物界の大物って奴ですよ」

 そうイライザさんを辛辣に評しました。


「なるほど、なるほど。実に参考になります」

 訳知り顔で何度も頷くエミール氏。

「それにしても、コルラード王子の嗜好などよく把握しているものですね。餌付けする魂胆だったようですが、情報の流出ルートが実に気になります」


 妙なことを気にする方ですが、貴族社会というモノは鵜の目鷹の目、なおかつこの程度の目端が利くのが当然なのかも知れませんわね。と、先ほど目にしたシモン卿の家紋を思い出しながらそんなことを漠然と思いました。


 と、そこへ――

 重々しい馬蹄の音とともに大きな馬車が再び店の前に横付けされ、官服を纏った中年男性が傲岸な態度で下りてきました。


 店内にいた全員が不愉快な既視感(デジャヴュ)を覚えて渋面になっているのを斟酌しないで、男性は開口一番、

「私はインユリア公国の書記官である! 光栄に思うがいい。シモネッタ公女様の要望により、この店の名物料理を、来週の晩餐会に――」

「出て行け――――ッッッ!!」

 途端、厨房からの絶叫とともに煮えた熱湯がぶちまけられました。

今年一年『リビティウム皇国のブタクサ姫』をご愛読いただきまして、まことにありがとうございます。

来年もがんばって更新をして、無事に着地できるよう心がけたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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『リビティウム皇国のブタクサ姫』2015年書籍化が決定しました。

詳しくは活動報告で。

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