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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第三章 学園生ジュリア[13歳]
125/337

聖女の囁きと執着の結末

申し訳ありません。どうにか11月中に滑り込みで更新できました。

 耳を塞ぎたくなるような鈍い音をとともに、イゴーロナクの杭のように伸ばした腕の切っ先がセラヴィの胸の中心を貫通しました。


 つまらないモノを貫いた……とでも言うように、その腕が即座に引き戻され、今度は湿った音とともに傷口から夥しい血が流れ、

「ぐふ…………っ」

 小さく呻いたセラヴィの口からも鮮やかな鮮血が流れ落ちます。


「い…いや……セラヴィ……セラヴィ……」


 自分の口から出たとは思えないほど、弱々しくて言葉にならない悲鳴がこぼれます。

「いや……」「い――ょっしゃーっ! よくやった、愚民!」

 隣でコッペリアが文字通り血も涙もない喝采をあげていた気がします。それと、セラヴィから流れた血の飛沫が私の顔や髪にかかったようですが、そんな些細なことはまったく気にはなりませんでした。


 ただただ、突然の凶行に私は取り乱すだけだったのです。


「……ったく。なんで咄嗟にこんなことしちまったんだ」

「ご、ごめん…なさ…い……」

「そんな顔するな。俺が勝手にやったんだ。案外、俺も……」


 私の顔を見て苦笑――いえ、自嘲でしょうか?――したセラヴィですが、何か呟いたところで唐突にスイッチが切れたかのように、目を閉じてその場に膝から崩れ落ちました。

 当然、抱え上げられていた私もまた地面に投げ出されます。


 何も考えずに即座にその場に半立ちになった私は――もう体力などないと思っていたのですが、人間土壇場になれば意外となんとかなるものです――魔法杖(スタッフ)をセラヴィの傷に向け、反射的に早口で治癒術の詠唱をしていました。


「“大いなる癒しの手により命の炎を燃やし給え”――“大快癒(リジェネレート)”」

 まったく発動しない高位治癒術に唇を噛んで、下位の術に切り替えます。

「“我は癒す、汝が傷痕を”――“治癒(ヒール)”」

 一瞬だけ魔法杖(スタッフ)が光りましたが、それだけです。

「“我は癒す、汝が傷痕を”――“治癒(ヒール)”」

 体の奥――丹田のあたりが引き攣ったような痛みとともに僅かに魔力が搾り出されましたが、術として構成される前に霧散してしまいました。

「“我は癒す、汝が傷痕を”――“治癒(ヒール)”」

 空気中の魔素(マナ)を摂り込もうとしましたが、ほとんど吸収できません。


 ふと(いまさら)思い出して『収納(クローズ)』の魔術で仕舞っておいた霊薬(アムリタ)をありったけ取り出して、惜しげなくセラヴィにかける――少しだけ流血が収まって、消えかけていた呼吸が心なしか持ち直した気がします――一方、私も一本呷って魔力の回復に努めました。


「“治癒(ヒール)”」

 その瞬間、ガクン、と頭を殴られたような頭痛がしました。

「“治癒(ヒール)”」

 猛烈な吐き気とともに一瞬意識が途切れました。

「“治癒(ヒール)”」

 手の先から氷のような冷たさが全身に広がり、視界が薄闇に染まってきました。

「“(ヒー)”……」

 真っ暗な中、治癒術を施そうとする意識だけが残ります。


「クララ様、もう無理です。いくらポーションでも一度に回復できる魔力量には限界がありますし、そもそもご自身が衰弱している以上、生命活動を維持できるよう効果はそちらに優先的に回るわけで、他人に譲渡できるほど魔力が回復できる筈がありません」


 コッペリアのこの期に及んで冷静な分析に、どうにもならない苛立ちが爆発して、弾かれたように顔を上げて睨み付けたところで、それが虚しい八つ当たりなことに気が付いて、私は奥歯を噛み締めて、なにか……何か方法はないか思案します。


 とにかくこの場から離れて誰か治癒できる人間に治癒術をしてもら……だめ、もう皮膚が紫藍色になってチアノーゼが出ている。いまから探して見つけても、この様子では最低でも大快癒(リジェネレート)を使ってどうにか治せるかどうかといったところでしょう。

 アレを使えるのは私の治癒術の師である獣人族の大巫女様か、ホンの数人と聞いています。聞きかじりですが、この聖女教団の本拠地であるユニス法国の方が治癒術は進んでいるとはいえ、それでもその辺にいる治癒術師や簡単な手術程度しかできない町医者では治せない状態なのは一目瞭然です。


 ならば薬で……と言いたいところですが、ファンタジーにありがちな死者すら復活させる『完全回復薬(エリクサー)』などという都合の良い薬は寡聞にして存じません。

 ついでにいうならどんな病気にも効果のある『回復薬』や、どんな毒も無効にする『解毒薬』などというものもありません。私がレジーナから習った魔女の霊薬(アムリタ)は、あくまでその病状や毒の種類に応じて処方する真っ当な薬ばかりで、劇的な変化をもたらすようなものではありません(さっき使ったのは生命力と魔力を強化する薬です)。


 いっそいまこの場で治癒や治療は断念して、まずは延命を心がければ……例えば氷魔術で仮死状態にして、誰か高位治癒術を使える術者か私が回復するまで待つとか。……できるわけがありませんわ。漫画じゃないのですから凍らせたら細胞が破壊されて即死するに決まっています。私の手でトドメを刺したら本末転倒も良いところです。そもそも死んだ人間を生き返らせるなんて、それこそ伝説の聖女スノウ様でもなければ無理な奇跡でしょう。


 どんどんと顔色が悪くなって自発呼吸すらままならない様子のセラヴィを前にして、私の理性と感情は千々に乱れて万華鏡のように形にならずに、欠片のままグルグルと渦巻いていました。


「どうすれば……何をすれば……?!」


 自分がこんなに無力だと自覚させられたのは、数年前の転移門(テレポーター)事件で遭遇したヒューバータと、それで瀕死になったフィーアの時以来です。

 いえ、少なからずあれから研鑽と修行を重ねて、自信をつけていた今の方がより衝撃が大きいかも知れません。


 ――私はなんて無力なんでしょう。目の前にいる人ひとり救えないなんて……。


 そんな風に煩悶していたこの時間――私の中では長いようにも短いようにも思えましたが、実際は数秒のことだったようです。


「――残り三十九秒。とりあえず愚民はワタシが担いで運びますので、クララ様はこの場から退避することを優先してください」

 傍らに片肘を突いたコッペリアが、背中を向けてそう提案してくれました。


「え……? セラヴィを助けてくれるの?」

 いままでの邪険な態度からは思いも寄らないその言葉に、思わず半信半疑の口調でそう訊ていました。


「いや、さすがに死者に鞭打つとかはしませんよ。故人に対して不謹慎ですから」

 心外そうに答えるコッペリア。

 良いこと言っているようですけど、……いやいや、まだ死んでませんわ! その台詞が不謹慎そのものです!


 そう抗議する前に、横合いから陰々滅々たる声が響きます。

『……くくくっ、しくじったかと思えば、その取り乱しぶりは瓢箪から駒だな。己の無力を知って嘆くか、聖女よ。悲憤に暮れる貴様の涙は心地よいぞ』

「イゴールッ――っぷへへへへ………あばばばばば!!」


 咄嗟に私たちとイゴーロナクの間に立ち塞がったコッペリアが一撃で殴り飛ばされ、首を三回転させながら結界から弾き出されて、そこで落雷に当たってこれでもかというほどヘロヘロになりました。


 倒れ込むコッペリアにはもはや興味をなくした様子で、崩れかけの結界を踏み越えて、私のすぐ前に立ったイゴーロナクは、虫の息で横になるセラヴィと、その彼を抱え込むようにして地面に横座りする私とを見比べ、元の原形もとどめていない崩れかけた顔を歪めました。


 はっと気が付いた時には、伸びた隻腕が私の首を掴んで、大根でも引き抜くように悠々と持ち上げられ、無理やり目線を合わせる高さへ吊り上げられていました。


「かはっ……ぐっ……」

 首を絞められ、素肌に爪が喰い込み、私は苦しみと痛みとで呼吸もままなりません。


『……くだらん座興だが、そのくたばり損ないを先に始末してやろうか?』

「や……や…め……」


 片脚を持ち上げて、意識のないセラヴィの頭の上に乗せるイゴーロナク。その気になれば人間の頭など、熟柿のように潰すのは容易いことでしょう。

 必死に止めようと懇願する私の声が聞こえたのか、それともその様が余程見苦しいのか、首にかかる圧力が増し、尖った爪の先がより深く私の首に喰い込んで、流れた血潮がぬらぬらと地面やセラヴィの顔に掛かりました。


『くだらんくだらんくだらん! これがあの孤高にして典雅たる聖女の成れの果てか!?』


 さらに戒めがきつくなり、呼吸困難から目の前が真っ赤に染まって見えます。


『情に流されて路傍に転がる小娘ではないか!』

『これが我が追い求めた天上の星か!?』

『いかに手を伸ばそうとも届かぬ煌きだったのか!』


 ぞっとするようなその恨みの声は、肉声ではなく喰い込んだイゴーロナクの指先から伝わってくる念話の類だったのでしょう。

 無念と未練に塗れたやけに明瞭な声でした。


『なぜだ! なぜ貴様はこんな人間を気にかける!?』

『なぜ、こんな無力な小僧のために血を流し、我――私から離れたのだ!』

『なぜ私にはなにも与えられなかったのだ!?』

『私の方が遥かに優れているのに!』

『お前とともに歩む為に、人間の枠を超えた!』

『魔道を極めた!』

『何を犠牲にしても構わなかった。すべてはお前を手に入れるためだ!』

『だが、お前はいつも私など眼中に入れなかった』

『追い求めても振り向かず。常にくだらん人間どものことばかり気にかけていた!』

『なぜ私ではいけなかったのだ!』

『私こそ相応しいのに!』

『お前を手に入れるのは私の役目である筈なのに!』

『だから壊してやった』

『お前の居場所、隣人、大切なモノすべてを!』

『お前は私のものだ!』

『余計な付属品はいらぬ!』


「……そんなものが……貴方の本心だというの」

 私の口から掠れた呻き声がこぼれ落ちます。


 要するにイゴーロナクが〈不死者の王(ノーライフキング)〉と成り、暴虐の限りを尽くし、聖女を厭うような言動をしていたのは、自身を越える力を持った聖女に対する嫉妬でも、封印された恨みでもなんでもなくて、単に聖女を恋慕する執着――それが叶わぬための憂さ晴らしと逆恨みでしかなかった。そういうことでしょう。


「なんて、愚か……いえ、浅ましいの……」

 剥き出しになった思念から読み取れるイゴーロナクの欲望と憎悪の根源に触れて、私の中に謂れのない虚脱感と、そして小さな憤怒の火が灯りました。


 イゴーロナクは私を吊り上げたまま延々と呪詛にも似た恨み言を続けています。

『だが、なんだこの体たらくは!?』

『お前はもっと輝いていなければならん!』

『私が手に入れるべき存在とも思えん!』

『地上に降りて堕落し汚濁したこんなお前など』

『不愉快だ! 目障りだ! 見るに耐えん!』


「……冗談じゃないわ。女の子に勝手な理想を押し付けるんじゃねーわよッ」

 自己陶酔に耽るイゴーロナクを目の前にして、私の中に生じた小さな火はたちどころに噴き上がる炎と化して、心を支える新たな活力となりました。


 猛烈な怒りの感情のままに、私はイゴーロナクに罵声を浴びせかけます。

「ヴィクター博士は劣等感から禁断の研究に手を染めた。それは間違った選択だったけれど、それでも自分を高めて周囲に認められようとする真っ当な動機だったわ。だけど貴方は違う、自分の事しか考えなくて周囲や相手の都合を一切考慮しなかった。まるで駄々をこねる子供じゃない! いくら才能や能力があっても、それをコントロールする自制心がなければ無意味よ。そんなこともできない、わからない自己中心的な馬鹿が、誰かを好きになる資格なんてないわ、逃げられて嫌われるのが当然じゃないの――改めて言うわ、貴方はとことん小さくて狭量な負け犬よ!!」


『黙れ、黙れ、黙れ――――っ!!』

 イゴーロナクは醜く顔を歪めて喚き声を上げると、激情のままに私の首を絞める手にさらに力を込めてきました。


「――かはっ……」

 大きく開いた口の中に錆びた鉄のような血の臭いが広がります。私自身の血なのか、それとも頭から被ったセラヴィの返り血が口に入ったものかはわかりませんが、万力のような戒めを前に意識が遠のき、呼吸すらままならず、私は次に訪れる死を確信しながら……それでも自分の信念と怒りを瞳に込めて、イゴーロナクを真っ直ぐに見詰めました。


「……死んでも、お前なんかに……負けるもんですか!」


 こんな力を欲望の為にしか使わず、他人を犠牲にすることを厭わない相手に屈服するのだけは認めることはできません。

 なぜならブタクサ姫と呼ばれた過去の自分を恥じて、懸命に努力を重ね、おそらくは巫女姫と呼ばれる母クララに匹敵する能力や外見を得たであろう現在の私の……シルティアーナの自制と忍耐、そして当初の自戒を忘れないで、天狗にならないように配慮していた生き方すべてを否定するようなものだからです。


 それに何より、我が身の危険も省みずに、この地に残ってくれたエレン、ルーク、リーゼロッテ、ヴィオラ。――そして、何の見返りも求めずに私を守ってくれたセラヴィの献身に報いる為にも、大きな力を持ちながら、それに伴う自制心と責任感など一切持たない、こんな身勝手な相手に負けるわけにはいかない。そう切実に思いました。


「――こんな、他人を思いやる……心構えも理解……できない我儘な馬鹿に…なんてっ」


 ぎりぎりと歯を食いしばり、口の中に溜まった血を飲み下しながら、胸に残った最後の吐息とともにそう啖呵を切ったところで、遂に私の意識は暗転して、そのまま無明の闇へと沈んで……沈んで……沈み……。


 ――どくん!


 と、心臓が一度大きく高鳴り、私の中の奥深いところで何かのスイッチ――いえ、どこかに通じるパスのようなもの――が繋がったように感じ、不意に全身の血が滾るように熱くなり、同時に私の意識に寄り添うように誰かの力強くて優しげな声が響き渡りました。


 ――よく言った! そう、その通りだね。


 ふと、誰かが母親のように柔らかく私の頭を撫でてくれたような、そんな気がしました……。


『うん? なんだこの魔力の流れは? どこから――』


 イゴーロナクもこの変化に気が付いたようで、怪訝そうな表情で僅かに手の力を緩めた――その刹那、

「“地槍(アース・ジャベリン)!”」

 いつの間にか地面に散乱していたセラヴィの(カード)から、円錐形の石の槍衾が飛び出して、イゴーロナクの隻腕に殺到し、その衝撃で私を解放してくれました。


『なに……?!』

 状況を理解できずに一瞬棒立ちとなるイゴーロナク。自信過剰な人間ほど、こうした不測の事態に対応してアドリブをこなせる柔軟性がないものですわ。と、頭の隅で思いました。

 

「“雷光をたばねる大いなる天龍よ、偉大なる雷帝の御名において眼前の敵を薙ぎ払いたまえ”」

 足元から響く詠唱の声に、はっと気が付いた時には遅く、

「汚ねえ足を乗っけるんじゃねえ!!――“爆雷(ライトニング)”」

 いつの間にか意識を取り戻していたセラヴィが握り締めていた(カード)の束から、凄まじい勢いで上に向かって雷が駆け上がり、爆発するように空中に投げ出されたイゴーロナク。

 さらには最初の雷撃が呼び水となったのか、そこへ周囲の落雷が殺到して、空中へ宙吊りの状態のままなす術もなく雷の集中砲火を浴びます。


『ぐああああああああああああああっっっ!!!!』

 魂ぎる絶叫がイゴーロナクの全身から発せられました。


「――けっ。ざまーみやがれ……」

 仰向けに倒れたままのセラヴィが会心の笑顔を浮かべて、中指を立てて空中に磔になっているイゴーロナクへ言い放ちました。さっきまで三途の川を泳いでゴール手前だったのに、なんでこんなに元気なんでしょう、この人?

 と、呆然としている私の方を向いて、セラヴィは顔一杯に流れ落ちていた私の血を舌で舐めとりながら、今度は親指を立てました。

「いまだ、ジル。トドメを刺せ!」


「は、はい」

 私自身酸欠から解放されたばかりで朦朧としていたのでしょう。前後の状況を不審に思う間もなく、言われるままに魔法杖(スタッフ)をイゴーロナクに向け、魔力を収束……させようとしたところで、すでに空っぽなのに気が付いて、大いに慌てたところで――。


 ――少しだけ手伝ってあげるよ。君に与えた私の血が活性化しているいまなら、あと一発くらいは浄化魔法が使える筈だからね。


 またもやどこからともなく響いてきた声に導かれるようにして、私は無我夢中で魔力を練り上げ……いえ、全身の血流に併せて湧き出した魔力に方向性を与えて、浄化魔法へと転換させたのでした。


「“天鈴よ、永久(とこしえ)のしらべ持て不浄なる魂を冥土へと送還せよ”」


 さすがにこの消耗した状態で浄化魔法を浴びたらどうなるのか。私以上に魔術に精通しているイゴーロナクは即座に理解したようです。

『や、やめろ!』


 怯えたような目で、掠れた呻きを漏らします。

『やめろ! いいのか、いま私にかまけていては、貴様らもこの結界から脱出する機会を失うのだぞ!?』


 そうでしょうね。カウントダウンをしていたコッペリアが黒焦げで、「けっけっけ、まっくろけっけ!」と壊れた歌を歌っているので、もはや残された時間がどれほどあるのか不明ですが、おそらくはいまから逃げるヒマなどない筈です。

 ならば、私にいまできることをするのみ!


『やめてくれーっ!』

「これで本当に最後よっ。――“浄化の光炎(ピュリファイ)!”」

『ぎゃああああああああああっ!』


 なぜか普段の黄金色ではない朱金色の炎がほとばしり、イゴーロナクの全身を覆い尽くすと、その光炎を浴びたイゴーロナクの全身がボロボロと崩れ落ち、断末魔の悲鳴を上げました。


 ――正直、彼の才能は惜しいと思っていたんだ。


 その姿と叫びを前にして、私に寄り添う誰かが寂しげに囁きました。


 ――だけど彼は大きな力を持っても、それに伴う責任を果たそうという気がなかった。その間違いに気が付いて欲しくて、封じたんだけれど結局は歪みを増大させる結果になった。それは私の責任だね。


 慙愧の念が伝わってきます。ついでにいえば、イゴーロナクを封じていた封印の概要も。

 あれはイゴーロナクを滅するものではなく、本来は時間をかけて彼の妄執や負の怨念を浄化して、真っ当な人間に戻す還元式だったのです。ですが、結局のところそれは果たせず、いたずらに憎悪と狂気を増大させるだけになってしまった……。


 私は内なる声に唱和して、最後の別れの言葉をイゴーロナクへと贈りました。


「さようなら、イゴール……いえ、テーグラの街のアルバート」


『……聖女……?』

 半信半疑という口調でイゴーロナクが呟き、私の目を見詰め、一瞬だけ迷子になった子供が母親を見つけたような表情を浮かべ、そのまま黒い霞のようになって消え失せたのでした。


「……ふう……」

 がっくりとその場に崩れ落ちる私。

 いまはもう手に馴染んだ魔法杖(スタッフ)でさえ、重くて持ち上がらないほど消耗しています。


「やったな、ジル。――つーか、お互いに酷い有様だな」

 地面に寝転がったままのセラヴィが苦笑して、それから大穴が開いていた筈の自分の胸元をさすりました。

「いてて……だけど、一応傷は塞がっているか。どうなっているんだ、これ?」


 首を捻るセラヴィへ、その場から一歩も動けない私が「――多分ですけど」と前置きをして、推測を語ります。


「私の血を飲んだせいで、一時的にセラヴィの自己治癒力が高まったみたいですわね」

「なんだそりゃ? 何かのお伽噺で高僧の肝を食べると百年長生きできるなんて眉唾物の迷信を聞いたことがあるけど、まさか本気か?」

「私もその手のお話は冗談だと思っていたのですけど……あの、セラヴィは『輸血』って治療法をご存知ですか?」

「いや……聞いたこともないな」

「そうですわね。私もこの世界にはないと思っていたのですけれど、どうやら聖女スノウはご存知だったようで、私を蘇生させる際にご自分の血を分けて与えてくださったそうです」


 ただ聖女の血は霊力が高すぎるそうで、かなり取り扱いが難しいとのことで、問題なく蘇生できる確率は五分五分どころか、九分九厘無理だとか――「いやー、まさかあの状態から蘇生するとは思わなかったわ」と――笑いながら脳裏で言われた時には、理不尽ながら軽く殺意を覚えましたわ。


「……まったく。よりによってあの時に私を蘇生してくださったのが聖女だったとか、輸血の影響でイゴーロナクに聖女と誤認されたとか、いままで魔術的なパスが繋がっていたとか、いきなり教えられても混乱するだけですわ」


 せめて段階的に教えて貰っていれば、もうちょっと今回のことも対処の仕方が変わっていたのですが。

 と、愚痴る私をセラヴィが珍獣でも見るような目で眺めています。


「まさか聖女が実在していたとはなぁ。……で、いまもパスを通して聖女が教えてくれているのか?」


 その問い掛けに私は緩く首を横に振って、念の為、もう一度確認してため息を付きました。

「いいえ。もともと輸血された量はたいしたものではなかったようですし、それも数年前の話で、なおかつ今日、血を流しすぎてほとんど繋がりはなくなるだろう……とのことで、もう声は聞こえません」


「そいつは残念だ。そろそろ時間切れのようだし、聖女様の力でこの場から助かる……って展開を期待したんだけどな」

「ままなりませんわね」

「まったくだ」


 そう言っている間にも赤光の領域が狭まり、それに伴って雷光は消えましたが、目の前の光景が歪んでいるような――いえ、実際空間的に圧縮されて歪んでいるのでしょう――感覚に襲われます。


 もうすでに脇にいるセラヴィの顔も定かに見えませんが、私は勘でそちらの方を向いて頭を下げました。

「申し訳ありません。結局、私に付き合って貧乏籤を引くことになってしまいましたわね」


 諦観と悔恨混じりの私からのお詫びの言葉に、不思議とサバサバしたセラヴィの声が返ってきました。


「――いや。やるだけやったし、面白かったな」


 同時に、ふっと微笑みような気配を感じられて、私の口許にも穏やかな笑みが浮かんでいました。

 ついでに――、

「よしっ。コッペリア、復活しました!」

「「いまさら遅い(わよ)!」」


 再起動したらしいコッペリアに、ふたり同時にツッコミを入れたところで、最終魔導兵器――次元破砕爆弾の縮退が終わり、爆心地たるこの場所が閃光に包まれたのでした。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 長い夜が終わり、晴天の空に朝日が昇ろうとしていた。


 朝靄の林の中、足早に目的に向かって進んでいたルークは、すっぱりと……まるで生クリームをスプーンですくったかのように、木も草も大地までも綺麗に削り取られた直径百メルトほどの広場を前にして足を止めた。


 ここに来るまでにさらに数百メルト、太い大木や岩の塊が薙ぎ払われた丘陵地帯を駆け上がってきた目の前に現れたのは、すっぱりと断ち切られた断面をさらすクレーターである。

 本当に何もないその窪地の縁に立って、よくよく目を凝らしてみれば、クレーターの中心部分にうず高く盛り上がった何かが見えた。


「なんだ? ――くっ、ジル!」


「ルーカス様、ひとりでは危ないですよ!」「待たぬか。まだ何があるかわからんぞ」「公子、気持ちが焦るのはわかるけど、単独行動は危険だよ」

 背後から追いかけてくる複数の足音と忠告の声も耳に入らない風情で、ルークは後先考えずにクレーターの中へと飛び込むと、その中央部に向けて全力で走り出した。


「ジル! ジル! ジルーッ!」


 程なく、茜射す朝日に照らされて全容をあらわにした小高い堆積物の前で足を止めたルークは、呆然とソレを見上げる。


「……なんだ、これは?」


 一言で言うなら雑貨の山と言ったところだろうか。

 小麦粉の袋から丸太、衣料品、薬に水の入った桶、書籍にカップや食器などの日常品、かと思えば得体の知れない魔道具から剣や槍などの武器など、ちょっとした城の備蓄並みの量が山になっていた。


「なんでこんなところに、こんなものが?」

 追いついたらしいヴィオラたちも、唖然とした顔でこれを見上げていた。


 と、その小山の周りをウロウロしていた天狼(シリウス)のフィーアが、その一部を引っ繰り返して何やら引っ張り出してきた。

 それを見たエレンの顔色が変わる。


「――それっ、あたしのメイド服! ジル様に渡して仕舞ってもらったものなのに、どうしてここに!?」


 引っ手繰るようにしてフィーアから受け取ったエレンは、ためすがめつ確認をして間違いなく自分の物だと確信をもって言い切った。


 話を聞いていたリーゼロッテが痛みに耐えるような顔で、眉を顰めて口を開いた。

「……ジルに渡したと言ったな。確かジルは『収納(クローズ)』の魔術を使えた筈。それがここにあるということは」

「――――」

 言わずともそれに続く答えは全員の脳裏に浮かんでいた。赤く血塗られた文字となって。


「そんな、そんな筈ない! 帰ってくるって、そうジルは約束したんです! きちんと僕の告白も考えてくれるって……だから、だから――ッッッ、ジルッ!!」


 ガックリと跪いたルークが、地面に拳を叩きつけて、子供のように慟哭する。

 それにつられるようにして、エレンが大粒の涙を流して号泣をして、フィーアが途方に暮れたような表情で、細く長く天に向かって咆哮を放った。

 それを視界に納めて凝然と立ち尽くすリーゼロッテとヴィオラ。


 そんな彼らの上を明るい太陽が照らしていた。

 長い夜が終わったのだった…………。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 

 

 

 

 

 

 

 

 

―第三章 学園生ジュリア[13歳]・完―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


     ◆ ◇ ◆ ◇


 クワルツ湖のほぼ反対側に位置する林の中――。

 黒い襤褸(ボロ)布のような塊がもぞもぞと動き出した。


『――ぐはっ……はあはあ……危ないところだった』


 荒い息をつきながらソレ――黒だった頭髪も髭も真っ白に変質し、皮膚も乾燥したミイラのように変わり果ててはいるものの、確かに面影を残しているイゴーロナクが疲れた足取りで立ち上がった。


『ほとんどの魔力と星幽(エーテル)体を犠牲にしたが、それでも我はこうして生存している。失ったものは大きいが、さりとて取り返しがつかぬほどの失態でもない。表立っては動けまいが、やりようによっては数年程度で元の力を取り戻すことも可能であろう。ならばいまは雌伏の時であろうな』


 そう呟く目には、相も変わらず底知れない狂気と憎悪とが渦巻いていた。


『見ているが良い、聖女よ。今度こそ我の復讐は始まるのだ』


「――いいや。ここで終わりだな」


 どこからともなく聞こえてきた涼しげな声に、イゴーロナクは顔色を変えて身構えると、即座に掌の上に黒炎を生み出した。


「私は姫様ほど寛容ではないのでね。お前のような汚物が存在すること、ましてや敵意を向けるなどといった身の程知らずは八つ裂きにしても飽き足らない、といったところかな。……ああ、もう逃げられんよ?」


『滅……滅穢土(メギド)!』

 ハッとして全方位へ向かって黒炎を一斉射撃する。

 ――が、空中で見えない壁に当たったかのように、すべて虚しく四散した。


 ゆらり……と、それに併せるかのように何もない空間から、ベールを被った白髪の美青年が現れる。


『き、貴様は……?』


 喘ぐようなイゴーロナクの問い掛けに、青年は軽く肩を竦めて淡々と返した。

「貴様如きに名乗る名前はない。あえて言うなら超帝国の“守護者(ガーディアン)”といったところかな」

『ちょ……超帝国だと!? なぜここに……?!』


 目を剥くイゴーロナクの問い掛けには答えず、路傍の石のように一瞥した青年の視線が、その背後に流れる。

 それにつられて振り返ったイゴーロナクの全身に戦慄が走った。


 そこに腕組みして傲然と立ち聳えるのは、一対の純白の翼を持った金髪の偉丈夫であった。

 長身のイゴーロナクに比べてもなお頭ひとつは高いだろう。その体躯は隆々たる鋼のような筋肉を擁して肩幅広く、ただ立っているだけでも凄まじい威圧感を放っている。

 顔立ちは秀麗そのものだが、表情は険しく射るような眼光がイゴーロナクを見据えていた。


『天使……いや、違う?』


 天使というにはあまりにも無骨で剣呑な雰囲気を纏った男の威圧感に呑まれた格好で、イゴーロナクは息を呑んだ。


「我は真紅帝国宮殿騎士にして“死告天使”バルトロメイこと〈鬼灯(ホオズキ)〉である。愚かなる汝に告げる。もはやその罪贖う法なし、よってこの場で断罪する!」

 いつの間に取り出されたのか、その手にはまるで鉄板のような巨大な黒い戦斧(ハルバート)が握られていた。


『や』

 恐怖と絶望の中、「やめろ」と言いかけたのか。

 命乞いの言葉に一切聞く耳も持たず、バルトロメイの戦斧(ハルバート)が翻り、逃げようとしたイゴーロナク――一瞬、守護者(ガーディアン)を名乗る青年が冷笑を浮かべ、「無駄だ。今度は蜥蜴の尻尾切りはできん」と呟いた。

 次の瞬間、一撃で四散してさらにバラバラに砕けた骸が青白い炎に包まれて、その痕跡の一片も残らずに空中へと融けて消えた。


 最初から幻であったかのように消えたイゴーロナクを確認して、フン!と小さく鼻を鳴らす青年。

「――ご苦労。さて、問題も解決したようなので私は戻るか。どうする、一緒に本国へ戻るのならこの場から転送するが?」


 青年の言葉に愛用の得物を消して、その場に片膝を突くバルトロメイ。

「いえ、(それがし)はまだ後始末がありますので、もうしばしこの地に逗留するつもりでおります」


「そうか。まあ、ホドホドにな」


 どうでもいいような口調でそう言って踵を返そうとした青年に向かって、一瞬煩悶したバルトロメイだが、思い切った様子で軽く顔を上げて訊ねた。


「お待ちください。あの爆発に際して件の重要人物の生死および所在が不明となっております。ご存知であればお教え願えないでしょうか?」


 その声に含まれた憔悴を感じて、立ち去りかけた青年が足をとめる。

「ほう。ずいぶんと入れ込んでいるものだな」


 揶揄されても反論することなく無言のまま青年を見据えるバルトロメイ。

 ふふん……と鼻先で嗤いながら、青年は肩を竦めて答えた。


「生きてはいる。ただし、空間の変動でとんでもない場所に跳ばされたようだな。多少、誤差はあるかも知れないが、およそ――」


 一瞬、安堵の表情を浮かべたバルトロメイだが、続く青年の台詞を耳にして瞠目した。

次回は、キャラクターデータを更新して、なるべく早めに第四章を始めたいと思います。


11/30 誤字訂正しました。

×いやいや、また死んでませんわ!→○いやいや、まだ死んでませんわ!

×真っ当な人間に戻す還元式だったなのです→真っ当な人間に戻す還元式だったのです

×青年の言葉に愛用の獲物を消して→○青年の言葉に愛用の得物を消して

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