超帝国の使者と不死王の怨念
本日(11月21日)発売の「このライトノベルがすごい! 2015」で今年の『なろうコン』書籍化作品が紹介されていました。
「吸血姫は薔薇色の夢をみる」もちょっとだけ出ています!
禍々しい赤光が満月の光よりも皓々と夜空を照らし、とうに夜半を過ぎたというのにここクワルツ湖湖畔とその畔にある観光の町クラルスを、夕闇のような美しくも妖しく色に染め上げていた。
そのほとんどが聖女教団の関係者や敬虔な信者である町の人々は、その夜はまんじりともせず天を見上げて祈りを捧げ、旅行者や目端の利くものは荷物をまとめて逃げ出そうとして、夜間は閉じられた門の前で衛兵と押し問答になり、罵詈雑言や流言飛語が飛び交い混乱が混乱を呼び暴動の一歩手前になっていた。
そんな中、近隣に存在するリビティウム皇立学園の生徒及び関係者の保護に向かった国の駐留部隊と領主の私兵が無事に任務を終えて戻ってきたことで、押し寄せる住人の数と勢いに呑み込まれかけていた衛兵たちも、どうにか暴徒を押し留めることに成功し、ほっと安堵の息を吐いたのだった。
無論、空の異常が収まる……どころか、さらに変化があれば今度こそ住人挙げての暴動になる事も考えられたが、戻ってきた私兵や市井の冒険者、それになにより教団の聖職者から伝わったひとつの噂が細波のように広がるに連れて、不安に駆られていたこの町の住人たちに畏怖と歓喜の涙をもたらしたのだった。
「戻ってこられた」
「あのお方が戻ってこられた」
「巫女姫様が降臨された!」
その声はやがてアーレア地方の各市町村、そして北部全体からおよそ一年近くをかけてユニス法国全体へと伝播することになるのだが、この時点ではそのことがもたらす影響を知る者はいなかった……。
◆ ◇ ◆ ◇
「……ふむ」
聖女教団『聖キャンベル教会』でもっとも高い鐘楼の屋根の上で、危なげなく――まるで宙に静止しているかのように――佇んでいるひとりの青年がいた。
ベールに半ば隠れて完全に素顔が見えないが、鼻から下の造作だけでも美青年だと一目でわかる白髪の彼は、赤光で隔絶された領域をベールの下から見詰めて、面白くもなさそうな態度で鼻を鳴らした。
「おかしな空間異常の原因を追ってみれば、よりにもよって聖女教団のお膝元とは……つくづく面倒事を起こさずにはいられない連中だ」
やはりさっさと潰すよう奏上すべきだろうな――と、口の中で呟く彼。
聖女の名を借りて手前勝手な教義を標榜する聖女教団も、目の前にある何らかの魔術の暴走の結果であろうこの猛烈に不安定な領域も、彼にとっては少しばかり目障りな存在でしかないが、到底許容できるものでもなかった。言うなれば真っ白な雪原に放置された粗大ゴミのように生理的な嫌悪を抱く汚物であり汚点である。
「いっそこのまま国ごと消滅させるのも一興だが、私がこの場にいて、ただ手をこまねいていただけ……と思われるのも業腹だな。一応は消去しておくか」
軽く掃除をする感覚で右手を振ろうとした――その直前、彼と赤光との間に割って入るものがいた。
「お待ちください!」
白い翼を大きく広げるその巨漢を前に、青年が口許を『ほう』と驚いたように開く。
「久しいな。息災であったか? ――で、本来はグラウィオール帝国の監視役たる貴殿がこの場にいることと、私を止めたことはどのような関連があるのか、説明してもらおうか」
「――はっ。現在、あの領域にはグラウィオール帝国及び姫様にとって極めて重要な人物が潜入しております。その目的が果たされればこの混乱は速やかに収束すると愚考しておりますので、貴方様にはいましばらく静観をお願いできないかと思い、まかり越した次第であります」
「ほほう――?」
目の前の男の愚直過ぎるほど愚直な性格を知っている彼は、この混乱を前に息巻いて参戦するのではなく、『静観して欲しい』という思いがけない進言に、ベールの下で軽く目を見開き……続いて、口許を愉しげに吊り上げた。
それから視線を赤光の方へと向け、瞬時にその内部及び周辺の情報を素粒子の欠片まで完璧に把握したのだった。
鮮やか……などという表現すら生温い凄まじいばかりの探査能力及び分析能力である。
コッペリアなどとはランクどころか次元が遥かに違うそれを、もしもヴィクター博士や各国の魔術研究者が目にしていたならば、歯軋りして悔しがるか己の非才を恥じて自刎していたことだろう。
「これはこれは……面白い連中が雁首揃えて面白いことをしているな。なるほどなるほど、これは確かに簡単に潰すのは惜しいな」
歌うような口調でそう口にする彼。
「――では?」
「よかろう。事態が悪化しない限り私も静観するとしよう、“超帝国”の名において」
鷹揚な仕草で頷く彼に向かって、巨漢は空中で深々と頭を下げた。
◆ ◇ ◆ ◇
「符術って案外応用範囲が広いのね」
上下左右に多面体を形成するように無属性魔法の〈念動〉で配置されたセラヴィの結界用カードを眺めて、私は素直な感心とともに感想を口に出しました。
これのお陰で現在、まるでシャボン玉の中にいるような感じで、赤光の中でも雷に撃たれることなく、こうして連れ立って無事に歩くことができています。
まあ、範囲をぎりぎりまで狭めて強度を上げている関係で、相変わらずムカデ競争というか、古き良きRPGのように縦一列で密着して前進しているわけですけれど……。
「――と言っても使い捨て前提だからな。マラソン勝負になればどうしたって無理が出てくる」
雷の直撃を受けてめらめらと燃え出すカードの代わりを随時に補充しながら、セラヴィがウンザリした口調で愚痴りました。
「これで残りは三分の二だ。三ヶ月掛けて補充した分が湯水のように出て行くのを見ると、ホント……毎回、お前と行動すると符の出血大サービスだな」
肩を落とすセラヴィに向かって、先頭を歩いていたコッペリアが首を百八十度回して――吃驚して危うく悲鳴とともに仰け反りそうになったところを、後ろから肩をつかんでいるセラヴィに支えられました――、
「そこ! 愚民ごときがクララ様にタメ口を張るなど言語道断。大地に跪いて平伏すのがデフォなので、きちんと身の程を知るように!」
不快そうに眉を吊り上げます。
「それはちょっと――」
「ふん。生憎だが俺もジルも外にいる連中も、立場は同じ皇立学園の生徒だ。校則では皇族だろうが聖女だろうが分け隔てない……というのが一応のお題目なんだよ」
ま、あくまで建前だけどな、と小さく続けるセラヴィ。
「ふっ、笑止。学校などという狭いコミュニティの常識など何ほどの価値があるのやら。ワタシの前のご主人様は言っていました。『学校は人間を間違った鋳型に嵌める拷問道具のようなもの』だと」
「あー、うん。そういう観点もあるかも知れないけど、楽しいこともあるんじゃないかしら? 友人関係とか」
「ヴィクター様に友人がいたと思いますか?」
私のフォローに間髪入れず質問に質問で返されました。
「……えーと、お昼休みのひと時とか」
「お昼は便所飯が辛かったそうです」
撃沈しました。
「呑気に世間話をしている場合じゃないと思うぞ。肝心のポイントにはいつ着くんだ? 折り返しを考えたらそろそろ限界だと思うけど、なんか同じところを迷走してるように思えるんだけどな」
セラヴィに窘められたコッペリアですが、心外そうな顔で周囲に視線を走らせます。
「言われるまでもなく、とっても優秀なワタシの頭脳は同時に作業を行ってます。ただポイントがさっきからフラフラ動いているので、なかなか特定できないだけで」
「動いているのですの? もしかしてイゴーロナクがあの場所から移動しているということでしょうか?」
「多分そうだと思いますけど、中心点は固定してあるんで動いても問題ないです」
私の問い掛けに自信を持って答えるコッペリアですが、何か言葉にならない嫌な予感が猛烈に湧き起こりました。同時に、背中の方からセラヴィが慌てたような声で捲くし立てます。
「ちょっと待て! なら、ひょっとするとこの中でバッタリ出くわす可能性があるのか!? いや――中心点がこっちに来た場合、作戦が上手く行っても逃げるヒマもなく俺たちまで巻き込まれるんじゃないのか?!」
「「――あ」」
私とコッペリアが間抜けた声を上げた――刹那、まさにタイミングを見計らっていたかのような間の悪さで、結界の外から黒い影が私たちの方へと隻腕を伸ばしてきました。
そして現れたイゴーロナクのあまりにも変わり果てた姿に、私は愕然としました。
『そこにいたか聖女よ――ッ!』
自身の魔力の無秩序な放出と次元破砕爆弾の縮退力、その余波である雷とさらにはいまだ身体に食い込んだままのコッペリアの前のボディの成れの果て……。
私の目に映ったイゴーロナクは、もはや超越者としての傲慢さに彩られた端正な面影はどこにもなく、見るも無残なほどボロボロになった亡霊でしかありませんでした。
その無念と憎悪の矛先が、すべて私という(彼の主観での)諸悪の根源に向けられます。
その狂気に染まった表情と射殺さんばかりの眼光に間近に対面した私は、思わず小さく悲鳴をあげて結界の中で一瞬棒立ちになってしまいました。
『我とともに滅びよ――――ッ!!』
ひと薙ぎで結界の守りを一蹴したイゴーロナクの伸ばした爪の先が、自分の心臓目掛けて一直線に進んでくるのを、恐怖から感覚が麻痺した私の目がどこか他人事のように見詰めていました。
「オ○パイミサ――――イルッ!!」
「疾っ!」
『――ぐおおおおおお!?』
と、咄嗟に放たれたコッペリアとセラヴィの攻撃を受けて、イゴーロナクの長身がもんどり打って弾き飛ばされました。
その姿が再び赤光と稲妻の乱舞の中に消えたのを確認して、セラヴィが即座に新たな結界符を放って、破れた結界を修復します。
いまになってどっと全身から冷や汗が流れ、思わずその場に崩れ落ちそうになりましたが、その前にセラヴィに無言のまま支えられました。
さすがは『神童』。この手の即応性や判断力は確実に私よりも上ですわね。
と――。奥の手を使用して随分と慎ましくなった胸の辺りを、何ともいえない表情でさすっていたコッペリアが勢いよく顔を上げ、とある一点を指差しました。
「収束ポイントを見つけました! 右斜め上五十六度、距離三・二メルト――台所の害虫を叩き潰す感覚で思いっきりやっちゃってください、クララ様!」
「わかったわ。任せて!」
非常にわかりやすい助言に従い、指示された場所に向かって魔法杖の先端を向けると、私は残ったすべての魔力を練って空間を叩きつける感覚で魔力を放出しました。
「――これで、決まって!!」
とにかく攪乱されているように空間が滅茶苦茶なので加減することもできません。
ありったけの魔力をすべて絞り出した瞬間、ぐん! と水を満たしたお風呂の栓を抜いたような手応えとともに、閉鎖されたこの赤光の空間がその一点に向けて見る見る収束していくのが感じ取れました。
「やった! 成功です!」
小躍りするコッペリア。
一方、完全に魔力、気力、体力を使い果たした私は足元も覚束ない状態のところ、再びセラヴィの手を借りて支えてもらいます。
「すみません。重いでしょう……?」
「――別に」
この場合、『重いけど別に気にしなくてもいい』か『言うほど別に重くない』のどちらでしょうか?
無愛想に答えるセラヴィの表情からは窺い知ることはできません。
「それよりもさっさと逃げよう」
「ここは愚民の言うとおりで、残り六十八秒でイゴールから半径五十メルトは離れないと巻き添えになります。――残り六十秒。カウントダウンを始めます」
コッペリアの腹腹時計なカウントダウンを聞くや否や、
「悪いな」
セラヴィはそう一声告げて、私の身体を抱き上げました。所謂、“お姫様抱っこ”です。
「ちょっ――!?」
「愚民っ!!」
絶句する私と、目くじらを立てるコッペリアを無視して、セラヴィが意外と確かな足取りで走り始めました。
「あわわわわわわわっ!?!」
慌てて言葉にならない私をちらり見て、セラヴィはその視線を結界越しに背後に向けます。
「不死者の王、追いかけてこないだろうな?」
「残り四十九秒――はン。いまイゴールにどれだけの魔力波動が掛かってると思ってるんですか? ドラゴンに踏まれた蛙みたいにペシャンコになってる頃合ですねー」
余裕綽々でコッペリアがそう答えた瞬間――、
『ぐおおおおおおおお――聖女ッッッ!!!』
もはや顔とも呼べない程容貌が崩れながらも、底知れない恨みと呪いに満ちたイゴーロナクが結界を破壊して、くわっと口を開いたかと思うと、先端を杭のように尖らせた左手を鞭のようにしならせました。
「な、な、な――っ?!」
凝然とする私へ向けて、それが凄まじい勢いで繰り出されます。
避けられるタイミングでも体勢でもなく、まして魔力すらもはや一欠けらもなかった私にできることはなく、表情を引き攣らせながらせめて一矢報いようと、反射的に魔法杖の先端をイゴーロナクへ向けカウンターで突き入れるしかありませんでした。
ですが、抱きかかえられているこんな無理な体勢から放った攻撃が当たるはずもなく、虚しく宙を切り、逆にイゴーロナクの左手は安々と肉を突き破り骨を砕き、
「セラヴィ――!!」
「――愚民っ!?」
咄嗟に私を庇ったセラヴィの胸を貫通したのでした。
超帝国の使者が自国を「超帝国」と言ったのは彼なりの諧謔ですね。




