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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第三章 学園生ジュリア[13歳]
122/337

自爆装置の起動とお別れの言葉

 ピシッ!! と空間が破裂する音が聞こえた気がしました。


『うおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』


 魂の芯が震えるような禍々しい咆哮とともに、その場に仁王立ちしたイゴーロナクが隻腕を振るった――刹那、辛うじて均衡を保っていた私の『月落しルナテック・コンプレッション』の生み出した重力場が、内側から破砕されたのです。


「――きゃああああああっ!!」


 術を破られた事によるブーメラン効果(呪詛においては『返しの風』と呼ばれる現象)で、その場から弾き飛ばされた私を、咄嗟にルークが両手で抱きとめ、

「――くっ!」

 支えきれずに一塊になってボーリングの玉のように転がりそうになったところを、身体を張ったフィーアに止めてもらいました。


「あ、ありがとう。ルーク、フィーア」

「いえ……って、ジル、血が出ていますよ!」


 言われてみれば、頬を伝うぬるりとした感触は汗ではなく、コメカミの辺りから流れる血でした。

「術を破られた反動ですわね。唾つけとけば治りますわ」

 手の甲で軽く拭いながら、私は不敵な笑みを浮かべました。実際、この程度で済んだのは僥倖です。下手をすれば即死した可能性が高かったのですから。


「そんな乱暴な……!!……もしや、ジル。もう治癒術を使う余力がないんですか!?」


 顔色を変えるルークの察しのよさに苦笑します。


「逃げてください! この場は僕が何としても時間を稼ぎます! その間にフィーアに乗れば十分な距離が稼げる筈――」


 真剣な表情でそう言うルークの口を人差し指で塞ぎました。

 微かな震えが指先を伝って感じられます。

 当然でしょう。イゴーロナクの……〈不死者の王(ノーライフキング)〉の恐ろしさは十三歳の少年の心胆を寒からしめている筈です。私でさえストレスで吐き出しそうなのですから。


 それでもその場に留まって私を逃がそうとする、そんなルークの姿は紛れもなく私の目には輝いて見えました。

 そして卒然と理解したのです。私のように特異な力がなくても、たとえ聖剣に選ばれていなくても、決して諦めずに立ち向かう者が本当の“勇者”なのだということに。


 私の心を覆っていた“絶望”の闇が払われた気がしました。

 両膝に力を込めてその場に立ち上がります。


「つれないことを口にしないでください。それにルークを犠牲にして私が助かったとしても、それで私が満足すると思うのですか? 逆だったら我慢できますの?」

「それは……」何かの痛みに耐えるかのように顔を顰めるルーク。「……ですが、僕はそれでも、ジルに生きていて欲しいんです」


「お気持ちは嬉しいのですが……どうやら時間切れのようですわね」


 その私の視線の先に気が付いて、ルークをはじめその場にいた全員が、ハッとした顔で振り返ってクレーターの底を覗き込みました。


『……茶番は終わりだ。せいぜい楽しませてもらった礼に、聖女よ、貴様の手足をもいで我が寝所の飾りにしてくれよう』

 軋むような声で宣言して、目だけで粘着質の笑みを浮かべたイゴーロナクが一歩踏み出そうとしたところ、

『――む?』

 思いがけない表情で自分の足元を見下ろしました。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 尻が痒くなるような居心地の悪くなる睦言(むつごと)……としか思えない会話をしているジルとルークのふたりを見据え、セラヴィの眉間に皺が寄っていた。


「どうした。妬けるのか、んん? いまからでも割って入ってジルの手を取らんと、完全に手遅れになるかもしれんぞ?」


 すべて見透かしているようなリーゼロッテの茶々に対して、セラヴィは鼻を鳴らして小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「阿呆らしい。どっちにしても、こんな不用意に〈不死者の王(ノーライフキング)〉の呪圏に入り込んだんだ。命の秒読みしている段階で色気づいてる暇はないさ」

「土壇場だからこそ……とも思うが? 命の危険に直面すると、種を残そうとする本能が働くとも言うしな。実を言えば、妾も遠く離れた想い人が恋しくてしかたないわ」


 平然とした態度を装っていても、その内心は嵐に翻弄される小船のように頼りないものなのだろう。全身から冷たい汗を流して震えているリーゼロッテ。それは、残りふたりも同様であった。


「そう考えるとジルが羨ましいですね。……できることなら、せめてあのふたりだけでも助けたいのですけど」

 気丈な笑みを浮かべつつ、痛ましげな視線をジルとルークに送るヴィオラ。


 そんな周りの反応を『不可解』『不愉快』と言いたげな、冷めた表情で見据えるセラヴィがいた。

 それに気が付いたリーゼロッテが――話しかけることで気を紛らわしたいという無意識の欲求があるのだろう――軽く肩をすくめて問い掛けた。


「不満そうではないか?」

「別に……ただ阿呆らしいだけだ。献身といえば立派だけれど、結局は誰も救えない、ただの自己満足だろう? 俺だったらさっさとお言葉に甘えて逃げ出す。共倒れになるよりよほど上等だろうに、何を馬鹿なことをしてるんだろうと思う。それだけだ」


 聖職者とも思えない冷めた意見に対して、リーゼロッテとヴィオラのふたりは顔を見合わせて、独りよがりな子供の理屈を聞いた母親のような、母性と包容力のある笑みを浮かべて『やれやれ』と頷き合った。

 それを侮辱と受け取ったセラヴィが、棘のある視線でふたりを睨み付ける。


「何かおかしいのか?」

「いや、おかしくはないさ。君の意見は正論だと思うよ」

 そう応じたのはヴィオラである。

「ただ……」

「なんだよ?」

「君は誰かを心から好きになったことがないんだなぁ、と思ってね」

「?」

「君にはその人だけがすべてなのだと……その人がいない世界なんて考えられないと、心から思える相手がいなかったんだねぇ」


 深い哀惜と憐憫の篭った視線で、セラヴィの怪訝な顔を凝視するヴィオラ。その隣でリーゼロッテも大きく頷いている。

 一瞬、気圧されるものをどこかで感じながらも、セラヴィはその言い分を言下に否定した。


「馬鹿馬鹿しい。生物の本能として一番大切なのは自分だろう。幻想に浸って『君は僕の太陽だ、月だ、この世界のすべてだ』なんて言うのは、一時的に頭をやられた錯乱状態にしか過ぎないさ」


 身も蓋もないセラヴィの反論に対して、リーゼロッテが真摯な眼差しで返す。


「幻想か……そうかも知れんが、その幻想に生きられるところが人が人である所以であると思うぞ。それを否定するのはいかがなものかな。――それと、本当に大切な相手は『世界のすべて』ではない。自分にとって『世界のその先』だと妾は思うぞ」

「……なにを言ってるのか理解できないな」

「そうであろう。この感情を妾も上手く言葉にできんのでな」

 

 ゆるゆると(かぶり)を振りながら、物分りの悪い弟に言って聞かせるような口調で朗らかに語るリーゼロッテから視線を外したセラヴィは、無言のまま険しい表情で周囲の雑音を払うかのように前方を注視するのだった。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 解放されたイゴーロナクですが、なぜかその姿勢のまま固まってしまいました。

 不思議に思って見れば、突如解除された高重力の影響で硬質化していた地面が粉々に砕けて粒子状になっていて、さらに地形の関係から急激に流砂と化して、ちょうど蟻地獄の底に位置する形で、イゴーロナクは膝までその砂に足を取られていたのです。


『ふん……こんなもの』

 空中浮遊できるイゴーロナクにとっては無意味でしょう。


 早くも腰まで埋まった姿勢から飛び上がろうとした刹那、いつの間にか忍び寄っていた小柄な影が、その上半身に組み付く形で抑え込みました。


「――ようやった、クララ! 準備完了じゃ! 次元破砕爆弾起動っ……イゴールっ、ここで会ったが百年目、儂と一緒に死んでもらうぞ!!」


 緋色の髪をしたミニスカメイド――人造人間(オートマトン)コッペリアのガワを被った錬金術師ヴィクター博士(の複製人格)――が、一片の迷いのない口調でそう宣言してさらに戒めを強化しました。


『貴様は……ヴィクターの木偶人形か!? こんな玩具如きが!』


 無造作に弾き飛ばそうとしたイゴーロナクですが、その寸前にコッペリアの胸部が観音開きに開いて、中から金色に輝く肋骨状の骨格(フレーム)が飛び出して、まるでトラバサミのようにイゴーロナクの身体に食い込みます。


『むっ……これは、オリハルコンか!』


 忌々しげな舌打ちに、ふと、コッペリアと最初に会った時の会話を思い出しました。


 ――ふふん。このワタシをそんなオモチャと一緒にしないでください。骨格はオリハルコン製、頭脳は賢者石、心臓は竜玉(カーバンクル)を利用し、理論上は永久機関でノーメンテナンスで稼動できる完璧なメイドですよ。


 現在ではほとんど幻の金属と言われるオリハルコン。

 その束縛は確かなようで、必死にもがくイゴーロナクをどうにか抑え切っているようです。


 唖然とする私の目の前で、先ほどの衝撃で結び目が吹き飛んだ舞い上がったコッペリアの白いエプロンが、空中を漂って今頃流砂の上に落ちたのが目に入りました。

 比重の関係で沈むことなく、くるくると木の葉のように流砂の上を漂っているその動きは幻想的で、ひどく現実感のない光景でした。


竜玉(カーバンクル)解放! 臨界まで三十秒! ――クララっ、いまのうちに逃げるんじゃ!」


 その叫びと同時にコッペリアの心臓部から赤い光が渦を巻いて広がり、徐々に回転しながら範囲を広げていきます。


 はっと我に返った私は、二~三歩前に出てコッペリアに手を伸ばしました。

「そんな! 貴方はどうやって逃げるつもりなんですか!?」

「そうよ、このガラクタ! さっさと逃げなさいって!」

 同じくエレンも必死の形相で呼びかけています。


 本当は訊くまでもなくその答えはわかっていたのです。

 コッペリア(ヴィクター博士)はニッコリと邪気のない笑みを浮かべて、私たちの顔を真っ直ぐに見詰めました。


「すまんの。最終魔導兵器たる次元破砕爆弾は自爆技じゃ、最初から助かる道などないんじゃよ」

「なっ――!?」


 絶句する私に向かって、朗らかに語りかけます。


「お前の言う通りじゃ。儂がすべての始まりであり悲劇の元凶だったんじゃ。夢を追いかけて肝心の足元を疎かにしてしもうた。儂の不徳のいたすところじゃ。だから儂の手で終わらせねばならん。そうでなければ罪を償うことはできんじゃろう。すまんかったなクララ……いや、ジルよ」


 そう言っている間にも赤い光は急激に領域を広め、すぐ目の前まで迫ってきました。

 どういう効果があるのか、その光の中心にいるイゴーロナクが身動ぎして、全身から黒炎と瘴気を放とうとしても、端から分解されていきます。

 とはいえ密着したコッペリアにはもろに余波が襲い掛かるようで、すでにメイド服はボロボロになっていました。


「ジル、いまのうちです。事情はわかりませんけれど、あの方の想いを無駄にしないためにも、この場から退避すべきです!」

「ですが……」

 躊躇する私の右手をルークが引いて、必死な面持ちで説得しています。


「行きましょう……ジル様。あの駄メイドの頑張り、汲んでやらないと」

 手の甲を顔に擦り付けて鼻水を拭ったエレンが、決然とした態度で私の左手を取りました。


 ふたりに引っ張られる形で踵を返した私は、最後にもう一度コッペリア――いえ、ヴィクター博士――を振り返って見ましたが、赤い光の中でシルエットがぼんやりと見えるだけでした。

 ですが、その人形の顔には成し遂げた者特有の笑みが浮かんでいるような、そんな気がしました。


「――行きましょう。フィーア、ちょっと多いけど皆を乗せてね」

「ウオ――ン!!」

 承知! と一声咆哮を放ったフィーアは、素早く私たちを背中に乗せて、さらに立ち竦んでいるリーゼロッテたちのところへ一足飛びで跳んでいき、有無を言わせずポイポイと咥えては背中に乗せました。


「うおっ――と」

「な、なんじゃ、これは!?」

「私の使い魔(ファミリア)のフィーアです! 落ちないように掴まっていてください」

「はははっ、ジル、君はどれだけ隠し玉を持っているんだい?」


 警戒するセラヴィと、目を瞠るリーゼロッテ、愉しげに笑うヴィオラに振り向き様、一声掛けて即座にフィーアにその場からの退避をお願いします。


「オンッ!」

 翼を広げて滑空しながら一気に赤光の領域から抜け出すフィーア。


     ◆ ◇ ◆ ◇


 最初に説明を受けたとおり、最終魔導兵器の領域は半径およそ五百メルトの半球型――ただ、潰れた饅頭のような形で、上空は比較的標高が低いように感じました。


 上から眺めると赤い光で覆われた空間に凄まじい稲妻が雨垂れのように降りそそいでいます。

 もうちょっと遅れれば私たちもあの下にいたのかと思うとぞっとします。


 そこから離れて、なお二百メルトほど距離を置いた森の中に降り立ったフィーアの背中を叩いて労をねぎらった私が率先して地面に降りると、エレン、ルーク、リーゼロッテ、ヴィオラ、セラヴィの順でそれに続きました。


 真夜中過ぎだというのにまるで夕闇のように赤色に染まる空を見上げながら、ルークが気ぜわしげに話しかけてきます。


「これで、あの〈不死者の王(ノーライフキング)〉を斃せたんですか?」

「……わかりませんわ」


 実際、何が起こっているのか私にはよくわかっていません。

 辛うじて〈空〉系統の魔法を使える能力者として、あの場所の時空が無茶苦茶な状態になっているのがわかるくらいです。


「あとはあのポンコツメイドを信じるしかありません……」

 夕焼けのような空を見ながら、私はそう言葉少なに答えるしかありませんでした。


 どこか遠慮がちにルークが質問を重ねます。

「彼女は……その、ジルの友人だったんですか?」


「どうでしょう……」

 コッペリアと出会って行動したのは本当に短い時間で、それもふたつの人格を持った(どっちも癖が強い相手でしたけど)面倒臭い相手であり、その行為を思えばあまり肯定的に捉えられるとは思えませんが――。


 ――クララ様、ついに人間を辞められたのですね。おめでとうございます。

 ――実験で余った姫蛇苺(バタクティリュス)を使って作った特製の香茶です。

 ――そうです! 天才魔導師にして稀代の錬金術師、ヴィクター・フランシス博士です。

 ――まあ儂は寛大じゃからな。儂の命を奪ったイゴーロナクは金輪際赦せんが、お前さんの方の謝罪を受け入れんこともない。

 ――お前らに儂の苦労がわかるか!? どんだけ努力しても、結果を残そうとも見向きもされんモテない男の苦悩が!?

 ――なんじゃい、クララ。このやたら毛並みの良さそうな坊主は。新しい男か?

 ――すまんかったなクララ……いや、ジルよ。


 この短い間に交わしたコッペリアとの思い出が不意に胸から溢れます。

 思えば、身近な知人の死に立ち会ったのはこれが初めてかもしれません。


 泣いちゃおうかな。


 この瞬間、抱いた感情のままに涙を流そうとしたその瞬間――


 シュポ――――――――ッ! という風切り音とともに、赤光の中からロケットパンチが、勢いよく飛び出してきました。


「「「「「「はぁ―――――?」」」」」」

 よく見れば両手でコッペリアの生首を抱えていて、その生首は口でエプロンを咥えています。


 唖然と見ている中、地面に生首を置いた両手は器用にエプロンを引っ繰り返すと、そのポケットから『ゴン!』と音をたてて人間一人分の体――コッペリアの首から下――がこぼれ落ちました。

 どうやらあのエプロンに付いていたのは四次元……いえ、『空間収納鞄』の一種だったみたいです。


 新たに取り出したボディへ両手が首を乗せて、腕共々所定の位置に戻ると、いままで精彩のなかったコッペリアの首が、息を吹き返したかのように瞬きを繰り返し、首を巡らせて私の顔に焦点を合わせると、Vサインを送ってきました。


「サブボディにメモリの移植を完了。全システム問題ないことを確認しました」


「なっ……」

「「「「「「なんだそれは!?」」」」」」


 あの感動を返せ! と言わんばかりのツッコミが全員から入ったのは言うまでもありません。


「何だといわれても。ご主人様のメモリがなにか満足して消滅したので、ワタシに主権が戻ったのですが、なんかヤヴァイ状況だったので、とりあえず逃げられる部分だけ逃げてきました。そんなわけで恥ずかしながら帰ってまいりました。ちなみにこのボディには自爆装置がない代わりに、なんとオ○パ○ビームが内蔵されています」

 ビシッと敬礼するコッペリア。


 この展開にいろいろとツッコミはありますけれど、私は思わず、

「あ……あはははははははっ!」

 その場でお腹を抱えて笑うしかありませんでした。


あと2~3話で第三章の終了予定です。

三章だけでここまでの半分を費やすとは思いませんでした(汗

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