暗中の激突と奥の手の使用
六十秒、一分間――。
短いようで長い時間です。
ボクシングの試合は一ラウンド三分間。
アマチュアムエタイなら一ラウンド二分間。
十分に動き回って攻撃する余裕があるわけですから、これを一分間同じ場所に足止めしろというのが、どれほど至難の業かわかるというものでしょう。
不意をついてもう一度バルトロメイ暗黒流星落としで動きを止める……のは、さすがに無理でしょうね。同じ轍を踏むとは思えませんし、下手をしたらバルトロメイごと『最終魔導兵器』とやらに巻き込む危険性があります。
どちらかといえば『混ぜるな危険』という意味での危険性で、巻き込まれてもバルトロメイならケロリとした顔で戻りそうですが、これについては事前注意で釘を刺されました。
「余計なモンがついてくると、どうなるかわからんぞ? あたり一帯巻き込んでの暴走程度ならまだしも、下手をすれば空間がドミノ式に連鎖崩壊して世界が滅ぶかも知れん」
したり顔で解説をするコッペリア。
「ま、儂はイゴールを道連れにできるんなら、どうなろうと知ったこっちゃないが」
そんなわけでこの案は廃案となりました。さすがに一か八かで自分の命と世界とを天秤に掛けるほど刹那的には生きていませんので。
では、そうなると実力でイゴーロナクを抑え付けて、延々一分間焼き土下座させるしかないのですが……。
私はもう一度条件を確認しました。
「ちなみに、その最終魔導兵器の発動条件ですけれど、一定時間一箇所に固定する以外に問題はありませんの? 例えば〈地〉〈水〉〈火〉〈風〉の四大魔術で動きを止めたり、空気中の魔素が局地的に変動した場合、相互干渉で悪影響が出るとか」
「ない。完全に独立した儂の――コッペリアの内燃魔導機関を使用するので、その手の条件は考慮せんでも大丈夫じゃ」
「それではもうひとつ、『・・・・・・』を使った場合の影響はありますか?」
こうなったら私も出し惜しみしないで奥の手を使うつもりです。理事長以外には見せていない、手の内を正直に明かしました。ただ、お話を聞く限り、これってモロにコッペリアの最終兵器と干渉するような気がするのですよね。
果たして難しい顔でおとがいに拳を当てるコッペリア。
「ふむ……少なからず影響があるじゃろうな。とはいえ実体があるわけではないし、継続的に施術されておるんなら微調整できんこともないか……? 多少、足止めの時間を多めに見積もる必要があるが、だいたい一分二十五秒から三十九秒といったところじゃろう」
一気にハードルが一・五倍に跳ね上がってしまいましたけれど、タイトロープな今後の展開を考えると、このあたりは許容範囲でしょう。
「わかりましたわ。それで何とかしてイゴーロナクの足を止めますので、その間に秘密兵器を使えるように準備をしておいてください」
「うむ。それと、最終魔導兵器は一発きりの使い捨てじゃからな。失敗したら後がないと思うことじゃ」
「それは私も同じことですわね。事前準備だけで手札を使い切って、なおかつ貯めに貯めた魔力のほとんども、この一撃で使い切ってしまうと思いますので」
こんなもの作戦でも何でもありません。行き当たりバッタリの本当に博打です。
まったく……どうして観光気分で調査学習に来た地で、自分たちの命と世界の命運を賭けた勝負をしないといけないのでしょう? 主に聖女様と母のトバッチリか尻拭いのような気もしますけれど――と、いまさら生まれの不幸をはかなむよりも、目前の危機を乗り越えるべきでしょうね。
「“氷獄よその腕を広げ等しく凍土と化せ”――“氷結”」
とりあえず迫り来るイゴーロナクへ向けて牽制の攻撃を加えます。
『ふん……』
凍りついた足元と地面を無造作に粉砕して歩みを進めるイゴーロナク。
予想通り、足止めにもなりませんわね。
「がるるるるるッ!!」
そこへ、素早く翼を活かして三次元的に跳躍したフィーアが跳びかかります。
『――ちっ、ちょこまかと鬱陶しい羽虫めが』
左腕の伸ばした爪を刃のように振るってフィーアを追い払おうとするイゴーロナクですが、フィーアの動きを捉え切れずにほとんどが空振りしています。
その余波で森林破壊が進んでいるわけですけれど、この絶好の機会に私は無属性魔法で盾 (バルトロメイ)を構えて、反時計回りに場所を移動しながら『浄化の光炎』を放つのを忘れません。
『滅穢土』
素人丸出しの動きで躱しながら、伸ばした黒炎を鞭のように操って、距離を詰めようとするフィーアと、逆に距離を置こうとする私とを迎撃及び追撃するイゴーロナク。
とりあえず見た限りでは、魔力がもの凄いので防御の意味がないと判断しているのか、体を使った動きそのモノは素人かちょっと齧った程度の身のこなしで、結構隙が散見できます。このあたりがウイークポイントだと判断して、私はこっそりと事前準備を始めました。
「ウオン!」
裂帛の咆哮で黒炎の鞭の先端を消し飛ばしたフィーアが、ジャンプ一番――一瞬の交差でイゴーロナクのフードを噛んだのか爪で引っ掛けたのか――切り刻んで即座に距離を置いて対峙します。
一方、私の方へ来た黒炎の残りの部分は、バルトロメイの鎧の表面で虚しく散りました。
と――。
『ぐぐぐぐぐぐ……小物と油断したわ。まさか我のこの闇に染まった醜い素顔をさらすことになろうとは……』
咄嗟に袖口であらわになった顔を隠したイゴーロナクでしたが、憎々しげな口調でその手を外して、俯いていた顔を上げました。
「なに、ひどいツラじゃと?」
喜色満面、厳然色めき立つコッペリア。
「くかかかかかっ! 馬脚をあらわしたな、イゴールっ! 不死者の王になった代償として、ご自慢のツラを失ったか。ざまぁみやがれ、お尻ぷうぷう! ……ええい、クソッ。暗くてよく見えんわ。こりゃ、クララ。さっさと明かりを点けんか! どんな不細工になったのか、この目で拝めねば死んでも死に切れん!!」
こういうオトナ気ないオトナって嫌だなぁと思いつつ、しぶしぶ私は『光芒』の光をひとつだけ作り、イゴーロナクの方へと放ちました。
「人造人間なんですから、暗視能力くらい付けておくべきだと思うのですけど、妙なところで人間並みですわね……。“光よ我が腕を照らせ”――“光芒”」
ふわりと飛んでいった明かりがイゴーロナクの手前で止まって、白々とした光がずっと隠されていたその素顔を明らかにします。
『……むぅ……』
不快そうに眉を顰めるイゴーロナク。
〈不死者の王〉と化し、闇と瘴気とに染まったその素顔の変貌とは果たして……私もちょっとだけホラー映画を見る気分で注視しました。
身長はざっと百九十セルメルトといったところでしょうか。見た目の年齢は壮年といったところでしょう。肖像画で見た栗色の髪に涼しげな目許、口許、理知的な顔立ちは欠片もなく、漆黒に染まった蓬髪は手入れをされずざんばらに伸び、同じ色の髭が顎と口許を覆っています。
二重で切れ長の目は闇色の黒瞳で、太くて形の良い眉の下で冷徹に輝き、名筆が描いたような通った鼻筋からシャープな顎の線までのラインも、修羅の世界を通ってきた者特有の痩せて生気のない面差しのせいで、かつての怜悧さから打って変わった、荒々しい剥き出しの男臭さを感じさせます。
これを一言で言い表すのなら――、
「わぉ、格好いい。あえて言うなら……超ワイルド、でもってアイスって感じかしら」
そんな物凄いハンサムです。
「騙されるな――っ!! アイツの性格の悪さは折り紙つきじゃぞーっ!!」
目論見が外れて唖然とした後、瞬間沸騰したコッペリアが、ちょっとだけ色男にヨロめいた私の肩を揺さぶって絶叫しました。
男の嫉妬って見苦しいですわ。あと、性格の悪い奴ほど仕事が出来るとも言いますし。
『この禍々しくも醜い姿を聖女、貴様の前に曝すとは……』
イゴーロナクはイゴーロナクで、現状の姿がかなり不本意なようで、ギリギリと奥歯が軋むまで噛み締めています。
「……普通にハンサムだと思うんですけど」
『おためごかしを。この醜く歪んだ姿を見てさぞや失望したことだろう。それとも哄笑を放つか? ふん、認めよう。もはや貴様の隣に我が上り詰めることなど金輪際叶わぬだろうが……ならばこそ、貴様をこの我と同じ奈落の底まで引き吊り落としてくれようぞ!』
「………(はあ~)」
思わずため息をつきました。
自己完結している人間ってなんて面倒臭いんでしょう。
「けっ、ふざけるな! そんなんで不細工とか言ってたら世の中の男なんぞ、大概ブ男じゃわい!」
いじけたコッペリアがギシギシと歯軋りして言い募ります。
まったく同感ですわ。そもそも自分で自分を駄目と否定している人間が他人を受け入れられるわけもありません。こういう器の小さな人間は、いくら顔面偏差値が高くても受け入れられませんわね(……このあたり、部分的に思い当たる節もありますので自己嫌悪かつ自戒すべきですけど、それを差し引いても赦せません)。なんか生理的に。
「ホント、(器が)ちっちゃい男」
『――――』
ポロリと本音をこぼした瞬間、イゴーロナクが凍りついたかのように動きを止めました。
「アオォォーン!(マスター、こいつ噛んでいいの?)」
突然の静寂にフィーアが戸惑ったような感じで指示を仰ぐ、その吼え声が物悲しく夜の林を通り過ぎていきます。
「……ああ、うん。女に『ちっちゃい』とか言われてはな……。さすがに儂も同情するわい……」
生温かい視線とコッペリアの励ましの言葉に、血走った目でイゴーロナクは一方的に激高して、
『うおおおっ! 喰らうがいい。我が報仇雪恨の技――“鬼哭暗黒冥洞”を!』
体の前面に黒い球体のようなものを生み出しました。
「ええい、逆切れか!? これだから挫折を知らん甘ったれのエリートは……!」
この期に及んで憎まれ口を絶やさないコッペリアもたいしたものですが、
(――これはちょっとマズイかも……)
突然のテンションの変化と、これまでの攻撃とは桁違いの魔力の放出に、さすがに今回ばかりはこの盾(=バルトロメイ)をもってしても耐えられるかどうか、私の中に不安の虫が湧きました。
「ええい、ままよ! 女は度胸、男は愛嬌っ!――はああああああああっ!!」
『ふん!』
気合とともにイゴーロナクの暗黒冥洞と、私が無属性魔法でぶん投げたバルトロメイとが、双方の中間地点で真正面から衝突――その一瞬、呆けていたバルトロメイの目に精彩が戻り、手にした巨大な漆黒の戦斧が翻って、迫り来る暗黒を一刀両断したように感じた――と同時に、音も光も衝撃波もない代わりに、凄まじい魔力波動の爆発が起き、思わず目と耳を塞いでその場に突っ伏してしまいました。
「きゃああああああああああああああっ」
「にょがががが……測定不能…! エラー! エラー!」
『ぐぬうう……』
長いように感じましたが、ほんの一瞬の間だったのでしょう。
ふと顔を上げると、私とイゴーロナクとの対角線上には何もない……暗黒冥洞もバルトロメイも、まるで煙のように消え失せていました。
まさか――!?
全身の血の気が失せた刹那、ポチャン! という水音に続いて、
「――ぬおおおおおっ、足が……足がつかんのである!!」
クワルツ湖の方角からそんな声を風の精霊が運んできて、一気に肩の力が抜け落ちました。
『ふん……上手くしのいだようだが、そちらももう守りはきかんだろう? 次の一手でしまいだ』
あちらも気を取り直したみたいで、左手に例の黒炎を纏いつかせます。
続けて暗黒冥洞を使うまでもないと判断したのか、それとも余力がないのか……後者であることを祈るばかりですが、イマイチ判然としません。
「ええ、そうですわね。次の一手で決まりますわ」
『ほう、観念したのか。ずいぶんと諦めのよいことだな』
返事の代わりに私は手にしたそれを開いて見せます。
掌に乗る硬貨ほどのサイズの黒い結晶体。
Bランククラスの魔物から採れる魔石を加工してさらに純度を高めた『魔晶石』です。この大きさと純度なら、一ダースもあれば魔導帆船の一航海の間中使えるでしょう。
『それがどうした……?』
訝しげに目を細めるイゴーロナク。
確かに希少で高価なモノとはいえ、唯一無二というわけでもなく、魔力を内包していると言っても、直接人間が摂り込んで使えるわけでもないので警戒する意味がないでしょう――普通ならば。
「わかりませんか? この魔晶石には特殊な加工がしてあって、表面に符術用の呪文が彫り込まれているのです」
この暗がりでなおかつ表面に細かい意匠のように彫られた文字が見えるかどうかは不明ですが、私は指の先でそれを確認するようになぞりながら見せ付けます。
『符術だと? ……ああ、そういえば我に歯向かってきた羽虫の一匹に、そんなものを使う小僧がいたな。――だからどうした?』
その手品の種は既に割れている、と言わんばかりの口調で傲然と肩をそびやかすイゴーロナク。
「あらそうですの。さて、この符術ですが基本は決められた術式を符に書き込んで、既定の起動呪文と魔力を流せば、あとは勝手に周辺の魔素に反応して“魔法”という現象へと転化するわけですが、その性質上、威力は符が燃え尽きるまでの一瞬と、偏在する魔素の量に比例します」
『であろうな。――この我に対して魔術の講義か? 文字通り“聖女に説法”だな、いや逆か』
「そこで私は素体を一工夫して、より高純度の魔晶石を加工することにしたわけですが」
まあ、正確には紙に魔石の粉末を混ぜ込んだ墨で書いたセラヴィに教わったやり方だと、私の魔力が大きすぎて起動する前に符自体が負荷で焼き切れるので、そこら辺を何とかしようと工夫した結果です。
『無意味であろう。素体を変えようが、周辺の魔素に反応するのは変わらん。発火装置を変えても燃料が変わらんのであれば、結果は同じだ』
さすがは魔導の頂点を極めた〈不死者の王〉。あっさりと問題点を指摘してきました。
「その通りですわ。威力の増大には繋がりませんでした。ですが、その代わり魔術の継続時間は段違いに増大しました」
『――ふむ』
イゴーロナクの表情に微かに興味と用心の色が浮かびます。
「符術はあくまで単体魔術であり、画一的な効果しか発揮しませんが、施術時間を延長できるようになったことで、複数の魔晶石を組み合わせて、複数人で行うちょっとした儀式魔術を模倣できるようになったわけです」
『ほう……』
今度こそ警戒の色もあらわに身構えるイゴーロナクですが、既に遅いです。
「結果、本来であれば入念な事前準備と時間をかけなければならない大規模魔術を私ひとりでも使える……というわけで、先ほどから私が貴方を中心に円を描くように逃げ回っていたのはお気づきですか? ついでに要所要所で地面にこれと同じものを、起動状態で埋め込んでいたことも」
『なに!?』
愕然と周辺の地面を見回すイゴーロナクの前で、私は残った最後の一欠片に当たる魔晶石に魔力を流し込み、それを足元の地面に叩き付けました。
上空から俯瞰できる魔法使いがいれば気が付いたことでしょう。地面に埋められた魔晶石がイゴーロナクを中心に六芒星の魔法陣を描いていたことを。
私は手にした魔法杖を構えて、ありったけの体内魔力を練り上げ、放出しました。
「さあ“場”は整えたわ! これが私の奥の手、禁断の空間魔法――“大地と天空の神々よ、いまこそその軛をもって戒めとなれ!”――“月落し”」
刹那、通常の百倍に達する重力がイゴーロナクの全身に襲いかかり、
『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?!』
身動きもならないまま絶叫を放つのでした。
イゴーロナクの外見は、ロー○ス島戦記のカシュー王のイメージです。
11/19 表現修正しました。
×継続的に術が施術されておるんなら→○継続的に施術されておるんなら




