魔法陣の正体と袋の鼠たち
聖女教団所属『聖キャンベル教会』前庭――。
「もう、こんなところは嫌だーっ! やってられるか、俺は実家に戻るぅ!!」
ついに耐え切れなくなったらしい、生徒会執行部部長バリー・カーターが絶叫を放った。
迫り来るアンデッド軍団。
夜間の逃避行。
そして安全地帯だと案内された聖女教団の教会に飛び込んだ途端、閃光と共に消失した女子生徒(と、そのお付きの侍女+ペット)。
度重なる異常事態の連続にとうとう精神のメーターが振り切れたらしい。わめき散らす彼に触発されて、生徒会執行部の幹部連中(甘やかされて育てられた貴族・高官・豪商の三男、四男)が、同じように取り乱して騒ぎ始めた。
「ふざけんな、ふざけんなっ。僕を誰だと思っている! お前ら全員で僕を守れ!」
「冗談だろう、冗談だろう? こんなことあるわけない。さっさとサプライズを仕掛けた奴出てこいよ!」
「きっ、き、ききききき、消えた? ちょっ、マジかよ? うぇ、うぇえええっ」
「なんだよ、なんだよっ、なんだよ、これはあ!?」
教師や教導官、教会関係者が必死に宥めようとするが、一度火がついた混乱は容易に収まりそうになく、怒鳴り散らす者、逃げ出そうとする者、護衛の冒険者を買収しようとする者などで、『聖キャンベル教会』の前庭はたちまち鉄火場と化した。
前庭なのは、ジルたちが教会の扉を開けて入った瞬間、床板や左右に並んでいた椅子机ごと消え去ったため、誰も続いて入ろうとしなかったためである。
本来であれば率先して混乱を収拾すべき生徒会の幹部たちが真っ先に崩壊したため、一般の部員や学生たちはどうすればいいのかわからず、おろおろとその場を行き来するばかりであった。
「――ふむ、これはまずいですね」
「――で、あるな」
生徒会関係者はもとより、教職員や教団関係者まで収拾がつかなくなっている状況に、ヴィオラとリーゼロッテふたりの王女が柳眉をひそめた。
ちなみに最初に混乱の口火を切ったバリー生徒会執行部部長は、
「……僕は悪くない、僕は悪くない。本当ならグラウィオール帝国の公子やシレント央国の王女たちを招いて、ここユニス法国の素晴らしさを喧伝して、この退屈な調査学習が終了するまでに身内に取り込める筈だったんだ。そうすれば学園卒業後の人生はウハウハ、伯爵家の三男なんていう取替えのきく立場から一転して、それなりの身分の貴族と養子縁組をするとか、この手柄を手土産に教団でより高位の位階を賜るとかか、ひょっとするとこれを縁にリーゼロッテ王女と深い中になれたかも知れないし、そうなれば一生食いっぱぐれなかったのに。なんでこうなったんだよ、誰か説明してくれよお……」
膝を抱えてブツブツ言っていた。
「……気持ちの悪いことを言っておるのォ」
こりゃもう駄目だとばかり嘆息するリーゼロッテ。
「正直、男子生徒は自分でなんとかしろと思いますけど、目の前で騒がれるとボクの可愛い子猫ちゃんたちが怯えるので、目ざわりを取り除いておいた方がいいでしょうね」
心細い顔で自分の周りに寄り集まっている女子生徒たちに、甘い言葉と優しい笑顔、さり気ないボディタッチで宥めながら、ヴィオラは醜態を見せる男子生徒を冷ややかな目で一瞥して、おざなりに提案した。
「そうであるな。これも上に立つ者の責務であるし」
面倒臭そうに首を振ったリーゼロッテは、その豪奢な縦ロールの髪を軽く手で払うと、小さな胸を張って威風堂々と前庭の中央へと進み出る。
その王族としての気風に打たれたのか、自然と人波が割れて真っ直ぐに伸びる通路を形作った。
で、その後姿を眺めながら、
「やー、やっぱ、いざという時に頼りになるのは女の子だよなー。そう思うだろう?」
「そうですね……同じ立場だとしても、僕には絶対無理です」
ダニエルとエリアスが、うんうん頷きあっていた。
「――おぬしらも少しは役立とうと思わぬか! せめてジルを探す手助けでもしておれっ」
聞きとがめたリーゼロッテが、ウンザリした顔で振り返って一喝する。
言われた男子ふたりの視線が、教会の入ってすぐの現場で、必死になって消えたジルの手がかりを求めて、四つん這いになっているルークとセラヴィへと向けられる。
◆◇◆
「なにか……、なにか手がかりは見つかったかい?」
まるでそこだけスプーンで掬ったかのように、綺麗に円形にくり抜かれた床材を舐めるようにして確認していたルークが、同じように反対側を調べていたセラヴィに声を掛けた。
「何もない……が、妙な魔力の痕跡がある。この円に沿って均等に残滓があるところを見ると、おそらくこの場所に設置型の魔法陣、それも強制的に転移させるタイプのトラップが仕掛けられていたと考えるのが妥当だろうな」
「トラップだって?」
思わずこちらの様子を覗っている教会の修道士・修道女たちを見るが、
「ま、まさか! 教会にそんなモノが設置されているわけはありません」
「そんなものがあればこれまで大騒ぎになっていたはずです!」
異口同音に首を横に振って否定された。
「……常時発動型ではなく、特定の条件を満たせば起動するタイプだったんだろう。それか可能性は低いけれど、時限式でたまたま巻き込まれたのか」
ぶすっとした表情のまま、セラヴィは顔を上げて値踏みするような目でルークを見た。
「ひとつ聞きたいんだが、あの子――ジルは他の人間にはないような特徴を持っていたのか? 魔法を使うのはわかっている。だが、それなら教団の人間もかなりの数が該当するけど、これまで何もなかった以上、他の要素としてだ」
「………」
桁外れの魔力、幾つもの属性を操る才能、希少な浄化を使える治癒術の使い手、精霊魔術、SS級魔獣に相当する天狼の使い魔、超帝国の市民証――数え上げればきりがない。
言葉を選んで躊躇するルークを前に何かしらの確証を得たのだろう。セラヴィは少しだけ呼吸を整え舌で唇を濡らすと、もう一歩踏み込んだ質問を口に出した。
「軽はずみに答えられないか。……なら質問のしかたを変えよう。この教会がクララ様に関係するのはお前も知っての通りだ。その場所で異常が起きた、じゃあ彼女らはクララ様に何か関係があるのか?」
「――――ッ」
ある程度覚悟して自制したつもりのルークであったが、それでもずばり斬り込まれて僅かに動揺が漏れた。
対するセラヴィの目が一瞬剣呑な光を帯びた……その瞬間、
「なんだ、アレは!?」
切羽詰った誰かの声に促されて、はっと我に返ったルークとセラヴィの視線が声のした方向――教会の正門へと向かった。
前庭で騒いでいた一同も雰囲気に飲まれてその方向を見る。
程なく、煌々と篝火などで照らされた教会の領地内へと、昏い森の中から現れた、まるで長い間水でふやけたようなボロボロの衣装を身に纏い、妙な仮面をつけた大鬼が一匹、その巨躯と手にした巨大な草刈鎌を見せ付けるようにして、悠々と歩いてくるその姿が映った。
あまりにも現実離れした出来事に、その場にいた全員が言葉もなく見守る中、教会を囲む結界を無造作に踏み越えようとする大鬼。その足元の地面で鮮やかな火花が散り、大鬼は不快そうに踏み出しかけた足を戻した。
ここまで永遠にも思えたが、実際は数秒であっただろう。
夜の闇を瞬かせた結界の火花で、その場にいた全員の硬直が解けた。
「うわっ、うわああああああああああああああああああああああ――――――――!!」
腰を抜かしたバリー生徒会執行部部長の絶叫が再び引き金となった。
「ガスだ! クワルツ湖から現れる不死身の〈大鬼〉だっ!」
「いやあああああああああっ!! 死にたくない!」
「助けて! 助けて! お母さん!!」
先ほどとは比べ物にならないパニックがその場を支配して、
「落ち着け! 落ち着かんか、馬鹿者っ」
「女性を中心に避難させるんだ! 戦えるものは武器を持て!」
さしものリーゼロッテの叱責や、ヴィオラの鼓舞も思うように群衆の耳には届かない。
「くそっ、僅かに残っていた魔力の残滓がこれじゃあ」
「どいて! どいてください!」
この場にいるよりはマシとばかり、教会の中に雪崩を打って避難する生徒や関係者に揉まれて、その場に留まることも、武器を持って打って出ることもままならず、ルークとセラヴィは舌打ちして必死に人の流れを捌くのだった。
◆◇◆
同時刻。リビティウム皇国シレント央国の首都シレントにある商業区。その外れの方にある、比較的間取りの狭い商店が軒を連ねる通り沿いの一軒の雑貨屋の前で、菫色をしたショートカットの少女が奇声を発していた。
「このタイミングで社員旅行ってどーいうこと!?」
掌の上に燈した魔法の炎に照らされた店の正面には、意外なことに墨痕淋漓たる筆使いで書かれた張り紙がしてあった。
『よろず商会は現在社員旅行のため休業中です。
至急のご依頼がある方はデア=アミティア連合刑務所に服役している終身犯マデューカスさん宛に手紙を送ってください。彼が手紙を受け取ると、グラウィオール帝国にある天上紅華教大聖堂で『賛美歌108番』がリクエストされ、これが流された後、リビティウム・タイムズ紙に「先史文明式G型農業ゴーレム売りたし」という広告と連絡先が掲載されるので、そこに連絡すれば――』
「どこのスナイパーへの連絡方法よ!!」
あまりにも迂遠かつ、実践したらいつになるかわからない注意書きに、発作的に手にした炎の塊を投げつける少女。
張り紙に火がついて、あわや火事か……と思われたのだが、どれほど繊細なコントロールをしているのか、張り紙を焼いただけで建物には焼け焦げひとつ作らず火は消え去った。
しばし怒りが収まらないのか肩で大きく息をしていた少女だが、ほどなくして我に返って頭を抱えた。
「ううううっ、使い魔が連絡してきたけど、学園の救助隊が現場に到着するまでには丸一日はかかるし、万一に備えてフォローしてもらうつもりが……」
こんなことなら最初から護衛役で雇っておけばよかったと後悔しても後の祭りである。
あたしが直接出向くわけにはいかないしなぁ……と、続けて嘆息する、リビティウム皇立学園理事長にして、その魔力の凄まじさから『単身で帝国の全軍事力に匹敵する』とまで言わしめられたメイ・イロウーハ。
その能力を恐れた各国の要請により、相手国からの招聘もしくは超帝国の了承がない限り、勝手に他国へと足を踏み入れるわけにはいかない面倒な立場なのであった。
「ジルちゃんになんかあったら、恨むわよォ~~っ!」
地の底から響くような、おどろおどろしい怨念が篭った呻き声が、主のいない商店の前で漏れ流れていた。
◆◇◆
さらに同時刻。
時差の関係で、こちらはまだ真昼の大陸最西部に近い半島先端にある常夏の小国トリスティス王国の海水浴場にて、出店の屋台の鉄板を前に海鮮焼きそばを焼いていた謎の商人が、不意に背中を走った寒気に細い目を開いていた。
「……なんぞ、嫌な予感がするなあ」
背後の、遥か彼方に存在するリビティウム皇国方面を振り返って首を捻る。
そこへ水着にエプロンをつけただけという、どこぞ風俗関係かといいたくなるような恰好をした従業員――白猫の獣人シャトンが、いつも通り、とろんとやる気のなさそうな調子で、伝票を持ってきた。
「ボス、追加注文です。ポセイ丼2丁に、タイタ肉炒めが同じく2丁です」
「ほい、わかった。これが上がったら、シャトンは昼休みしてええで」
「わかりました」
頷いたシャトンだが、ふと、どうでもいいような口調で首を捻る。
「ところで、これって社員旅行ですよね? なんでそれが海の家で働いているんでしょう?」
「そりゃ旅費がないからに決まってるわ。だから身体で稼いで今夜の寝床とオマンマにありつけるようにせなならんわけだね」
「はあ……」
わかったようなわからないような顔で再度頷くシャトン。
「まあせっかくの海なんだし、少しは楽しんでもバチはあたらんやろ」
気楽にカラカラと笑う彼。
まさか後々皇都に帰ってから、メイ理事長に理不尽な八つ当たりを受けるはめになるとは、知る由もなかったのである。
明日は急な用事が入った為に次回の更新は明後日の予定です。
その後、また火曜日更新します。




