伝説のオーガと伝説の教会
「“光よ、闇を払い普く大地を照らし出せ!――光芒”」
後方に控えていた魔術師が、手にした魔術杖の先に『光芒』の光を燈した。
およそ百年前に伝説の聖女スノウが開発したという光魔術(教団では法術と表現しているが、呪文が違うだけで、内容は同じものである)のひとつで、上級者になれば光自体を独立させて浮遊・移動させることも可能であるが、生憎と今回同行した魔術師にはそこまでの技量はなかった。
だが、それでも松明や角燈とは比べ物にならない白々とした光が、闇に慣れた目には真昼のように周囲を照らし出し、夜戦と言う不利な状況を打破する役割を十分に果たしてくれた。
「――くっ、やはりそうか……」
襲ってきたのは手に手に剣や槍を持った十数人ほどの武装集団で、これに付き従う形で、二十匹近い黒毛の魔物――偽黒羊――が入り乱れる混成集団であった。
ちなみに魔物の等級は、冒険者の階級と同じくFマイナスから、Sプラスまで(まれにこれを逸脱したSS級とかUS級などという文字通りの化け物も存在している……と言われているが、まず地上世界に現れることはない。ほとんど神話の世界のお話なので通常ランクには含めない)で分類されるが、基本的にその強さは、同ランクの冒険者三人がかりで斃すことができるのをおおよその基準としている。
相性などもあるので単純に比較はできないが、つまり魔物は人間よりも三倍強いと考えれば間違いはないところだろう。ちなみに偽黒羊のランクはDマイナスであるので、一匹でDランク――一般的に標準的とされる――冒険者三人に匹敵する脅威と言えた。
つまりトータル七十~八十人の武装集団に襲撃されているのと同じ脅威ということで、ちょっとした軍の小隊から中隊に匹敵する戦力と言えるだろう。
普通であれば砦でもない貴族の屋敷を改造した保養所など、多少の塀があったところで瞬く間に蹂躙されていたところだが、どっこいこちらは百人を越える腕利きの冒険者と貴重な魔術師や亜人の弓使いや僧兵、それに加えて魔法使いや魔剣士としては一線級のリビティウム学園魔法科の教導官が十人ほど後に控えている。
はっきり正面からのぶつかり合いなら、この三倍の数が相手でも撃退できるほど、彼我の戦力には差があった。
だがしかし、守備側の『鋼鉄の荷車』の面々に色濃い憂慮の念が見受けられるのは他でもない。攻撃してきた相手がそこいらの野党や傭兵崩れではないことが、白日の下に明らかになったからである。
「ラザル、ビリー、マンディ、ウッディー、ベン、エルマー、バッグス、ロジャー、セルマ、ケンケン、マットレイ……糞ッ、全滅か」
武器を構え虚ろな目でこちらに向かってくる敵の顔を順に確認して、今回の護衛任務の責任者である『鋼鉄の荷車』副隊長オルランドは歯噛みした。
見渡せば全員の顔に見覚えがある。昼間、ここに来る前に襲ってきた偽黒羊の屍骸を始末するよう命じて、現場に残らせたチームの仲間ばかりである。
それが一転して敵として襲撃者となる……そのこと自体は実はさほど驚きではない。倫理的にあってはならないことながら、貴人や富豪の護衛任務を請け負った冒険者が宗旨替えをして、積荷や身代金目的の強盗に化けたなどという話は、この商売をしていればしばしば耳にすることであった。
だが、いま相対している元仲間たちがそんな損得勘定で裏切ったわけではないのは一目瞭然である。なにしろ全員が既に死んでいるのだから。
首筋や脳天、心臓の上……あきらかに致命傷だと思われる無残な傷が、全員の身体に刻み付けられている。おそらくは鉈か山刀のような分厚い金属の凶器で抉られたものだろう。無論、こんな怪我をして生きている人間などいるはずもない。それは偽黒羊の方も同様で、どいつもこいつも昼間斃した際についた傷や矢がそのまま残ったままだ。
「ゾンビ……いや、脳味噌ぶちまけている奴もいるから違うか? “生ける死人”なのは間違いないが、頭や心臓が弱点ってわけでもなさそうだし、ちと厄介だな」
驚きはあっても衝撃はない。こうした事態も織り込み済みでなければ、大規模冒険者グループの幹部などやっていられないのだ。依頼主や仲間たちの手前、動揺した姿をさらすような無様な真似はできないという矜持もある。
「おそらくは敵は死霊術師だろう。術者を倒すのが一番手っ取り早いんだが、こんな前線に出張るわけもないか……。もしくは白魔術師か“浄化”を使える神官でもいれば一発なんだが」
ないものねだりとはわかっているが、思わずそう口に出さずにはいられなかった。
浄化は治癒術の上位互換能力であり、ただでさえ希少な治癒術者の中でもさらに特別な才能を持った者が、厳しい修行の果てに辿り着ける境地である。そのため、どこの教団でもそうした者は掌中の珠のように大切にし、厳正に管理しているのが通例である。
仮に彼(彼女)らが出張るとなれば、アンデッド王や吸血鬼の真祖、上級悪魔などといった天災級の魔物が現れた時だけだろう。そうそう一介の冒険者風情がお目にかかれることなどできようはずもない、遥か雲の上の存在なのであった。
「……クララ様は僅か十六歳でその境地に達したというが、ここいらを探してもそんな麒麟児がいるわけはないしな。いまある戦力でなんとかするしかないか」
巫女の修行場として有名なこの地で、よりにもよって不浄なアンデッドに襲われるとは皮肉な話だが、予想外の事態を切り抜けたとなれば『鋼鉄の荷車』の面目は立つし、場合によっては報酬の増額もあり得るだろう。そして、なによりもユニス法国のお膝元(ここが大事。自分たちの不可抗力を示し、その管理責任を問えるので、こちらの落ち度とはならない)で皇立学園の生徒たち――それも超がつくVIPばかりである――を守り抜いたという名声は大きい。今後のグループの存続の上で、とてつもない金看板となるだろう。
ピンチではあるが、とんでもないチャンスでもある。
そしてこういう博打のような勝負をするのは嫌いではない。でなければ、冒険者のようなヤクザな商売をやっているわけがないから。
そう素早く計算をして覚悟を決めたオルランドは、集まってきた仲間たちに大声で檄を飛ばした。
「野郎どもっ。見ての通りラザルたちは、どこぞの死霊術師にやられて手駒にされちまった。可哀想だが助けることはできねえ。せめて俺たちの手で安らかに眠らせてやって、奴らの死体をオモチャにしやがった外道をぶちのめしてやろうぜ! いいか、手を抜くなよ! ここで引導を渡してやるのが、奴らのためなんだ。――いくぜっ、弔い合戦だ!!」
「「「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!」」」」」」」」」」
仲間たちが一斉に応える。
「足を狙え! 動きを止めて包囲するんだ! 弓隊は火矢の用意をしろ! 魔法が使える奴は、火が周りに引火しないように消火に当たれ!」
弱点がわからないのなら、原型を留めないほど破壊するか、火で焼くしかない。
即座にそう判断したオルランドの指示に従って、『鋼鉄の荷車』の冒険者たちは勇躍攻撃を開始した。
◆◇◆
部屋着のワンピースから黒のドレスに着替え、黒のブーツを履いて、薔薇のコサージュが付いた鍔広の帽子をかぶって、最後に最近身長にあわせて新調したローブを羽織ったところで準備完了。
念のために『収納』の魔術でしまっていた白銀の魔法杖を取り出して手に取ります。
「――うん。大丈夫ね」
すっかり手に馴染んだ重さに満足して頷く私を、手早く荷物をまとめていたエレンが、不安そうに見詰めながら、おそるおそる訊ねてきました。
「あの、ジル様。もしかして、護衛の人たちと一緒に戦われるつもりですか?」
「――いいえ。いまのところは積極的に打って出るつもりはないわ」
腰を屈めて、足元にじゃれ付くフィーアの背中を撫でながら、私は口に出すことで考えをまとめながら答えます。
「状況がわからない以上、ここで私が勝手な行動をとれば足を引っ張ることにもなりかねないので、他の皆さんと行動をともにしてそちらのフォローにまわるつもりよ」
私の言葉にエレンは胸の前で両手を合わせて、ほっと安堵のため息を漏らしました。
「そ、そうですよね。あれだけの数の護衛の人たちもいることですから、きっと大丈夫ですよね」
「そうね」
なんとなく、それってなにかのフラグのような気がしないでもないけれど、私も同意しておきました。
まあ、昼間見た限りではかなり集団戦になれた玄人集団のようですので、そうそう夜盗や魔物などには引けを取ることもないでしょう。
剣士以外にも魔法使いや魔術師なども結構な人数がいたみたいですから、別段魔女がひとり助っ人に加わることもないでしょう。第一ここで下手に私が手出しをすれば、集団の輪を乱すことにもなりけねませんし、そもそも護衛対象の手を借りた……などいうことになれば不名誉でしょうし、彼らの心情や仁義にも反するでしょうからね。
と言うことで、今回は後方支援に徹することにして、私はエレンとフィーアを伴って廊下に出て、指示に従って館の中央にある玄関ホールへと足を運びました。
見ればほとんどの生徒と教職員及び教導官が揃っています。どうやら私たちは集合した最後の方だったみたいですわね。
「ジル! 無事でしたか。姿が見えないので心配しました」
集団に合流したところで、腰に剣を下げて肩に謎の羽猫をぶら下げたルークが飛んできました。
その後ろにダニエル侯子、ちょっと遅れてセラヴィとエリアス君もいます。
「ええ、大丈夫ですわ。そちらの方こそ大丈…夫……ではなさそうですわね。ダニエル様とエリアス君、そのお怪我は、襲撃で負った傷ですか……?」
ルークとセラヴィは特に変わったところはありませんでしたけれど、ダニエル侯子とエリアス君はともに顔や手などに擦り傷や青痣を作っていました。どうしたことでしょう?!
「あー、いえ、ご心配なく。ちょっと高いところから落ちただけでして……ほんのかすり傷ですので。ご心配をおかけして申し訳ありません」
ダニエル侯子が頬の傷に指先を当てて、なぜか歯切れ悪く明後日の方角を向いて説明……というか、なぜか弁明を聞いているような気がしたのは私の気のせいでしょうか?
そんな彼をルークが妙に冷めた目で睨み付け、「万一、ジルがいたときにやってたら決闘を申し込んでいたところだ」と、よくわからない言葉をかけています。
もう一方のエリアス君もうな垂れていて、この程度の怪我なら治癒できるはずのセラヴィも、「自業自得だ。いい薬だな」と言って手を貸そうとしていません。
ふと、視線を巡らせて見れば、昼間あれだけ護衛の冒険者たちを見下していた生徒会執行部の面々が、まるで借りてきた猫のように大人しくなって、冒険者たちの指示に従っています。そして、彼らもまるでお揃いの様に、顔やら手足やらに包帯やガーゼを当てていました。
……なにがあったのでしょうか?
と、首を捻ったところへ、職員の方から指示がでました。
「万一に備えて、これより安全地帯へと誘導します。裏道を通って、この屋敷の裏手にある『聖キャンベル教会』へと移動し、教団関係者と協力して事に当たります。街に駐留している守備隊も間もなく到着予定ですので、心配にはおよびません」
その言葉に、暗い顔をしていた生徒の皆さんにも、多少は明るさが戻りました。
見れば、特に青い顔をしている女子生徒の集団の中心にはヴィオラがいて、穏やかな雰囲気と甘い囁きでお嬢様方の不安を払拭しているようです。
お見事ですわ。ああいった手練手管が女性にモテる秘訣なのですわね。
感心したところで、あれぇ?! と自分の周囲を固める男子生徒の顔を見回して、いまさらながら当惑しました。
なんとなくヴィオラと逆の立場に立っているような。あ、いえ、これはなんというか騎士たちに守られるお姫様役というか……。
う~~む、と自分の存在意義に疑問を抱く私の傍らで、ルークが鋭い視線を指示した職員に向けていました。
「妙ですね。街から守備隊が来るのでしたら、わざわざ不慣れな夜道を避難せずに、奥の部屋にでも篭城していた方が安全だと思うのですが、なぜわざわざ教会へ移動など……」
その疑問に答えたのは、取り巻きを連れて近寄ってきたリーゼロッテです。
「――ふむ、ルーカス公子の疑問ももっともである。小耳に挟んだのだが、どうやら敵の集団はアンデッドであり、背後にはそれを操る外道術者がおるようじゃな。で、あるので聖印を刻んだ守備結界で覆われた教会へと避難する方針らしい」
「「「「「アンデッド!?」」」」」
「しーィ! 大きな声を出すでない。周りの奴ばらが不安に思うであろう。とにかく、不浄の存在相手であるからな、餅は餅屋、聖職者に任せた方が良かろう。――まあ、さすがに“浄化”を使えるような術者はおらんだろうから、聖水や銀の武器などで削る程度であろうが」
後半のリーゼロッテのぼやきに、セラヴィが渋い顔で「確かにな」と同意しました。
「あら? セラヴィは“浄化”を使えないのですか?」
私の問い掛けに、呆れたような顔で首を横に振ります。
「当たり前だろう。“浄化”を使えるようなのは男なら登塔者、女なら大巫女クラスのおっさん、おばさんばかりだ。俺なんかが使えるわけないし、将来的にも使えないだろうな」
「そうなんですの?」
私は使えますけど? と言い掛けたところで、不意にルークに手を握られました。
びっくりして見れば、怖いほど真剣な瞳で彼が私の顔を覗き込んでいます。
『――それを口に出しては駄目です!』
視線で制せられた私は、迂闊なことを喋りかけていたことに気が付いて口を噤みました。
「ジル様、無理はされないでくださいね?」
僅かに遅れて、心配そうなエレンに声を掛けられました。
「……ええ、大丈夫。わかっています」
ふたりに心配をかけていることを申し訳なく思いながら、私は小さく謝罪しました。
「――ふむ?」
ほんの一瞬の遣り取りでしたのでおそらくは気付かれなかったとは思いますけれど、微かに目を細めたリーゼロッテが、ルークに握られた私の手を見てなぜか口の端を吊り上げます。
「そういえば思い出したが。その『聖キャンベル教会』、そこは昔にかのクララ様と現オーランシュ辺境伯が一緒に祈りを捧げた思い出の場所らしい。以来カップルで訪れると、将来結ばれるというジンクスが生まれたとか。……ついでにそのまま手を繋いで、入ったほうがいいのではないのか?」
「「ええええっ!?!」」
面白がるようなリーゼロッテの言葉に、思わず引っくり返りそうになりました。
◆◇◆
いきなり戦況が引っ繰り返され、混乱をきたした前線を前にオルランドは焦りを覚えていた。
「くっ! たかだか大鬼一匹にいいように翻弄されるとは!!」
当初は問題なくアンデッドどもを駆逐できていたのだ。
死人、死獣である連中にはろくな判断力はなく、予定通り盾を持った重戦士が相手の機動力を奪い、包囲網を敷いて確実に始末していっていた。
こちらに目立った損耗もなく、このまま敵を殲滅できるのも時間の問題と確信した――その時、突如、林の中から大鬼が一匹飛び出してきた。
妙なマスクをかぶったその大鬼は、手にした刃渡り二メルトはありそうな巨大な草刈鎌を振り回し、完全に油断していた味方の後背を突き、前線をズタズタに引き裂き、さらにはこの本隊へと迫ってきた。
無論、多勢に無勢である。遠距離からの魔術や矢が次々と命中し、そのたびに大鬼は仰け反り、吹き飛ぶが、次の瞬間にはまるで何事もなかったかのように平気な顔で立ち上がってくる。
文字通りの不死身の化け物を前に、豪胆な冒険者たちの目にも怯えの色が宿ってきた。
「化け物だ……。満月の夜にクワルツ湖から現れる不死身の〈大鬼〉ガスだ……!」
誰かが漏らした呟きが、たちまち周囲に伝播して浮き足立つ。
――まずい、このままでは下手をすれば総崩れになる。
唇を噛んだオルランドは、近くの地面に突き刺しておいた槍を手にした。
「不死身であろうが、ダメージを与えることは可能だ! ならば身動きを止めて、他の死人同様焼き尽くせば復活はできまい。手の空いているものは槍か縄を使え! 他のものは雑魚を殲滅しろ! 行くぞッ!」
その鼓舞に応じて、オルランドの近くに待機していた仲間たちが、一斉に長物の武器を構えて、大鬼へと殺到した。
10/25 誤字訂正しました。
×魔術師にはそこまでも技量はなかった→○魔術師にはそこまでの技量はなかった
×自分の存在意義とに疑問を抱く私の傍らで→○と自分の存在意義に疑問を抱く私の傍らで
ジルが浄化を使いこなせるようになったのが12歳の時ですので、クララより4年早いです。
普通だと素質がある者でも20年30年修行を積まないと駄目なので、現存する浄化の使える治癒術師は最年少でも30代後半。
そのため16歳で使えたクララはその血筋を残すことで、より優良な巫女・神官を生み出すことを期待されたのですが失敗(ある意味成功はしてますが世間で認知されていません)。
その為、万一、ジルの能力がバレた場合には子供を産む母体扱いされる可能性が高いです。
また作中にでてきた『登塔者』は『登塔者聖シメオン』から引用しました。厳しい修行の果てに、人を癒す力に目覚めた修道聖者という感じの意味ととってください。
あと関係ないですが、アンデッドにされた冒険者の面々は獣人が多かったです。
犬とか兎とか……ラザルはオリジナルですがそれ以外の元ネタが分かった人は、マニアですねえw(正解は、アメリカのカートゥーンの登場人物から名前をとっています)




