巫女姫の封印と不死者の王
「全員抜剣っ! 盾持ちは前へ! 三人一組で敵に攻撃を仕掛ける! 魔術師及び弓使いは後方からの援護に専念せよ。いいか、絶対に貴族のお坊ちゃまお嬢様方……いや、学園関係者の方々には傷ひとつつけるなよ!」
『了解っ――!!!』
護衛として学園側に雇われたシレント冒険者ギルド所属の大規模グループ『鋼鉄の荷車』の面々が、リーダーの指示に従って、その職務を果たすべく一斉に武器や魔術杖を構えて、迫り来る偽黒羊――見た目は真っ黒い毛の牡牛ほどもある羊ですけれど、実は凶暴な肉食の魔物――二十匹からなる群れに対して、即座に迎撃の態勢を取りました。
軍人のように一糸乱れぬ洗練された動き……とはいきませんけれど、百人規模の武装集団が阿吽の呼吸でお互いの位置を確認して、無駄のない動きで自然に連携するその様は、いかにも熟練の冒険者グループといった頼もしさを感じさせてくれます。
……なにげに一般生徒を無視して、貴族・教職員用の大型馬車を中心に守りを固めているようにも見えますけど。
「密集しているところを狙え。――撃てーっ!」
途端、私たちの馬車を守る形で集団の後方に控えていた魔術師や弓使いたちが、一斉に攻撃を開始しました。
大量の矢や魔術が偽黒羊の頭上へと降り注がれ、いましも襲い掛かろうとしていた魔物の機先を制します。
「よし、各自、攻撃開始っ!!」
混乱と興奮から見境なく手近な相手に襲いかかってくる偽黒羊の場当たり的な攻撃をいなして、『鋼鉄の荷車』の冒険者たちが、対魔物戦のセオリー通り、最低限一匹に対して三人一組で攻撃を仕掛けます。
ある程度距離を置いて防御を固め、隙を見て攻撃を加えるという、派手さはないですが手堅い布陣です。その間にも後方からは援護の弓矢と魔術が飛び、一匹、また一匹と偽黒羊が斃されていくのが見えます。
そうして数の均衡が崩れればあっという間で、ほどなく偽黒羊の群れは個別に撃破され、累々たる屍骸が街道沿いに転がる形となりました。
勝鬨を上げる冒険者たちを窓越しに眺めながら、私はほっと安堵のため息をついていつの間にか握っていた掌を開きました。
「――いきなり魔物が襲ってきたときには驚きましたけれど、どうやら死者は出なかったようですね。安心しました。けれど……ただ、安全地帯から見ているだけというのも、これはこれで歯がゆくて落ち着きませんね」
「気持ちはわかりますけれど、無茶はしないでください、ジル。正直、いつ飛び出して護衛たちの加勢に行くのではないかと、ずっとハラハラしていました」
隣に座るルークが、私以上にほっとした顔で胸を撫で下ろしています。
……確かに。冒険者側に死者や負傷者が続出するようであれば、周囲の目もわきまえずに馬車から降りて、治癒や攻撃に加わっていたかも知れません。
私はいつの間にか半分浮きかけていた腰をそっと下ろして、姿勢を正しながら「そんなことはありませんわ。私だって自分の立場や領分はわきまえていますから、そんな無茶はしません」そう弁解したのですけれど、ルークも私の対面に控える侍女のエレンも、明らかに生温かい目でこちらを見ています。
なんとなく居心地が悪くなった私は、足元に丸くなる小犬サイズのフィーアを抱えて抱き締めました。
◆◇◆
「ほう。思ったよりも使える護衛じゃないか?」
「――フン。まあ護衛対象が我々学園でも指折りの有力子弟ばかりだし、連中も張り切らざるを得ないだろう。万が一のことがあれば文字通り連中の首が飛ぶだろうし、逆にここで実績を示しておけば、あわよくば有力なパトロンが得られるやも知れぬ。そんな打算もあるんだろうしな」
「ああ、なるほど。聞いたところではこうした大規模グループはどこも内情は火の車らしい。学園と我々、ともに売り込めるこの機会を見逃すわけにはいかないということか」
「そういうことさ。とは言っても、今回はたかだか魔獣程度が相手なわけで、参考にもならなんな。我が家の騎士団ならもっと短時間で殲滅できただろうし……」
「いやいや、こういう泥臭い戦いもいいものだよ。できればもう少し入り乱れての混戦が見たかったものだけれど」
「おいおい、闘技場で剣隷の殺し合いを見てるわけじゃないぞ。さすがにそれは贅沢じゃないか」
「そうかも知れないけど……見たまえ、冒険者連中の中には獣人や亜人も結構いるじゃないか。連中なら使い潰しても問題ないだろう? 次になにかあったら、あいつらを先頭に立たせられないか交渉できないかな」
「ふむ。面白いな。金次第でなんとかなるんじゃないのか?」
一方、生徒会執行部に所属する幹部たちは、まるで面白い余興にでもあったかのように、専用馬車の中や窓越しに、好き勝手なことを声高に喋り捲くっています。
自分たちを特権階級だと信じて疑わないその傲慢さは、鼻持ちならないどころか醜悪で聞くに堪えません。
――そんなに間近に見たいのなら、このまま進路を変えて『闇の森』にでも直行させようかしら。勿論、護衛なしで。
と、なにげに私が殺意の波動に目覚めかけていると、
「なんて愚かなことを……! 国民があってこその国家であり貴族王族だというのに、それを蔑ろにするなんて、増長慢も甚だしい!」
生粋の皇族であるルークが不快げに眉根を寄せて、肩から落ちかけていたゼクス――いまいち謎な羽猫の名前――を定位置に戻しながら、吐き捨てました。
「――その辺を理解していない馬鹿はいつかそのしっぺ返しを喰らうさ。それは歴史が証明しているからね」
「そうであるからこそ、まともな貴族であれば領地領民を守るために常に足元を見据えるものであるが、所詮は連中は家門を背負う気概も能力もない落ちこぼれであるからな。相手にする気にもならんわ」
いつの間にか私たちの馬車に並んでいた同型車の窓越しに、ヴィオラとリーゼロッテが深い諦観と侮蔑をたっぷり載せた口調で話しかけてきます。
長旅での可搬性と快適性を重視した大型馬車は、見た目こそお姫様方が乗るにはいささか無骨ですが、代わりに軍用馬車並みの安全性があります。
鎧戸を閉めれば弩弓でも防げ、対魔法用防御陣も描かれている窓越しに、私はふたりの顔を見返しました。
「……いちいち相手にするな。聞き流せ、という意味ですか?」
ちなみにこれらは学園側からレンタルしたもので、全部で十台ほど。これは基本貴族クラスの生徒とその従者(各自一名ずつ)、それと教職員が乗り込んでいます。残りの一般生徒は学園で用意した、いささか年代ものの乗合馬車のような獣車三台に分乗する形です。
その内訳は、私たちのグループは六班で生徒だけで三十七名。
うち貴族・高位神官・豪商などの子弟が十八名。一般生徒が十九名。
貴族に許されたお付の侍女・従僕が全員で十三名。
それと教職員と教導官が、他の調査学習グループのおよそ倍だという二十二名。それと護衛の数も百二十人以上という、その気になればちょっとした戦争でも起こせる戦力ですので、学園の本気度がわかるというものです。
「聞き流すことはないさ。よく胸に刻んで誰が敵か味方か、よく見極めればいいことさ」
「妾としては余計な贅肉はさっさと切り捨ててしまいたいものだが」
ヴィオラが茶目っ気たっぷりにウインクをして、その隣のリーゼロッテは冷ややかな目で、いまだ下劣な会話を繰り広げている生徒会執行部幹部の面々を睨みつけていました。
「……そうですわね。贅肉はいりませんよね。さっさと脂肪吸引でも手術でもして、綺麗さっぱりなくしたいところですね」
適切な表現に大いに合点がいきました。
「さて、あの者たちは我が国の民。王女として妾はちと労いの言葉をかけてくるので、ジル、それとルーカス公子、お主らは先に進むがよいぞ」
当然のような態度でリーゼロッテが馬車を降り、「では、エスコートいたします」ヴィオラもまた慣れた仕草でその手を取って冒険者たちの方へと歩いていきます。
その向こうでは、『鋼鉄の荷車』の面々が手際よく後片付けをしていました。
「よーし、お前ら。魔物の屍骸は一箇所に集めろ。すべて燃やすぞ」
「素材の剥ぎ取りはしないんですかい?」
「時間がもったいない。我々の任務は学園生の護衛で、速やかに目的地に届けることだ。まあ安心しろ、撃退した分は追加報酬に上乗せしてもらえることになっている」
「わかりました。では五~六人残って油で燃やしておきますので、本隊は先行してください」
「頼むぞ」
一~二匹なら放置してもいいでしょうが、さすがにこの数になると放置しておくと屍骸から疫病が発生したり(そこまで理屈はわからないと思いますが、経験則で病気の元になるのは理解しているのでしょう)、下手をするとより凶暴な魔物を呼び寄せる餌になるかも知れないので、万全を期してこの場で処分することを決めたようです。
さすがに学園で雇用した冒険者だけあって、有能で行動力がありますわね。と、感心して見ていた私たちの馬車が、目的地へ向け再びゆっくりと歩き出しました。
後から考えれてみれば、経験豊富な彼ら『鋼鉄の荷車』の面々ですが、ここで小さな……けれどこの時に限っては致命的なミスを犯したのです。
あるいは、私たちの護衛という優先順位がなければ、あるいはリーゼロッテの激励で浮かれなければ、そんなことはなかったかも知れませんが、時計の針を戻すことは叶いません。
なにはともあれ大量の偽黒羊の屍骸と少数の居残り組を残して、自国の王女直々の労いを受けた『鋼鉄の荷車』の主な面々は、大いに盛り上がりながら早々にこの場から移動を開始し、そして知らないところで、当事者不在のまま賽は投げられたのでした……。
まあ神ならぬ身である私はそんなこととは露知らず、ふと車列の後方に見慣れた火蜥蜴に乗った男子生徒を見つけて、気楽に手を振っていたわけですけれど。
「どうしました、ジル?」
見えている筈なのに露骨に無視しているセラヴィの態度にムキになって、窓から半分身を乗り出して挨拶をする私の背に、ルークが怪訝な口調で訊ねてきました。
「いえ、ちょっと知り合いの姿が見えたもので」
「そうですか。ところで僕たちが泊まる学園の保養所の近くには、クララ様が邪悪な王を封じ込めたという有名な聖地があるそうなので、ご一緒しませんか? 何でもそこの教会というのが、なぜか若い男女の間で穴場スポットとして有名なのだとか」
「そうなのですか?」
教会のことならセラヴィのほうが詳しそうなので、彼も誘ったほうがいいかも知れませわね。
あとで声を掛けてみましょう。
そんな風に聞き流しながら、私は一際大きく手を振りました。
◆◇◆
その場には闇と瘴気が澱のようにわだかまっていた。
「………」
朽ちかけたゴシック調の椅子――框組彫刻が施され、丈の高い背もたれが屹立して尖塔アーチとなっている――に腰掛けた姿勢のまま、“彼”は彫像のように身動ぎひとつせず、ただ時が過ぎるのに身を任せていた。
この地に封印されてからどれほどの昼と夜が経過したことか……。
生と死を超越し偉大なる魔術の深淵に至ったこの身が、この狭隘な閉鎖空間に幽閉され、抜け出ることもできず日々衰え、やがては虚無に還元されるのを待つばかりとなっている。
――憎い。我を封印せし者とその一族郎党に復讐を!
怒りの感情だけが渦巻き身を焦がさんばかりだが、憎むべき相手も復讐を果たすべく手段もない。
己の無力はそっくりそのまま相手に対する憎悪となり、古傷を抉り、血のような怨念を撒き散らす。
それがどれほど続いただろうか。ふと“彼”は微かに――それこそ蜘蛛の糸程度――かつての怨敵に似た気配を感じて、狂しく身悶えした。
――奴か!? 奴が来たのか? あの……あの忌々しいオンナがッ!!
絶叫のような禍々しい波動が封印を振るわせ、周囲へと知らず悪意を拡散させる。
そんな邪念に触発されたソレは、大量の“死”の臭いを嗅ぎつけて、その方向へと巨大な草刈り鎌を携えて歩き始めるのだった。