湖エリア3
異変に気付いたのは一ヶ月後。ヴェルキンが体調不良を言うようになり、仕切りに歯を気にしていた。それから一年経つと、今の様な叫び声が、時折湖から聞こえ、月日が経つにつれその感覚が短くなり、今では頻繁になった。
そこまで話し終えたネルチャは、ヴェルキンを迎えるべく湖に潜った。
ドクタは、ヴェルキンの症状について大体の事は分かった。
おそらく……いや断定するのはまだ早い。
思ったことを頭の片隅に追いやり、じっと湖を眺めていた。
三分ほど経過し、ネルチャは抱えるように、ヴェルキンを運んできた。
思ったよりも症状が進んでいる。ヴェルキンの頬はげっそりとこけ、痛みで眠れず目の下には大きな隈をつくり、何よりも歯や歯茎が酷い状態だった。思い描いていた中で最悪に近い状況で、かなり進行していた。
見慣れているのでドクタは顔色一つ変えなかったが、隣にいるフェルマには衝撃が強かった。
フェルマが知るヴェルキンは、自信が満ち溢れた顔に、むっちりとした体に丸田三本ほどある太い足。
その全てが今のヴェルキンになくなっており、生気が無くなった顔、骨が浮き出ている体に萎んだ足。
こんなにも変わるものなのか。フェルマは声が出ず、直視できずに顔を背ける。
しかし、フェルマは見る事になる……本当の奇跡を。
「安心してください、私が治します」
ドクタは、優しい表情でヴェルキンの目を見て話す。
「おねぇ……がい……します」
この地獄の苦しみから解放してくれるならだれでもよかった……例え、殺しにくる人間でも。
実際、一月前冒険者が湖エリアに来た時、殺してもらおうと、陸に上がろうとした。
その時はネルチャに止められ、思い留まった。すでにそういう精神状態なのだ。
ヴェルキンはぼろぼろ涙を流しながら頼んだ。
「任せてください……ネルチャさんはヴェルキンさんを陸に上げ押さえていてください。フェルマさんは誰か来ないように見張っていてください……」
各自行動に移し、ドクタは大きく息を吸う。そして解析魔法を使い診察を開始する。
原因はおそらく戦闘中に歯茎に強烈な負荷がかかったか、少し切ったかして炎症を起こしたのだろう。病気の進行度合いは、歯周病P四(最悪)段階と歯髄炎の末期歯髄壊死の合併症。
歯周病とは、歯茎に炎症が起こって血や膿がたまり、歯を支えている組織が少しずつこわされていく病気で進行度順にP一~P四まで分類され、P四なら抜歯以外選択肢は残されていない。
歯髄炎は、歯の神経に細菌が感染し、物理的な刺激で炎症がおこっている状態の事を表し、最初は水を飲んだ時しみる程度だが、進行すると食事をしている時や寝る時でも痛みが出てくる。
歯髄壊死まで進むと再生は不可能で根管治療が必要とされている。
前世なら、これほど進行したなら、完治は不可能に近く、現実的な治療法として、歯を抜き神経を切り、根管治療を行っていたであろう。しかしここには魔法がある。だがここまでの症状を治すのは初めてだった。
そこまで考えかぶりを振る。
そんな弱気でどうする。成功するかもじゃない成功するんだ。
治すすべを持っているのに治さないのは医者ではないとドクタは思っている。だから……。
「手術を開始します」
もてる全ての力を使って、余計な感情はそぎ落とし、目の前の手術にドクタは集中した。
まず、一旦すべての歯を取り除くため、口の真ん中両端に糸を着け、車のジャッキーと同じ要領で、口を全快まで開けさせ固定する。糸は魔力を強くする事により強度が変わり、1トンほどの岩をも持ち上げることができる。余談だが現在のドクタは糸を五本までなら同時操作可能である。
極力出血を抑えるよう慎重に歯の根っこから糸で持ち上げ取り除く。
抜いた歯は、浄化魔法をかけた葉の上に置く。腐りかけている歯や溶けていた歯も多く、どれだけ進行していたのかを理解できる。
ここまではドクタは何度もやったことがあり、スムーズに実行できたが、問題はここからだ。
神経が破壊され、歯茎も壊死している部分や浸食されそぎ取られた部分もある。解析魔法で見ていると、壊死が脳にまで達しようとしており、神経に糸を入れ壊死した部分を一本一本治していく。一歩でも間違えれば内出血をお越し最悪の事態になる。気の遠くなるような作業を尋常ではない集中力で行っているドクタ。
滝のように汗を掻き、目の周囲だけは、汗が入り手元が狂わないよう浄化魔法で入らないようにしている。
二時間経ち、全ての神経を回復させ、歯茎に移る。
「第二改変」
そこで活躍するのが、改良した解析魔法パート2だ。これは正常な時の対象を、レントゲンの様に任意の場所に移す。今回は元の解析したものの上に張り付けた。パート2は色が異なるため何処をどれだけ回復させればいいのか、分かる。
それを元にセメントの様に歯茎に糸を張り付け回復させる。
三十分程で元通りになる。この時点で、頭痛がし意識が朦朧としていた。
原因は簡単で魔力が切れかけていた。
魔力の消費量が七割を超えると体がだるくなり八割を超えると頭痛や耳鳴りが断続的に起こる。ドクタは九割近く消費していた。
極力節約していたが、とうとう来たかと唇を噛む。これでもドクタは普通の魔術師よりも魔力量は数段高い。だがドクタが使っている魔法の錬成度や難易度等から比べると著しく低い。個人差はあるが、概ね、魔力が最も成長するのが、十三歳~十八歳で、十歳といえば貴族と呼ばれる上流階級の人間がようやく習い始める時期。本来ならその年齢の魔力の保有量など微々たるものなのだ。
失神寸前の人間とは思えないほどしっかりした足取りでドクタは歯を復元し、最後の気力と精神を振り絞るかのように、一つ一つ歯を糸でくっつけ、回復魔法で完璧に復元する。
それを繰り返すこと二十分。
「手術を完了しました……」
最後の言葉はしっかり言い、壊れかけたテレビの様に、ドクタの意識がぷっつりと途絶えた。




