第五話 入城・庭園の暴君
俺が一体何をしたというのだろうか。
初対面(多分)の少女に喧嘩を売られた。適当にあしらったら実は姫様。
アッハッハー……笑えねぇ。
あぁ、とりあえず空でも見て落ち着こう。あー見事な蒼穹だ……このまま雲のように何処かへ逃げてしまおうか。
「兄さん、現実逃避しても何も解決しないよ」
く、俺を現実に引き戻す不届き者が一名。そいつは俺の隣を行く我が弟エリックだ。
現在は庭園までの道案内をやってもらってる最中。持つべき物は有能な家族だ。
「エリック……人生にはな逃げなきゃやってられないことが山ほどあるんだぞー」
「たかが二十四年生きたくらいで人生を語らないでよ」
こいつ……ズバリと言いやがるな。
「それでもテメェよりは経験豊富だぜ? 俺の経験則から言ってこういう場合はとんずらすればなんとかなる気がする。とりあえずこの際だから隣国のヴェルノア王国に逃げてもいいかもしれん」
「ちょっとちょっと! それだったら家族である僕らが責任取らされるじゃん。せめて責任取ってから逝ってよ!」
冗談だって……んん?
「弟よ……気のせいだといいんだが。今、イッテの言葉に込めた意味が違ったような……」
「気のせいだよ」
そうか、気のせいか。ならそういう事にしておこうか。
それにしても……。
「何で俺なんだよ……姫と接点なんて有るわけがないだろ」
「僕に聞かないでよ。兄さんが忘れてるだけじゃないの? 昔会ったことがあってその因縁とか」
無い……とは言い切れないのがもどかしい。確かに俺は何度か城に来たことがある。
その時に何かあったと考えるのが今のところ妥当な判断なのだが……。
「お姫様に斬りかかられるほどの何かがあったってどういうことだよ……」
「無理やり奪ったとか」
ブッ!! ゲホッゲホッ! 何をだ!?
「……くちびるを」
紛らわしい言い方すんな! そして何故自分で言っておいて頬を赤らめる。この純情少年め!
「そんな命知らずなことをするほど向こう見ずだったとは思いたくない」
「兄さん……逃げてばかりじゃ前に進めないよ」
「やったとは限らないだろうが! 決め付けんな!」
全く……善良な成年男子筆頭候補の俺になんてことを言いやがるんだこいつは。
「あ、着いた。あのアーチをくぐった先が庭園だよ。さて、僕の案内はここまでだね」
「ん? どうせなら中も案内してくれよ。アーシェリアとかいう奴に会いたいんだ」
「……本当に、兄さんって命知らずだよね」
「そんなに褒めるなよ」
照れるぞこの野郎。
「はぁ……まぁいいや。骨は拾ってあげるから。じゃあね!」
「え、あっ……おい!」
俺の静止を聞かずにエリックは駆け出しあっという間に見えなくなった。
さて、どうしようか。行き方は覚えたから気を取りなおして後日、という選択肢もある。これは気分の問題だ。別に、エリックの反応を見てちょっとびびってるとかそんなことは断じて無い。
いや、待て。ここで逃げたらどうなる? アーシェリアは次の日もまた俺の悪評を流布する可能性があるのだ。雑魚だとか下手だとか言われるのは大して気にしないが変態は嫌だ。これは気分的な問題だ。
ということで突入……したものの。
「いねぇな」
一目瞭然。広い空間に噴水や色とりどりの花や草木が配置されているが見晴らしが良い。
おかげで俺以外の何者もいないということがよくわかる。
「アーシェリアさーん。いらっしゃいませんかー」
……返事もない。これは本格的に留守かもしれん。
というかこの情報は正しいのか? 書庫の精霊(自称)が言ってたことだしもしかしたらアレの虚言かもしれん。
しかし、そうなるといよいよ暇になったしまうな。そう自覚すると急に力が抜ける気がする。
もう部屋の用意くらいは出来ただろうか。むぅ……姫騎士のせいで俺の体力が限界に近い。
あんなに走ったり跳んだりしたのは久しぶりすぎた。眠い。
と、俺の視界に入ったのは庭園の外れにある大きな木。良い感じに日陰になり、地面も芝生で覆われているので昼寝には丁度いいかもしれん。
俺はふらふらと覚束無い足取りでなんとか木陰まで辿り着きバタリと倒れ伏す。
おぉ……予想以上に心地良い。俺はゴロリと仰向けになり目を閉じる。そして、すぐに襲いかかる睡魔に白旗をあげ、眠りへと落ちていった。
・
・
・
「――――――」
…………? なんだ、この音は?
木の葉が風でざわめく音に紛れて、綺麗な音色が耳に聞こえる。
なんだろう。それは何処か懐かしい響きのある音色だ。
……良く聞いてみると、それは女性の声のようだった。
「――あはっ。こんな所で眠って……相変わらずね」
懐かしい。俺の記憶には無い声だが、不思議とそう感じた。
これは、夢か?
そう思うと同時に優しく髪を撫でられる感触。
「こんなに髪を伸ばすなんて……ちょっと予想外かな。女の子扱い、嫌いだったもんね?」
一体いつの話をしているのだろうか。
というか感触がある夢ってのは初めてだ。
「ふむ……まだ起きないわね。よしよし」
優しい手つきで撫でられているせいかまた泥のような眠りに落ちそうになる。
ひどく落ち着く。このままこの安寧に身を委ねていたい。
「手は……うっわ、すべすべ。ペンしか持ってませんってか、こんにゃろー」
ムニ、と頬をつつかれる感触。指でつついているのだろうか。
………………。
いやいや、待て。これは夢じゃないだろう。現実味がありすぎる。
誰だ? 眠っている俺の体で遊ぶ不届きな輩は?
「あ、やば。起きそう」
あぁその通りだ、起きるぞ。今からお前の顔を拝んでやるから逃げるなよ、いいな?
俺は心地良いまどろみから目を覚ますためにまぶたを開こうとした、瞬間――
「……とうっ!」
「ぐ、はぁっ!」
肺の中の空気が無理やり搾り出される。何だこの衝撃は!? マジで痛い。
そう、まるで人一人分の体重が勢いをつけて腹にのしかかったような……。
「い、一体……何が…………なっ!?!?」
「あれ、どうかしたの?」
仰向けに寝ていた俺の腹の上には黒のドレスを着た美女が座っていた。
「……夢か?」
「へぇ、椅子も夢を見るんだ?」
……椅子? まさかそれは、俺のことを言ってんのか?
美女は俺を見下ろしながらニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべている。
最悪の寝覚めだ。なんだかいい感じの夢を見ていた気がするが、どんな夢だったのか既に思い出せない。寝起きのこれはインパクトが強すぎる。
「とりあえずどけ。重いんだよ」
「椅子の分際で言うじゃない。これは不敬罪ね」
不敬罪……なんで俺が敬意を払わなきゃならんのだ。
「 ど け って言ってるのが分かんねぇのか? このお転婆娘」
「……アタシに命令するなんて、アンタは何様?」
な、なんだこいつ……妙に凄味のある女だ。攻撃的な印象の赤髪と吸い込まれそうな黒い瞳のせいでたじろぎそうになる。いや、負けるものか。椅子扱いされて退けるわけがない!
「ルシア様だよ!」
「ふぅん……」
俺がそう言うと同時に彼女の腕が伸び、わずかに起こしていた俺の上半身を押さえ付ける。
押し倒されたような状態になって彼女の顔が近く……近く……なり過ぎだろ、おい!
甘い匂いが鼻をつき、脳が痺れを起こす。呆けそうになるのを懸命に我慢する。
まるでキスでもするような距離で彼女は囁く。
「私はアンタのご主人様、アーシェリアよ?」
……ご主人様? 脳みそ湧いてるのかこいつ。……ん? アーシェリアだと?
「さぁ、それでも私に命令出来る? 魔導師ルシア様~あははっ!」
「……『風よ』」
「へ!? ちょ、ちょっと!? ――きゃっ!」
風魔法で小規模の竜巻を作りアーシェリアを芝生の上に放り出す。
重りがなくなった俺は立ち上がりローブについた埃を払う。
アーシェリアはというと俺が魔法を使ったのが予想外だったのか、はたまた別の理由かうつ伏せのまま固まっている。と、思ったらガバッと勢い良く立ち上がり俺の目の前まで近寄ってくる。言わずもがな、その瞳は怒りの業火で燃え上がっていた。
「何すんのよ、アタシはアーシェリアよ!? ルシアのくせに逆らってんじゃないわよ!!」
「あぁ? んなもん知るか。ってかルシアのくせにって意味わからねぇよ猿かお前は?」
「んなっ……子供の頃はアタシの言うことに絶対服従だったくせに! 何よ、アタシより背が高くなったからって偉そうに!!」
……はい? ガキの、頃?
「なんでガキの頃の話が出てくるんだよ。俺たちは初対面だろうが」
「はぁ? とぼけるんじゃないわよ。私はしっかりと覚えてるんだからね! アンタを……ルシア・ウォー・ヴァンレインを奴隷の如く扱ってたことを!!」
な、なんだと? どういう事だ……俺とこいつがガキの頃に知り合ってるだと?
というか奴隷って酷い奴だな、おい!
「一体いつの話だよ……」
「十二年前よ!」
騎士時代真っ盛り。
「……あぁ、忘れてるわ。俺、そこら辺の記憶無いんだよね」
「え……」
無いというかおぼろげなだけだがな。
だが意外や意外。記憶喪失とでも勘違いしたのかなんかしんみりした空気になり始めた。
問題はこいつの言ってたことが本当かどうかということだ。奴隷の如く扱ってたということはどう考えてもこいつに関わるとロクなことにならない。
……逃げよう。相手が悪すぎる。
「全部、忘れちゃったの?」
「あ、あぁ。悪いな……覚えてやれてなくて」
覚えてたらまずアーシェリア関係に近づかなかっただろう。断言できる。
「ううん、いいのよ。気にしないで」
「そう言ってもらえると非常に助かる。そ、それじゃあ俺はこれで……」
自然な動作で振り返ってダッシュ! ……する前にローブの裾を掴まれた。
嫌な予感しかしない。振り返りたくない。
「そう、気にしないでいいのよ、ルシア。無事にアンタはここにいて、アタシもここにいるんだから」
こ、怖い。なぜだか無性に怖くなってきた……ハッ! まさか、これがトラウマという奴か!?
「もう一度教えてあげる。アンタは誰に従って生きるべきなのか。安心して? 今度は忘れないように……体に刻み付けてあげるから!」
裾を掴む手を振り払ってダッシュ開始。身体強化魔法で限界まで脚力を強化!
あっという間に庭園の出入口まで到着する。追ってきてるのか気になって振り返ってみる。だが、アーシェリアはまだ木陰のところにいた。
……にこやかに手を振ってる姿すら恐ろしい。
まだ特に何もされてないけど無理だ。無理無理無理!!
心の奥底があいつにだけは関わるなと泣き叫んでる。もっと早くにその警告が欲しかった!
そうだ……俺はやっぱりあの田舎の屋敷に引き篭っておくべきだったんだ。
逃げよう。俺はそう決心して城内への道を走り抜けた。