倒木の影に師弟ふたり
「師匠」
「はい」
森の中の、巨大な倒木の影に座る人物が2人。
1人は長身で茶髪を高いところで一つに結んだ、縮こまって座る男の鬼。もう1人は背が低く、真っ白な髪を切り揃えた吊り目の男子だ。
どちらも髪を四方八方に跳ねさせて、服のあちこちに汚れを作っている。
この森にいる人間は、この奇妙な二人組だけだ。
「いいですか、一つ一つ確認していきますよ」
「はい」
「師匠」と呼ばれた鬼は、角を手のひらで隠しながら白髪の男に頷く。——この行為は、鬼にとっての深い謝罪を示すサインだ。
「冒険者組合で、この依頼を受けようと言ったのは誰ですか?」
「ぼくです」
「俺がやめようって言ったのにね」
「言ったのにです」
こくこくと、何度も師匠は頷く。
今回の依頼は森に住むウィンドベアの群れの討伐だった。ウィンドベアは一体でも、中堅の冒険者が手こずる相手。だが、師匠は「いけるでしょぉ」とその依頼を簡単に手に取ってしまった。
ウィンドベアの牙を売ればしばらく楽な暮らしができると、そう楽観的な考えを持って。
「宿に青杖を忘れてきたのは誰ですか?」
「ぼくです」
「再三忘れ物がないか確認するように言ったのにね」
「言ったのにです」
魔法が使えない者でも一度だけ魔法を使えるようになる杖だ。戦士の2人にとって、近づきにくい魔獣を倒すのに便利で手頃な手段である。
それをまんまと忘れた師匠は、大きな身体を限界まで小さくしてうずくまった。
「大太刀を手放したのは誰ですか?」
「それっ、それはさぁ」
「誰ですか?」
「ぼくです」
最初、師匠はウィンドベアを一体両断することに成功した。あまりにも綺麗な切断面に気を良くして、弟子に大袈裟にアピールした時に、もう一体のウィンドベアに師匠の唯一の武器である大太刀を弾かれてしまったのだ。
ウィンドベアの腕力と鬼である師匠の力が交差して、結果、大太刀は凄まじい勢いで宙に飛んだ。
現在、その大太刀は巨木の遥か上にぶっ刺さっている。
「今、俺たちを危機に陥れているのは誰ですか?」
「ウィンドベアです」
「は?」
「ひい」
鋭く黒い目を尖らせて、弟子は師匠を睨む。
「……ぼくです」
「そうですね」
さあっと風が2人の間を通り抜ける。遠くでウィンドベアの足音がする。弟子はふう、とため息をついた。
「普段のことならともかく、戦闘面においては全面的に信頼してたのに……」
「「してた」? え、嘘」
「こんなバカみたいな失態かます人他にいないでしょ」
師匠はその場で頭を泥土につけた。いわゆる「土下座」である。
「すみませんでした、本当に」
「汚れるでしょ、やめて」
弟子は無理やり師匠の顔を上げさせた。前髪に土がついている。
「そ、そうだラクル、ぼくに良い考えがある」
「どうぞ」
「ラクルの武器をぼくが使えばいいんだよ!」
簡単なことだった、と師匠は満足げに胸を張った。
対して、弟子——ラクルは、うんざりした顔をしている。師匠はそれに気がつき、再び身体を縮めた。
「あの」
「はい」
「今回の依頼を受ける前に自分が言ったこと、覚えてますか?」
師匠は記憶を洗い出す。
ウィンドベアは体が大きく、それも群れとなると討伐は厳しい。刃が深くまで通らないからだ。
ラクルの武器は一般的なブロードソードで、彼の背丈に合わせて剣の部分が短めのものを選んだ中古の品だ。ウィンドベアを討伐するには不十分な武器である。
そこで、師匠が言ったのは——
「……「ぼくの太刀で倒すから見てるだけでいいよ」」
「よく覚えてましたね」
いくら筋力がある鬼という種族の師匠でも、そのブロードソードでウィンドベアを殺すことは難しい。一体にかまけている間に、他のウィンドベアに背中をざっくりいかれるのは目に見えている。
「あの」
「ごめん」
「師匠」
「ごめん」
師匠はもはや、ラクルに頭が上がらなかった。自分の弟子を、他の誰でもない自分の手によって危機に陥れているのだから。
森を出る道はウィンドベアに塞がれている。どちらにせよ、2人が助かるにはあの群れを切り抜けなくてはいけないのだ。
「ウィンドベアがいなくなるまでやり過ごしますか」
「ええ、それどんだけ時間かかるの」
「食い殺されるよりマシでしょ。師匠はそう思わないんですね」
「いえ、すみません」
幸い、2人はウィンドベアに気がつかれていない。命からがら逃げた甲斐があった。——大体は、ラクルが持っていた煙玉のおかげなのだけれど。
師匠は倒木に頭を預ける。木漏れ日が角に当たった。
「ラクルさぁ」
「はい」
「なんでぼくの弟子になってくれたの」
「それあなたが言うんですか」
厳密に言うと、ラクルが師匠に弟子入りしたのではなく、師匠から弟子になってくれと頼んだのだ。
初めはある依頼の都合で一時的にパーティを組んだだけだったのだが、ラクルの剣の腕を「とんでもないダイヤの原石だ」と師匠が持て囃し、その才を磨かせてくれとラクルの手を掴んだ。
あの時、ラクルはルーキーもルーキーだったから自分の言うことを断れなかったのでは、と師匠は今になって心配になってきたのだ。
「話は聞いてましたからね、かの重戦士ベスランと互角の剣士がいると」
「あ、そうだったんだ、あはは」
「なに照れくさそうにしてるんですか」
王国で特に有名な冒険者パーティの重戦士、ベスラン。その有名人といい戦いをしたと師匠は一躍注目を浴びたのだ。今ではベスランたちの次に有名な冒険者である。
「実力は確かだろうし、そんな人の元で学べばいい経験になると思ったまでですよ」
「ラクル、そんな風にぼくを……」
「こんな人だとは思ってなかったですけど」
「あぁ……」
師匠は再び項垂れた。
「組合の収集にいつも遅れてたんですってね」
「あの宿のベッド気持ちいいからさ」
「それが理由になると思っているなら、凄いです」
ならないの、と師匠は目を丸めた。当然だろとラクルは師匠の肩を小突く。
「い、いやあ、ラクルには助けてもらってるよ。叩き起こしてくれるし、お金の管理もしてくれるし」
「そういうところできちんとしないから、王国でも2番目止まりなんですよ。せっかく実力はあるのに」
「別に、1番になりたいわけじゃないんだけどな……」
ベスランたちのパーティに敵うなんて、師匠も思っていない。彼らは卓越した実力に加えて誠実さ、それに人徳も兼ね備えている。雲の上にいる存在だと思っているが、ラクルは素行さえ直せば届くと思っているらしい。
「てか、ここでやり過ごすとしてもあれを取りに行く方法を考えないと」
ラクルは斜め上を指した。その先はウィンドベアたちがいる場所の巨木である。師匠の大太刀が刺さった木。
「あれ大事な物なんでしょ。極東の国で作った」
「そう、失くしたなんて言ったら角折られちゃう」
「なんであんな高いところに刺さっちゃったんですか」
「当たりどころが悪くて……良くて?」
ラクルは大袈裟にため息をついた。
「あんな高い木、俺も登れませんよ」
「ええ、ぼくも高いところ苦手」
「はあ?」
高く跳ぶのと、高所に登るのとではまた別なのだ。変なところで臆病な師匠に、ラクルは眉を顰める。
「自分で責任とってくださいよ」
「無理だよ、ぼくみたいな大男すぐ落っこちるよ」
「ここで角折りますよ」
「ごめんごめんごめんごめん」
角を押さえ、ラクルから身を避ける。
子供ならともかく、大人なのに角が折れた鬼なんてどんな目で見られるか分かったもんじゃない。
「わ、わかったよ、ぼくが登るよ」
「元よりそれしかないでしょ。あんな木、あなたぐらいの身体能力がないと登れませんから」
「でも、落ちたら助けてね」
「俺に死ねと言ってるんですか」
2人は身長に加え、体格差もかなりある。高所から落ちた師匠をラクルが受け止めに行ったら間違いなく潰されて死ぬだろう。
「あっこから落ちても、師匠なら別に死にやしないでしょ。骨にヒビが入るくらいで」
「枝に刺さったらどうすんの」
「鬼の筋肉と枝なら、鬼ですよ」
鬼は身体能力が高い種族だ。崖から落ちたら流石に大怪我をするが、あの距離なら強い打撲で済むはずである。
「まあ、ウィンドベアがいなくなるまでは時間あるでしょうし、今のうちに心の準備を済ませといてください」
「はあ……何時間になるかなぁ……」
師匠は自身の髪をいじくり回す。誰のせいだ、と言う言葉は、ラクルは胸の内に留めておいた。
「依頼の報酬、元々は7、3でしたよね。俺が3」
「……3、7にしようか」
「5、5でいいですよ」
どのみち、大太刀を取り戻したらまたウィンドベアを殺しに行かなくてはならないのだ。ここでやり過ごした後、結局仕事をするのは師匠である。
「ごめんねラクル、本当にごめん……」
「今回は"かなり譲歩して"、俺にも責任がありますけど、1人の時にこんなヘマしたらどうするつもりだったんですか。あなた、こんな馬鹿げたことで死んでいい人じゃないでしょ」
この事例での決定的なミスは、師匠がラクルにかっこつけようとしたことにある。それを自分の責任でもあるとラクルは言っているのだ。
「その時は、その時だよ……」
「どの時ですか」
はあ、と師匠が脱力しようとした時——ぴくりと視線を前に動かした。ラクルの肩を掴み、遠くを見る。
「どうし——」
「前に何かいる」
ウィンドベアの群れがいる背後ではなく、前からの音。師匠はラクルを腕でかばい、その先に目を凝らした。
木々の隙間で揺れる、大きな影。
緑色の毛がツンと立ち、その焦点は合っていない。口の端から涎を流し、首をぶるぶる痙攣させていた。
師匠は理解した。
あれは、正気を失った魔獣——ウィンドベアの「魔物」である。
「ウィンドベアの魔物」
「え」
鬼は身体能力に加え、五感も鋭い。ラクルが捉えられない物も見ることができる。
ウィンドベアの魔物は、ふらふらとよろめきながらこちらに近づいてきていた。
「ラクル、逃げるよ」
「逃げるってどこに」
「後ろしかない」
は、とラクルは素っ頓狂な声を上げた。
魔物は魔獣に比べ、凶暴で力も強い。正直群れと同じくらいに怖い相手だ。
師匠はラクルを小脇に抱え、倒木を踏み越えた。その瞬間魔物に気が付かれ、おぞましい咆哮が森を裂いた。
ウィンドベアの魔獣たちも師匠たちの存在に気がつく。まさに、前門の虎、後門の狼である。
「し、師匠、これ」
「ごめんねラクル、ぼく頑張るから」
ラクルに迷惑ばかりかけている。こんな時にこそ「任せろ」と言えないと、師匠なんて名乗れない。
足を大きく広げて走る。歩幅が大きいのでたった一歩でぐんと前に進んだ。
ウィンドベアのうち、一体が師匠に爪を振り下ろす。師匠は身を屈め、ウィンドベアの股下をくぐり抜けてそれを回避した。
次に横から疾風の魔法。ウィンドベア特有のそれを、地面を蹴って巨木の壁を走ることで避ける。「わ」とラクルが小さく声を上げた。
そのまま先に抜けようとしたが——3体目が進路を妨害した。唯一のまっすぐ抜けられる道が塞がり、師匠は後ろに飛ぶ。
「クソ、邪魔だな……」
「師匠、後ろ!」
背後からはウィンドベアの魔物が、枝が刺さるのもお構いなしに猛進してくる。蹂躙しに来るのも時間の問題だ。
「ラクル、口押さえて」
師匠はラクルを抱え——木に飛び移った。丈夫な枝を選び、空中を走っていく。大太刀のところまでは届かないが、ウィンドベアの攻撃を避けるのには十分だ。
しかし、結局武器がないとどうすることもできない。ラクルのブロードソードを借りようとした時、師匠の腕からラクルが飛び出してきた。
「師匠、肩借ります!」
「えっ? うわっ!」
そのまま、ラクルは器用に師匠に飛び乗り、師匠の肩を足場に、空中で体をひねりながらブロードソードを振りかぶって——大太刀目掛けてそれを投げた。
「ちょ!?」
下手したら大太刀が折れる。しかし、それは美しい曲線を描き、ゆっくり落ちる。
金属が重なり合う音を立てて、大太刀が刺さっている木の側面をくり抜いて、師匠の武器を宙に飛ばすことに成功した。
「おお! 流石ぼくの弟子!」
こんな離れたところから正確に剣を飛ばすなんて普通ならできっこない。やはり、ラクルは飛び抜けた才能を持っている。
師匠は枝から枝に飛び移り、一際高いところから飛び降りてその大太刀を掴んだ。刀身が光り、師匠の角を映す。
「掴まってなよ」
「はい」
宙で大太刀を構える。狙いはウィンドベアの魔物。
大きく振りかぶり、目をぎらりと光らせて——魔物を頭から真っ二つに両断した。
着地して、すぐさま持ち替える。
腹から逆袈裟斬り、また持ち替えて一文字斬り。
銀の輝きがくるくると舞い、そして、最後に残ったのは師匠とラクルだけだった。
ラクルはあまりにも鮮やかな剣技に放心していた。武器を奪われた時は半泣きで逃げるしかなかったのに、大太刀を取り戻してすぐこんな動きができるとは。
そして、師匠は——笑顔になって、ラクルに大太刀を見せた。
「ラクル! どう、見直した?」
「……師匠、降ろしてください」
「あ、ごめん」
師匠は慎重にラクルを降ろす。乱暴にやってまた怒られるわけにはいかない。
気を取り直して、師匠は大太刀を鞘にしまった。
「で、どうだった! ぼく、ちゃんとやり遂げたよ」
くくった髪を横に流す。さっきの調子はどこへやら、師匠は胸を大きく張っていた。
「というか、ラクルも凄かったな! あんな高いところに剣を正確に刺すなんて、ぼくも中々できないことだよ! やっぱ才能あるなあ、ぼくより強くなれるんじゃない!?」
師匠は打って変わって上機嫌だ。あんな技をラクルに教えたことはない。彼自身の才能とセンスであんな離れ技を成し遂げたことが、師匠にとって何よりの衝撃だった。
「……ありがとうございます」
「あ、ラクルの剣、ぼくが取りに行こうか?」
「いいです。どうせ中古品なんで」
ラクルは服についた砂埃を払った。
「あ、確かに、今回の依頼の報酬と、それにウィンドベアの牙を売ればもっといい剣が買えるよね! 前から思ってたんだ、ラクルにあの剣は地味すぎないかなって」
もっと剣先が鋭かったり、刃が薄いユニークな武器の方がいいのでは、と師匠は思っていた。これを機に買い替えるのは大いにアリだ。
ラクルも機嫌を良くしてくれたかな、と顔を覗くと——
「——無理ですね」
彼は無表情だった。
「え?」
「見てくださいよ、ちゃんと」
ラクルは倒れたウィンドベアを指差す。そして、師匠は気がついた。どれもこれも、特徴的な牙が粉砕されている。一撃で仕留めるために頭を狙ったのが駄目だったのか、状態のいい物はひとつもなかった。
「前にも言いましたよね。がむしゃらに殺すせいで依頼の部位を破損するのやめてくれませんかって」
「あ、あ、あ……」
「今回は討伐だから良かったですけど、師匠自身の狙いはこれだったんですよね。というか、これのために受けたんですよね」
ウィンドベアの牙を冒険者が持って帰ってもいい、珍しい依頼だったからわざわざ危険を承知で受けたのだ。だというのに、そのお目当ての品は……。
「師匠」
「はい」
師匠はすぐさまその場に正座した。もはや慣れた物である。
「俺、新品の剣が欲しいです」
「すみません。2、8で。2、8でお願いします」
師匠は森の中で、角を隠しながら土下座をした。
この作品は、連載作品「カースミーコールミー!」と同じ世界観です。




