第五章 預かっていたもの
叔母の部屋を整理した日から、数日が過ぎていた。
私は自分の部屋の机に座り、何度も同じ写真を見つめていた。
写真の中では、叔母が笑っている。
その隣には二人の女性。
春の光の中で、三人とも心から楽しそうに笑っていた。
(この人たちが……)
母から聞いた名前を思い出す。
柏木遥さん。
今井未帆さん。
そして、もう一人。
木之本麻里さん。
私は小さく息を吐いた。
麻里さんは、叔母の双子の弟――薫の妻だ。
つまり叔父の奥さん。
小さい頃は、よく会っていた。
叔父の家に遊びに行くと、いつも優しく迎えてくれた人。
けれど、大人になってからは会う機会が減っていた。
私はスマートフォンを見つめた。
母から送られてきた連絡先。
指先が少し迷う。
(……聞いていいのかな)
叔母のこと。
過去のこと。
それを掘り起こすことは、もしかしたら誰かを傷つけるのではないか。
そんな気持ちが、胸の奥で小さく揺れていた。
でも――
私は思い出す。
あの写真。
そして、葬儀の日に見かけた男性。
胸の奥で、何かがずっと引っかかっている。
あの人は、誰だったのだろう。
どうして、叔母と一緒に写真に写っていたのだろう。
私は目を閉じる。
叔母の声を思い出そうとする。
小さい頃、よく本を読んでくれた優しい声。
ふと、思う。
(……霞叔母さんなら)
もし自分が同じ立場だったら。
きっと言うだろう。
「知りたいなら、ちゃんと知りなさい」
私はスマートフォンを握り直した。
そして麻里さんにメッセージを送った。
数分後、すぐに返信が来た。
「菫ちゃん?久しぶりね」
その一言だけで、胸の緊張が少し緩む。
(麻里さんだ……)
昔と同じ、優しい雰囲気が文字からも伝わってくる気がした。
―――
週末。
私は駅前の小さなカフェにいた。
窓際の席。
外では春の風が木の枝を揺らしている。
ドアベルが鳴った。
振り向く。
「菫ちゃん?」
懐かしい声だった。
菫は立ち上がる。
「麻里さん」
麻里さんは昔とほとんど変わらなかった。
少し落ち着いた雰囲気になったくらいだ。
優しく笑う表情は、記憶の中と同じだった。
「久しぶりね」
「はい」
席に座ると、麻里さんはしばらく私を見つめていた。
「ほんと、大人になったね」
そう言って、ふっと笑う。
「霞に似てきた」
私は少し驚く。
最近よく言われる言葉だった。
「そうですか?」
「うん」
麻里さんは頷いた。
「笑うと、特に似てる」
私の胸が少しだけ温かくなる。
麻里さんはバッグを開けた。
そして、ゆっくり取り出す。
古い革の手帳だった。
角が擦れ、長い年月使われてきたことが分かる。
「これね」
麻里さんは手帳をテーブルに置いた。
「霞から預かってたの」
私の手が止まる。
「もしね」
麻里さんは静かに言った。
「菫ちゃんが霞のことを聞きに来ることがあったら、渡してほしいって」
私の胸が小さく鳴った。
(……分かってたの?)
自分が、こうして過去を知ろうとすることを。
私は手帳をそっと手に取る。
手にした瞬間、不思議な感覚がした。
叔母の時間が、そのまま残っているような。
麻里は言った。
「遥と未帆にも連絡してあるよ」
私は顔を上げる。
「二人も何か預かってるって」
―――
数日後。
私は柏木遥さんと会った。
静かな喫茶店だった。
遥さんは、写真の印象と同じ人だった。
落ち着いた雰囲気。
静かな眼差し。
席に座ると、遥さんは私を見つめた。
「霞に似てる」
その言葉に、私は少し照れたように笑った。
遥さんはバッグから小さな箱を取り出す。
ジュエリーボックスだった。
白い箱。
丁寧に保管されていたのが分かる。
「霞から預かってた」
私はゆっくり蓋を開けた。
中には――
指輪とネックレスが入っていた。
銀色の指輪。
そして、小さな桜のチャームが付いたネックレス。
光が当たると、静かに輝いた。
私の胸がざわめく。
(指輪……)
遥さんは静かに言う。
「霞ね」
少し遠い目をした。
「その指輪、大事にしてた」
私は指輪を見つめる。
細いリング。
派手ではない。
でも、どこか特別な意味がありそうだった。
遥さんは続ける。
「未帆に会うといい」
その声は少しだけ重かった。
「霞の恋を知ってるのは、未帆だから」
私の胸が強く鳴った。
―――
そして、今井未帆さん。
公園のベンチで待っていた。
私を見ると、優しく微笑む。
「菫ちゃん?」
「はい」
私に気づくと、その人はゆっくり立ち上がった。
優しい声だった。
私は少し慌てて頭を下げる。
「はい、初めまして」
「今井未帆です」
未帆さんは微笑んだ。
その笑顔は柔らかかったが、どこか遠い時間を知っている人のような目をしていた。
二人はベンチに並んで座る。
しばらく沈黙が流れた。
未帆さんは、私をじっと見ていた。
観察しているというより――
面影を探しているような目だった。
そして、小さく息を吐く。
「霞に似てる」
その言葉に、私は少し驚いた。
「麻里さんと遥さんにも言われました」
未帆さんはくすっと笑う。
「そうでしょうね」
そして、少しだけ目を細める。
「特に、目が似てる」
私は何と返していいか分からず、小さく笑った。
未帆さんはバッグを開ける。
中から、少し厚みのある封筒を取り出した。
「これ」
私に差し出す。
「霞から預かってた」
私はそっと受け取る。
封筒は少し古かった。
長い間、大事に保管されていたような手触りだった。
未帆さんは言う。
「霞に言われてたの」
声が少しだけ柔らかくなる。
「もしね、菫ちゃんが私のところに来て、霞のことを聞きたいって言ったら」
そこで一度言葉を止めた。
「これを渡してって」
私の胸が小さく鳴る。
(……やっぱり)
叔母は知っていたのだろうか。
自分がいつか、こうして過去を知ろうとすることを。
私は封筒を開いた。
中には、写真が数枚。
そして、何通かの手紙。
一枚の写真が、目に入る。
叔母。
そして、隣に立つ男性。
背が高く、穏やかな笑顔の人だった。
二人は並んで立っている。
桜の下。
私の胸が強く鳴った。
(……この人)
見覚えがある。
葬儀の日。
遠くから見かけた、あの男性。
私の指先が少し震える。
未帆さんは静かにその様子を見ていた。
そして、ふっと小さく笑った。
「その人ね」
私は顔を上げる。
未帆さんの目は、どこか懐かしそうだった。
「霞の好きだった人」
私は息を止める。
胸の奥が、静かに大きく揺れる。
未帆さんは、写真を見つめながら言った。
「霞ね」
声が、少し優しくなる。
「ちゃんと恋愛してたんだよ?」
その言葉は、思ったよりも温かかった。
どこか、霞を守るような響きだった。
私の胸の奥で、何かがほどける。
どうしてか、分からない。
でもその言葉を聞いた瞬間――
少し安心した。
未帆さんは言葉を続けた。
「みんなね」
苦笑する。
「霞は恋愛に興味ない人だと思ってた」
私も、そう思っていた。
静かで、本が好きで。
恋愛よりも自分の世界を大事にしている人。
そんな印象だった。
未帆さんは写真を指でなぞる。
「でもね」
小さく笑った。
「すごく好きだったんだよ」
私の胸が、静かに締めつけられる。
「霞叔母さん、ちゃんと恋愛してたんだね」
「大恋愛よ?でも、別れは来てしまった」
優しく微笑みつつも、寂しそうな顔をする未帆さん




