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第二十八章 叔母の想い出の品

櫻井さんの言葉を聞いたあと、


胸の奥に張り詰めていたものが、


ふっと緩んだ気がした。


(……よかった)


それが、最初に浮かんだ感情だった。


もっと踏み込まれるかもしれないと思っていた。


もっと、求められるかもしれないと、


どこかで覚悟していた。


弟に会いたいと、言われるかもしれない。


父親として関わりたいと、


そう望まれるかもしれない。


その時、自分はどうするべきか——


ずっと、答えが出せずにいた。


でも、この人は、


それを選ばなかった。


自分の気持ちよりも、


“今あるもの”を優先した。


(……叔母さんと、同じだ)


自然と、そう思った。


自分を押し殺してでも、


相手の未来を守ろうとする人。


その優しさは、


時に残酷で、


でも、どうしようもなく温かい。


私は、小さく頷く。


言葉にしなくても、


ちゃんと伝わる気がしたから。


しばらくの静寂のあと、


胸の中に引っかかっていたことが、


ふと浮かぶ。


(……これも、聞いておかないと)


私は、少しだけ姿勢を正す。


「……あの」


声をかけると、


櫻井さんがゆっくりと顔を上げる。


その視線は、さっきよりも穏やかだった。


少しだけ、柔らかくなっている。


「実は……」


言いながら、


言葉を選ぶ。


「手紙と、ジュエリーボックスもあります」


一瞬、間が空く。


この言葉の意味を、


自分でも確かめるように。


「叔母の……形見のようなものです」


胸の奥が、少しだけざわつく。


(……渡すべきなのかな)


それとも、


自分たちが持っているべきものなのか。


分からない。


だからこそ、聞きたかった。


「……どうされますか?」


その問いには、


いくつもの意味が込められていた。


“受け取りますか?”


“持つ権利があると思いますか?”


“私たちが持っていてもいいですか?”


全部を、含んだ問い。


櫻井さんは、すぐには答えなかった。


ほんの少しだけ、考えるように視線を落とす。


でも、その沈黙は長くなかった。


「……いや」


静かに、首を横に振る。


その仕草が、とても自然で、


迷いがないように見えた。


「この手帳と写真だけで、十分だよ」


その言葉に、


胸が、じんわりと温かくなる。


(……十分、なんだ)


それ以上を望まない。


それ以上を求めない。


その選択が、


とても、この人らしく感じた。


「ジュエリーボックスは」


少しだけ、言葉が柔らかくなる。


「霞が、君に贈りたかったものだろうから」


その一言で、


息が止まりそうになる。


(……あ)


今まで、気づいていなかった。


ただの“形見”だと思っていた。


でも——


“誰に向けて残されたものか”なんて、


考えたこともなかった。


叔母が、私に。


そう思った瞬間、


胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。


「……手紙は」


続く言葉に、自然と視線が上がる。


櫻井さんは、まっすぐこちらを見ていた。


でも、その目はどこか遠くも見ている。


「そのまま、彼女のとこに置いて欲しい」


静かな声。


でも、確かな想いがこもっている。


「彼女だけのものだから」


その言葉を聞いた瞬間、


胸の奥に、すとんと何かが落ちた。


(……そっか)


あれは、


誰かに読ませるためのものじゃない。


あの人が、


あの人のために書いたもの。


届かなかった想い。


それを、


無理に誰かが受け取る必要なんてない。


そのまま、そこにあっていい。


(……この人は)


やっぱり、


何も奪わない。


自分のものだったかもしれないものさえ、


無理に取りに行かない。


寂しさは、きっとあるはずなのに。


それでも、


それを優先しない。


視線の奥に、


ほんの少しだけ寂しさが滲んでいるのが見えた。


でも、それ以上に——


優しさがあった。


(……ああ)


この人は、


本当に叔母さんが愛した人なんだ。


頭じゃなくて、


心で、そう思えた。


私は、小さく息を吸う。


胸の奥が、じんわりと熱い。


さっきまでの不安や迷いが、


少しずつ溶けていく。


「……分かりました」


自然と、言葉が出る。


もう迷いはなかった。


「大切にします」


それは、


ジュエリーボックスのことでもあり、


手紙のことでもあり、


そして——


この人が守ろうとしたもの全部に対しての言葉だった。


櫻井さんは、ほんの少しだけ微笑んだ。


ほんのわずか。


でも、確かに。


その表情を見た瞬間、


胸の奥が、少しだけ軽くなる。


(……ちゃんと、終われるかもしれない)


いや、


終わるんじゃない。


繋がったまま、


それぞれの場所に戻っていく。


そんな感覚。


窓の外では、


桜が、静かに揺れている。


あの日と同じように。


でも今は、


ただ悲しいだけじゃない。


少しだけ、


あたたかい気持ちが残っていた。

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