第二十五章 叔母への想い
私は、しばらく言葉を選べなかった。
さっきまで話していたはずなのに、
いざ“本当に伝えたいこと”になると、
何も出てこなくなる。
(……違う)
出てこないんじゃない。
出したくないんだ。
この先を言葉にしたら、
もう戻れない気がして。
(……でも)
ここまで来て、
黙るなんてできない。
私は、膝の上で手を握る。
少し、冷たい。
「……あの」
声が、思ったよりも小さく出た。
櫻井が、ゆっくりとこちらを見る。
その視線に、一瞬だけ怯む。
でも、逸らさない。
「さっき……叔母のこと、話しましたけど」
言いながら、自分の中の記憶をなぞる。
病室。
本の匂い。
優しい声。
「私にとって、叔母は……ずっと“病院にいる人”でした」
少しだけ、息を吸う。
「いつも笑ってて、本を読んでくれて」
視界の奥に、あの光景が浮かぶ。
「いろんな物語を、教えてくれて……」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「叔母の声、すごく優しくて」
自然と、少しだけ笑っていた。
でも、そのまま続ける。
「……だから、ずっと大好きでした」
その言葉を口にした瞬間、
少しだけ喉が詰まる。
(……まだ言える)
続ける。
「ずっと……居てくれるって、どこかで思ってました」
当たり前みたいに。
明日も、
その次の日も。
ずっと続くものだと。
「でも——」
そこで、言葉が揺れる。
あの日の感情が、蘇る。
「亡くなった時」
呼吸が、少しだけ浅くなる。
「上手く言えないんですけど」
視線が、少しだけ下がる。
でも、逃げない。
「寂しいとか、悲しいとか……そういうの全部ぐちゃぐちゃで」
あの時の自分を思い出す。
何も分からなくて、
何も感じきれなくて、
ただ、立ち尽くしていた。
「……泣きたいのに、泣けなかったんです」
声が、少しだけ震える。
「それが初めてで」
今でも、その違和感が残っている。
「……今でも、泣けないんです」
言い切ったあと、
胸の奥が少しだけ痛む。
櫻井さんは、何も言わない。
ただ、黙って聞いている。
その静けさが、逆に優しかった。
「そんな時に」
私は、少しだけ顔を上げる。
「葬儀場で、貴方を見かけました」
あの時の光景。
一瞬だけ目が合って、
すぐに逸らされた視線。
「……何か、違和感があって」
理由は分からない。
でも、確かに引っかかった。
「それで、叔母のことを調べたんです」
手帳。
手紙。
写真。
全部を繋いでいった日々。
「そしたら——」
一瞬、言葉を止める。
そして、はっきりと続ける。
「貴方に辿り着きました」
静かな言葉。
でも、それは確かな“答え”だった。
少しの沈黙。
その中で、自分の中に残っていたものが、
ゆっくりと形になる。
(……これも、言わなきゃ)
逃げたくなる。
でも、ここで言わなかったら、
たぶん一生、言えない。
私は、もう一度手を握る。
そして——
「……羨ましかったんです」
ぽつりと、こぼれる。
櫻井さんの目が、わずかに動く。
「この写真の叔母が」
視線を、テーブルに置いた写真に落とす。
あの、笑っている叔母。
「私が知らない顔で」
胸の奥が、じわっと熱くなる。
「こんな風に笑える人だったんだって」
少しだけ、息が詰まる。
「……なんで、私は知らなかったんだろうって」
責めるわけじゃない。
でも、どうしても思ってしまう。
「ちょっとだけ、悔しくて」
正直な気持ち。
ずっと心の奥にあったもの。
「でも同時に——」
顔を上げる。
櫻井さんを見る。
「よかったとも思ったんです」
その言葉に、自分でも少し驚く。
でも、間違いじゃない。
「ちゃんと、幸せな時間があったんだって」
声が、少しだけ柔らかくなる。
「それを知れただけで、救われた気がして」
あの人の人生は、
病院だけじゃなかった。
ちゃんと、誰かと笑っていた。
それが、何よりも大きかった。
少しだけ、間が空く。
そして、最後に。
「……だから」
小さく息を吸う。
「貴方に、伝えたかったんです」
視線を逸らさない。
まっすぐに。
「叔母のことを、ちゃんと知っている人に」
声は、震えていない。
「ちゃんと、届いてほしかったから」
それが、
私の“告白”だった。
誰にも言えなかった、
ずっと抱えていた気持ち。
言い終わったあと、
胸の奥が、すっと軽くなる。
同時に、
少しだけ怖くなる。
(……どう思ったんだろう)
櫻井さんは、まだ何も言わない。
でも、その沈黙は、
さっきまでとは違っていた。
ただの静けさじゃない。
何かを、受け取っている静けさ。
その空気の中で、
私はようやく、
本当に“伝えた”のだと実感していた。




