表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/32

第二十四章 いろんな想い

言葉を、すべて吐き出したあと。


胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなった気がした。


それでも、完全には消えない。


むしろ——


(……これで、終わりじゃない)


ここからが、本当の意味での“受け渡し”なのだと思った。


私は、バッグの中に手を入れる。


指先に触れる、紙の感触。


何度も取り出して、何度も戻したもの。


少しだけ深呼吸をして、


ゆっくりとテーブルの上に置いた。


まずは、写真。


あの、桜の下で笑っている二人。


そして、その横に——


古い手帳。


最後に、もう一枚。


少しだけ新しい、弟の写真。


並べた瞬間、


空気が、変わった気がした。


過去と、現在が、


この小さなテーブルの上で繋がる。


私は、何も言わなかった。


もう、言葉はいらないと思った。


ただ、見てもらうだけでいい。


感じてもらうだけでいい。


櫻井さんは、しばらく動かなかった。


視線が、ゆっくりと写真に落ちる。


そして——


止まる。


桜の写真の上で。


(……気づいた)


分かる。


言葉にしなくても。


あの笑顔。


あの距離。


あの空気。


全部が、“本物”だと。


櫻井さんの指先が、わずかに動く。


触れるか、触れないかの距離で止まる。


まるで、


壊れてしまうものに触れるみたいに。


(……そんな顔、するんだ)


初めて見た。


テレビでも、雑誌でも、


どこにも映らない表情。


ただの一人の人としての、


どうしようもない感情。


やがて、指先が写真に触れた。


ほんの一瞬だけ。


確かめるように。


そのあと、ゆっくりと手が離れる。


視線が、次に移る。


古い手帳。


少し色褪せた表紙。


何度も開かれた跡。


時間を重ねた証。


櫻井さんの手が、今度は迷わずそれに伸びた。


そっと、手帳を開く。


ページを、めくる。


ぱらり、と小さな音。


静かな店内に、その音だけがやけに響く。


私は、息を止める。


(……読んでる)


あの人の言葉を。


あの人の、本音を。


誰にも見せなかった想いを。


櫻井さんの目が、文字を追う。


ゆっくりと。


でも、確実に。


途中で、指が止まる。


同じ行を、もう一度なぞる。


(……そこだ)


きっと、


あの言葉に触れた。


“本当は、一緒にいたい”


“でも、それは自己満足だから伝えない”


あの、どうしようもないほど優しい本音。


櫻井さんの喉が、わずかに動く。


何かを飲み込むように。


でも、飲み込みきれていない。


ページをめくる手が、


少しだけ震えている。


それでも、止めない。


最後まで、読もうとしている。


全部、受け取ろうとしている。


(……ちゃんと向き合ってる)


逃げないで。


逸らさないで。


その姿が、痛いほど伝わってくる。


私は、何もできない。


ただ、ここで見ていることしか。


それでも、それでいいと思った。


これは、


私が入ってはいけない時間。


二人だけの時間だから。


やがて——


ページをめくる音が、止まった。


櫻井さんの手も、動かない。


視線が、どこか一点に固定されている。


そして、


ゆっくりと、顔が上がる。


その表情を見た瞬間、


胸が、強く締め付けられた。


(……あ)


分かった。


言葉を聞く前に。


「……ちゃんと」


かすれた声。


今にも途切れそうな。


「愛されていたんだな……俺は」


その一言で、


すべてが繋がった。


櫻井さんの目が、わずかに潤んでいる。


でも、涙は落ちない。


落とさないようにしているのか、


それとも、


落とし方を忘れてしまったのか。


分からない。


でも、その表情は、


さっきまでのものとは、明らかに違っていた。


(……届いたんだ)


やっと。


やっと。


あの人の想いが、


この人に届いた。


時間は、かかりすぎた。


形も、歪だった。


それでも——


確かに、届いた。


胸の奥が、じんわりと熱くなる。


(……よかった)


それが、最初に浮かんだ感情だった。


悲しみでも、後悔でもなく。


ただ、安心。


あの人の想いが、


無駄じゃなかったと知れたこと。


それだけで、


少しだけ、救われた気がした。


櫻井さんは、もう一度手帳に目を落とす。


指先で、そっとページを撫でる。


まるで、


そこにいる人に触れるみたいに。


(……まだ、いる)


ここに。


言葉の中に。


記憶の中に。


完全に消えてしまったわけじゃない。


私は、そっと視線を外す。


窓の外を見る。


桜が、舞っている。


変わらずに。


何もなかったみたいに。


でも、確かに今、


何かが終わって、


何かが繋がった。


私は、その境目に立っている。


過去を知って、


未来に渡す役目。


(……終わったのかな)


まだ分からない。


でも、少なくとも——


ここまでは、ちゃんと来れた。


そう思えた。


テーブルの上には、


写真と、手帳と、


そして——


まだ触れられていない、一枚の写真。


弟のもの。


櫻井さんは、まだそれに気づいていない。


それとも、


気づいていて、見れないのか。


どちらでもいいと思った。


その一枚に手を伸ばすかどうかは、


この人が決めることだから。


私は、ただ静かに待った。


もう、急かすことはしない。


想いは、届いた。


あとは——


この人が、どう受け取るかだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ