第十五章 叔母の決意
——拝啓
少しだけ、時間が空いてしまいました。
あなたはきっと、忙しくしているのだと思います。
—
書き出しは、いつもと同じだった。
変わらないように見える言葉。
けれど、その奥にある温度が、どこか違う。
私は、自然と背筋を伸ばしていた。
この先にあるものを、感じ取ってしまったから。
—
——最近は、あなたに会えない日が増えましたね。
前なら、少しの時間でも会えていたのに。
今は、それも難しくなってしまいました。
—
淡々としている。
責めるわけでもなく、ただ事実を書いているだけ。
でも、その静けさが、かえって胸に刺さる。
—
——でも、不思議と、寂しいとは思わなくなりました。
—
その一文に、私の指が止まる。
(……え)
—
——きっと、慣れてしまったのだと思います。
会えないことに。
—
嘘だ、と直感で分かる。
慣れたわけじゃない。
そう思い込もうとしているだけだと。
—
——あなたが遠くへ行くことが、現実になってきて。
それを、ちゃんと受け止めようとしているのかもしれません。
—
静かに、少しずつ。
言葉が核心へと近づいていく。
—
——この前、あなたが出ている作品を見ました。
—
私の胸が、わずかに強く打つ。
—
——画面の中のあなたは、私の知っているあなたとは少し違っていました。
でも、それがとても自然で。
ああ、この人は、本当にこの道を進んでいくんだと思いました。
—
そこには、誇らしさがあった。
そして同時に——
—
——少しだけ、遠く感じました。
—
やっぱり、同じ言葉に戻る。
隣にいたはずの人が、手の届かない場所へ行く感覚。
—
——でも、それでいいのだと思います。
—
その言葉は、もう迷っていない。
—
——あなたが選んだ道だから。
—
私は、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が、重くなる。
これはもう、「覚悟」だ。
—
——私は、あなたの隣にいることが幸せでした。
—
過去形。
その一言が、すべてを物語っている。
—
——何もない日でも、一緒にご飯を食べて、本を読んで。
それだけで十分だと思っていました。
—
その時間は、本物だった。
疑いようのない、幸せな時間。
—
——でも、その時間が、あなたの足を止めてしまうのなら。
—
私の指先が、強く紙を押さえる。
—
——私は、それを望みません。
—
はっきりとした意志。
揺らぎのない言葉。
—
——あなたには、もっとたくさんの景色を見てほしい。
もっと多くの人に、あなたのことを知ってほしい。
—
それは願いだった。
祈りに近いもの。
—
——私の隣にいるよりも、きっと、その方がいい。
—
その言葉は、あまりにも静かで。
だからこそ、残酷だった。
—
——私は、大丈夫です。
—
嘘だ。
誰が見ても分かる。
—
——そう思えるくらいには、あなたとの時間をもらいました。
—
それでも、前を向こうとしている。
—
——だから
—
また、間が空く。
長く、長く考えた跡。
—
——ここで、終わりにしましょう。
—
私の呼吸が、止まる。
—
——ちゃんと、お別れをしたいと思います。
—
静かな、決断。
逃げではない。
選んだ終わり。
—
——あなたに会って、話をしたいです。
—
その一文だけが、少しだけ震えている。
—
——最後に、一度だけ。
—
そこに、すべてが込められている。
—
手紙は、そこで終わっていた。
⸻
私は、しばらく動けなかった。
手紙を持ったまま、ただ座っている。
頭の中で、何度も言葉が繰り返される。
(……終わりにしましょう)
あまりにも、静かすぎる。
叫びも、縋りもない。
ただ、相手の未来を優先した決断。
(……どうして)
胸の奥が、締め付けられる。
こんな形でしか、守れなかったのだろうか。
一緒にいる未来じゃなく、
離れる未来を選ぶしかなかったのか。
私は、ゆっくりと目を閉じる。
浮かぶのは、病室の叔母。
笑っていた顔。
優しく本を読んでくれた声。
その裏に、こんな感情を抱えていたなんて。
(……強すぎるよ)
そう思ってしまう。
でも同時に——
それしか選べなかった理由が、きっとこの先にある。
まだ知らない事実。
まだ読んでいない手紙。
私は、ゆっくりと目を開ける。
震える指で、次の手紙へと手を伸ばす。
その先にある「別れの日」を、
もう、知ってしまうしかなかった。




