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第十一章 葬儀場 Sside

葬儀場の扉を前にして、俺はほんの一瞬だけ立ち止まった。


手を伸ばせば開く距離。


それなのに、妙に遠い。


(……違うかもしれない)


まだ、そう思っている。


同じ名前の、別の誰か。


そうであってほしいと願っている自分がいる。


息を整える。


胸の奥が、ずっとざわついている。


静かに扉を押した。


中は、驚くほど整っていた。


白い花。


低く流れる読経。


抑えられた空気。


現実が、あまりにも静かすぎる。


足音を殺すように進む。


視線を上げる。


祭壇。


遺影。


その瞬間。


思考が、止まった。


(……ああ)


否定は、できなかった。


そこにいるのは、間違いなく霞だった。


変わっていない。


少しだけ大人びているのに、あの頃の面影がそのまま残っている。


柔らかく笑う目元。


わずかに傾いた口元。


見慣れていたはずの表情。


二十年という時間を越えて、そこにあった。


俺の中で、何かが静かに落ちる。


音もなく。


ただ、確かに。


(見つけた)


ようやく。


ずっと探していた人を。


その事実が、胸の奥に広がる。


遅すぎる安堵。


そして、同時に押し寄せる現実。


(……遅い)


間に合わなかった。


どこにも行けなかった時間が、そのまま重くのしかかる。


足元がわずかに揺れる。


それでも、立っている。


目を逸らせない。


逸らしたら、本当に終わってしまう気がして。


霞を、見る。


ただ、見る。


何も言えないまま。


(……なんで)


言葉にならない問いが浮かぶ。


(なんで、何も言わなかった)


責めたいわけじゃない。


でも、どうしても、思ってしまう。


あの別れ。


理由を聞けないまま終わった、あの日。


「別れよう」


そう言った霞の顔が、鮮明に蘇る。


あのときも、笑っていた。


少しだけ、無理をしているような笑顔で。


(あれで終わりだったのか)


それだけだったのか。


あの時間は。


俺はゆっくりと遺族の方へ歩く。


頭を下げる。


深く。


言葉は出ない。


出せない。


顔を上げたとき、視線が合う。


若い女性。


霞に似ている。


ほんの少しだけ。


目元の柔らかさ。


その視線の強さ。


一瞬、時間が止まる。


何かを言われる前に。


何かが繋がる前に。


俺は、視線を逸らした。


逃げるように。


そのまま、静かにその場を離れる。


振り返らない。


振り返ったら、終わる気がした。



ホテルに戻る。


ドアを閉める。


鍵の音がやけに大きい。


その瞬間。


全身の力が抜けた。


背中をドアに預ける。


そのまま、ゆっくりと崩れ落ちる。


床に座り込む。


呼吸が乱れる。


今まで押し込めていたものが、一気に溢れる。


「……は、」


息がうまく吸えない。


胸が苦しい。


頭の中に、遺影が浮かぶ。


笑っていた。


あの頃と同じ顔で。


(本当に……霞だった)


現実が、遅れて追いついてくる。


(二十年)


探していた。


どこにいるのかも分からないまま。


それでも、生きていると思っていた。


どこかで、きっと。


(なのに)


こんな形で見つかるなんて。


こんな終わり方で。


手で顔を覆う。


指先が震える。


(どうして)


その問いが、何度も繰り返される。


(どうして、何も言ってくれなかった)


一言でもよかった。


理由でも。


嘘でも。


何でもいい。


ただ、何か残してくれていれば。


(二十年も)


空白のまま、抱えなくてよかった。


拳を強く握る。


行き場のない感情が、胸の中でぶつかる。


怒りにもなりきれない。


悲しみだけでもない。


ただ、強い“寂しさ”が残る。


(会いたかった)


それだけだった。


もう一度。


ちゃんと、話したかった。


あの日の続きを。


なのに、それはもう、叶わない。


俺はゆっくり目を閉じる。


浮かぶのは、若い頃の霞。


笑っている顔。


何気ない会話。


全部、鮮明なのに。


触れられない。


もう、どこにもいない。


喉の奥が締め付けられる。


声は出ない。


ただ、静かに涙だけが落ちた。


止まることもなく。


二十年分の時間が、ようやく現実になって


俺の中に、深く沈んでいった。

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