表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/32

第十章 やっと見つけた… Sside

朝の光は、やけに平坦だった。


カーテンの隙間から差し込む光が、床に四角く落ちている。


地方のビジネスホテル。


簡素な机の上に、まだ湯気の残るコーヒーと、折りたたまれた新聞。


撮影の合間の朝。


決まった時間に起きて、決まったように支度をして、決まったように現場へ向かう。


その繰り返しの中の、ただの一日。


俺は椅子に腰を下ろし、何気なく新聞を広げた。


指先が紙をめくる。


音がする。


乾いた、軽い音。


視線は流れていく。


政治。


経済。


芸能欄。


自分の名前がないことを確認するでもなく、ただ習慣で追っているだけ。


ページをめくる。


その手が、途中で止まった。


ほんの、小さな違和感だった。


意識する前に、目が引き止められる。


ページの端。


細い枠。


お悔やみ欄。


普段なら、読み飛ばす場所。


なのに、その中の一行だけが、異様に鮮明に見えた。


【木之本 霞】


一瞬、意味が分からなかった。


ただの文字として目に入る。


読み取る。


理解する。


——しない。


指が止まる。


呼吸が浅くなる。


俺は、もう一度その文字を見る。


ゆっくりと、なぞるように。


【木之本 霞】


頭の中で音にする。


かすみ。


霞。


(……違う)


心が先に否定する。


同じ名前は、いくらでもいる。


ただそれだけのことだ。


そう言い聞かせる。


でも、視線が動かない。


その下に書かれている年齢に、目が落ちる。


【四十歳】


胸の奥が、鈍く軋む。


(……四十)


計算しようとする。


やめる。


でも、勝手に合ってしまう。


出会った頃の年齢。


そこからの時間。


二十年。


合う。


ぴたりと。


俺の喉が乾く。


視線を逸らそうとする。


それでも、逸らせない。


次に、住所を見る。


見覚えのある地名。


昔、何気ない会話の中で聞いたことのある場所。


「実家、そっち方面なの」


そう言ったときの、あの少しだけ照れたような笑い方。


記憶が、鮮明に蘇る。


俺は新聞を握りしめた。


紙が、くしゃりと音を立てる。


(……霞?)


ようやく、名前として頭の中に落ちる。


同時に、心臓が強く鳴る。


一度、目を閉じる。


考える。


冷静に。


同姓同名。


偶然。


ただの一致。


いくらでも理由は作れる。


作ろうとする。


でも——


(なんで、こんなに)


胸が苦しい。


理由が分からないまま、苦しい。


それがもう、答えに近かった。


俺はゆっくり立ち上がる。


足元が少しだけ不安定になる。


机に手をつく。


呼吸を整える。


新聞を持ち直す。


もう一度、その欄を見る。


何度見ても、変わらない。


そこにあるのは、紛れもなく


「終わり」を告げる文字だった。


(……嘘だろ)


小さく、呟く。


声はほとんど出ていない。


二十年。


二十年、探してきた。


どこにいるのか分からなくても、生きていると思っていた。


会えないだけだと。


いつか、どこかで、偶然でも。


そう思っていた。


それなのに。


こんな形で。


こんな、小さな欄で。


終わるなんて。


俺は強く息を吐く。


頭が回らない。


でも、体だけが先に動く。


スマートフォンを掴む。


時間を確認する。


葬儀の日付。


今日。


指が止まる。


(……今日?)


一瞬、何も考えられなくなる。


でも次の瞬間、思考が一気に流れ出す。


場所。


距離。


移動時間。


間に合うか。


いや——


(行く)


考える前に、決まっていた。


行かない理由が、一つもない。


いや、行かないという選択肢が、最初から存在していない。


俺はコートを掴む。


鍵を取る。


部屋を出る。


廊下を歩く。


足音がやけに大きく響く。


エレベーターのボタンを押す。


待つ時間が、異様に長い。


心臓の音がうるさい。


ドアが開く。


乗り込む。


階数表示がゆっくり変わる。


その数秒が、耐えられないほど長い。


(……会えるのか)


ふと、思う。


すぐに否定する。


(違う)


もう、会えない。


それでも、行く。


理由は分からない。


分からないけど——


(最後くらい)


それだけが、はっきりしていた。


ホテルの外に出る。


空気が冷たい。


タクシーを止める。


ドアが開く。


乗り込む。


「すみません」


声が少し掠れる。


新聞を見せる。


「ここ、お願いします」


運転手が頷く。


「葬儀場ですね」


その言葉に、胸が強く締め付けられる。


俺は目を伏せ、小さく頷いた。


車が走り出す。


窓の外に、桜が見えた。


淡い色の花びらが、風に揺れている。


霞は、桜が好きだった。


「桜の季節が好きなの」


そう言っていた声が、耳の奥で蘇る。


俺は目を閉じる。


拳を握る。


(二十年も)


遅かった。


分かっている。


それでも——


(それでも、行く)


会えなくてもいい。


話せなくてもいい。


ただ、そこに行かなければ


このままでは、終われない。


車は、静かに葬儀場へと向かっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ