第7話
「こんなところで何をしている」
眼光鋭く、父が聞いてくる。
「あ、その……」
私は思わず視線をそらした。
「大学はどうした。今日は授業があるんじゃないのか?」
「そ、それは……」
「それに、彼女とはどういった関係だ?」
「え?」
父が真菜を睨みつけている。
「結崎さんから携帯に電話があった。お前が既婚者といっしょにいると。どういうことなんだ?」
再び、私を見る。
中学まで、父からラグビーを学んでいた。その時にも幾度となく怒鳴られ、時には殴られた。しかし、ここまで怒りのこもった視線をみたことがない。
「そ、それは……」
言葉に詰まり、うつむく。
「あの、それはですね……」
意を決したように真菜が話しかける。
「あなたは黙っていなさい」
父の言葉に真菜が口をつぐんだ。
「俺は、譲に聞いてるんだ。いや、そもそも、お前は誰だ」
「えっ?」
私は思わず顔を上げた。
「譲が既婚女性とデートをしていると聞いて慌てて来た。確かに譲と似ている。瓜二つだが、私も父親だ。似て非なるもの、自分の息子と別人の区別がつかないわけがない」
「そ、そんな……」
「だいたい、家を出た時と服装が違いすぎる。あいつはまだ、スーツを持っていない」
そうだ。大学の頃、就活まではスーツを買ったことがなかった。試合前の激励会や試合後の祝勝会では大学のラグビー部から支給されたブレザーを着用していた。
「お前は結崎さんに譲だと認めたらしいな。誰なんだ、お前は」
「……譲だよ。10年後の」
「なんだと?」
父の眉間にしわが寄る。こめかみに青筋が立っている。
「とりあえず座ってよ、父さん」
私は腹をくくった。もはや逃げも隠れもできない。だったら、真実を話すしかない。私の言葉に反応して真菜が席をずれる。4人席なのがありがたい。
「お前なんかに父親呼ばわりされる筋合いは……」
怒気を孕んだ声で父が言いかける。
「コーヒーじゃなくてココアがいいでしょ。砂糖、たっぷり入れて」
私は怯まずに言い切った。
「……なぜ知ってる」
父の好み。つきあいで喫茶店などに入れば周りの目もありブラックコーヒーを飲んでいたが、実はコーヒーが苦手。本当は甘いココアが好き。私と母しか知らない。
「息子だからだよ。父さん」
私は気持ちを落ち着かせるために大きく息をついた。父と視線が絡む。
「母さんが里山養蜂場のローヤルゼリー愛飲者で新秋館製薬の化粧品を使ってたのも知ってる」
母は私と同じく、見た目が年よりも若く見られていた。それでも30歳を過ぎた頃から年齢を感じ始めたのか、ローヤルゼリーを飲み、テレビCMで有名になっていた基礎化粧品を通販で購入していた。
無論、知っているのは家族だけ。私と父のみだ。
「小学生の頃に飼っていた猫の名前はレロン・リーとレオン・リー。そんな名前をつけたのに僕は野球に興味がなくて、父さんと一緒にラグビーばかりしていた。ポジションは中学までウイング、高校からは13番。アウトサイドセンターに変わった」
「……そうか」
父が小さくため息をついて呟く。険しい表情が少しだけ緩んでいる。
「砂糖は少なめにしてくれ。医者から控えるように言われている」
言いながら、父が真菜の横に座った。
「そんな話を信じろというのか?」
今までの経緯を聞き終えた父が怒り半分、あきれ半分といった顔つき。
「自分で体験するまでは僕も信じられなかったよ」
私は父に答えた。久方ぶりに自分のことを“僕”と言っている。中学以降、親の前でしか使わなかった自称。懐かしい感覚がなくもないが、今はそれどころではない。
「それで、そんな与太話をどうやって立証するんだ?」
「穴を見てほしい」
「タイムスリップする穴か。笑わせるな」
「体験したら笑えないよ。父さんも驚くはずだ。すごい力で吸い寄せられる」
「お前、10年先の未来から来たと言ったな」
父が私を睨む。説明する前よりは鋭さが和らいでいる。
「10年後もラグビーを続けてるのか?」
「社会人まで続けて、腰を痛めて2年前に引退した。そのあとはアシスタントコーチで指導してる」
会社名やラグビー部廃部のことは伏せた。過去の人に未来を語りすぎてはよくない気がする。
「なるほどな。身体つきで想像はついていたが、そんなお前が猛烈な力で吹き飛ばされ、引きずり込まれ、か」
「うん」
「わかった。この後はとくに予定がない。行ってみよう。真菜さん、と言ったね」
父が彼女に視線を移す。鋭さはない。滅多に見たことがない、温和な印象。
「は、はい」
真菜が緊張した面持ちで返答。
「今日は用事があって、仕事は休みをもらっている。時間もあるし、一緒に行きます。まだ信じたわけではないが、譲とあなたの話には無理がない」
「無理がない、ですか?」
真菜が不思議そうな表情。
「そう。嘘には必ず無理がある。どんなに本当っぽい話であっても綻びがある。破綻している。譲とあなたの話には、それがない。納得はできないが理解はできる。辻褄が合っている。ただ、だからといって完全に信用できる内容ではない。だから、穴を見せてほしい。そして、可能であれば3人で未来に行きたい」
「えっ!」
私が声をあげた。真菜も驚いて目を大きくしている。
「当たり前だ。穴だけ見ても本当かどうかわからない。実際に未来へ行かせてもらう。なに、安心しろ。もし未来に行けても俺だけ戻ってくる。未来に行けたらの話だがな」
父が私を射抜くように見つめる。鋭い視線に戻っている。
「わかった。じゃあ、早速行こう」
「はい」
私が立ち上がると真菜も立ち上がった。父が続く。
「ここは俺が払っておく」
「いえ、そんなわけには……」
真菜が申し訳なさそうな声音。
「いや、いいから」
父が笑顔で制して、伝票を手にレジへと歩く。
「お父さん、良い方ね」
「まぁ、悪い人ではないよ。恨んでた時期もあるけど」
「え?」
彼女が少し驚いて私を見る。
「なにかあったの?」
「うん、まぁ……今度、話すよ」
私は会計をしている父へと歩み寄った。