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第13話

【令和7年3月】


 「いってきまぁす!」

 「いってらっしゃい」

 茂の元気な声と答える真菜の声が玄関から聞こえてきた。

 「おぉ、気をつけてな」

 朝食をほぼ食べ終わっていた私もダイニングから声をかける。

 「はーい!」

 答えつつ、茂が玄関を閉めたのだろう。ガチャリと音がした。真菜がダイニングに戻ってくる。

 「今日はどこに出かけるんだ?」

 私は真菜に確認。

 「耕次くんと映画ですって」

 ラグビーを題材にした映画のリバイバル上映をしている。私も観に行くつもりだが、先を越されたようだ。

 「春休みかぁ。うらやましいな」

 私は小さく、ため息をついた。

 多くの人に“大学の職員だったら春休み期間中はゆっくり休めるんでしょ”なんて言われるの。しかし、大学職員にとって春は多忙な時期。卒業生の送り出し、退職する教授など教職員の引継ぎや送迎会、新入生や新たな講師陣、新卒職員を迎える準備。やるべき事は枚挙に暇がない。

 加えて、ラグビー部のヘッドコーチとしてラグビー推薦で入学してくる新入生への対応も考えなければならない。進級する在校生への配慮も欠かせない。

 「しばらく映画は観れそうもないな」

 私はこぼしつつ、ココアが入ったマグカップに口をつける。

 「あんまり根を詰めすぎないでくださいね」

 真菜が心配そうな顔。

 「なに、大変だけど遣り甲斐があるから」

 私はマグカップをダイニングテーブルに戻しつつ、笑顔で返答した。

 母校に転職して17年目。来年度から役職も上がることになっているし、ラグビー部も昨年、全国大学ラグビーフットボール選手権大会で準々決勝まで勝ち残った。真菜に言った言葉通り、忙しくて大変だが遣り甲斐しかない。

 「それに、母さんのほうが忙しそうだから。弱音吐いてたら笑われてしまう」

 「そうですね」

 真菜が笑って答える。

 「今日も撮影ですって。大人気ですね」

 母が人気者になろうとは、半年前まで考えもつかなかった。

 「あぁ。本人は楽しんでるみたいだけどね」

 きっかけは母が真菜とふたりで吉祥寺にお出かけした際、テレビのインタビューを受けた時だ。

 お昼のワイドショー、しかも生放送。インタビューの最後に年齢を聞かれ、それぞれ本当の年齢を正直に言ってしまった。

 真菜の50代後半も驚かれたが、実際は30代後半で戸籍上70代の母が驚愕されないはずがない。

 以降、どこでどう調べたのか、母のスマートフォンにテレビ局や化粧品会社などからオファーが殺到。“驚きの若さ! 驚異の美魔女!”などと取り上げられ、今では時の人だ。

 「今日は何の撮影?」

 「里山養蜂場さんのCMです。ローヤルゼリーとかプロポリスとか。お義母さん、未来に来る前から飲んでいたから出演を決めたって仰ってました」

 「そうか。この間は新秋館製薬のCMだったな」

 「そうですね」

 「今回は手伝うの?」

 「いえ、アシスタントがいらない仕事みたいでしたし、今回はひとりで大丈夫だそうです」

 「そうか」

 一緒にインタビューを受けたこともあり、真菜が助手的なポジションで撮影の現場に行くこともある。今まで経験したことのない世界、裏方の仕事は楽しいらしい。

 だが、生放送のインタビューでは母だけではなく真菜も話題になった。撮影現場では真菜も出演させたがる人もいるらしい。引っ込み思案な性格ゆえ、自分もテレビに出演する案件は控えたいと漏らしていた。

 そのあたりは母も心得ていて、どうしても人手がほしいときだけ、真菜に頼んでくる。

 しかし本音としては、アシスタントとして随時同行してくれる仲間が欲しいらしい。この間、孫の顔を見たいと遊びに来た時、茂と真菜が席をタイミングで話していた。

 「医療とか医学とかの知識なんてあるわけないし、前々から良さを知ってるものだったらオファーを受けやすいけど、知らない健康食品とかって本当によいものかどうか、わからないじゃない。ほら、グルコサミンとかコンドロイチンも“効く”って言う研究者と“効かない”って言う専門家がいるくらいだし。それで、変な会社のCMに出ちゃったら私まで非難浴びちゃうでしょ。炎上っていうの? 回避しようと思うと結構大変なのよ。だから、医学的な知識のある人で、マネージャーもしてくれて、必要があれば一緒にテレビにも出られる、みたいな人がいてくれたらなぁって」

 思わず即答で「そんな都合の良い人がいるわけないだろう」とツッコミを入れてしまったが、気持ちはわかる。一緒に仕事をしてくれる仲間がいれば、心強いだろう。しかし。

 ――真菜には不向きな仕事だな。

 ワイドショーのインタビュー放映直後、真菜も知らない人から声をかけられ、困っていた。マネージャーはできるだろうが、広告で母と一緒に出演するつもりはないだろうし、医学的知識もない。

 ――お互いに気を使ってるんだよな。

 真菜と母の仲は良い。世間的に見て、かなり珍しいくらいではないだろうか。だからこそ、母も遠慮し、真菜も申し訳なく思っている節がある。

 ――誰か良い人材がいてくれればな。

 そんなことを思いつつ、私はマグカップを手に取り、残っていたココアを飲み干した。



 朝食を終えた私はスーツに着替え、自宅を出た。最寄り駅のJR中央線・三鷹駅へと向かう。

 普段通りの通勤。春の日差しが心地よい。今日も忙しいだろうが、1日の段取りは完璧にシミュレーションできている。何より、朝から真菜の笑顔と茂の元気を感じられた。夫として父として、頑張れそうだ。

 そんなことを思っていたところに。

 「あのぅ、すみません」

 背後から呼び止められた。

 振り向くと不安げな顔をした女性が立っている。

 歳は32、3歳。ベージュのスカートスーツで落ち着いた印象。ただ、今どきではないと言うか、デザインがちょっと古い感じ。相変わらず女性のファッションには詳しくないから、よくわからないが。

 「……なんでしょう」

 既視感しかない。私は笑顔を作り返答した。

 「あの……突然で申し訳ないんですけど、ここ、どこなんでしょう?」

 ――あー、やっぱりなぁ。

 名前は知らないが、思い当たる人物はいる。

 「……あなた、公立がん医科治療センターに薬剤師としてお勤めじゃないですか?」

 「な、なんで知ってるんです!?」

 女性が驚きを隠せない。

 「鹿ケ谷って医者に手を出されそうになって仕事を辞めようかと思ってる。違いますか?」

 「なっ! なんでそれを……まさか、鹿ケ谷先生のお知り合い……」

 女性が青ざめた。

 「ご安心ください」

 私は笑顔で否定する。

 「鹿ケ谷さんと面識はありませんが、嫌悪感しかありません」

 「けんおかん?」

 女性が怪訝そうな顔。

 「えぇ、医師としては有能かもしれませんが人としてダメな男です。それに」

 「それに……?」

 女性が不思議そうな表情。

 「いま、鹿ケ谷さんは再婚して森口さんになってます」

 「……え?」

 女性が混乱している。私は構わず続けた。

 「あなたに無礼を働いたあと、再婚相手にも出ていかれ、次の結婚で養子に入りました」

 「あの、どういうことでしょう?」

 「ここは、あなたがいた世界の数年後。いや、十数年後かな。西暦で言えば2025年。元号は令和になっています」

 女性の口が半開き。文字通り、ポカーンとしている。

 「つまり、あなたは過去から来た人。なに、そう珍しいことでもありませんよ。大きな穴に吸い込まれたんでしょう?」

 「えっ!? あ、はい」

 女性が気を取りなおして答える。

 「穴が空いてて、気を取られてたら吸い込まれて、気がついたら……」

 「高層マンションの前に倒れてて、大きな穴があって、入り直そうと思ったら弾き返された」

 「そ、そうです……」

 「もしかしたら、その直後に穴が塞がってませんか?」

 「なんでわかるんです!?」

 「だから、私にとっては珍しいことじゃないんですよ」

 私は小さく笑いながら言うと、スーツのポケットからスマートフォンを取り出した。

 とりあえず職場には出勤時間が1時間ほど遅くなる旨を伝えて、彼女は真菜に迎えに来てもらおう。

 以前、小松から聞いた話では、この薬剤師さんは音信不通になっている。どうやら今回も過去に戻れないようだし、仕事のあてがなければ、薬剤の知識があるアシスタントとして、母のマネージャーをしてもらおうか。

 そんなことを考えつつ、電話帳アプリで大学の連絡先を検索し、通話ボタンを押した。


(了)

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