第12話
「それじゃあ、ここは35年先の未来なの?」
「まぁ、そういうことになるかな」
母を連れて帰り、状況を説明した。
ダイニングの4人がけテーブル。私と真菜が並び、母の横には茂が座っている。
38歳のままの母。私より年下になっている。茂と並ぶと親子に見える。
「穴も消えてたし、帰れないと思う」
事実、母は帰ってこなかった。未来から戻れない結論しかない。
「そう……お父さんは元気なの?」
「それは……」
真菜が口ごもる。私の顔を見る。
「……父さんは20年ほど前に亡くなった」
「え……」
「ガンだった。最後まで母さんのこと、大好きだったって言ってたよ」
「そう……そうなの……」
母が悲し気に視線を落とす。母の失踪を悔やんでいた話は、また別の時にしよう。これ以上、悲しませないほうがいい。それでなくても、未来に来て帰れないのだ。心が平穏なわけがない。
「それにしても、よく僕だって気がついたね」
私は話題を変えた。
「そりぁ息子ですからね」
母が目頭をぬぐい、笑みを浮かべる。
「ちょっと年取ってるけど、面影が残ってる」
「そういうもんかね」
「そういうもんです」
母が誇らしげに胸を張る。
――父さんはわからなかったな。
思わず考えてしまった。
過去に戻った際、父は服装で私を“よく似た別人”と断定してきた。
「……どうかした?」
私が思案顔になったからか、母が聞いてきた。
「あ、いや……」
思わず取り繕う。過去に戻って父と再会したことは、改めて伝えたほうがいい。今ではない。けれど、変にはぐらかすのも不自然だろう。少し思案して、言葉を続けた。
「……父さんだったら、僕だって気がつくかなって、ちょっと考えちゃって」
「お父さんが? さぁ、どうだろう」
母が小首を傾げる。
「わからないけど、たぶん、疑ってかかるんじゃないかな」
「疑ってかかる?」
「そう。お父さん、頭のいい人だから、自分の感覚とか直観よりも、相手の見た目とか言動で本人か判断すると思う。だから、今の譲を見て、すぐに本人だって認識しないで、まずは服装とか顔つきとか見て、疑うんじゃないかしら」
確かに、まったくその通りだった。
「でも、母さんはすぐにわかったよね」
「当たり前じゃない。男親と女親は違うの。息子かどうかなんて、感覚だけでわかるものよ」
母が再びドヤ顔。真菜が大きくうなずく。母親として共感できるのかもしれない。母が真菜へと視線を移した。
「それで、今は結婚してるのね」
「はい。妻の真菜と申します」
改めて真菜が頭を下げる。
「で、あなたが息子さん?」
「茂と言います」
真菜が名前を伝える。
「茂君」
「はい」
名前を呼ばれた茂が返事。
「初めまして。お父さんのお母さん、茂君からしたら、おばあちゃんね」
「……おばあちゃんって言われても、なんか違和感しかない」
茂が困った表情。無理もない。両親よりも若い祖母。しかも実年齢より若く見える。違和感しかないだろう。
「まぁ、それでもおばあちゃんだから……茂君もラグビーしてるの?」
母が茂の身体を見る。まだ鍛え方に甘さはあるが、体格の良さは私や父よりも上かもしれない。
「はい。アウトサイドセンターです」
「アウトサイドセンター?」
「13番。右センターです」
「あら! お父さんと同じポジションじゃない!」
母が目を輝かせている。父の言った通り、ラグビー好きらしい。
「お父さん?」
茂が首を傾げる。
「あぁ、おじいちゃんになるわね」
母が肩を小さく上げる。子供の頃によくみていた仕草。
「じゃあ、3世代続けてアウトサイドセンターだね」
茂が満面の笑みで言う。
「あら、そうなの?」
母が私を見た。
「あなた、確かウイングじゃなかった?」
「高校からポジション変わったから。社会人までアウトサイドセンターだった」
「今も現役?」
「まさか。もう引退して20年近いよ。今は大学でヘッドコーチしてる」
「まぁ! 偉くなったわねぇ! お父さんを越えてるじゃない!」
父は中学生チームのコーチだった。どっちが格上ということはないが、大学のヘッドコーチのほうが世間的には上かもしれない。
「まだまだ、模索の日々だよ」
「おばあちゃん、すごいんだよ」
茂が目を輝かせている。
「父さんの大学、去年、全国に出場したんだ」
「へぇ! それは凄いわね」
「前のヘッドコーチは別の大学に引き抜かれて、今年から父さんがヘッドコーチになったんだ。選手からも絶大な信頼を得てるんだって」
「茂、誰から聞いたんだ?」
正しい情報ではあるが、引き抜きの件は表立って公表されていない。どこかの情報を鵜呑みにしたのか、知ったかぶりはよくない。
私も母を失った後で間違えた情報を信じ込み、父を苦しめた。憶測で判断するのは人生でも試合でも良くない結果を生みかねない。日常から正しておく必要がある。
「誰って、小松のお母さん」
「あー、情報源はそこかぁ」
正せなくなった。
「小松さんって?」
母が質問。
「譲さんの高校生時代の後輩です。旧姓は結崎さんです」
真菜が説明。
「あら、結崎さんって、情報通の結崎さん? ご家族、皆さんお元気なの?」
「あぁ。ご両親も健在だし、結崎も元気。次男の耕次くんが茂と同い年で、今もつきあいがある」
私が返答。
「そうなの。それなら知ってる顔もいることだし、こちらで生活できそうね」
「……切り替え早」
茂が驚く。私も、まったくの同意見。
「だって過去には帰れないんでしょ?」
母があっけらかんとした笑み。
「お父さんがいないのは寂しいけど、息子と孫のラグビーを応援できる。大好きなラグビーを楽しめそうだから、こっちで頑張るしかないじゃない」
言ってから、胸の前でガッツポーズ。
思うところはあるだろう。予期せぬタイムスリップ。愛する伴侶もいない。不安しかないはずだ。それでも、息子である私と家族に心配をかけたくない。そんな思いが伝わってくる。
「住むところとか、何とかしてみるよ」
私にできることはやってあげたい。市役所などの行政への届け出、近隣で女性がひとりで暮らせる場所探し。ちょっと忙しくなりそうだ。
「そうしてもらうと助かるわ」
母が安心したような笑顔になる。
「はー、なんというか、こんなことって本当にあるのねぇ。未来に来るなんて。経験してみないと信じられないわ」
「そうだろうなぁ。ねぇ」
私は真菜の顔を見る。
「はい、信じられないと思います。私たちにとっては普通の出来事ですが」
「どういうこと?」
茂が不思議そうな顔をしている。
母も小首を傾げている。
「まぁ、おいおい説明するよ。それより、夕ご飯にしよう。お腹ペコペコだ」
私は立ち上がった。
「やったー! 今日はカレーだよね!」
茂が万歳をしながら立ち上がる。
「あら、カレーなの♪ うれしい! 私、カレー大好きなのよ」
母が真菜を見る。
「お口に合えばよいのですが」
真菜がちょっと不安げに笑顔で答える。
「大丈夫! 母さんのカレー、めっちゃ美味しいから!」
茂が助け舟。
「本当!? それは楽しみ、期待しちゃう♪」
母が満面の笑み。失踪前、子供心に母を裏表がない性格だとは思っていたが、年上になった今、本当に純真な人なんだなぁと感じる。嫁と姑、うまくいってくれることを願うしかないが、まぁ、大丈夫だろう。
食事と入浴を終え、私たちはそれぞれ自分の部屋に戻った。母には当面の間、客間を使ってもらうことにした。週明けに市役所などへ行き各種手続きをしてから、ひとり暮らしをできる部屋を探しに行く。
「お義母さんの件なんですけどね」
私たちの寝室。それぞれパジャマに着替えている。私は自分のベッドに座っていた。彼女はクローゼットからカーディガンを出して着ている。
「母が使っていた部屋が空いてますし、私は一緒に暮らして頂いても良いのですが」
真菜が私の横に座る。遠慮している風ではなく、本気で思ってくれているらしい。
「その気持ちはありがたいが、一緒に暮らすとなれば互いに気を使う。時おり顔を合わせるくらいがちょうどいいと思うんだ」
私は義父母に嫌な思いをしたことがほとんどない。3年前に義父が、2年ほど前に義母が亡くなったが、家を生前相続してもらうなど、最後までお世話になりっぱなし。世代間ギャップなど考え方の相違は稀にあったが、大きな波風は立たず、お互い穏やかに楽しく暮らせていた。
ただ、私はレアケースなのだと思う。職場の同僚には義父母など結婚相手の家族との関係がうまくいかず、なかには義母との軋轢が原因で離婚した話も聞く。真菜と母なら問題ないだろうが、人間関係は難しい。何があるかわからない。ふたりなら仲良くできると信じたいが、程よい距離を置いたほうが無難だ。
それに、私も大学職員として役職者になり、母ひとり援助するくらいの余裕はある。金銭面で困らせるつもりはない。
もっとも、今日の食事中に“こっちでできる仕事、早く探さなきゃ。車の免許も取り直さなきゃ”と張り切っていたから、そこまでの手助けは無用かもしれない。
「母さん、戸籍上はどうあれ、実年齢は30代で私たちよりも若いから、年寄扱いするのも変だし、ひとり暮らししてもらったほうがいいんじゃないかな」
「わかりました。でも、困っていたら来て頂きましょう。お義父さんにもお世話になったのだし」
「そうだな」
父が動いてくれていなければ今の生活はない。その父には恩返しができていない。“せめて母には”という思いは、私にもある。
「何かあれば、頼ってもらおう」
私は真菜に笑顔で答えた。