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第10話

【平成31年5月】


 「いやぁ、もう20年経つんですね」

 後輩の小松(旧姓・結崎)がアイスコーヒーにポーションを入れながら呟いた。

 「っていうか、あの時は本当(ほんっとう)に驚いたんですからね」

 ストローでアイスコーヒーをクルクルと混ぜつつ、今度は笑いながら責めてくる。

 「また、その話か。もう何度目だ」

 私も笑いながら返答。

 「そりゃあ何度でも言いますよ」

 小松が少し前のめりになりつつ言い返してきた。

 「先輩が結婚してる女性と一緒にいる。驚かないわけがないじゃないですか。ちゃんと説明してくれなかったし」

 小松がわざとらしくムっとした表情を作る。

 「“未来から来ていて真菜と一緒にいる”なんて言われて信じられるか?」

 「それは無理ですけど! ねぇ♪」

 小松が笑って真菜を見る。

 「ふふ、無理ですよね」

 真菜も笑って答えた。

 今から20年前に戻った際、真菜とふたりでナポリタンを食べた喫茶店。同じ店で、私たち夫婦と小松は待ち合わせをし、ランチをしてから出かけることになっていた。今は食事を終え、それぞれ食後の飲み物を飲み始めたところだ。

 「まぁ、なんにせよ、あれから20年……って、おふたりにとっては10年前の出来事になるんですよね?」

 当時より少しぽっちゃりした小松が訊いてくる。彼女も今年で41歳になる。

 「まぁ、そうなるかな」

 私は甘さ控えめのココアを飲みながら答えた。



 父が穴に吸い込まれた次の日、私たちは市役所へ行き、真菜が元夫(もとおっと)・鹿ケ谷と離婚していることを確認した。一方で失踪宣告はなされておらず、行方不明として扱われていた。

 その翌日。真菜の実家へ挨拶に行き、現在は私と一緒に暮らしていると説明した。

 ただ、過去からタイムスリップした件については言わなかった。穴がなくなった以上、証明する手立てがないからだ。

 いずれにしても。

 失踪した娘を連れて来た見ず知らずの男。しかも無職。“娘をさらったひどい男”と判断されてもおかしくない。かなりお叱りを受けるのではないか。そんな覚悟して訪問したが、ひとり娘が失踪当時と変わらぬ姿で帰ってきたことに対する喜びのほうが大きかったのか、真菜や私を喜んで迎えてくれた。

 それどころか、しばらく一緒に暮らしてはどうかと提案して下さった。私たちも“2DKの部屋に2人で暮らすより良いだろう”と厚意に甘えることにした。

 そして、過去に戻った時、父に電話してくれた小松にも連絡。こちらには事の次第をすべて説明した。

 初めは信じられなかったようだったが、真菜の見た目が過去で会った時とまったく変わっていないこと、あの日の私がスーツ姿だったこと、父とのやりとりなどを伝えた結果、ようやく信じてもらえた。

 ちなみに。

 後で聞いたところによると、父が鹿ケ谷を説得する際、小松の両親が相手の素行や家族構成などの情報を集めてくれたらしい。

 私は高校で会うまで小松のことを知らず、ラグビー部で先輩・後輩の仲になってからも同じ三鷹市出身としか認識はなかったが、実は小学校が同じで私の母と小松の両親とはPTA活動を通じて面識があり、父とも顔見知り。そういったつながりもあり、父からの頼みを受け、鹿ケ谷のことを色々と調べてくれたのだそうだ。

 なお、父がラグビーに熱心過ぎるから母が失踪した、という噂を広めたのは小松の両親ではない。逆に母のラグビー好きを知っていたため、ご近所さんと一緒になって誤った噂を否定し、父の名誉を回復した――と最近になって小松が教えてくれた。

 情報収集能力が高く、誤った噂を鎮静化させる。小松の両親はいったい何者なんだろう。

 と、そんなことは、さておき。



 「あの時、結崎が出て行ったあとすぐに父さんが来てびっくりしたけど、杏森大学で診察を受けてたんだから当たり前なんだよな」

 「そうですね……って、先輩。結崎は旧姓ですって!」

 小松が笑ってツッコミ。話しを続ける。

 「あ、そうだ。旧姓で思い出しました。鹿ケ谷の奴も苗字変わったの、知ってます?」

 「え?」

 久方ぶりに聞く元夫の名前。真菜がおびえた顔つきになる。

 「あ、ごめんなさい。嫌な話ですよね」

 小松がバツの悪そうな顔つきでペコリと頭を下げる。

 「いえ、知っておきたいです。できれば顔も見たくないので、鹿ケ谷が今どこで何をしているのか、ご存じであれば教えてください」

 真菜がここまでキツい言い方をすることは滅多にない。それほど酷い思いをさせられたのだろう。

 「了解です♪」

 小松に笑顔が戻る。場の空気を明るくする能力は高校時代から変わっていない。

 「鹿ケ谷の奴、真菜さんとの離婚が成立してから2年後に再婚してるんですが、女癖は直らず。がん医治の調剤課に勤務していた30代の薬剤師に手を出そうとして失敗。相手の女性、相当(そうとう)嫌だったみたいですね。出勤拒否したうえに病院からの電話やメールに応答せず」

 「ひどいな……」

 私は思わず呟いた。

 「ほかにも看護師とか女医さんとかにちょっかい出してたのがバレて、8年ほど前、とうとう再婚相手から離婚届を突き付けられた」

 「あの人らしいですね」

 真菜が眉間にしわを寄せる。

 「まぁ、再婚相手もなかなかの人で、鹿ケ谷の浮気癖を知っていながら泳がすだけ泳がして、かなりの慰謝料をふんだくったそうですよ」

 「その女性もすごいな」

 言いながら、私はココアを一口、飲んだ。

 「で、これは人としてダメだって周りから疎まれて、がん医治内で孤立。副センター長の座も奪われて閑職に追いやられた」

 「仕方ないですね」

 真菜が冷たく言い放つ。

 「とはいえ、医者としての腕は確かで患者さんからは慕われていた。なかには鹿ケ谷に診てもらいたいとご指名してくる患者さんもいたそうで」

 ――そういえば。

 父と再会した際、鹿ケ谷に対する評価は悪くなかった。真菜に対する行動を知り、残念そうにしていたくらいだ。

 小松が続ける。

 「人としてはダメだけれども医者としては使える。そこで、大きな病院の理事長が自分の娘の婿養子にした。言い換えれば、自分の病院に引き抜いたんです」

 「そうか。それで苗字が変わったのか」

 私はココアをもう一口。

 「はい。今は森口って名前になってます」

 「なるほど」

 小松の説明に納得したが、ひとつの不安が。マグカップをテーブルに置きつつ訊ねる。

 「で、その病院はどこにあるんだ?」

 東京や関東ならば真菜と再会してしまう危険性がゼロではない。

 「ご安心あれ。岐阜県なんですよ」

 「それなら会う可能性は低いですね」

 真菜もホッとした表情。私も息をついて、もうひとつ、疑問を口にする。

 「しかしまぁ、よく知ってるな」

 「あぁ、うちの両親とご近所さんが言ってましたから、間違いないです」

 「お前のところの両親とご近所さんの情報収集能力ハンパないな」

 「でしょう! このままスパイ映画とか出れちゃいますよね♪」

 「なんでだよ。それはないだろ」

 「えー、脊髄反射的に否定しないでくださいよぉ」

 私と小松のやりとりに真菜が笑った。

 「熟考したって否定しかない」

 「えぇー」

 小松のわざとらしい無念そうな顔つきに、私も笑った。

 そして、ふと。

 父にも今の生活を見せたいと思った。

 私は当時、父が未来の私の幸せを願ってどんな動きをしていたか、まったく知らされていなかったが、ガンに侵された体に鞭打って、小松の両親らの後方支援を受けながら、方々(ほうぼう)で手を打っていたに違いない。苦労をかけただろう。

 だからこそ、これだけ幸せに暮らしている私たちを見たら、きっと喜んでもらえるのではないか。そんな思いを巡らせているところに。

 「あなた、そろそろ時間じゃないですか」

 真菜が声をかけてきた。

 「ん? おぉ、そうだな」

 私は店内の時計を見る。良い時間だ。ココアを飲み干し、立ち上がる。

 「今から行けば試合15分前には着く。ちょうどいいだろう」

 今日は三鷹市と調布市の境にある大沢グラウンドで、私たち夫婦の息子・(しげる)と小松の次男・耕次(こうじ)君が参加している小学生ラグビーチームの試合がある。

 それぞれ子供たちから“まだ弱いチームだから見に来るな”、“下手くそだから見ないでほしい”と言われているが。

 「よっしゃ! 力の限り応援しますよ、先輩!」

 小松が気合の入った顔つきで勢いよく立ち上がる。

 「相変わらずマネージャー魂が燃えたぎってるな」

 「当たり前じゃないですか! 高校生(あの頃)より燃えまくってますよ!!」

 「これなら勝てるかもしれませんね」

 熱くなっている小松を見て、真菜が楽し気に笑みを浮かべつつ、レシートを手にして席を立った。

 「そうだな。まぁ、試合をするのは子供たち。本人たちが楽しんでくれればそれでいい」

 言いながら。

 きっと私も声をからして応援するのだろうなぁと思っていた。

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