グレイブの幸せな人生〜何度も巡る人生の中で、色濃く残る最期の人生〜
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桜咲き春風に乱れながら景色1面を桜にしたかと思えば、すぐに舞い散ってゆく―そんな季節が何度も巡るのと同じように
転生を繰り返す世界なのに幾度人生を繰り返しても切っても切っても同じ飴のように当たり障りのない人生が巡ってくる
「僕は何もない人間として生まれたけど、せっかくの人生だ。何かをしてみたいなって今思ったんだ。それは大きなことではないかもしれないけど、君の転生ポイントが貯まるまで歩くリハビリしてみないか? 大変で辛かったらすぐにやめてもいいからさ。それで、もし歩けるようになったら君の好きなところへ行かないか?」
ミッシェルはグレイブの提案に自信の無さそうな顔を向けたが、思い直したのか少し口を緩めた。
「そんなこと提案する人は初めてだわ。まあやめてもいいなら、やってみようかしら?」
これがグレイブとミッシェルの人生の転機だったのだ。
グレイブはこの人生が最後になるなら、せめて人助けをしてみたいとミッシェルの話を聞いて思ったのだ。
そしてグレイブは時間のつく限りミッシェルのリハビリに付き合うことにした。
初めの日は病院のリハビリルームでミッシェルが立ち上がるだけで終わった。グレイブにほとんど支えながらだったが彼女は初めてのリハビリに頬を上気させて肩で息をした。
何回か過ぎると僕は書店でリハビリの本を探した。病院でのリハビリ以外にどんなことが役に立つのだろうかと気になったのだ。
後でミッシェルに言われたのだが、この時のグレイブの顔は真剣だったようだ。それに気圧されたミッシェルは真剣な顔を作っていたらしい。
グレイブは前世の鍛冶屋のスキルを活かして包丁を研ぐ仕事をしていた。それがない時にはミッシェルのリハビリを優先させた。
彼女は大学を休学していたようだが、卒業したいと思うようになり、復学したのだ。
グレイブはミッシェルに本の知識の丸かじりだが、家で座って出来る筋力トレーニングの方法を伝えた。筋力がすぐには戻らないので、1人で立つことはなかなか出来なかった。
それでもグレイブは応援し続けた。
そのうちリハビリが終わる度に彼女はトイレへ行くと言うようになり、だんだんとすぐには戻って来なくなった。
ある時、飲み物を買ってミッシェルが戻ってくるのを待とうと思い、トイレの前を通り過ぎると、誰かのすすり泣きのような声が聞こえた。
グレイブはその時ミッシェルはリハビリが終わる度に泣いていることを知ったのだ。
グレイブは自分の不甲斐なさに下を向くと手に持った飲み物を力いっぱい握りしめた。それでも収まらずどこか痛いのかと聞かれそうなほど目をぎゅっとつぶると顔を歪めた。
(僕は馬鹿だ⋯⋯辛い思いをしてリハビリをしているミッシェルに頑張れと声をかけ続けていたんだ⋯⋯もう彼女は十分頑張っていたのに⋯⋯)
ミッシェルが戻ってくると、グレイブは真っ先にミッシェルの前にしゃがみ、目線を合わせた。
「そんなに頑張らなくてもいい。無理しなくていいんだよ」
ミッシェルは少し下を向いて考えているようだった。目は泣きはらしたようで赤く腫れていたが、グレイブを見ながら強い目をして「大丈夫」と答えた。
不思議なことにグレイブが「無理をするな」と言えば言うほどミッシェルは頑張った。
そして月日は流れ、ミッシェルはグレイブにニコリとすると「見てて」と言った。グレイブは頷いて静かに見ていると、ミッシェルは鉄棒のような棒の間に座り両手で掴むと立ち上がり、両手を棒から離した。そしてミッシェルはグレイブの方へ向いた。
グレイブは人生で1番輝いているミッシェルの笑顔を見た。
その時にグレイブはミッシェルに恋をしていると確信した。
■
グレイブはミッシェルに恋をしたと気がついてからミッシェルに会う度に緊張した。それと同時に一緒に居られるのが嬉しくて、ただそれだけで良いと思った。
ミッシェルが初めて立ったときから月日が経ち、ミッシェルが歩き始めると自分の事のように嬉しくなった。
杖をついてミッシェルは初めて街へと繰り出した。杖をついて妙に背筋の良いミッシェルは胸で呼吸をしているようで、胸が何度も上下している。
ミッシェルはグレイブのよく行く書店に行きたいと言ったのだ。グレイブはミッシェルの杖の持っていない方の手を優しく握る。
迷子になっている子供のように自信のない顔をしていたミッシェルはグレイブの方へ顔を向けると、笑顔を作りほっと息を撫で下ろした。
2人が書店へと着くとリハビリ関連の本が見たいと言うので連れて行った。
ミッシェルはいくつかの本をぱらぱらとめくり目を通してかごに入れていった。それを見て、初めてグレイブは他人のために書籍として残してくれる人のありがたさを感じていた。
ミッシェルはその後もいろんなコーナーの本を見ていたが、頻繁にグレイブの方を見た。不思議に思いミッシェルに聞いてみると、立って歩けるようになったミッシェルはグレイブの横に立った。
「隣を歩くあなたの横顔がこんなに近くに見られて嬉しいの」
僕はミッシェルに恋焦がれた――。
「ミッシェル、僕は君のことが好きだ」
「嬉しい、私もグレイブのことが好きよ」
グレイブはミッシェルに自分の気持ちを伝えると唇を重ねた。
それから何日かして会ったミッシェルは三つ編みをやめてセミロングになっていた。グレイブはミッシェルを見ると「すごく似合っているね」と伝えた。するとミッシェルは頬を赤らめて、照れながら笑顔を返した。
またある時は、ようやく杖なしで歩けるようになったミッシェルを街中で見つけた。グレイブは嬉しそうに横に並ぶと、声をかけてミッシェルの手を握った。
するとミッシェルは顔を上げてグレイブを見ると少し身体の体重をグレイブに預けてきた。グレイブは嬉しくて口元を緩めた。真横に見えるミッシェルの顔も笑顔だった。
その頃からミッシェルは目に見えて生き生きとし始めたように見えた。そんなある日、ミッシェルはもじもじと落ち着かない様子でグレイブを見つめた。
「あのね⋯⋯私、上手くはないけど歌を歌うのが好きなの」
「へぇ、いいじゃないか。聴かせてくれるのかい?」
ミッシェルは自信のない頷きをすると、少し震える声で歌い始めた。こちらにも緊張が伝わってくる。それでもミッシェルは歌った。少しうわずった部分もある。それでも歌いきった。歌が終わる頃にミッシェルはグレイブを見つめてきた。
「いい歌だ」
「えっ⋯⋯」
「僕には響く歌だ。ミッシェルの歌が好きだよ。」
グレイブはそう褒めたのに、ミッシェルはしきりに瞬きをしながら下を向いた。
「ありがとう⋯⋯」
「僕はありのままを言っただけだよ。また聞かせてくれる?」
ミッシェルは目を潤ませながら頷いた。
それから度々彼女は歌を聴かせてくれた。それは端から聴いたらすごく上手いわけではないのかもしれない。でもグレイブの為に歌ってくれる。その歌がグレイブの心に響かないわけはなかったのだ。
僕は心に胸騒ぎがする。
「転生ポイントは貯まった?」
「ふふっもう、まだよ」
ミッシェルは大学を卒業すると、小さな会社の事務の仕事が決まった。グレイブがその知らせを聞いた日に、ミッシェルは顔を真っ赤にしてグレイブにある事を告げた。
「グレイブ⋯⋯私、あなたと結婚したい」
グレイブは予想外な言葉に固まった。頭の整理が追いつかなかった。少し間をおいた後、グレイブはミッシェルに向かって自信のなさそうな顔を向けた。
「でも転生ポイントが貯まったら⋯⋯」
「まだ貯まってないわ」
グレイブはミッシェルからまだ転生ポイントが貯まっていないと聞いて、心の底から安心したことを感じたのだった。
だから、その日を境にグレイブは聞かなくなった。
グレイブは怖くなったのだ。
ミッシェルの転生ポイントが貯まって、グレイブの目の前からいなくなってしまうことのほうが怖いと感じてしまったのだ。
そしてグレイブたちはすぐに2人で住む準備を始めると、ほどなくして婚姻届を出しに行った。
ミッシェルが結婚したいと言ってくれたとき、そんな人生もあるのかとグレイブは心底驚いた。自分が結婚するとは思っていなかったのだ。
結婚してすぐに一緒に住み始めた。朝起きると目の前にミッシェルがいて、一緒に朝ごはんを食べる。今日はどこに行こうか、何をしようかって言える相手がいるって温かいものなんだなと感心していた。
隣に誰かがいる人生って良いものなんだなと初めて思った。
■
――年月は穏やかに過ぎていく。
グレイブは包丁研ぎの仕事を増やした。稼ぎが増えた分でミッシェルと色んな所に行きたいと思ったからだ。ミッシェルは嬉しそうな顔をして旅行パンフレットのページをめくっていた。
普段は見られない自然の壮大な景色やその地域に根差した不思議な食べ物を食べたり、写真を撮ってお土産を買ったり楽しい時間も流れていく。
グレイブとミッシェルの家の玄関やリビングに飾ってある写真がどんどん増えていく⋯⋯。
今日は晴れた心地の良い天気だったので公園に散歩に来ていた。しばらく歩いていたので休憩しようと思い、カフェに行こうと言う話になった。
公園の向かいにあるカフェだ。そして公園の出入口からグレイブたちが出ようとするとグレイブの足元を何かが転がる。
グレイブは視界の端に転がる黄色の何かを捉えた。黄色のゴムボールはころころと転がり、グレイブを追い越していく
公園の外の歩道の先には道路がある。
「待ってー」
高く拙い声がグレイブの耳に届いた。男の子が横を通り過ぎていく。
グレイブの中にある想いが身体を支配する。
その男の子がこの先の人生で転生すると分かっていても、”僕たちみたいに悩んで苦労して欲しくて欲しくて”⋯⋯ようやく授かった大事な子どもかもしれない。
グレイブはその想いが熱く煮えたぎり一歩前へと進む。ミッシェルはグレイブが聞こえていないのかと思って、同じことを言ったが返答はなかった。
そこでようやくミッシェルはグレイブの異変に気がついた。
グレイブがまた一歩進んでいく。ミッシェルはグレイブの横を通りすぎていった男の子を見送る。
(僕は何をやっているんだ)
グレイブはもう一歩進む。グレイブは男の子の方に近づいていく。
(僕はこのまま男の子を無視して、ミッシェルのところに戻ればいいだろう!)
グレイブの中にある想いは二分する。
ミッシェルはグレイブの方に手を伸ばした。グレイブの服を掴もうとしている。ミッシェルは手を握る。だが、指にはグレイブの服は引っかからなかった。ミッシェルの指は空振りのまま空を握る。
ボールと男の子は歩道から道路へと出ようとする。そこへグレイブは膝を曲げ一気に踏み込んだ。
グレイブは右手を男の子へと伸ばす。
ミッシェルは右奥からトラックがグレイブの方へ近づいているのが見えた。目を見開いて、ミッシェルは叫ぶ。
グレイブの耳にミッシェルの叫び声が届いた。視界の端にトラックを確認する。
トラックはブレーキを踏み始めた。
それと同時にグレイブは歩道から車道へ出た男の子の隣に並ぶ。グレイブは伸ばした右手を男の子の方へ回す。
(なんで僕は男の子を助けようとしたんだ⋯⋯まだ、僕はミッシェルと歩みたい人生が残っているんだ⋯⋯)
男の子を助けたい想いとミッシェルとこれからも生きたい想いはグレイブの心を二つに分かつ。
トラックが重たく擦れる音だんだんと高いけたたましい音へ変わる。ブレーキを強く踏み込んでいるようだ。
ミッシェルはグレイブの方を見て叫び続けている。グレイブにはなんと叫んでいるのか分からない。
グレイブは強く男の子を抱きしめた。
もしグレイブたちに子どもが出来て、同じ目に遭いそうになっていたら、グレイブは同じことをするだろう。そう思ったら身体が勝手に動いていたんだ。
トラックの気配が真横にある。
――――――――
結婚してしばらくした後、ミッシェルは緊張した面持ちでこう切り出した。
「子どもが欲しい」
僕はまた驚いた。転生ポイントが溜まれば転生出来る世界だ。なのに聞いただけでも大変であろうと分かる、”子どもが欲しい”と言ったんだ。
グレイブたちは子どもを授かろうとした。だが、意外と出来ないものだ。
1年が過ぎて病院に通い始める。
病院に通い始めたならすぐに出来るだろう。2人は楽観的に考えていた。
1回目⋯⋯
2回目⋯⋯⋯⋯
⋯⋯3回目⋯⋯⋯⋯
ミッシェルは回数を重ねるごとに涙が増えた。そしてグレイブはミッシェルを抱きしめることしか出来なかった。
なぜ出来ないんだ。子どもってそんなに出来るのが難しいことなのか⋯⋯
グレイブはそのあと本屋に行って何冊も関連本を探した。情報を集めた。
それでも出来ない
グレイブは辛抱強くミッシェルを励ました。リハビリで頑張ったミッシェルにはこれからもっといい人生がある、と。
それを聞いたミッシェルは泣いていた。
それでも病院を訪れるたびに医者は残念そうに首を横に振った。
その度にグレイブはミッシェルを強く抱きしめた。
そしてようやくミッシェルは子どものいない現実を受け止め前を向いて進み始めたのだ。
その隣をグレイブは歩いていく。
これからもっと、かけがえのない瞬間がたくさんあったはずだ⋯⋯
ようやく、ようやくかけがえのない人生だと分かり始めてきたのに⋯⋯
――――――――
グレイブは男の子を強く抱きしめながら、心の中では大声で叫んでいた。
⋯⋯嫌だ!⋯⋯僕は死にたくない⋯⋯
君ともっと色んな話をしてたくさんの経験をして、
おじいちゃんおばあちゃんになっても手を繋いで歩きたかった。
僕は君ともっと――――
グレイブはトラックの正面の固い金属に身体が当たるのを感じた。
僕はそこで意識が途切れた
■
見慣れない天井が見える。
これが死ぬということなのだろうか⋯⋯。
「ん⋯⋯」
グレイブは身動ぎをした。すると目の前にミッシェルの顔が見えた。
ミッシェルはグレイブを見ると顔を歪めてグレイブの胸に顔を擦り付けた。
「あぁ⋯⋯良かった⋯⋯」
グレイブはそっとミッシェルの背中を優しく撫でた。
それが落ち着くとミッシェルはグレイブに黄色のハンカチを渡してきた。
グレイブはそれを受け取りながら見ていた。
「前世の王国ではフォーチュンデーっていう日があって国中にこの黄色のハンカチを結ぶの。国中が幸運になりますようにっていうおまじないみたいなものよ。そしてその日は黄色のハンカチを大切な人に渡すの⋯⋯幸運を運ぶハンカチ。これからはこのハンカチがあなたを守ってくれるわ。だから⋯⋯グレイブ⋯⋯もうどこにも行かないで⋯⋯」
ミッシェルはグレイブにぎゅっと抱きついた。グレイブも抱きしめ返した。
「僕は⋯⋯あの子が僕たちみたいに切望して授かった子だったらって思って身体が勝手に動いたんだ。でも⋯⋯死を直面して⋯⋯死にたくないって、君とまだ生きたいって思ったんだ。ずっと隣にいて欲しい⋯⋯」
長い間、2人は抱きしめ合っていた。
■
その後、ミッシェルはグレイブがトラックに引かれた後のことを話し始めた。
グレイブが守った男の子は無事だったようで、その後再会した母親が何度も頭を下げていた。
そして病室の入口にはトラックの運転手が青ざめて入ってきたが、グレイブの様子を見て安堵のため息をついた。
「実はこのトラックには2ヶ月前に発売したばかりの衝撃緩和の新素材が使われていまして⋯⋯」
グレイブは確かにトラックとぶつかったのだ。だが死ななかった。それは最新の衝撃緩和素材で作られた魔道具がトラックの正面に使われていたからだ。
グレイブはトラックの運転手が必要な書類にサインをすると、ミッシェルはグレイブの伝版を渡しながら「数日は検査入院だから、家で荷物をまとめてからまた来るわ」と言って帰っていった。
グレイブは伝版を起動させると、トラックの運転手から聞いた衝撃緩和の新素材を扱う“ニューマテリアルテック株式会社”を調べた。会社のHPが出てくる。
法人向けの魔道具として“ニアリーゼロ”という衝撃緩和素材として載っていた。詳細は公開されていないが、効果付与の魔石を組み合わせて作り上げた製品のようだ。その会社が独自に行っている衝撃緩和テストでは、なんと衝撃緩和率が80%もあるようだ。
グレイブがトラックと正面衝突したにも関わらず、致命傷もなく助かったのも納得がいった。
そのまま他の魔道具を見ると、この会社が軌道に乗り始めたきっかけになったのが、伝版に使われる衝撃緩和素材“エアーショックフリー”だった。今ではこの素材を使っていない伝版はないほど有名だった。
グレイブは自分の命を救ってくれたこの魔道具を作ってくれた会社の社長に、お礼を伝えたくて長々と手紙を書いた。
気がつけば自分の身の上話も書いてしまった。
(あとで、身の上話の部分は抜き取ろう。今日はいろんなことがあって疲れた⋯⋯)
グレイブが次に目を覚ましたのは明くる日だった。ミッシェルがグレイブのベッドの隣に座っていた。グレイブが手紙の事を聞くとなんと投函してしまったそうだ。
後の祭りだった。
だが、そんな事は言ってられない。病院の検査がいくつも続き、慌ただしいまま退院となった。退院の当日、ミッシェルが手紙を持ってやってきた。
なんとあの会社から返信が来たのだ。しかも社長の直筆だった。
グレイブは急いで手紙を開けた。中を読んでみると丁寧な、しかし味のある字で何枚も便箋が書かれていた。
それは自分の奥さんが交通事故で人形化となった。その動かない奥さんを見続けて他の人にも同じ目に遭ってほしくない、その気持ちから会社を興したことも書かれてあった。もちろん、作った会社は衝撃緩和素材を扱う――ニューマテリアルテック株式会社――今の会社だ。
そしてその衝撃緩和素材の魔道具でグレイブが救えて本当に良かったことが書かれてある。グレイブは心の中で感謝すると共に読んでいて胸が熱くなった。そして封筒の後ろをちらりと見ると、この病院の近くだった。
グレイブはダメ元でその会社に電話をかけた。受付の自動音声に従って番号を押していくと、秘書らしい人に繋がった。そして簡潔に手紙の事を伝えた。すると、電話を保留にされた。
保留が解除されると、直接社長が電話に出た。そして社長と話した。今日退院すると言うと病院名を聞かれたので伝えた。すると社長は「これから行ってもいいかい?」と聞いた。グレイブは二つ返事で了承した。
グレイブは社長と会うと少し白髪交じりの歳を重ねた姿だったが、背筋がピンと伸びている。穏やかな印象の人だった。
まずはアイスブレイクだ。
社長は勇者の端くれだったが、素材集めのほうが好きで素材を集めては合わせてみたり、売ったりして生計を立てていたようだ。
グレイブは鍛冶屋の話をした。
すると社長は何かを少し考えると、こう切り出した。
「実は今度ニューメタル部門を始めようと思っていてね⋯⋯」
グレイブはピンと来なかったので詳細を聞いてみた。メタル――金属、生活のいたるところに使われている素材。ニューメタル部門とは金属に類する新素材の開発、あるいはメタルと新素材を融合したハイブリッド素材を開発するところのようだ。
社長はグレイブの鍛冶屋の話を聞いて、提案してきた。
グレイブは死を直面して、この人生は1度きりしかないと実感した。そしてこの人生はミッシェルの隣で、全力で生きると決めたのだ。
(僕はこの先全力で生きたい。自分の持てる力を使って何かを成し遂げたい)
グレイブは社長の人柄も気に入ったし、志も共感した。グレイブは自分の素直な気持ちを伝え入社を決めた。
「御社でぜひ自分の力を試させてください。必ず結果を出して見せます!」
社長からは包丁についても会社のプロジェクトで続けていいと言われたので、“メタル部門”も作ってもらった。こちらは主に包丁を扱っている。
グレイブが力を入れているのは“割り込み包丁”と言われるもので、包丁の真ん中の層に他の部分とは違う固い金属を入れて作るものだ。強度も上がるし、金属の種類によっては錆びにくくもなる。合金の有用さを上げる可能性も十分残っているのだ。
だが、グレイブはそれと同時に包丁のキレ味を少しでも残す、そして切れ味を変えないで食材を切ることによる包丁への衝撃を少しでも減らす新素材の組み合わせにも目を付けている。
このニューマテリアルテックの特許である“衝撃緩和素材”のニアリーゼロを使って、新たな包丁を作って見たい。それがグレイブの目標だった。
ニューメタル部門では、試作の記録を取り続ける。素材の組み合わせとその配合を記録する。
(割り込み包丁にするなら衝撃緩和の素材をある箇所だけ、厚くしたり薄くしたり、量を多くしたり、少なくすることも案として良いな⋯⋯)
それから時間は弓矢のように早く過ぎていった。
グレイブが入社してから半年後、ミッシェルも同じ会社に入った。グレイブはこの会社が気に入ったので社長にミッシェルの事を話した。そしてミッシェルにも会社の事を話した。
ちょうど管理部門に人が足りないというのでミッシェルにも聞いてみる。
「ミッシェル、僕の会社に興味はある? 社長が君さえよければ管理部門に人が足りないから来てくれないかって聞いてくるんだ」
「私もね、あなたの会社のこと気になっていたの」
ほどなくしてミッシェルは社長と管理部門の人にそれぞれ会うと会社に入ることを決めた。
それを伝えたくれた日にミッシェルは嬉しそうにグレイブに笑いかけた。
「これで私もグレイブが作るマスターソードのお手伝いが出来るのね」
「マスターソード??」
グレイブはそれを聞いて目を丸くした。ミッシェルは指をさしている。
「この人生ではグレイブにとって、これが包丁でしょ? 魔王はいないけど王様ならいるわ」
「かしこまりました。王女さま、仰せのままに」
グレイブは仰々しく片膝をついて頭を下げた。するとミッシェルが真っ先に笑い始めた。それを見てグレイブも笑い始める。
その晩、2人は大きな声で笑い合っていたのだった。
それから時が流れてグレイブの開発した包丁は王室に納入が決まった。
その知らせを聞いたグレイブは階段を駆け下りて管理部門へと走った。
ミッシェルの姿を見つけると、大声で名前を呼んだ。ミッシェルはその知らせを聞くとはっと息をのみ両手で口元と隠した後、両手を広げてグレイブに抱きついた。
「グレイブ、おめでとう! あなたの夢が叶ったのね!」
「あぁ、夢が1つ叶ったよ」
そのニュースが世間の明るみに出ると、会社への問合せが増えた。
ほどなくして会社はアベレージ市場の株式上場からこの国で1番大きいプレミアム市場への上場が決まった。
グレイブは更なる労力をつぎ込んでニューメタル部門の新素材の開発にも取り組んだ。ようやく魔道具化の秒読みとなった。
■
ミッシェルはと言うと、今でも歌を歌うのが好きだった。
僕の前ではいつもマイクを持ちながら楽しそうに歌っていたのだ。
その趣味が高じて、なんと歌のど自慢という歌の大会に出ることになった。大会と言っても順位はない。鐘の回数だけなのだ。
そこでグレイブは大会前日にマイクの首元に黄色のハンカチを結んだマイクを渡した。
「いつもの君が1番素敵だ」
ミッシェルは嬉しそうにマイクを受け取った。
「ありがとう、あなたが近くにいるようだわ」
大会では会社の管理部門のメンバーや社長たちとグレイブが応援に来ていた。
グレイブは会社の皆に頭を下げた。社長は嬉しそうに笑いながらグレイブの背中を叩いてくる。他の皆も少し照れながら笑っていた。管理部門の有志の中でも若い女の子がうちわを用意してきてくれた。
ミッシェルの順番は終わりの方だった。
大きい公園の野外ステージで、審査員が4人座っている。その人たちは著名人で順繰りに評価して鐘がいくつかを決めている。
鐘が1つで肩を落とす人、鐘が2つで苦笑いする人、鐘が3つで鐘が流れるようになり大喜びする人、いろんな人の歌が終わった。
ミッシェルの名前が呼ばれる。身体がカチコチになりながらグレイブが渡した黄色のハンカチが結ばれたマイクを握りしめている。
司会者が軽快なタッチでミッシェルを紹介すると、ミッシェルは緊張で上手く言葉を返せなかった。
そこで司会者は応援に来ているグレイブたちを手指しして会場を盛り上げる。
歌う曲はグレイブがいつも聴いている曲だ。
最初こそ少し声がうわずったが調子が出てきたようだ。声が伸びていく。サビにかかるといつもの調子になった。
彼女の姿に緊張が薄らいでいくように見える。歌の楽しさを体現するかのように彼女の身体から歌を音に乗せていく。
審査員には興味を示さないのか腕組みをしたり、頬杖をついたりしている人もいる。
歌が終わるとミッシェルは頬を上気させて深々と頭を下げた。
司会者は審査員の順番を確認して、少し躊躇しているように見えた。
そして司会者は審査員の名前を呼んだ。
音楽界の大御所で強面の男の人だった。はっきり言ってミッシェルには歌の技術があるわけではなかった。
ほんの僅かな時間だったが、長い間沈黙が流れたかのようにミッシェルもグレイブも感じた。
その男は固く閉じた口をゆっくりと開いた。
「まぁ、いいんじゃないの? 味があって俺は好きだけどな。それって鐘3つ鳴らしていいの?」
司会者は一瞬固まったが大きく頭を上下に振っていた。
他の審査員が目を丸くしてその大御所を見た。
鐘が大きくなった。
それが歌の上手さではなく、大御所の気まぐれと言われようが、グレイブには嬉しかった。
グレイブは思わず立ち上がって階段を駆け下り、ステージに勢いよく上がるとミッシェルを抱き上げた。
その写真は次の日、地域新聞に載った。グレイブはその写真をもらうと写真立てに飾って玄関の1番見えるところに置いた。
意外なことにその後、地方のイベントにもミッシェルは呼ばれるようになった。
ミッシェルはとても嬉しそうだった。
そしてグレイブはニューメタルの衝撃緩和素材が特許を取り魔道具化した。それは宇宙開発の部品素材にも選ばれたので、会社はメディアに取り上げられた。
社長の横に並ぶグレイブの写真が会社のHPの1番目立つところに掲載された。
グレイブは社長の横に並ぶグレイブの写真をリビングに飾った。玄関からリビングまでたくさんの写真を飾っている。
玄関を入るとミッシェルと結婚したときの写真が1番に目に入ってくる。笑顔のまぶしい彼女は茶色の髪をまとめている。その隣にはワックスで整えられた黒い髪にタキシードの自分が同じような笑顔で映っている。
旅行に行ったときの写真もある。海や魔山、花で埋め尽くされた丘やきらびやかなホテル、文化遺産や自然遺産――
包丁を納入しに王室に行ったときの写真
歌のど自慢のミッシェルを抱き上げているグレイブを撮った写真
それでもグレイブが1番好きな写真はリビングの壁に大きく飾っている、2人がただベンチに座って手をつないでいる写真だ。
■
そうして時は穏やかに優しく過ぎていき、頭はグレーに変わり皺が顔や手にも刻まれた歳になっても2人は手を繋いで公園を歩いた。
ベンチに腰掛けるとグレイブはミッシェルを見る。
「愛しいミッシェル、いつもありがとう。人生って何度でもくるものだって思っていたけど、終わりがくるって分かってからの方が充実した人生だった。この人生はどんな人生よりもかけがえのない瞬間ばかりだった。楽しい時も悲しい時も大変な時も嬉しい時も、隣に居続けてくれてありがとう。いつまでもずっとそばに居てほしい。⋯⋯また君の歌を聴かせてくれないか?」
「大好きなグレイブ、私の人生を明るく照らしてくれてありがとう。あなたがいたから歩けるようになったし、大好きだった歌をこんなに堂々と歌えるようになったの。今が1番大事よ⋯⋯。えぇ、いつまでも私の歌を聴いて⋯⋯」
風とともに一緒に舞いながら優しく包むミッシェルの歌が心地よくて、時に盛り上がる旋律に心が温かくなるのを感じ、グレイブはミッシェルの手を強く握り続けた。
ずっと⋯⋯
ずっと⋯⋯⋯⋯
――――――――
目の前には点のように見える大勢の人たち。
そして全員の手には彼女のトレードカラーのピンクのサイリウムペンライトを持っている。
中央にあるステージを囲むようにひしめき合っている人たちは夜空の星が一度に落ちたようにピンクの光を瞬かせている。その人たちが見ているのはただ一人。
コニー・リーパー
弱冠、18歳で国内外の様々な歌の賞を受賞する世界中で人気の歌姫だ。
その彼女は可愛さとカッコ良さを体現したように左右で全く異なる姿をしている。
右側にはベリーショートをさらに短くして髪の毛をワックスで立たせたライトブラウンの髪色に袖口に星のスタッズが付いた半袖、ショートパンツの襟足は少しダメージ加工されている。真っ黒に塗られた爪のある手でマイクを持つ。
左側には黒のロングヘア―に半袖の上から左半分のみ革ジャンを着ている。そしてショートパンツを左半分のみ覆うように膝上まである赤いチェック柄の傘のように膨らんだスカート。トレードカラーであるピンク色に塗られた爪のある手を広げている。
足元には細身の皮で出来た黒色のニーハイブーツを履いている。大きな目には何枚も重ねた黒のつけまつげをつけて、目尻の先まで長く伸びたアイラインがひかれている。
彼女のすべての魅力を凝縮したかのような、真っ赤な口紅を塗った唇を大きく開けてファンに問いかける。
「楽しんでくれてる?」
彼女の声はマイクを通すと、エコーで声が重なりながら、会場一体に大きく響いていく⋯⋯
そしてその声の輪が会場全体を包んだ。
彼女の声が全てのファンの耳に行き届くと、その何倍もの大きさで熱い返事が返ってくる。
今日のライブも絶頂を迎え、ファンは狂ったような喜びようだ。
彼女はじっくりとステージの上からファン1人1人を見るかのように時計回りに会場を見ていく。
”目が合った”と大騒ぎするファン、興奮しすぎて金切り声のような甲高い声をあげるファン、はしゃぎすぎて一人では立っていられないファン。
彼女はそれを見て少し口角を上げた。
そして彼女は左手をすっとあげた。
それは魔法を使ったのかのように歓声の大波が一瞬で凪いだ。
「最後の歌、行くよ」
ファンはもう何が起こるのか分かっていた。
コニーは最後にいつも同じ曲を歌う。
それまでのアップテンポな曲や、ギターやドラムと喧嘩するようなロックな歌でもない。
その個性を体現したかのような彼女が最後に歌うのは『ラブソング』だ。
ファンの間ではこれが一体誰のことなのかということについて、いつも議論になる。
だが、その結論に辿り着いた者はいない。
彼女は左のポケットから黄色のハンカチを取り出した。
そしてマイクの首元を結んで飾る。
それが合図となってまばゆいサイリウムペンライトはパラパラと光を失い始めて、最後には真っ暗になった。それはまるで闇に包まれた海の中にいるようだった。
その海ははたして
悲しみの果ての海だろうか⋯⋯
救いの海だろうか⋯⋯
そしてファンの手にも黄色のハンカチが握られている。これから何が起こるのを分かっているファンはすでに目元にハンカチを添えている。
彼女はピアノを一瞥した。
するとピアノの旋律が始まる。彼女は静かに息を吸い込むと、胸に詰まった想いを紡いで歌に乗せる。
コニーの頭には彼のことが思い出されてゆく
人生なんて気の向くままに進めばいい
次があるからまた今度
そう思っていたのに
隣にやって来たあなたは
この人生は一度きりしか来ないと言った
ただの確率の重なり合いだと思って
諦めていたのに
あなたが真剣な目を向けるから
私も真剣な目を向けてみたの
ただ、それだけ
そう思ったのに
あなたに真剣な目を
向けられれば向けられるほど
期待に応えたいって思ったの
あなたのまぶしい笑顔を見た時から
私だけに向けられた
笑顔を見せ続けてほしい
そう強く思ったの
いつしかあなたに宛てた
貼り付けの真剣な顔は本物となり
私は目の前のことに目を向けた
あなたの瞳に少しでも長く
私の姿を映し続けてほしい
そう強く願ったの
あなたはいつも些細なことに気が付いて
それをあなたは私に伝えるの
髪を切っただけなのに気付いてくれた
それだけのことが
こんなに嬉しいなんて知らなかった
街中で偶然会っただけなのに
当たり前のように隣へ来ると
手を重ねて一緒に歩いてくれたね
歌うのが大好きだったけど
ずっと言えなかった
思い切って歌った私の拙い歌声は
緊張して上ずっていたのに
優しい声で
僕には響く歌声だよって言ってくれた
私は目が滲んでもっと声が上ずったけど
私を優しく包んでくれる
あなたのまなざしの目の前で
大好きな歌をずっと歌っていたいの
あなたの目の前も隣も
私にとってはずっと居たい特別な場所
このまま時を止めて永遠に
心から
身体中から
その願いが溢れてくる
あなたが目の前からいなくなって
それでも私はあなたを探し続けてしまう
この歌声を道しるべに
どうか⋯⋯
どうか⋯⋯
もし願いが叶うなら
この道しるべを伝って
私に巡り合ってほしいの
そんな日が来るのをここで待つの
あなたが迷わないように
私は歌い続けて
ここに残すの
最後までお読みいただきありがとうございました!
毎度のことではありますが、誤字・脱字があればご連絡下さい!
また、短編の内容を加筆修正しながら【オムニバス連載版】も始めました。良かったら連載版も読んで下さると嬉しいです!