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モノローグ:波揺る少女

 ザザーン……

 

 ザザーン…………

 

 黎明に霞む浜辺の、ビーズを散りばめたように煌めく砂を、波は一定のリズムでさらっていく。

 

 その遥か上空で、海鳥たちが少女の安否を心配でもするかのように鳴いていた。

 

 

 少女が、寄せる波に背を揺られている。

 

 浜には、少女と同じように揺られる木片を除けば、ほかに目立った影はない。

 

 ――いや、なかった。

 

 それにもかかわらず、いつのまにか、浜には亡霊のように何かが立っていた。

 

 それは、モノクロトーンの服を纏った白髪の青年だった。

 

 しばらくの間、それは何をするでもなくただ海を眺めていた。

 

 しかし、海鳥の鳴き声に引かれてか視線を動かした時、それは汀線に寝そべる少女に気がついた。


 青年は、()()()()()()()()()()()少女のもとに立つと、その有様に思わず顔をしかめる。

 

 海側になっていた少女の右半身は、脇腹から肋骨にかけて深く抉れており、手も肘から先がなかった。

 

 青年は静かに手を合わせようとし、しかしそこで驚愕に目を見開く。

 

 少女には、まだ息があった。

 もちろんそれは吹けば消えてしまいそうなほど弱々しいものだが、いずれにせよまだ救える状態にあることを認識した青年は、少女を抱き上げ浜の手前に移し、自らの使えるすべてで持って、少女を死の淵から現世へと引き上げるのだった。


 ◇◇◇


 薄暮の浜辺。

 海を奥とするならば、浜を挟んで手前に広がる森との境目に、焚き火が一つ。

 そのそばの倒木に腰掛けて、青年はぼうっとしていた。

 

 死の淵にあった少女は今、布に包まれて、焚き火のそばに寝かされている。

 一見すると助からなかったようにも見えるが、その呼吸は数刻前と比べれば遥かに安定した、確かな生命の息吹であると感じられるものになっていた。

 

 青年は少女を一瞥し、その眠りの深いのを見て()()()を放ってみたが、それはただ森の獣たちを苛立たせるだけの結果に終わった。

 それから青年は何をするでもなく、ただ少女を眺め時を過ごす。

 

 

 

 そうして半刻ほど経った頃、少女が目を覚ました。

 

「ここは……」

 

 少女は地面に手をついて上半身だけを持ち上げると、起き抜けのぼやけた視界で砂浜を見渡し、ここが見知らぬ土地であることだけを辛うじて理解する。

 少女の動きが止まった頃合いで、青年はその背に声を投げかけた。

  

「やぁ、目が覚めたかい?」

 

 それは極力フレンドリーな声音になるよう意識して発されたものだったが、しかしその声を聞いた少女の意識は瞬時に覚醒状態へと切り替わり、()()と勢いよく振り返った。

 

 そこには、白髪の、白黒の服を着た、妙にニコニコとした青年が片手を上げて立っていた。

 

 少女は青年の顔に張り付いている笑みが作り物であることを素早く把握し、まとわりつく布から抜けゆっくりと三歩下がった。

 が、そこで肌を凍らせるような寒さと今も熱を放ち続ける焚き火、そして青年が何の武器も身につけていないのを見て、ぼんやりと現状を把握し表面上は警戒を緩める判断を下した。

 

「……ありがとうございます」

 

 少女の礼に青年は一瞬驚いた様子を見せたが、またすぐ()()にもどる。

 

「どういたしまして」

 

 尚も作り笑顔でそう言ってのける青年に、少女は若干の気味の悪さを感じた。

 

「……それにしても、年のわりに賢いね。それに上等な服だ。もしかして、君はいいとこの生まれなのかな?」

 

 少女の服はーー千切れていたはずの左半身部分を含めてーー新品同様になっている。

 そしてそれは、青年の知識が正しければ『四つ身』と呼ばれる()()だった。


「どこの……」


 少女は自分の記憶を漁って、そこで初めて自身の()()()()が完全に欠落してしまっていることに気がつく。

 

「あの……私、思い出せないんです…………」


 少女はそれを素直に言うべきか一瞬迷ったが、結局は自分より年上の相手に隠し通せるはずもないと考え正直に話した。

 もっとも、そうしたとして信じてもらえるかはまた別の話だが。

 

「ふむ、記憶喪失か……まあいいや。僕が今から君に示せる道は、三つある」

 

 しかし、青年は思いの外あっさりとそれを信じたばかりか何でも無いことのように流し、小指の爪を親指で抑えるようにして、間の三本を立てた。

 

「一つ目は、ここで暮らしていく道。その場合、居住スペースくらいは作ってあげるけど、そこから先は一人でやっていかなければいけない」


 青年は立てた指を反対の人差し指で降ろしながら朗々と説明していく。

 

「二つ目は、街まで一緒に行って、そこで仕事を探す道。この場合、働き先を探すくらいまでは手伝うけど、さっきと同じく僕が面倒を見られるのはここまでだ」

 

 少女は降りていく指をじっと見つめていた。

 

「三つ目は、僕と世界を旅する道。僕は今世界を旅してるんだけど、君が望むならそれについてきても構わない。まあその場合、ある程度は僕に従ってもらう必要があるけどね」

 

 青年は一呼吸置いて、両手を()()と開いた。

 それに合わせて、少女の身体が小さく跳ねる。

 

「さて、どれがいいかな?ちなみにおすすめは三だけど」

 

 青年は相変わらず()()()()としていたが、少女はその笑顔には興味がないと言わんばかりに顔を伏せ黙考する。

 

 賢い少女には、これが三択などではないと言うことは分かっている。

 しかしだからといって、この目の前の、出会って間もない道化を信じても良いものか。

 無論、現状だけを見れば彼が味方であることは火を見るより明らかだ。

 しかし、そもそも彼が自分を助ける理由が何処にあるのか。

 それを考えると、どうしても単純になりきることが出来ないのであった。

 

 ーー目の前の青年を信用するのか、しないのか。

 

 少女はそれについて、おそらく出ることはないであろう最適解を模索し続け、行き詰まり、何かを求めてほんの少し青年の顔を盗み見た。

 その顔は、()()()いた。

 少女は視界からそれを追放し、また悩み始め―― 

 ――()()、と。

 突然の音に驚いた少女が見上げると、青年が手を合わせていた。

 

「ところで、もうすぐ日が暮れるね」

 

 青年の言葉で少女が振り返ると、浜には()()()()()()()

 

「――え」

「これが、君にとって一つのヒントになるんじゃないかな」

 

 青年はニコニコしたままそう言うと、右手の人差し指を立てた。

 

「まあでも、別に今すぐ決めなくたっていいんだ。少なくとも、ここには残らないんだろう?」

 

 少女は青年の顔に視線を戻すと、頭を埋め尽くす疑問を一旦飲み込み頷いた。

 その幼い身体で大自然の中を生き抜くことができると思える程、少女は傲慢でも無謀でもなかった。

 

「なら、答えを出すのは街まで行ってからでも遅くない。それより、今は夕飯にしようか」

 

 少女が頷くと、青年は突然森に向かって右手を突き出した。


「……あの、何をしているんですか?」


 少女の声に少し遅れて、森中の鳥や獣たちのぎゃあぎゃあ喚く声が響いてくる。

 青年は、右手を突き出した姿勢のまま微動だにしない。

 

「もう少し……そろそろかな」

 

 そんなことを呟くと、青年は腰を落として、左脇腹あたりに両手を持って行く。

 それが『居合』の構えであることを、少女は知っていた。 

 知っていた……が、

 

「……本当に、何してるんですか?」

「え?……あ」

 

 腰の辺りをまさぐる青年だったが、そこに刀はない。

 青年は、半刻前少女を刺激しないよう()()したことをすっかり忘れていたのだ。

 

 ――不意に、浜と森との境を区切る、丈の高い草達が揺れた。

 それにほんの一瞬遅れて、そこから人ほどの体高を誇る巨大な猪が飛び出してきた。

 

 その眼は青年を射殺さんばかりの眼力で捉え、天を突くように反り立つ牙を今だけは青年へと向けて、突っ込んでくる。


「あっ……」

 

 突然のことに、少女は思うように声を出せなかった。

 

 しかしその一方で、青年は深くため息をつくと静かに『構え』を完成させる。

 

「こんなことならナイフくらい持っておけばよかった……」

 

 青年は右足を軸に反時計回りで突進を避け、その()()()振り抜いた。

 

「――え」

 

 それは決して空振りの比喩などではない。

 ーー事実として、まだ斬られたことにも気づいていない猪の首は、今まさに宙を舞っているのだから。

 

(……特に反応は無し、と…………)

 

 青年は飛んだ猪の首を目で追いつつ、少女の表情、仕草、心拍などをつぶさに観察していた。

 

 ぼとりと落ちた生首が転がるエネルギーを失って、一拍。

 青年は「ま、いっか」と軽い調子で残った体の方に向き直った。

 青年がそれに右手を翳すと地面から二本の鎖が飛び出し後ろ足に巻きついて、追加で生えてきた十字架状の柱へ吊り下げて固定する。

 

「あの……貴方様はもしや、陰陽術師の方なのでしょうか?」

 

 耐えかねた少女が青年に問うた。

 少女の口調はこれまで以上に畏まったものだったが、それに反して青年に向ける視線に含まれるもろもろの程は、幾分かマシになっている。

 

「陰陽……うーん、まあ似たようなものかな」

 

 言いながら、青年は猪の頭を森の上空にむけて投げ飛ばした。

 青年がそれを投げる動作に、特段異常な点は見受けられない。

 しかし、投げ飛ばされた頭は通常あり得ない加速でもって、一瞬のうちに少女の視界から消え去ってしまった。

 

 さらに青年はイノシシに触れて、その体に残った熱を吸収していく。

  

「そもそもね、ここは君の生まれ育った土地とは全く別の場所なんだ」

 

 青年は、血抜きが終わるまでの間にいろいろなことを話して聞かせた。

 ここがラべンタという国であること、自分のような術を使う者がここでは魔法使いと呼ばれること、自分が『冒険者』という仕事をしていること。

 そして、今日ここにきたのはその『冒険者』として依頼を受けたからだということ。

 

 少女は青年が話す間、何も言わずただ耳を傾けていた。

 

「と、そろそろいいかな。ここまでで何か聞きたいことはある?」

 

 青年の操る『風』は猪の体を持ち上げると、その毛皮を剥ぎ、肉をそれぞれの部位ごとで的確に切り分けていく。

 残った内臓は、()()()()()()()()()森の奥に吹き飛んでいった。

 

 吹き飛んだ内臓から視線を戻した少女が、口を開く。

 

「どうして、私がそのラベンタの者ではないと分かるのですか?」

 

 青年は使わない分の肉を森へ吹き飛ばす()()をしつつ、今度は指を五本立てる。

 

「理由は全部で五つある」

 

 青年は、『風』で手頃な小枝を集めつつ話を始める。

 

「一つ目に、服装。君みたいな服を着る地域はーーまあないこともないんだけど、少なくともここら辺にはない」

 

 少女は改めて自らの服を見ると、また青年に視線を戻した。

 

「二つ目に、瞳と髪の色。ここらに黒髪黒目の人間は一部例外を除いていないよ」

 

 焚き火を作るのに十分な小枝が集まったのを見て、青年は左手をそれらへ翳して水分を抜き取っていく。

 

「三つ目に、魔法使いを知らず、陰陽術師を知っていること」

 

 小枝から大半の水分を抜き取ると、今度はそれらがひとりでに動いて焚き火の形に組み上げられた。

 

「そして何より、君の使っている言葉だ。その言葉は、ラベンタ含むこの国や周辺国家のものでも、その方言でもない」

 

 青年は置き終わった小枝の中心に粉砕した木の粉を置き、先ほど猪から奪い取った熱を付加して発火させた。


「それと二つ目の一部例外についてなんだけど、この大陸含めた君達の住む地域以外の場所でも、稀ではあるけど黒髪の人自体は一応いるんだ。ただそれは、膨大な魔力が魔石として髪に定着するからで、だからこそそういう人たちの黒髪は独特の光沢を持ち、普通より重く、そして皮膚に埋まってる根元のあたりは実は黒くないんだ」


 そう言いながら青年は左の掌を上向きにし、そこへ周囲のマナを集めていく。


 すると、手のひらより少し上のところに黒く独特の光沢を持つ小石が出来上がった。


「これが魔石。まあ髪に定着するようなのはもっと細かい、それこそ粉みたいなものなんだけど、なんにせよこうやって魔石化させるには本来膨大な魔力量が要求される。そして、君には一般人程度の魔力しかない」


 青年が地面に手をかざすと、地中から砂鉄が集合していきやがてフライパンを形造った。


「でも、君のそれは本当に純粋な遺伝的要因による髪色だ。そしてこの世界でそんな髪を持つのは唯一君の民族だけなんだよ」


 青年は焚き火の上に出来立てのフライパンを乗せると、先ほどからずっと浮遊させ続けていた肉塊を切り分け一枚を乗せた。

 調理に精通している人間がよく見れば、それらの筋という筋が全て切られていることに気がついただろう。


「加えて、さっきも言った通りその()()だ。それは、僕の知る限りではこの世界で唯一その衣装や陰陽術師が()()()()()として存在する地域でしか使われていない。そして、その地域というのがさっき言った民族の唯一住んでいる場所なんだよ」


 青年が海の方へ手をかざすと、海水が人ほどの直径を持つ球体となって飛来し、水と何かの()()()に分かれる。


 青年はその白い粉をさらに純白の粉とそうでないものの二つに分け、そのうちの純白の方を肉にふりかける。

 

「……その、地域というのは、どこなんですか?」


 少女は、恐る恐る、と言った様子で問うた。


 日はもうほとんど落ち、影は限界まで伸びている。


「――」


 青年の告げた名を、少女は繰り返し声に出す。


――その響きに、心当たりはない。

 

 しかし、何故だか()()()()感覚を、少女は覚えた。


――パン、と。


 青年は、再び手を叩いた。

 それによって、拡散しつつあった少女の思考は再び整合性を取り戻す。


「さて、いい感じに焼けたしそろそろいただこうか。あ、ごめんけど主食はないから肉だけで我慢してね」


 青年が両手に持っている白磁の皿は、一口サイズに四角く切り分けられた肉が所狭しと並べられていた。

 その背後には更に二皿が追随するように浮遊している。


「あぁ、暗すぎて食べ辛いね」


 もう既に夜の帳は下り、新月の浜は焚き火の周りを除いて深い闇に包まれていた。


「ほいっ、と」


 そんな声と共に、青年の周囲に光の玉が二つ生まれた。


 そのうちの一つが青年のもとを離れ、少女の頭上三寸ほどのところで静止する。


「ああ、それからテーブルと椅子もか」


 青年が手を下に翳すと、二人の間に幅の広い円錐二つを頂点で融合させたような、腰丈ほどの石台が生えてくる。

 それと同時に、二人の背後には石台より低い円柱が一本ずつ生えてきた。


 青年は両手に持った皿を、石台の少女側と自分側にそれぞれ置く。


「――そして、五つ目」


 唐突にそう口にした青年は、席につくわけでもなく、少女――正確には、()()()()へと手を翳していた。


 少女がその手の先を目で追うように振り返ると同時――

 

――PygyAAAAAAAAAAA!!!!!


 今にもその細駆を掴み取らんとしていた、白い、大木のような触腕が宙を舞った。


「――ひっ……」

「この海域には今、あの怪物――クラーケンが何故か大量発生してるんだ」

 

 斬り飛ばされた触腕の元を辿っていくと、沿岸よりはるか奥に、不自然な影が揺れている。

 

「だから、地元の人間はもちろんかなり遠方の港ですらここらへんに船を出すことは禁止されてるし、されなかったとしてもわざわざ死ににいくようなバカはほとんどいない。にもかかわらず、君はここの浜辺に流れ着いていた」

 

 青年は両手を上向けて肩をすくめる。


「ま、そうなると今度は君がなんでここに流れつけたのか、って謎がでてくるわけなんだけど……それでも、状況的に本来一番あり得なさそうな可能性が一番あり得るんだよーーっね!!」


 青年が手を横薙ぎに振ると、海は荒れ狂い、その中にいたクラーケン()を悉く切り裂いてしまった。

 それらの残骸は、海が荒れているうちに、青年によって()()される。

 青年の想定よりも量が多かったため少し荒れ方が不自然になったが、幸いにして少女に気づかれることはなかった。


「よし、では改めてディナーといこうか」


 青年は浜に残った触腕を風で海の方へ吹き飛ばすと、石柱に腰掛けた。

 少女もそれに倣って腰を下ろす。

 石柱のヒヤリとした感触が、少女を身震いさせた。


「あぁ、寒い?」


 明らかに大丈夫ではなさそうな様子で、少女は首を横に振る。

 先ほどの怪物に、魔法。

 何一つ解決されていない疑問の渦に飲まれながら、さらに身体の芯まで凍るような寒さに不意打ちされあらゆることの鈍る少女にできた反応は、それが精一杯だった。

 

「ちょっと待ってね」

 

 青年は右手を上に掲げた。

 大分暖かくなってきたとはいえ、ラベンタの夜はまだ冷える。

 そのはずなのに、青年が手を翳した途端、それまで肌を刺すようだった寒さは瞬く間に消え去ってしまった。

 それどころかむしろ、少女は柔らかい温もりに包まれていく感覚を覚える。


「あ、ありがとうございます」


 暖かくなって少しだけ余裕が生まれたからか、今度は言葉を発することができた。

 少女は、まだぎごちないながらも目覚めた時よりは感情を顔に出すようになっている。

 

 青年は内心で多少の安堵をしつつ、少女の方を見る。

 目が合った。

 少女もまた、青年を見つめていたのだ。

 

 そしてそれは青年がいくら待っても変わらず、食事どころか箸に手をつける様子すらない。

 

「えっ……と、毒は入ってないよ?」


 少女は何故いきなりそんなことを言い出したのかと不思議に思いつつも、はい、と答える。

 

「……肉嫌いだった?」


 少女は更に怪訝な顔になりつつ、いいえ、と答えた。


「……あ、宗教上まずかったりする?」


 少女は更に眉根を寄せながらも、いいえ、と答える。


「うーん……じゃあ、君はなんでさっきから僕の顔ばかり見ているのかな?」


 青年が困り顔でそう聞いてくるので、少女は不思議に思いながらも答える。

 

「食前のあいさつとあなた様が食べ始められるのを待っているだけです」


 それを聞いてようやく少女の意図に合点のいった青年は、手を合わせいただきますと言って、食べ始めた。


 青年が食べ始めるとようやく少女も箸を手に取る。


「……やっぱり、慣れてるね」


 青年が、ふとこぼした。

 少なくとも、青年の知る限りこの近辺に『箸』の文化はなかった。

 青年の視線から、少女も何を指した言葉の火を理解する。


「……確かに、こんな棒二本でものを食べるのは日頃からしていないと難しいかもしれませんね」


 少女は自分の右手に握られた箸を眺めながら、独り言の様につぶやいた。


 それから二人が言葉を交わすことはほとんどなく、食事の時間は極めて静かに過ぎて行った。


「「ごちそうさまでした」」

 

 青年は、少女の皿に残った肉を見て密かに眉根を寄せる。


「身体能力上は、普通程度には食べられるはずなんだけど……」


 青年は、少女に聞こえない程度の声量でそう呟いた。

 少女は肉をほんの五十グラム弱食べただけで、あとは残してしまったのだ。


「あ。今更だけど、口に合わなかったりした?」

「いえ、とても美味でした」


 そう言って、少女はかすかに微笑んだ。

 その表情が社交辞令かどうか青年には分からなかったが、どちらにせよひとまずそれができるくらいには回復したのだろうと見做して、食事量の問題は一旦頭の片隅に追いやることにした。

 テーブルと椅子の代わりにしていた石柱を皿ごと分解しながら地中に戻し、代わりに石造りの簡易的な拠点を二つ作り出す。

 半球に通気口と出入り口代わりの四角い穴を開けただけの殺伐とした構造物は、見る人がみればトーチカのようにも感じられるだろう。

 実際の広さは十畳ほどあるものの、材質とその密閉的な作りのせいで、体感的には四畳もない様にすら思える。


「えーっと……あぁこれこれ」


 青年は、腰の袋から到底そこに収まり切る大きさではない何かを取り出した。

 

「あ、これは魔法袋って言って、見かけ以上の容量を持つ袋なんだ」


 目を丸くして固まっている少女に、青年は慌てて説明しながら袋を腰から外してみせた。

 

「ほら、試しに手を入れてみな?……大丈夫だから」


 青年はしゃがみ込んで袋の口を両手で開いたままいつまでも待っている。

 

 少女は躊躇っていたものの、青年がいつまでもそのまま動き出そうとしないので、やむを得ずおっかなびっくりと言った調子で手を入れてみた。

 

「じゃあそうだな……さっきの皿をイメージして見て」

「ひっ!?」


 青年の言葉を聞いた途端、少女は短い悲鳴と共に手を引き抜いてしまう。

 その際飛んでいった皿は()に乗って袋の中へと戻っていった。

 

「ごっ、すみません……驚いてしまって…………」


 少女は心底申し訳なさそうに萎縮してしまったが、青年はむしろ朗らかに笑っていた。

 少女は()()()()()青年の笑顔に驚いたが、表情の乏しい少女の驚きが青年に伝わることは——

 

「いやぁ、ごめんごめん。初めてだとびっくりするよね」


——無いと思っていた故に、青年の言葉に一瞬そんな内心を見抜かれたのかと驚きかけたが、すぐにアイテム袋のことかと理解した。

 そんな一連の出来事故にめずらしくころころと変わっていく少女の表情を不思議に思いつつも、青年はまた袋を腰に戻す。

 

「ま、とにかくこれがアイテム袋ね。で、それが寝袋。ここをこうして……」


 青年はくるんであった寝袋の留め具を外すと、顔を出す部分に手を入れた。

 

「寝る時は、靴を脱いで足から入るんだ。とりあえず、今日はもう夜遅いしもう寝よう」

 

 青年はまだくるんである方の寝袋を担ぐと、どっちがいい?、と言いながら二つの仮拠点を交互に指差した。

 

「じゃあ、こっちで……」

 

 少女が手前の方を指差してそう言ったので、青年はそちらへ歩き出す。

 

「床は割と滑らかな石にしてあるから、足滑らさない様に注意してね。あと、光球を一つ残していくけど、消したかったら軽く叩いて」

 

 青年は入口に着くと風で寝袋を中に運び込む。

 

「あーあと、外につながってる穴は君か僕しか通れない様になってるから何かに襲われるとかはないと思うけど、もし万が一何かあったら大きな声を出すか僕の方に来てね」


 言い終わると、青年は奥の方へ歩いて行ってしまった。

 

 残された少女は部屋に入ると、静かに室内を見回す。

 無機質な壁と天井、入口、その反対側の天井付近に開いた明りとりの穴。

 もしそこに鉄格子でもはまっていれば、誰がこれを牢獄でないと言い逃れできるだろうかと言ったような、無骨な見た目だった。

 

――その空間の閉塞感故か、少女の呼吸は徐々に荒くなっていく。

 

 圧迫感と鬱屈感がその小さな身体を押し潰さんとばかりにのしかかり、やがて少女は立っていることすらままならなくなってしまった。

 真上に浮かぶ光球の力も、部屋の隅までは届かない。

 呼吸は更に荒くなり、隅の微かな影からドス黒い手の様な何かが伸びてくるのを幻視し、しかしそれらから逃げることも出来ず、ついにはその場に倒れ込んでしまう。

 やがて視界が歪み始め、まるで地面が激しく揺れているかの様な浮遊感と重圧とを幾度も覚え、家中がギリギリと軋みだし……そうして意識を失いかけた、まさにその時だった。

 

「あ、しまった!」


 青年の声が、響いてきた。

 

 その声で一瞬体の自由を取り戻した少女は跳ねる様に立ち上がり、その場から逃げ出す様に青年の元へ駆け出した。

 

 

「あーどうしよっか……って、おっと」

 

 突然飛び込んできた少女を、青年は優しく抱き止める。

 胸の中の少女はひどく混乱した様子で、泣きじゃくっていた。

 

「……よしよし、もう大丈夫だよ」

 

 状況が分からないながらも、青年はひとまずできる限り優しく声をかけ、なるべく体を密着させるようにぎゅっと抱きしめながら頭を撫でる。

 そうして十分ほどの間、青年はひたすら少女を宥め続けた。


「……怖い夢でも見た?」

 

 青年の問いに、少女は首を横に振る。

 

「……話したくない?」

 

 少女は再び首を横に振った。

 

「……分からないんです」

 

 青年の胸に額をつけて、少女はそう零した。

 

「一人になってから、何故か急に胸が苦しくなって、立っていられなくなって、それで…………」

 

 少女の顔はひどく青ざめ、体は震えていた。

 青年はそんな少女をぎゅっと抱きしめて、もう一度、優しく頭を撫でてやる。

 

「話してくれてありがとう。じゃあとりあえず……今日はこっちで寝る?」

 

 少女はこくりと頷いた。

 少女の震えが収まると、青年は少女を離して目を合わせる。

 

「でもその前に……」

 

 青年は突然少女を片腕で抱き抱えて立ち上がると、壁の方へと歩き出した。

 

「寝る前に汗流した方がいいし、足も洗わなきゃだから――お風呂、入ろっか」


 青年が塞がっていない方の手を掲げると、部屋の天井に穴が開き、その下の床が窪み、そして天井()()()場所から水塊が降りてきて、窪みの中を満たした。

 

「はいこれ洗剤」

 

 青年は理解の追いつかない少女を床に立たせると、自身のそばに中心より小さなくぼみを作り、その淵に()()()()()()()()()()()()()()()()()()などを置いていく。


「ここ押すと洗剤が出てくるから、それぞれ手のひらに一回ずつ出して、身体を擦って」


 そう言って、青年はシャンプーを出して見せた。

 

「左から頭、顔、体用ね」

 

 青年は更に水塊を窪みの上に浮遊させる。

 

「こいつを叩くと――」

 

 青年が水塊を叩くと、そこからシャワーの様にお湯が噴き出した。

 

「とまあこんな感じになるから。止める時はもう一回叩いて」

 

 未だに半分放心状態の少女を置いて、青年は出口の方に歩き出す。

 

「洗ったらこのタオルで体を拭いて、こっちの着替えを着てね。あ、この結界は叩けば消えるから」

 

 そう言って出口の左右に着替えとタオル、そしてそれを保護する結界を貼ると、青年はそこから出ようとして――

 

「ま、待ってください!」


――腕を掴まれた。

 

「……すぐそこ……というかここにいるよ?」

 

 青年は着替えが置いてある側の壁を指差す。

 

 少女は青年の腕を掴んでしまったことに驚いたが、一度深呼吸をすると、はっきりと目を合わせた。

 

「お願い、です……一緒に、入ってください」


 少女は耳を赤くしつつ、それでも青年から目を逸らさなかった。

 

「……僕はいいけど、君、本当にいいの?」

 

 こくりと頷いた少女の目には、縋る様な色が垣間見えた。

 

 その夜、青年は少女と共に入浴し、少女と共に眠りについた。

補遺

 これも――とは関係なさそうだ。

 個人的に気にはなるが今本格的に手を付けるのはやめておこう。

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