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脳汁摘出実験調査(標本)

作者: 試験の井戸

 脳汁による人体への影響、社会への影響、福祉的衛生的問題とそれらに対処しうるプログラム。

 現状課題は山ほどあり、それは早急に解決する必要があると判断するに至った。実験と銘打ち、実験を開始する。

                     南西暦7e7年 内務小臣 麻生共分



                    1


 今年も今年とて雪が積もった。近所のガキどもは雪目当てに寒空の下集まって雪合戦なんかやってやがる。ったく、そんなにはしゃいで、何が楽しいんだか。

 ふと、自分の少年時代を思い出す。あの頃ニッ本は東鵠あたりと戦争をしていて、毎日のように銃弾が降り注いでいた。楽しいことなんて何も無かったし、感情を共有する友達もいなかった。……俺は、誰のあこがれにさまよっていたんだろう。そんなこと、もう今となっては分からない。とにかく、俺の永い冬は窓を閉じたんだ。


 「時給3e8円。まぁ、悪くはねぇな」


                            反応無し





                   2


 ごうごう、ごうごう、ごうごう……

 タバコの臭いが充満するその空間では、目の死んだ大人たちがただひたすらに金の行く末を見守っていた。


 「くそっ!」


 溶ける、ただただ金が溶け続ける。タバコの熱が周りの空気を温めたせいであろうか。


 「来いっ! 来いっ!」


 勝利を希う青年の名は、原田秀機。裕福さを連想させる膨れた太鼓腹とは裏腹に、彼は困窮を極めていた。金欲しさで始めたギャンブルが結果的に自分の首を絞める形となってしまい、少しでもそんな現状を打破しようと今もギャンブルで一攫千金を狙っている。

 彼は吞まれたのだ、底なしの沼に。


「7……7……よし、いいぞ、いいぞっ!」


 彼の瞳に映る眩い光がもたらすものは、希望か、絶望か……。


 「……7、来たぁっ!」


 瞬間、200mlほどの液体が辺りに飛び散った。


                          微小な反応を確認






                  3


 「ってことがあったわけよ、やばくね⁉」


 教室の入り口付近で騒ぐ男子三人組。そのうちの一人、酒谷機風が他の二人に同意を求めるように話を振る。


 「楓先生まじやってんなー」


 そう返すのは北野圭。中性的な顔立ちから男女問わず人気がある。


 「まぁいつかやると思ってましたよ」


 敬語で語るのは糖野次郎。糖野家の長男で面倒見がいい。


 「あ、あの……」


 申し訳なさそうに割り込むのは岸田=モル=武。日系ニッ本人で、伸びきった黒髪を横に流している。


 「あ? 何?」


 酒谷が鬱陶しそうに聞き返す。


 「そこ、どいてもらっていいかな……?」


 「何? もっと大きい声で喋れよ」


 普段から母親としか話さないモル=武は、必然的に声が小さい。それでも、蚊の鳴くような声で彼は抗議する。


 「邪魔だから、どいてもらっていいかな?」


 「……は?」


 酒谷からすればモル=武は地味なクラスメイトで、ただの陰キャだ。そんな奴が自分に反抗的な態度を取るなんて思ってもいなかった。だからこそ、酒谷には思うところがあったのだ。


 「何お前、俺に歯向かおうっての?」


 「そ、そんなんじゃなくて……」


 語尾に向かうにつれ声量が小さくなるモル=武。


 「あぁ⁉ 聞こえねーっつってんだろ! ……なぁお前、ちょっと調子乗ってんじゃねぇの?」


 「そ! そんなことっ、」


 モル=武の言葉は最後まで続かなかった、乾いた破裂音と共に床に叩きつけられる。上を向いた彼の瞳には、憤りを隠そうともしない酒谷の姿が映っていた。


 「陰キャは陰キャらしく大人しくしとけばいいんだよ。俺に反抗しようとするからこうなるんだ、なぁ武?」


 「うわー岸田くんかわいそー」


 棒読みで呟く北野。彼は酒谷に加担こそしないものの、暴力を止めようともしない。


 「や、やめてよ……」


 「なんっだよそのやる気のない声は! もっと本気で拒絶してみろや!」


 大声で怒鳴りつける酒谷。彼の怒声により教室が一瞬静まり返る。


 「やめて、よ……」


 「あぁ⁉ 何だって⁉」


 教室に残っていた生徒たちが酒谷の周りに集まり始める。可哀想、と呟く者も中にはいたが、そいつだってモル=武を守るために酒谷を非難するなんて野暮な真似はしない。結局、野次馬精神で群がっているだけなのだ。


 「や……めろよ!」


 ヒュ~ゥ、と酒谷が口笛を鳴らす。


 「でかい声出るんじゃん。じゃあ、俺がもっとでかい声出させてやるよ!」


 硬い拳がモル=武の鳩尾に叩き込まれる。グフッ、と息を漏らすモル=武は、鋭い目つきで酒谷を睨みつける。


 「おぉ~怖い怖い。だがな武、お前じゃ俺に勝てない。肉体的にも、社会的にもな」


 酒谷はそこでモル=武から目を逸らして、周りを見回す。


 「見てみろ、こんなに大勢いるのに、一人もお前の味方になろうとしない。……つまりさ、お前、負け組なんだよ。力も人望もないお前みたいな奴はな、俺みたいなのに一生搾取され続けんだ。あぁ可哀想に、涙が出てくるぜ」


 再び酒谷はモル=武に目を見据える。


 「今どんな気持ちだ、武。悲しいか、悔しいか、それとも、腹立たしいか? 聞かせてみろよ、なぁ!」


 叩かれ、殴られ、責められ。しまいにはクラスメイトから憐みの視線を向けられる。さぞ屈辱的であっただろう。

 しかし、今は多様性の時代だ。屈辱的かどうか決めるのは、モル=武自身なのである。


 「何⁉ この液体!」


 「やばい、みんな逃げろ!」


 モル=武の脳髄から液体が溢れ出した。それは瞬く間に広がっていき、教室中を埋め尽くす。

 生徒たちはみなパニックに陥り、阿鼻叫喚の事態へと移り変わる。


 「う、うぅ……」


 当の本人であるモル=武だけが、冷静さを失わず、涙を流していた。



                          膨大な反応を確認






                  ・

                  ・

                  ・

                  ・

                  ・

                  ・






                  c


 私の計画は完璧だ。脳汁には世界を救うだけの力がある。だってそうだろう。毎日毎日きつい仕事を繰り返して、生きるための金を稼いで、そんなものに何の意味があるというのだ。

 気持ちよくならないとやっていけない、人生なんか(倒置法を用いた風刺)。

 脳汁こそが全て、脳汁ファースト。私にとってそれは不変の真理である。脳汁が出ない人生など退屈の極みであるし、そこには一片の価値もない。

 脳汁について解明するため、私は内務小臣の権力を悪用して全国的な実験を開始した。

 今のところ実験は順調だ。脳汁と幸福度の相関関係も見えてきた。あとはこの実験の規模を拡大するだけだ。

 この実験には二つの目標がある。一つは脳汁について調査し、ニッ本のより一層の発展に活かすこと。もう一つは、脳汁の有用性を国民の潜在意識に刷り込ませることだ。それが国民、そして私にとっての幸せである。


 大地は乾きすぎた。


 地球という名は体を表すものではなかったはずだ。


 今こそこの土地に潤いを。


 ああ、ああ、可哀想に。地球が泣いている。

 地球の涙に実体はない。

 そこにあるのは「意味」だけ。

 だからこそ、私たちがそこに「形」を与えてやらなければならない。


 「もうすぐ、もうすぐで、地球は救える……」


 愛は、地球を救うんだ。着服なんかさせるものか。

 パチスロなんかに、使わせてたまるか。


 「この世界は、いい方向に進んでいる」


 私が世界を変えるんだ。私のような真面目な存在が。

 そうでなければならない。だって、そうじゃなきゃおかしいじゃないか。


 「私の、野望だ……!」


 ああ……これが……快感……



                        異常、、、発生、、、








                 ■


 その瞬間、麻生共分の雁首が音もなく膨張し、破裂した。

 辺り一帯に大量の脳汁が撒き散らされる。


 ガコンッガコンッ!


 脳汁はすぐさま部屋一面を駆け巡り、そして部屋から出ようと、扉に水圧をかけながら襲い掛かる。


 バコォンッ!


 異常な爆音と共に扉が砕け散った。

 脳汁が街へと繰り出す

 行け、脳汁、どこまでも。

 野を越え山を越え。

 県境を越え。

 海を越え。


 一時間もしない内に地球は脳汁で満たされた。

 世界の人々の動揺は言うまでもない。皆が嘆き、悲しみ、泣き叫び。

 それはまるで生き地獄のようであった。

 終わることのない無間地獄、それを形作った麻生共分は天国で笑っている。なんとも皮肉なものだ。



 そしてついに、脳汁は大気圏を突破した。宇宙空間は脳汁で満たされ、果てしない海が広がった。


 海を渡る地球。


 果てしないこの船。


 これこそが、真の。



 『宇宙船地球号』

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