第7話
後に残されたアンは、壁際に寄って人々を眺めていた。
「失礼、はじめまして」
突然声を掛けられて、アンは目を丸くした。
話しかけてきたのは、赤髪の青年だ。
「初めて見ますねお嬢さん。私はマクレードと申します。お名前を伺っても宜しいですか?」
流れるような物言いに、アンは反応がワンテンポ遅れる。
「は、あ、アンと申します」
「素敵な名前ですね。踊っていただけますか?」
爽やかな笑顔と共に、手を差し出される。
まさに優雅だ。
アンは思わず見とれてしまった。
マクレードはそれを知ってか知らずかさらににっこりと笑う。
ルーセルとは違い、王族のオーラが板についた笑みだ。
まさに、少女達が幼き日に夢に描いた王子様そのものだろう。
アンは断ることもできずその手を取った。
「喜んで」
途端に周囲から、がっかりしたようなため息が漏れる。
マクレードはそれに応えて優雅に笑った。
(この人うまい…!!)
ダンスが始まってからすぐに、アンはその事に気付いた。
彼のリードは完璧だった。
アンもそこそこ踊れるという自負はあるのだが、踊らされているという感じは全く無い。
楽しくて、アンは自分でも気付かぬうちに笑みを浮かべていた。
マクレードが、その笑顔をじっと見つめているのも気付かずに。
マクレード・ヘット・イーレス。イーレス国の若き国王。
いくら社交界に疎いルーセルと言えども、彼の事くらいは知っていた。
頭良し、顔良し、性格…は見る限りでは良さそうだ。妻はない。
マクレードとアンは、とてもよく似合っていた。
楽しそうに踊るアンと、それを口元に笑みを浮かべて見つめるマクレードは、ともすれば恋人同士のように、見えなくも、ない。
「あのアンという娘…本当にルーセル様の恋人ですか?」
言われてようやく自分がダンスをしている事を思い出す。相手はミズべの姫だ。
「そうですが」
鼻で笑って彼女は言う。
「それにしてはずいぶんと楽しそうに踊っていますわね」
「………」
ルーセルは唇をかんだ。
その表情を見上げて、彼女は何を思ったかその唇に笑みを浮かべた。
マクレードは紳士らしく、1度踊ると身を引いた。
お互いに礼をして、アンはルーセルの姿を探す。
と、ルーセルはミズべの姫にお願いされてか、もう1曲踊ろうとしているではないか。
怒る権利はない、だって踊ってくるように言ったのは自分なのだから。
なのに、心のもやもやが大きくなる。
吹っ切るように、アンはすぐ傍に伸ばされていた腕を取る。
アンの周りに群がっていた若者たちが、一斉にため息をつく。
「光栄です」
相手の男の声に、初めてアンは自分が掴んだ腕の持ち主を見た。
黒髪の、長身の青年だった。
誰にも気付かれず。
ミズールの姫が冷たい笑みを浮かべた。
ちく
それはかすかな痛みだった。
「?」
手を首筋へ持っていくアンに、不審に思った黒髪の青年が声を掛ける。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ……」
触れてみてもそこには何もなかったので、アンは再び手を彼の手に戻した。
「何でもありません」
まだ黒髪の青年と踊っているアンを、ルーセルは壁の花になって見つめていた。
アンはずいぶんと彼を気に入ったらしい。
ルーセルが数えている限り、もう3曲も彼と一緒に踊っている。
「失礼」
「マ、マクレード殿!」
ルーセルはぎょっとした。
そしてどこか切羽詰ったような彼の様子に眉根を寄せる。
マクレードは、彼らしくもなくルーセルを直視せずに視線をうろつかせながら尋ねた。
「あの……突然なんだが彼女は…その…君の恋人ですか?」
「――――」
ルーセルは思わずその場に固まった。彼女と言われて思いつくのはアンの事だけだ。
「いえっ…」
思わず言ってしまってからしまったと思ってももう遅い。
「そうですか…。あの、彼女は、どこかの令嬢…でしょうか?」
「いえ……」
「では…王族の方ですか?」
「……そういう訳では…」
「では一体…?」
マクレードの瞳は真剣だった。
彼の瞳をしばらく見た後、ルーセルは吐き出すように言い放った。
「メイドです。病院の前に捨てられていた所を父が引き取って、それからずっと王宮で暮らしています」
「………そ、そうですか……」
マクレードはどこかふらふらとした足取りで去って行った。
おそらくどこか貴族の令嬢だとでも思っていたのだろう。
身分を聞いたくらいですぐに態度を変える奴なんかに、アンを渡せる訳がない。
「一昨日来やがれ」
ぼそっとルーセルは呟いた。
「大丈夫ですか?」
差し出された手を、咄嗟にアンは握り返した。
「はぁ…あ、いえ。あんまり…」
なんだかさっきから体が変なのだ。
言う事を聞かないと言うか、何だかだるい感じがする。
「あ…」
くらりと眩暈がして、やばいと思った瞬間にはもう遅かった。
視界があっという間に暗くなる。
最後に見たのは、自分を抱きとめる大きな手。
「アン?」
ふと辺りを見回し、ルーセルはぽつりと呟いた。
暗い暗い闇の中。
向かい合って立つ、幼い日のルーセルとアン。
―――じゃあ、あたしが死ねって言ったら、死ねるの?
繰り返される科白。
この後どうなるか、自分は嫌と言うほど知っている。
―――死ねるよ。
振り下ろされる、白銀の刃―……。
「っ!!」
荒い息を吐きながら、アンは飛び起きた。
嫌な汗をびっしょりとかいている。
またあの夢だ。いつもいつもここで目が覚める、あの夢。
アンは動転していて、だから傍に人がいるのに気付かなかった。
「起きたみたいね」
ぎょっとして目を向ける。
見たこともない部屋の、カーテンの向こうから現れたのは…
「あ……」
悠然と微笑むのは、ミズべ国の姫。
アンは頭を働かす。
自分は確か、気分が悪くなって突然倒れて――…
という事は、ここは城の医務室か何かだろうか。
しかしそんな考えは、姫の次の言葉に打ち砕かれた。
「目覚めはいいはずなのに。薬の調合を間違えたかしら?」
そしてその隣に立っているのは、紛れも無く、さっきまで一緒に踊っていた黒髪の青年。
彼はただ黙ってアンを見下ろしている。
姫の赤い唇が笑みの形を作る。
「ようこそミズべへ。と言っても天幕ですけれど」