第6話
会えなかったらどうしよう。
とうとうアンは立ち止まって、そんな弱気な事を考えた。
探し始めてどれくらいの時間が経ったのだろう。
広い広間に多くの人。
中2階では、王子とその婚約者が紹介されていたが、アンはそれ所ではない。
人々が迷惑そうに振り返る中、ルーセルを求めて走り続けた。
けれどもそれらしき人影は見当たらない。
もしかしたらすれ違っているのに気付いていなかったのかもしれない。
あの紹介が終わるとダンスパーティーが始まってしまう。そうなるとますます見つけるのは難しくなるだろう。
たまらずにアンは叫んだ。
「ルーセル!!」
近くにいた人々は顔をしかめて振り向いたが、ざわめきにかき消されアンの声は届かない。
しかし驚いた事に返事があった。しかも近くから。
「アン!」
声と共に、人ごみの中から伸びてきた手が、アンの腕を掴む。
力強い、熱い手。
現れたのは、息を乱したルーセルだった。同じようにアンを探していてくれたらしい。
ほっとして涙が出てきてしまう。
「よかった。見つからなかったらどうしようかと…」
ルーセルも同じようにほっとした笑みを浮かべたが、周囲の迷惑そうな視線に気付くとアンの手を引き人ごみから外れた。
2人は中庭に出た。
走り回った体に、夜風が心地良い。
中庭にはたくさんの花が溢れていた。
日光の下で見れば、鮮やかな色で溢れていることだろう。
だが月明かりの下では、どれもが息を潜めている。
背の高い、赤い花をつけた木の下でルーセルはゆっくりと振り向いた。
「ごめん」
先に謝られてしまい、焦ったのはアンだった。
「なんでっ、謝らなきゃいけないのは私だよっ。ルーセルの気持ちも考えないで、勝手に怒って…本当に、ごめん」
ルーセルは大きなため息をつき顔を覆うように手を当てた。
「本当にごめん。…やっぱりアンをこんな所に連れてくるべきじゃなかった。嫌な思いしただろう?」
アンは必死に言葉を捜す。
ルーセルに、こんな顔をさせたくない。
「…そんな、ルーセルばっかり悪いって顔しないで」
守られてる、という事がわかったから、アンは泣きそうになった。こんな自分が悔しい。
「アンは別に…」
「私だってあの人に同じ事したんだよ!……だから、ルーセルだけが悪いんじゃない。責めてごめんなさい」
ルーセルが神妙な顔で彼女を見つめている。
ころころ様子が変わる自分は、それは不思議に感じるだろう。
そう思ったら少し笑えた。
もう仮面をかぶるのはやめようと彼女は思った。
ルーセルを好きな気持ちはバレてしまったのだ。
応えてもらうことなんて出来ないけれど、自分はあの姫とは違い、こうして傍にいられる。
だからいいじゃない。
アンは自分に言い聞かす。
言いたい事を吐き出したせいだろうか、穏やかな気持ちで彼と向き合う事が出来た。
「私も本当は、ここに来るまで楽しかった。あの人には申し訳ない気がするけど、でも、これが1番いい方法だったと思う」
敬語でないのは本心を伝えたいと思ったから。今日だけは許されるだろう。
ルーセルはアンの顔を見、それから上を向いて、ため息をついた。
「でもアンには、こんな事知って欲しくなかったよ。上流社会とか、僕の中の、汚い部分を」
疲れた顔でルーセルは苦笑する。
「幻滅しただろ?僕は本当はこんななんだ。自分の為だったら、簡単に人を傷つけられるし、嘘だってつけるし」
「……そんなのルーセルだけじゃないよ」
アンの中に不思議な気持ちが生まれていた。
理想のルーセルと違うのに、どこかほっとするような変な気持ち。
「誰にだってそういうのあるよ。私にも。だってほら今だって、笑ってられるし」
ルーセルの表情が和らいだ。
「ほんと言うと、ちょっと安心してる。今まで、ルーセルの事完璧な人間だと思ってた。嘘つかないし、素直だし、誠実だし、優しいし、あんまりにも綺麗だから、憧れてたんだ。…でも今は、同じだってわかって安心してる」
ルーセルは少なからず驚いていた。
アンにそんな風に思われていたとは知らなかったからだ。
確かにいつも自分はアンにはかっこいい所を見せたくて、いいお兄さんのような存在でいられるように努力していた。
「あの人だって、今はつらいかもしれないけど、いつかはルーセルの事だって許してくれるよ」
そうだろうか。
アンがあまりに優しい事を言うから、ルーセルは泣き言を言ってしまいたくなる。
騙したという事実は消えない。許される、という事なんてあるのだろうか。
「だから、大丈夫」
でもにっこりと笑うアンの顔を見たら、そんな気さえしてくる。
違う、あの姫にはわかってもらえなくても、アンがわかってくれるならそれでいいと、そう思った。
不意にルーセルは泣きそうになった。
「ごめん」
慰めさせてごめん。情けなくてごめん。
アンの前でだけは格好いい自分でいたかった。だからいつも優しくしたかった。
なのにいざとなればこんな風に甘えてしまう。
大丈夫だと言って笑って欲しかった。
そう望めば、アンはその通りに自分を支えてくれる。
いつだって。
自分はアンに、何もしてあげられないのに。
アンの気持ちに、応えてあげる事すら出来ないのに。
彼女の為を思うならば、自分はすっぱり振ってしまった方がいいのだろう。話しかけるのもやめて、他人になればいつかは彼女も別の誰かを見つけられるようになるだろう。
でも、それは出来なかった。
いつだって、アンの良い兄でいる事がルーセルの指針だったから。
だからアンがいなかったら、どうしていいかわからない。
ただのわがままだ。
「…ごめん」
アンが変な顔をした。
「今度また言ったらぶつ」
言いながらルーセルの頭を軽く叩く。
こんなやりとりも久しぶりだった。
「ありがとう」
さらに変な顔をしたアンに、今度こそ声を上げて笑った。
アンに好きだと言われた自分は、幸せ者だと思った。
長い長い婚約発表がようやく終わったのか、広間から音楽が流れ始めた。
どちらからともなく手をつなぐ。
2人は広間に向かって歩き出した。
ルーセルはハンサムだと言う事を、改めてアンは自覚した。
どこか少年ぽさが抜けきらない、甘い顔立ち。
うっとりとした顔でルーセルを見つめるどこかの令嬢達。
いつかはルーセルも、彼女達の中から誰か1人を選ぶのだ。
わかり切った事とは言え、アンは気持ちが沈むのを止められなかった。
その時、自分は笑って彼を祝福しなければならない。
そしてそれからずっと、2人を見て暮らしていかなければならない。
そんな事をしていく自信はなかった。でもあの時の、好きだと言った時のルーセルの顔を思い出せば、自分に残された道がそれしかない事など容易に想像がつく。
そもそも王子とどうにかなりないなどと思うこと自体が分不相応なのだ。
時間が止まればいいのに。
叶わぬ事だとわかっていても、アンはそう願わずにはいられなかった。
アンは確かに人目を引いた。
本人には言えないが、驚くほどの美人ではないのに。
それが余計にただの興味本位ではないように思えて、ルーセルは少し焦る。
彼らはきっと、この曲が終わったらアンに話しかけてくるだろう。
アンは、誰かと踊るだろうか。
踊って欲しくない、と思っている自分に気付き、ルーセルは苦笑した。
アンは妹みたいな存在だ。
だが、彼女が誰かと踊るかまで、兄が口出すべきじゃない。
でもそんなアンに慰めてもらい、支えてもらっている自分に気付いて、またルーセルは動揺した。
視線を移せば、アンは普段よりもずっと大人っぽくて綺麗で、優しそうで…
アンが人目を引く理由が、少しだけわかったような気がした。
音楽が、終わる。
もう1曲踊ろうか。
軽く言えばそれで済むのに、ルーセルは言い出せなかった。
ただ手を握ったまま、その場に立ち尽くす。
周りの若者が、この手が離れる瞬間を待ちわびているのがわかった。
だからこそ、ルーセルは手を放せない。
「ルーセル?」
けれどもとうとうアンが声を発した。
意を決してルーセルが口を開こうとしたその瞬間、2人の間に介入したのは予想もしない人物だった。
「ルーセル様」
振り向くとそこには、ミズべ国の姫がいた。
「踊って頂けませんか?」その目は少しだけ赤く、姫は懇願するような顔を向ける。
そんな人を断る術を、ルーセルは知らない。
「いや、でも…」
躊躇するルーセルの背中を押したのはアンだった。
「踊ってきたら?」
「ありがとうございます。最後の、思い出ですから」
アンに向かって意味深な笑みを浮かべると、彼女はルーセルの手を引きさっさとフロアへ向かった。