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第5話

「アン?」

ユーリに顔を覗き込まれて、思わずアンは頭をのけぞらせた。

「うわっ」

「…うわって、何よ、失礼ね」

アンは慌てて辺りを見回した。

ここは女性用の天幕で、今日はもうパーティーの当日の夕方で、ドレスに着替えた彼女は今、髪を結ってもらっている所だったのだ。



「よし、完成」

ケリーが満足そうに微笑んで、アンを立ち上がらせた。

「綺麗!」

ユーリが歓声を上げる。

「ほら…美人でしょ?」

鏡を覗き込むと、びっくりするほど綺麗…とまではいかないが、そこそこに綺麗になった自分がそこにいた。

「………」

昨日までのアンなら、笑って綺麗と言えたかもしれない。

でも今は、綺麗なものを綺麗だと思えなくなっていた。

失恋したのだから当然だ。

しかも、思い付く限り最悪の告白の仕方だった。



黙りこむアンに、ユーリが頬を膨らませる。

「なによ〜。もっと嬉しそうな顔しなさいよ。不満なの?」

慌ててアンが首を振る。

アンの髪と同色のつけ毛が揺れて、肩に当たるのがむずがゆい。

「……ありがとう」

ユーリがにっこりと微笑んだ。

「楽しんできてね、アン」



ユーリがルーセル達の元にアンの着替えが終わった事を伝えに行ってしまうと、ケリーがそれまでとは違う声でアンを呼んだ。

「…あなたに、渡したいものがあるのよ」

「え?」

「…これよ」

そう言って、ケリーはポケットからハンカチを取り出した。

アンの見守る前でそのハンカチをめくると、中からは見た事もないほど精密な模様が入ったペンダントが出てきた。

「わぁ…」

アンは思わず感激の声を上げる。

小さな銀色の蝶が、今にも飛び出しそうに羽を広げていた。

それは本当に小指の先ほどの大きさで、けれども全てが同じ塊から彫られて出来ている。よほどの腕前の職人の作なのだろう。

高価なものである事はアンにもわかった。

「あなたの入っていた籠に、一緒に入っていたの」

「……え?」

意味がわからずアンはケリーに視線を移した。彼女の瞳には涙が浮かんでいる。

「あなたが大きくなったら渡そうと思ってたわ。でも…今までずっと渡せなかった。思い出して欲しくなかったのよ。あなたを捨てた親の事なんて、忘れて欲しかった。それがあなたにとって、どんなにつらい事かもわからずに…」

「………」

アンは呆然として、銀色の蝶を見つめた。


これを、私を捨てた親が?


「愛されていないと思ってたんでしょう?望まれない子だと。でも、違うのよ…」

そう言ってケリーがそっと、アンの首にペンダントをかけた。

光のあたり具合で、くるくると色が変わる。

「あなたを愛していなかったら、こんな高価なもの残すはずがないわ。…でも、見て」

ペンダントを裏返すと、そこには文字が刻まれていた。


アン

愛する娘へ


アンは両親の事を考えた事はほとんどなかった。

だって自分にはケリーのように愛してくれる人達がいたから。


なのになぜか、涙が出た。




「おまたせ」

天幕の外でアンを待っていたルーセルは、思わずその場に固まった。

アンの体を飾るのは、薄いレースを何枚も重ねたような黄色のドレス。

アンの髪の色によく似合っていた。

それにその髪は…多分カツラみたいなものなのだろうけど、長くなっていて、アンだと思えないくらいに大人っぽい。

ルーセルが口を開く前に、彼が自分に見惚れているとは思いもしないアンが、さっさと馬車の中に入ってしまう。

アンとしては昨日の今日で気まずかっただけなのだが、ルーセルとしては今日はアンをエスコートする役目がある。

「アホ」

小さくギルが呟くのを聞きながら、慌てて彼女の後を追った。




「何な訳?あの2人は。見てるこっちがイライラする」

ギルの言葉に、馬車を見送っていたユーリは視線を隣へ移した。

「その気持ち、よくわかるわ」

何かあの2人は変だった。

アンだけではなく、ルーセルまでも。

ぎくしゃくしているというか、なんと言うか。

「…どうしたのかしら」

「こっちが知りたいよ」

2人は同時にため息をついた。

「これじゃあ2人をくっつけよう作戦は失敗じゃないか?」





重い扉が開かれて、アンは明るすぎる光に目がくらんだ。

金、銀、赤、黄、青、白……様々な色の奔流。

巨大なシャンデリア。着飾った人々。見た事のない花に、見た事のない料理。

眩暈がするほどの世界が、そこに広がっていた。

「アン」

ルーセルに耳元でささやかれ、ようやくアンは正気に返る。

「何も言わなくていいから。もし何か聞かれたら、僕に合わせて」

ルーセルの態度は今までと変わらない。

それがアンには有難かった。

当初の目的を思い出し、アンは頷く。

見れば、こちらへ青白い顔で向かってくる人がいる。ウェーブがかかった黒い髪。赤いドレスの、派手な美人だ。彼女がルーセルに執心しているというミズベ国の姫君に違いない。



「ルーセル様」

艶っぽい声。

「姫様。お久しぶりです」

適度に距離を置く笑顔でルーセルは会釈する。

「そちらの方は…?」

挨拶も何もかもすっとばし、姫はいきなりそう尋ねてきた。

さすがに礼儀を欠いているのではないかとアンは目を丸くするが、ルーセルはもう慣れているのか全く気にした様子もない。

「ああ…」

ルーセルがちらりとこちらに視線を向ける。

言いよどんだのがアンにもわかった。


「…恋人です」

「…恋…人…?」

呆然と呟く姫の顔は、ほとんど血の気がなくなっていだ。

顔はさらに青白く、唇がかすかに震えている。

「そう…ですか。…そう…」


去って行く彼女の瞳に涙がたまっているのに、アンは気付いてしまった。

ずきんと、胸がするどく痛む。


あの人は、ルーセルを本気で好きだった。



「…これでいいの…?」

非難がましい口調になるのを止められなかった。

驚いたルーセルが、アンに向き直る。

「アン?」

これではあんまりだと、アンは思った。

あの人は本気でルーセルを好きだった。それをこんな風に、だますなんてあんまりだ。

姫は自分と同じだとわかって、余計にアンは泣きたくなった。

自分もあんなふうに、切り捨てられていたかもしれないのだ。いや、これからだって。

どんなに好きでも、ルーセルが本気で応えてくれる事はない。

「こんな、騙すようなやり方をしてよかったの?」

「……仕方ないんだ。だってどんなに言っても聞いてくれないから」

行こうと言って自分の手を引くルーセルの腕を、思わずアンは払ってしまった。

「なに…怒ってんの?だって、昨日アンが言ったんだよ?結婚したくなければ、しなきゃいいって」

ルーセルは途方に暮れた顔でアンを見る。

「ルーセルは人の気持ちを考えなさすぎよ!」

思わず叫んだアンを、ルーセルは信じられないものでも見るように見返す。

まるで、アンに好きだと言われた時のような顔だ。

気付いた瞬間、頭を思い切り殴られたような気がした。

追い討ちをかけるように、ルーセルが言い捨てる。

「なんだよ…。キレイ事ばっか言ってらんないんだよ」


こんなルーセルは知らない。知りたくない。

アンは踵を返すと、そこから駆け出した。


ルーセルの声だけが追いかけてくる。

「アンにはわかんないよ…」



頭の中がぐしゃぐしゃだった。

ルーセルが好きだった。優しいルーセルが。

彼はいつも笑ってて、素直で、嘘なんかつかない人で、だからアンは憧れていた。

アンの持っていない、全てのものを手にしている彼を、時には妬ましく思ったけれど。

でもルーセルはいつも笑顔だったから、彼の為に働ける事が嬉しかった。


……なのに、知らないルーセルがそこにいた。


最初に恋人役の話を聞いた時、アンは相手の女性の事なんて少しも考えていなかった。

フリをする、という事がどういう事なのかもわかっていなかったし、相手も彼を好きなんだと言う事もわかっていなかった。

忘れられない、姫の表情。


1番許せないのは自分だ。


ルーセルに理想を押し付けて、勝手に怒って、その上恋人だと言われた時に、喜びのようなものを感じた自分。

「……はぁ」

走り疲れてようやく辺りを見回す。

当たり前だがルーセルの姿はなく、アンは少しだけ心細くなった。

そこかしこから声がする。


「ロウナンもうまくやったものだな…」

「軍資金が…」

「宰相殿がうまく…」


笑顔という仮面を被った、腹の探りあい。


「断ったの?」

「断ったわよ。あたしは贅沢をして……」


人は権力に溺れて行く。


「ほう、それはいい話を聞きました…」


こんな所では、正直でいる事の方が危険なのかもしれない。


ルーセルが変わってしまったと思っていた。でも恋人がいるという断り方は、彼が考えた最大限の優しさなのかもしれない。

それが例え仮面を被った嘘の答えだとしても。

本心じゃなくても。

そこまでされたら、もう諦めるしかない。


…私だって……

アンは慌てて頭を振った。

今はその事を考えるのはよそう。

今は、ルーセルを傷つけてしまったことだけを考えなくては。

恋人にはなれなかったけれど、こんな風にぎくしゃくした関係は嫌だ。

ルーセル。

今すぐ会って謝りたかった。








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