第4話
隣国とは言え、パーティーの開かれる首都までは馬車で3日の距離だ。
その一行は、アンとルーセルの乗る馬車の他に、食料や衣類を積んだ馬車と、何人かのメイド、護衛の者がいる。
(王族って、やっぱりすごい……)
こうやってパーティーへ行く王侯貴族が何人もいるのだ。その費用は合わせれば途方もないものになるだろう。
そんな事を考えてしまう事自体間違っている事はわかっているのだが、生まれ持った気質なのでどうにもならない。
喜ぶべきはルーセルもあまり華美なものは好まないらしいという事で、服なんかそんなにいらない、靴なんて1足でいい、そもそも馬車をこんなに派手にしたら襲ってくれと言ってるようなもんだろう――と、当初国王達が用意したものよりずっと質素になっている。
それでも馬車には国の紋章が入っているし、馬に乗った護衛の数も変えられなかったが。
メイドは2人だけになった。ユーリと、アンの育ての親でもあるメイド頭のケリーだ。そして、医者としてギルまでも。
彼ら3人はアン達とは別の馬車に割り当てられているのだが、結局は皆1つの馬車に集まっている。
ルーセルは経験がない訳ではなかったが、それでも誰もがこの旅を楽しんでいた。
王宮ではなかなか交わすことのできない同世代のおしゃべりを楽しみ、寝食を共にする。
ケリーは母親のような顔で、それを見守っていた。
そうして一行は、大した問題もなく隣国アスウィールの首都クレバナに到着した。
パーティーが始まるのは明日の夕方からだ。それは婚約発表に始まり、会食とダンスパーティーが夜まで続く。
アン達は皆で郊外の丘に天幕を張り食事の用意をした。
その様子は他国の人々から見ると変わった光景だったが、3日間の旅で彼らにとっては当たり前の事になっていた。
軽い昼食を済ませると、ケリーとユーリは早速あわただしく動き始める。
「な、何、もう用意し始めるの?」
驚いてアンが問うと、ケリーが笑って答えた。
「まさか。ちょっと片付けと整理をね。洗濯もしたいし…。アンはいいわよ。ルーセル様とダンスの練習でもしてたら?」
「うん、そうしようよ、アン」
手持ちぶさただったルーセルが即座に同意した。
忙しそうに働くユーリ達を見ながら、アンは複雑な気分になる。いつもはああして働くのが自分の役目なのに、必要ないと言われてしまうのも寂しいものだ。
そんなアンに気付いてか、ユーリが笑って言う。
「あたし達好きでやってるんだから、アンも好きな事してなさいよ。まさか、仕事を取る気なんてないでしょうね?言っておくけど、あんたがのんびりできるのなんて今のうちなんだから」
「うんうん、良い事言うねぇ」
不意に背後に現れたギルに、ユーリは小さく声を上げた。
「ギル!何よ、もう。びっくりさせないで」
「あ、ひどいなー。そういう事言う?折角手伝おうと思ったのに」
「別に手伝ってもらう必要なんかないわよ」
この2人は王宮にいる頃からこんな感じだ。仲がいいのか悪いのかよくわからない。
「ギル。邪魔ばかりしてないで、私たちは周囲を見回ってこよう。どんな国が近くに天幕を張っているのか知りたい」
ぬっと現れた大柄な男に、ギルはうっと息を呑んだ。
彼は護衛隊のリーダーだ。名をアスカルドと言い、まさに戦うために生まれていたような屈強な男だ。
歳は30代半ばだが、人を威圧する雰囲気は老齢のものだ。
「はいはい」
ギルがしぶしぶ頷く。
ユーリはひらひらとその背に手を振った。
アンとルーセルは天幕からだいぶ離れた小高い丘に、肩を並べて座っていた。
その場所からは首都が見渡せた。
王宮を中心として、円形に広がる都。
八方に伸びる太い道が、ここからでもよくわかる。
サミン国とは、全く違う都。
ここには海があり船があり、風は塩を含んで重い。これが海のにおいというものなのだろう。
都の向こう側に広がる、青い青い海。
2人はしばし無言のまま、異国の都を見下ろしていた。
「どこも同じなんだな」
ぽつりとルーセルが呟いた。
アンは訝りながら隣を見る。
「どこにも人はいて、街や国があって、上に立つ人がいて。…その人たちは、国を守る為には、あらゆる事をしなくてはならない…」
「………」
アンは再び視線を都に向けた。ルーセルの言う事がよくわからなかった。そしてその事が、とても悲しかった。
都のそこかしこで赤い旗が風に揺らいでいた。きっと王子の婚約を祝うためのものなのだろう。
「この国の王子は、政略結婚をするんだ」
アンは目を見開いた。
「その王子の気持ちはわからないけど…でもこの結婚はこの国に平和をもたらす。都は活気づくし、相手の国とも友好になれる。…本当は僕も、そういう風にすべきなのかもしれない」
最後の方は、風に流されて消えてしまいそうな、頼りなげな雰囲気だった。
「たとえ第2王子で王座を継ぐ事がなくても…。僕は王族として、人よりいい暮らしをしてきた。だったら、国の為に僕は何かをしなければいけないのかもしれない…」
「それが…結婚ですか?」
声がかすかに震えてるのに、ルーセルは気付かなかったようだった。
彼は黙ったままかすかに頷く。瞳は静かに王都へと向けられていた。
「そんなの、間違ってます」
感情が高ぶるのを止められなかった。
こんな風に感じるのは、ただの嫉妬だってわかってるのに。
「そんなの、綺麗事を言ってるだけじゃない。だったら何で私を連れてきたの?そんな泣き言私に言ってどうするつもりなの?…結婚したくなければ、しなければいいじゃない」
突然声を荒げるアンに驚いた顔をしたものの、ルーセルの沈んだ瞳は変わらなかった。
「だから…そんなに簡単じゃないんだよ」
「でも結婚したくないんでしょう!?」
そう、結婚なんてして欲しくない。
ルーセルがそう思っているという事が、アンにとってはたったひとつの支えだった。
「もっと自分の気持ちに正直になればいいじゃない!」
「アン?」
言っちゃダメだと思うのに、1度高まった感情は抑えられなかった。
なぜだろう。
今までは冷静に対処出来ていたのに。
今回の旅をすることになって、ルーセルとの間に引いておいたはずの線が、見えなくなってしまった。
ずっとずっと、言わないつもりでいたのに。
「私はずっと好きだった」
ルーセルが小さく息を呑む音が、聞こえたような気がした。
「私はルーセルが好き。だから結婚なんてして欲しくない」
今まで作り上げてきた生活が、関係が、がらがらと音を立てて壊れていく。
「…アン?どうしたの?」
戻ってきてからずっとぼうっとしているアンに、ユーリは不思議に思って声をかけた。
アンは天幕の中のいすに座ったまま虚空を見つめている。
「アン」
それでもアンは気付かない。
何があったかは知らないけれど、これは重症だ。
「アーンー!」
今度は耳元で怒鳴ってやると、ようやくアンがユーリを見た。
「な、何」
「ごめんね。人形になっちゃったのかと思って」
ユーリは言いながら注意深くアンの顔を観察した。
少し目が赤い。
何があったの、と聞いて、素直に話す相手ではない事は知っていた。
「暇なら手伝ってよ。ぼーっと見てないで」
ユーリは今日の夕食に使おうと思っているジャガイモを探している所だった。どこにしまってあるかわからないのだ。
「ジャガイモ?」
そう言うアンの顔には笑顔が戻っている。
ユーリは何も言わなかったが、後でギルに何があったか聞いてみようと考えた。
ルーセルが関係しているのは火を見るより明らかだったし、あのギルだったら何か知っているはずだ。
とそこまで考えて、ふと手を止めたアンに気付く。
「どうしたの?」
「…私ちょっと、行ってくる」
「え?」
止める間もなくアンは天幕から出て行ってしまった。
が、間際に見せたつらそうな顔に、ユーリは何か嫌な予感がした。
「どうしたんだよ」
見回りから帰ってきたギルは、天幕に入った途端深刻な顔のルーセルに出会って、思わず1歩下がった。
「え?あ、いや…」
ルーセルはギルからふっと視線を反らして口元を覆う。なにやら耳が赤い。
何かあったな、という事を直感したギルは、早速口を割らせる事にした。
ルーセルはいい意味でも悪い意味でも素直だから、ちょっとカマをかければすぐにわかってしまうのだ。
「アンとダンスの練習してたんだろ?」
「あ、うん……」
そう呟く顔は赤い。
ふむ、つまりアンと何かあったと言う事だ。
でもルーセルの顔を見る限りじゃあ、それがいい事なのか悪い事なのかがよくわからない。
アンが関わっているという時点で、それは恋愛問題だと推測する事は出来るのだが……。
「どうだった?」
「……ど、どうって?」
明らかに動揺している。
「だから、ダンスはどうだったって聞いているんだよ」
「あ、ダンス…」
小さくルーセルがほっとため息をつく。ギルは直球勝負に出る事にした。
「なんだよ何が…」
言おうとした言葉は、外からのアンの声に遮られた。
「失礼します」
「アン!?」
驚いたルーセルが立ち上がる。
(なんだ?)
眉根を寄せるギルの前から、2人は連れ立って外へ出て行った。
要するに聞かれたくない話というやつだ。
さすがに覗き見するのも気が引けたので、ギルはユーリの所へ行く事にした。
彼女はアンの友達だから、何か知ってるかもしれない。
概して女同士の方が、恋愛問題については詳しく知っているものだ。
アンとルーセルは再び、さっきの丘へと戻ってきていた。
それまでずっと前を歩いていたアンが不意に振り向いたので、ルーセルもゆっくりと足を止める。
「…さっきの事は、忘れて下さい」
気がつけば、いつもの他人行儀な話し方に変わっていた。
彼が何か言う前に、アンはもう1度口を開く。
「あれは、王子があまりにも気弱な事を言うから、喝を入れるつもりで言ったんです。それだけだから…」
本当は嘘だと言う事くらい、ルーセルにもわかっていた。
でもだからと言って元の2人に…恋愛とか関係ない元の2人に…戻ろうと言うアンの意見に反対する気はなかった。
ルーセル自身わからないのだ。
自分はアンに恋しているのだろうか。
もちろん幼なじみとして、妹のような存在としてなら大好きだ。
大切だし、守ってあげたい。幸せになってほしい。
だが、それは胸が熱くなるような恋とは違う。
アンに対する気持ちはそれよりももっと温かい…家族への愛みたいなものだ。
好きだと言われてとても嬉しかったけれど、どうしたらいいのかなんてわからない。
「……わかった」
だからルーセルはそう言った。
アンは全てを無かった事のようにして笑顔を浮かべたけれど、もう以前の2人には戻れない気がして、ルーセルは心が冷えた。