第2話
「だーかーらー、それがどーしてアンなのよっ!!」
「知らなっ…いた、いたいいたいいた―――い!!」
アンの叫び声が響くここは、王宮の裁縫室。
カーテンは閉められているが、明かり取りの窓や白い壁のせいで、不思議と暗くはない。
その中心でコルセットをぎゅうぎゅうに締められて、アンが悲鳴を上げている。
「そりゃあね、アンが王子と1番仲いいし、歳近いし、わかるんだけどっ!!でもやっぱりこんなのって…」
「くっ、苦し……」
「ユーリ、もうそれくらいにしなさいって」
見かねた別のメイドが助け舟を出す。
「あっ、ごめん」
ユーリと呼ばれたメイドの手が放されると、アンはさっさとコルセットを脱ぎ捨てた。
「あたし絶対、コルセットなんて嫌」
それを聞いた、隣のテーブルに集まっていたメイド達が一斉に振り向いた。彼女たちはルーセルと共に結婚式に向かうアンのために、ドレスのデザインを考えているのである。
「それってカクテルドレスがいいってこと?」
「残念だけどそれは無理ね。あなたの体型じゃあ……」
「着飾りたい女性にとってコルセットは外せないのよ!!」
口々に言われて、アンは思わず1歩下がる。
「そうよ、大体…」
両手を腰に当てて、ユーリが胸を張った。
「あんたがみっともない格好で行って、恥をかくのは王子でしょ!」
「う……」
そう言われてしまっては言い返せない。
ただ、ユーリがコルセットをぎゅうぎゅうに締める事でうっぷんを晴らしているように感じるのは、アンだけなのだろうか。
「コルセット、つけるでしょ?」
にっこり。
アンは助けを求めるように他のメイドを見たが、皆同じようににっこりと笑っていた。
「うん…」
彼女は不安を感じながらも、しぶしぶと頷いた。
ドレス作りが着々と進む中、アンにはまだ試練があった。
作法、である。
隣国の王子の婚約披露パーティである。会食とは言え、それなりの作法は身につけていなければならない。
しかもその先生はなんとルーセルの母…つまり王妃なのである。
長い食堂のテーブルに招かれ、彼女を前にして、アンはかなり緊張していた。
王妃エレノアは、40を過ぎたとは言え威厳のある美しさには衰えがない。今日も藍色の洗練されたドレスを優雅に着こなしている。
ルーセルにはなかなか感じることの出来ない(と言ったら失礼だが)王族のオーラとでも言うべきものに、アンはすっかり圧倒されてしまっていた。
アンは生後すぐに捨てられたため、物心つく頃からずっとこの城で暮らしていた。けれど母親代わりとしてこの人に遊んでもらっていたと聞かされても、とてもではないが信じられない。
「ええ、いいでしょう」
それまでじっと一挙一動を見守っていた瞳から解放されて、アンはほっと胸をなでおろした。
「ちゃんと出来てるわ。自信を持って大丈夫よ」
「ありがとうございます、王妃様」
「王妃様なんて他人行儀はやめて頂戴よ、アン」
「あ、はい…エレノア様」
ふわりと笑う優しいエレノアの表情に、思わずアンは見惚れてしまう。こんな人が母親だったから、ルーセルはあんなに優しく育ったのだろう。
幼馴染のことを思い、アンは自分と比べてしまってから自嘲のため息をついた。
「ところでアン」
紅茶のカップを手元に寄せて、エレノアがいつになく真剣な顔をした。
2人は今、向かい合うように席についており、周りには給仕の為にメイドが控えている。
そのメイド達へ視線をやってから、王妃は身を屈めるように声をひそめた。
「ルーセルは、あなたのことが好きなのかしら?」
「―――……」
何を言われるのかと身構えていたアンは、予想外の質問に言葉を失ってしまった。
周りのメイド達の視線が痛い。
「ち、違います……」
ようやくそれだけ言うと、エレノアはまくしたてるように質問してきた。
「本当に?別に私に嘘つかなくたっていいのよ?」
「本当に違いますっ!!」
アンが思わず声を荒げてしまうと、エレノアは明らかに落胆してため息をついた。
「そう…」
「…だっ、大丈夫ですよっ。王子はお優しい方です。いつかきっと、素敵な女性が現れます」
ルーセルが縁談を片っ端から断っていること、それを王妃が嘆いていることはメイド達の噂で耳にしていた。
アンが慌ててそう言うと、エレノアはふっと瞳を和ませた。
「そうね……。いやあね、母親というものは。要らないおせっかいばかり焼いちゃって」
彼女が紅茶を飲む間、アンはじっと考える。
「……あ、あの、エレノア様」
カップを置き、視線でエレノアは問いかける。
「私やっぱり、パーティーなんて行かない方がいいですよね。王子に折角の恋人が出来る機会を…邪魔しちゃ…」
「あら、どうして?」
心底不思議そうに問い返されてしまい、アンは言葉につまる。
「ど、どうしてって…」
そのまま言葉をなくして俯いてしまうアンを見て、エレノアはふっと笑みを浮かべた。
「…あのねアン。私、自分の子供たちにはいい恋愛をしてもらいたいの。そして恋愛結婚をして欲しい。ルーセルにも、シャルティンにも。…でもほら、ルーセルって女の子にあまり興味がないでしょう?母親としては心配なのよね…」
優しく笑うエレノアを、アンはどこか遠くの出来事のように感じていた。
母親の、暖かな空気、愛情という名の。
欲しくても手に入らなかったもの。
時に、愛されて愛されて育つルーセルが、妬ましかった時もあるけれど。
でも自分はもうそんなに子供じゃないし、親はいなくても愛してくれる人がいることもわかっている。
……なのに、この、泣きたくなるような気持ちはなんだろう。
ルーセルは…幸せだね。
「アン、今笑ったでしょう?」
「え?」
エレノアの声に、アンは現実に引き戻される。
「笑ったわよ。親ばかって思ったでしょう」
「え、ええ!?」
「……まあいいんだけどね。実際そうだし」
「…………」
なんと答えたものかとアンが思案していると、再びエレノアが口を開く。
「まあ大変だと思うけど、パーティーの時はよろしくね」
「は、はいっ」
この人の切り替えの早さには、たまについて行けない。
「ところでアン、あなたはルーセルをどう思っているの?」
なるべく何でもない事のようにエレノアは言う。
実は彼女、結構本気でアンがお嫁さんとして来てくれたらなぁと思っている。
小さな頃から見てきて、アンがいい子なのはわかっているし、ルーセルと仲がいい事だって知っている。
何より、自分達にアンを連れて行きたいと言いに来た時の、ルーセルの表情を彼女は忘れられない。
お互いに、好意は持っているはずなのだ。なのに、そこから先への進展がない。
エレノアにしてみれば歯がゆくて仕方ないのだ。
「はい、好きです。城の皆も、王子のことを誇りに思ってます」
「そ、そう……」
こっそりとエレノアはため息をついた。
どうやら鈍いのは、息子だけではないらしい。
暗い暗い闇の中に、ルーセルとアンはいた。
―――…じゃあ、あたしが死ねって言ったら、死ねるの?―――
―――死ねるよ―――
振り下ろされる、白銀の刃―――……
「―――!!!」
声にならない悲鳴を上げて、アンはベットから飛び起きた。
……またあの夢だ。
冷たい刃の光が、まだ瞼の裏に残っている。
その光を消したくて、アンはぎゅうっと目を閉じた。
時々この夢を見るけれど、アンは誰にもこのことを話したことがなかった。
話せば、今のこの生活が全て変わってしまうような気がして。最初は忘れようとした。でも、無理だった。
だけどルーセルは変わらずに接してくれたから、アンは笑っていなければならなかった……。
「……ダメ」
震える声で、アンは小さく叫んだ。
思い出したくない。気持ち悪い。壊れてしまう。
「もう、子供じゃないんだから……」
自分に言い聞かせ呼吸を整えると、そっと周りを見回した。
アン達住み込みのメイドには2人でひとつの部屋が与えられている。同室のユーリの安らかな寝息が、暗闇の向こうから聞こえてきた。
あたりはまだ暗いが、部屋の中を見てとることはできる。
見知った景色だ。
安心してほっと息をつくと、アンは再びベットに戻った。