きみの名2
サミン国は、私の国よりもずっと南に位置している。
気候は大変暖かく、王族の衣装であっても軽やかだ。
作物もたくさん育つ。
だからだろうか、人々の表情は穏やかだ。
私がシャルティンと婚約することになったのも、サミン国の豊富な作物を、私の国へ輸入する為だった。
逆に祖国でたくさん取れる木材と石、鉄などを、こちらの国は有利に輸入する事ができる。
私には教師を付けられて、日中はサミン国の歴史や作法などを教えられた。
食事はなるべくシャルティンと共に取る。国王夫妻が同席することもあった。
「ノエルが驚いてたよ」
ある日の食事の席で、シャルティンが言った。
今日は国王夫妻はおらず、私と彼の2人きりだ。
給仕をするメイドは隣の厨房に控えていて、呼ばないかぎりこちらへ来る事はない。
ノエルというのは私を教えている教師の名だ。
「きみはずいぶん博識だって」
「そんな事ありません」
博識というならシャルティンの方だろう。
彼は確かに遊び人のレッテルを貼られてはいるが、諸国を旅しているだけあって、知識が広い。同じように視野も広い。
「正直、北国の人間はもっと保守的だと思ってた」
「そうなんですか?」
シャルティンの考えに比べれば誰でも保守的に見えるだろう。
そう考えて彼を見ると、おもしろそうにこちらを見ていた。
「サミン国に対する関税を減らしていいから、もっと輸入してもらいたいって言ったんだって?」
「ええ。その方が利益になるのではないかと」
「おもしろいなぁ。きみの国の大臣は、輸出にはすごく二の足を踏んでたのに」
これでもがんばったんだけどな、と彼はグラスを傾ける。
その一連の流れがまた綺麗で、私は思わず視線を反らす。
シャルティンは綺麗と言う言葉が似合う。
一番の理由はその瞳のせいだろう。
彼の瞳は、左右の色が違う。
紫と茶色。
遠くから見ればあまりわからないが、これくらいの距離から見れば違いがわかる。
宝石のような美しい紫。
それは、この国では特別な意味を持つ。
昔、サミン国を建国した王は魔族と友好関係を結んでいた。
今でこそ魔族は人間を脅かす存在であるが、当時の王はその魔族の助けを得、この土地に現在のサミン国を建国したのである。
その時に友好の証として魔族から送られたのが紫水晶。以来国内では紫の瞳を持った子供が時折生まれ、それは魔よけの力を持つ、幸運なしるしとされている。
紫水晶は国宝として保管されているそうだ。私は魔法のことはわからないけれど、サミン国が魔族の多いこの土地で発展できたのも、この魔法の宝石に守られているからだといわれている。
「きみが政治に関わってたら外交ももっと楽だったのになぁ」
「私の国では、女性は政治に参加出来ませんから」そこがシャルティンに保守的と言われる理由だろう。
彼の意見を聞いたなら、間違いなく批判される。
「もったいないよね。あ、僕と結婚したら、バリバリ働いていいからね」
「え……」
「有能な人材は使わなきゃ損でしょ」
しかも人件費タダだしーと、楽しそうに彼は笑う。
現在のサミン国王に比べてあまりに軽いその姿に、私は軽い不安を覚える。
彼が王になって大丈夫なんだろうか?
本当に私が政治の実権を握ってしまった方がいいかも――
「いたいた」
そんな不穏な事を考えた矢先だった。
食堂の扉が開けられて、1人の青年が顔をのぞかせた。
シャルティンと似た顔立ちにピンとくる。
「ルーセル。久しぶりじゃん」
シャルティンが大げさに両手を広げて見せる。
やっぱり。
シャルティンの弟。サミン国の第二王子だ。
「兄さんが帰って来てるって聞いたからさ。一度くらい顔を見せた方がいいと思って」
そう言って、こちらを見る。私は慌てて立ち上がって挨拶をした。
「はじめまして。コウ国のジュリと申します」
「はじめまして。弟のルーセルです。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願い致します」
なんというか、シャルティンと違い、弟のルーセルには余裕があった。
これが幸せオーラというやつだろうか。
彼には元メイドの恋人がおり、彼女と城を出て暮らしているのは有名な話だ。
サミン国では、2人の話はロマンチックな恋物語として、誰もが肯定的に語る。
街でもそうであるし、城内でも然り。国王夫妻も認めた間柄だという。
私とシャルティンの結婚話が急に進められたのも、ルーセル達の影響かもしれない。兄より先に弟が結婚しては外聞が悪い。
「兄さんはちょっと面倒臭い性格なので、一緒にいるのは苦労すると思います。見捨てないでやって下さい」
「ふふ、はい」
「ええっ、否定してくれないの?」
対するシャルティンもどこか嬉しそうだ。そうか、家族にはこんな顔をするのか。
ルーセルは本当に顔を見せるためだけに来てくれたらしい。少し会話をすると、食事の席につく訳でもなく帰ってしまった。彼の恋人が、食事を作って待っていると言って。
「優しそうな方ですね」
ルーセルが去ってから、そう感想を告げた。
王位を欲しがってもいないし、兄のシャルティンを慕っている。いい兄弟だな、と思った。
「まあねぇ。弟ながら、なんかもう安定しちゃってるよねぇ。所帯持ちって感じ」
シャルティンは明るく答えたけど、翳りがあるようにも聞こえた。
羨ましい、のだろうか。
私はふと考える。
国のために感情を殺して結婚しなければならない自分。
それに対して、弟は自由だ。
「ルーセル様の瞳は、黒いんですね」
話題を変えようと思い言った。
シャルティンが金髪で、茶色と紫の瞳なのに対し、ルーセルは髪も瞳も黒い。
「王妃さま譲りでしょうか」
でもおしゃべりな所は、兄の方が受け継いでいるようだが。
「…そうだね」
がらりと、シャルティンの雰囲気が変わった。
冷たい。
まずい事を言ってしまったのだろうか?
「きみは…歴代国王に、どれくらい紫の瞳の人間がいるか知ってる?」
話しだしたシャルティンは再びいつも通りの彼だった。
ほっとして、歴代の国王を思い浮かべようとするが、瞳の色など全く思いつかない。
「いえ……」
「5人だ…その中でも、片目だけってのは、僕だけ」
「……」
明らかに、彼の様子はおかしかった。口元に歪んだ笑みが浮かんでいる。
見つめる私の前で、彼はまるで他人の話をするかのように軽い口調で話しだした。
「さすがに両親は何も言わなかったけど、不吉だとか何とか、いろいろ言われたらしいよ。小さい頃は殺されそうにもなったし、未だに、魔族だとか言うやつもいる」
私は言葉をなくす。
突然の話に頭がついていかなかった。
「さすがに今はもう表立ってそんな事は言われないし、次期国王として認められてる。だからきみの身に危険が及ぶとかそういう事はないから、安心してね」
ただ、これから一緒にいたら、いつかそういう事を言う人間にも出会うかもしれないから。
シャルティンはそう言って笑った。
「…この国では、左右の目の色が違う事は、不吉なんですか?」
茫然としながら私は聞いた。
そんな話は初めて聞いたし、シャルティンが疎まれていたなど、彼の明るい性格を知っては信じられなかった。
「不吉だね」
即答し、自嘲的に彼は笑う。
紫色の野菜を、フォークで突き刺した。
幸運のしるしとされる紫の瞳と、不吉のしるしの左右が違う瞳を持つシャルティン。彼の幼少時代は、幸せなだけの子供時代ではなかったのだろうか。
幼い頃、シャルティンに出会った時の事を思い出す。
あんなに綺麗なものを、はじめて見た。
「…私の国では、左右の瞳が違う事は、幸でも不幸でもありません」
「そうなんだ?じゃあ、そっちの国で生まれればよかったかな」
彼はおどけたように笑う。
さっきからシャルティンは笑ってばかりだ。
でもひとつも、楽しそうな笑いがない。
「瞳の色の違う子供は、たまに産まれるんです。確かに少し、珍しくはありますが。ただ…」
彼の瞳を見つめた。
「私の想う方も、左右の瞳の色が違うんです」
予想外の言葉だったのだろう。シャルティンは目を丸くしている。
その顔がおかしくて、私は少し声を上げて笑ってしまった。
嘘ではない。私の想う人は、目の前にいる彼なのだけれど。
「瞳の色が紫色なのも、同じなんですよ」
「……そうなんだぁ」
ふわっと、シャルティンの笑いが柔らかくなった。
「だからあなたを見てると、思い出します。声もそっくりだから」
思い出すなんて嘘だけど、シャルティンの瞳も声も好きだった。
「…照れるね」
少し顔が赤い。
百戦錬磨の彼も、さすがに恥ずかしいようだ。
シャルティンは、フォークを置くとこちらに身を乗り出してきた。
「でもよかった。それなら僕の事、少しは好きになれそう?」
「はい」
私が好きなのはあなたですと言ってみたかった。
でも、今の私たちをつないでいるのは、他に想う相手がいるという連帯感だ。
だから言わない。
私の思いは、彼にとっては負担にしかならないだろう。
シャルティンが声を上げて笑いだす。
「きみと似てるよ、彼女も」
心臓が、きりりと痛くなった。