彼と彼女の憂鬱1
今回の主役はユーリとギルです。
それぞれが心に秘める憂鬱とは?
「本当に付き合ってるんじゃないわよね!?」
女の金切り声に、ギルはぎょっとして足を止めた。
あたりをきょろきょろと見回す。
ここは城の裏庭だ。
別名洗濯物の庭。いくつもの洗濯物が揺れて、風には水の音が混じっている。
そんな平和な場所に、場違いなヒステリックな声が混じっていた。
「じゃあ何でいつも一緒にいるのよ!?」
「……馬鹿じゃない」
相手の声は知っている。
「ユーリ?」
ギルは目を凝らして上を見上げた。
「あ」
2階の、ちょうど小さなバルコニーになっている場所から、ユーリの顔が覗く。
「ちょうどいい所に。ってあ、逃げた」
後ろを振り返ったユーリが、顔をしかめる。
「どうしたんだ?」
ギルは手をかざしてユーリを見上げた。昼の太陽が眩しい。
ユーリは怒っているようだ。
「どうもこうも。突然呼び出されてギルと付き合ってるんじゃないわよね!?よ!?あたしの貴重なお昼休みを。折角アンの所に行こうと思ったのに」
地団太をふんで、もう逃げた相手に不満をぶちまける。
ギルは冷や汗をかいた。
今朝、2週間付き合った彼女と別れた。ユーリは多分、探りを入れられたんだろう。
よくある事だ。それだけに、彼女には迷惑をかけっぱなしだった。
「ごめん」
「ギルが悪い訳じゃないでしょ。あの子が礼儀ってもんを知らなすぎるのよ。でも、あんたが女遊びを控えればこんな事も減ると思うけど」
「いやごめん。それは無理」
「……だよねぇ」
女性と付き合う事は、もはやギルにとって水を飲む事と一緒なのだ。
ユーリもそれを嫌というほど知っている。今更他人が何を言おうが変わらないのだ。
「あんた本当に、いつか女に刺されるわよ」
「うーんでも、それでその時の彼女が泣いてくれるならいいや」
「……」
ユーリは眉の下にしわを刻んでギルを見た。
やがて、もうだめだというように頭を振る。
「っていうか珍しい所にいるわね」
「…ユーリを探してたんだよ」
彼女はきょとんと目を見開いた。
「…客?」
「別に訪ねてきた訳じゃなかったんだけど」
木の陰で、ギルは門番をしている友達から聞いた伝言をユーリに伝えた。
「たまたま城に来たらしいんだけど、ユーリと同郷の奴らしくてさ。じゃあユーリに会ったらよろしく伝えてくれって」
「じゃあ…?いかにもついでね」
洗濯物の庭に置かれたベンチに腰掛けて、ユーリは笑った。それでも嬉しいのか、笑顔は晴れている。
「あっ、それよりも私の話を聞いてよ!」
「は?」
いきなり詰め寄られて、彼は思わず後ずさった。
ユーリの目が細められている。
「あんたね、また女の子ひどい振り方したんでしょ?」
「……」
なんと言ったものかと、彼は視線を横にずらした。
しかしそれで彼女にはわかってしまったようだ。
彼女はこれ見よがしにため息をついてみせた。
「う」
知らず逃げ腰になる。
ユーリが再びため息をついた。
「で、伝言って誰から?」
彼女がそれ以上何も言わない事にほっとして、ギルは急いで口を開く。
「カルカロ村のジェイスだって」
「………」
「…ユーリ?」
「えっ。ああ、うん。それで?彼、ここに来てるの?」
ユーリは突然狼狽しだした。ギルは眉をしかめる。
「マールの宿だって。当分いるみたいだけど……」
「…そう」
今度は突然元気をなくす。
こんなユーリを見るのは初めてだ。彼は驚いた。
ユーリを落ち込ませる事が出来るのはアンだけなのに。
「…大丈夫か?」
とくに考えもせず口からぽろりとついて出た。
「何が?」
「いや…なんとなく」
口ごもっているギルを見て、ユーリは力のない笑みを浮かべた。
まったくこの手の噂は早い。
「それでよかったら、付き合ってくれない?」
朝彼女と別れて、昼にユーリが誰かにさぐりを入れられて、そして夕方にはもう、ギルの元には別の女がいた。
今回の女性はちょっと気が強そうだ。城のメイドだと言った。彼よりは少し年上らしい。
なるほど。たまには年上もいいかもしれない。
ギルはにっこり微笑みながら考える。
どっちにしろ、彼は来る者拒まず、なんだけれど。
「喜んで」
だって彼女がずっと探してる相手かもしれないんだから。
「こんにちはっ!」
その日、珍しくユーリが医務室へやってきた。私服だ。
彼女とは友人だが、ユーリがここへ来ることはほとんどない。
たまに、アンが来ている時に顔を出すだけだ。ユーリは病気とは縁がない。
医務室にはギルの他に王宮専属医師、通称先生もいて、暇なのでカルテの整理をしながらお茶を飲んでいた。
「珍しいな」
ギルは器具を洗いながら声を掛ける。
ユーリは何故だか勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、ずうずうしくも先生の隣に腰を降ろした。
「先生、これ今アンの所に行ったら貰ったんですよ。アンのお手製のお菓子。食べませんか?」
そう言って、白い箱を机の上に置く。
ギルは呆れながらその様子を見遣った。
「お前なぁ…こっちは仕事中だぞ?」
まぁ、どうせ暇だからいいのだが。
ユーリが機嫌がいいのはこのせいか。
「いいじゃない。どうせ暇でしょう?」
「……」
はっきり言われてしまうのも勘にさわる。
「いいじゃないかギル。医者が暇ってのはいいことだ」
先生は早速カルテをしまいながら、お湯を沸かし始める。その作業をユーリが引き継いだ。
「今日は休みかい?」
先生が真ん中のテーブルにつきながら言う。
「はい。午前中はアンの所に行っていて」
ギルは残りの器具を洗いながら、背中で2人の会話を聞いていた。
お湯の沸くシュウシュウという音がする。
ユーリが立ち上がって、お茶を入れる音。香ばしい香りがしてきた。
ふと、手を止めて背後を振り返る。
箱を開けて、ユーリが嬉しそうに顔を輝かせていた。
お皿を並べながら、先生もにこにこしている。
窓から流れてくる暖かい風。
それに混じる花の香り。
そう言えば今は春だった。
なんだかひどく幸せな時間で。
視線を戻して作業を再開する。
水の流れを見ながらぼんやりと考えた。
こんな中で死ねたら、幸せだろうなと。
「もうひとつどうかな?」
先生がユーリにアンのケーキを勧める。彼女は苦笑して断った。
ギルは首を傾げる。
ユーリがお菓子を断るなんて有り得ないことだった。しかもアンの手作りを。
「どっか具合悪いのか?」
改めて見ると確かに顔色が悪いような気がする。
ユーリはあははと笑って舌を出した。
「やっぱりお医者さんにはわかっちゃうか。実は最近うまく寝られなくて」
「えっ…」
ギルはフォークをぽろりと落としてしまった。
「なによ。あたしがそんなデリケートな訳ないって?」
半眼で睨まれて、慌てて首を振る。
「何か心配事でもあるのかな?」
「え…」
先生の言葉に、ユーリがぎくりと顔を強張らす。その一瞬をギルは見逃さなかった。
「いやぁ、実は…」
へらっと笑みを浮かべて、ユーリが言った。
「昔にね、付き合ってた人がここに来てるんですよ。それで、会いたくないなぁって」
「じゃあ会わなきゃいいじゃん」
その昔の男というのがジェイスの事なのだろう。思いながらギルは言った。
軽く言ったつもりだったのに、思わず強くなってしまって自分で驚く。
けれどユーリは気に留めなかったようだ。
「だから!わかってないわねギルは。会いたくないんだけど会いたいっていう乙女心が!」
「わかるかよ」
そもそもユーリに乙女心があったっていう方が驚きだ。
「その彼の事が気になって、寝られないのか?じゃあ薬は出せないな」
先生が呑気に笑うと、ユーリはかすかに顔を赤らめた。
ユーリが男を思って寝られない?まさか、そんな馬鹿な。あの、アンが世界一好きなユーリが。
「やだな〜、先生」
あははっとユーリは呑気に笑う。
ユーリはいつもこんな調子で、だから彼女に関する色恋沙汰なんて全くなかったのだ。
「とこでろギル。あんたまた新しい彼女が出来たんだって?」
「え、うん」
付き合い始めてもう1週間が経っている。
確かユーリにジェイスの伝言を伝えた日からだから、彼女はあの日からずっと悩んでいたのだろうか。
「上手くいってる?」
問いかけるユーリの瞳には、心配そうな光が宿っていた。
自分だって寝られないくらい悩んでいるくせに、人の事なんか心配して。
ギルは苦笑した。
「なんだ。また違うのか」
先生までもが呆れた視線を返す。
「またって…。俺は真実の愛を探す旅人なんですよ」
先生は嫌そうにギルを見た。
さすがに自分でも恥ずかしくなって、ギルはごほっとせきをする。
「真実の愛ねぇ…。そんな、どこにでも転がってるもんじゃないと思うけど」
お茶を口に運びながら、ユーリが遠い目で言う。
「知ってるよ。だからこうして探してるんだろ」
「女の人に囲まれて死ぬため、でしょう…」
はぁっと呆れたようにユーリがため息をつく。
「なんだその理由は」
先生は目を丸くする。
「なんだとは何ですか。馬鹿にしてませんか、先生?これは俺の目標なんです。死の間際、ベットを囲む女性たち…最高じゃないですか!」
「……」
先生はお茶を一口飲んで顔をしかめた。
「まぁせいぜい、女に刺されんように気をつけるんだな…」
「ねぇ?」
ユーリが同意して、話は終わりとばかりに今日のアンの様子を楽しげに話し出す。
多分ギルの価値観は、女性には理解できないものなのだろう。
それでも何も言わないでいてくれる、ユーリの存在が有難かった。
「ギル」
お茶が終わって片付けも終えて、帰ろうとしていたユーリが不意にギルを呼び止めた。
「何?」
ドアの外で手招きをされる。
ギルは不思議に思いそちらに向かった。
「あのさ、今度の休みっていつ?」
「さぁ。病人がいなければいつだって休みだけど?」
「うーん…じゃあさ、今日これからって時間ある?」
ギルは背後を振り返った。
先生は再びカルテの整理を始めている。
「うん」
「じゃあちょっと街に付き合ってくれない?」
胸の前で手を合わせて、頼み込むように覗き込まれる。
ユーリがこうやって下手に出るのは珍しい。
なんだか嫌な予感がして、ギルは部屋の中へと1歩戻った。
「…な、なんで?」
「ちょっと。ついてくるだけでいいから!」
「え〜…」
視線を外して、外を見る。
それでも、ユーリに本気で頼まれれば、断る事が出来ないのはわかっていた。
「…どこ行くのさ」
「………マールの宿」
言いづらそうに呟いたユーリの顔を見て、ギルははっとした。
さきほどまでの会話が頭に蘇る。
「いいよ。…恋人のフリでもすりゃあいいの?」
ユーリは嬉しそうに顔を輝かせた。